はじめに

 欧米は、動物の福祉の意識が高い。動物の輸送方法や飼育の環境について論議し、例えば牛には草をはむ権利を与え、にわとりをケージで飼うことができないようにするための条項を設けたりしている。動物実験をしていない化粧品や、よい飼育環境で育てた動物を使った「フリーダム・フード」も売上を延ばしているという。
 私達は、そのように動物の環境について話し合うことはないし、食肉を飼う時も、この動物がどのような環境で育ったか、などおそらく考えもしないだろう。動物愛護の思想は日本にもあるが、「愛護週間」に象徴されるように、犬や猫などの愛玩動物に対して思いやる心を育てる、情操教育の一貫であるにすぎない。犬や猫に対して、手を差し延べてやる、いわば人間が動物に対して「施す」かたちがそれである。
 さて、日本は、研究論文を海外の科学雑誌に提出するのが通例である。その時に、動物への配慮が足りない、といった理由で、突き返されるケースが頻発しているという。日本では、前述したような理由で、眼にみえた社会運動は起こっていないどころか、意識もしない、と思われる。にもかかわらず、動物実験のガイドラインには「動物の福祉」の条項が入るようになった。「動物の福祉」は、「愛護」とは違い、動物の立場を認めて対等の立場で手を差し延べることである。また、動物実験にかわるものとして、動物実験代替法なるものが開発され、代替法学会もでき、公式に代替法が学問としての地位を確立しはじめた。(代替法とは、哺乳類動物ではなく微生物、ハチュウ類、などその他の実験系でおきかえること)このように、動物実験の規制が科学界に起こっている。
 そこで私は、日本は、国際社会に適応するために、国内の動向より海外の動向に同調する特性を持つのではないか、という仮説をたてることにした。
 以下、その仮説を証明するために、科学界の意識と対応、動物愛護団体の意識と働き掛けについて比較検討してみようと思う。

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