第三章 日本の動物実験反対論者の意識と活動

一、反対団体をとりまく実情と活動

 動物愛護を、一部の動物好きの「女、子供」によるもの、理性や倫理を無視した素人の感情論にすぎないもの、新興宗教のようなもの、などと見られることが多い。
それはなぜだろうか。
 動物に関する団体は、日本に60団体存在する。愛護団体がそのほとんどで、そのうち動物実験反対の活動をしているのは、一割にも満たない。
 その理由に、活動の基盤があげられると思う。「時間があるときに活動に参加します。しかし私達にも家庭があり、仕事があり、自分だけの時間も欲しい。ここでの活動は際限なくあるので、人手が欲しいことは確かです。」(A動物愛護団体の人の弁)愛護活動はボランティアによるもので、活動は時間のある人に限られるからだ。しかも動物実験について反論するには、「単なる動物愛護活動をするより」はるかに専門的な勉強をする時間が必要になる。保護活動が主であるA動物愛護団体の人は、こういう。「ボランティアですし、動物実験反対の知識もないですから、できるところから始めよう、まず捨て犬、捨て猫の払い下げの廃止を要求しています。」
 しかしながら動物実験反対運動で、研究者と向き合って抗議をするひとは、「単なる愛護活動のひとよりも」研究を重ねている。数少ない、動物実験反対運動を行っている団体の中で、全国規模で事務所を持つ、動物実験を考える会(=JAVA)がある。彼らは、研究者と対等に話すために、勉強会を開いたりしている。
 反対団体が非論理的、という誤解を招かないために、外国のようにインパクトの大きい直接行動はしていない。したがって、理性的で、平和的な活動である。しかし平和的でインパクトが弱いために、ニュースにならない、という理由に関連して、情報の偏りも問題にあげられる。例えば、載せる記事の地方差がある。実験動物犬のシロの保護のニュース(事例1参考)は、関東、関西の新聞では取り上げられた。また、テレビにおいても、放送された地区とそうでない地区があり、東京で反響を呼んだことが全国ニュースになるとは限らないのである。このように、社会の明るみに出たことも、反響をよばずじまいで風化していくことも考えられる。
 JAVAの会報に、次のような記事がのっていた。話し合いの場を設けようと、働きかけて努めていることがわかる。
・・・動物実験の即時全廃の理想を叫んでも、相手は聞く耳を持ちません。そこで私達が「あなたは敵だ、ハイ、さようなら」と決裂したら、もう運動なんかする必要はありません。とりわけ、現に動物のいのちを握っている人々の思考が変わらないかぎり、こうしている今も、動物は殺され続けるのです。私達は、どうしたら彼らと共通の話し合いの場を作ることができるかを、もっと研究する必要があります。(JAVAニュース24号)
その活動内容は、
 主に、学会傍聴参加、廃止の署名運動、政府各省庁への申し入れ、ビデオをみる会、保健所に持ち込まれた犬猫が、動物実験に払い下げられている実体の全国調査と抗議行動(会員が自治体から資料を入手し、行政に申し入れる)、情報公開法を使って資料を入手すること、理解ある協力議員にはたらきかける(反対の会に入会してもらうなど)、医科大学での研究室、内部告発を促進(大学、研究所、製薬会社等の動物虐待に対する抗議)、動物実験をやっている企業・研究所の実体調査、動物実験に関する情報の収集、動物実験についての学習・研究会(社会のどのような分野で具体的にどのような動物実験がおこなわれているか、動物実験の代替法について)小中高等学校における動物実験(生きた動物の解剖実験)をやめさせる運動、ほかの様々な団体との協力関係を作り出していく(自然保護連盟、全日本仏教会、消費者連盟など)、イベント、キャンペーンを起こす、パネル・チラシ・リーフレットの作成、マスコミ・メディアへのはたらきかけ、動物実験をしていない化粧品の輸入・紹介、海外の諸運動団体との交流、会員の拡大、絵はがき・化粧品の販売などにより財政力をつくる、会報の充実・普及に努める、等といったものである。また、JAVAでは、お互いの理解、納得に導く話し合いに向けて、模擬討論会を行っている。
 ・・・感情的な表現による介入は、できるだけ避け、(「かわいそう」)という言葉は注意して使用すべき)一歩ひいた形で事実を知らせるという客観的な態度を取るべきだと思います。・・・単に倫理的な側面だけでは、動物実験反対の風潮を作るのは困難であることが予想され、(特に中高年の男性には要注意)、動物を使用する自体が人間にとっても危険であり、科学的な過ちであるという、ハンス・ロイシュ氏などからの科学者側との連帯関係が不可欠であると思います。(JAVAニュース11号、氏家泰子氏の記事) 
 このように、科学的根拠に基づいた冷静な話し合いをしたいと望んでいるのであるが、研究者側からは、「どうかお手やわらかに」とか「節度ある態度の人なら拒みません」などと言われたりする。議論が平行線をたどっていることが伺える。つまり、動物実験に関しては研究者のほうが専門家であり、付け焼き刀の専門知識をもっての議論に付き合いきれない、というのであろう。団体から何をいわれても、決定権は一個人にはないから、もともと陳情しても無理なのである。そこで「反対団体は感情的だ」という、先入観の一言で全てが片づいている。
 「感情的」とは言うものの、パネル展(学校や街頭などで、実験を行われている動物の姿が写し出されているパネルの展示をすること)でアンケートをとると、日本にも男性研究者や、獣医、学生のなかでも、次のような感想が集まる。(JAVAニュース参照)
 感想文には、男女等しく、「(1)科学の美名のもとにこんな酷いことが行われているなんて、許せない。(2)科学は人間の役にたっていると思っていた。けれどそれは人間の思いあがりだ」などと書かれている。その感想文をみるかぎり、女は感情的で、男は論理的である、と一口では断言できないように思う。
 「共感、同情の」女性ばかりの思いではない、ということが表面に出ないのは、実際女性や若者しか参加する時間がないということもあると思う。また、新聞や雑誌などでコメントをするのも、タイトルも「ひどい!動物実験・若い女性、各地で反対運動」といったものであったり、女性は心情的という印象をあたえる遠因になっているだろう。

 理性や論理を無視した素人の感情論、とみられるのは、とりわけインパクトの強い、ニュースになってしまうほどの外国の過激な抗議活動報道が原因であると考える。
 イギリス全英動物実験反対協会(NAVS)のアン・アシュレイさんは、「私達が活動していて残念なことの一つは、マスコミがいつも暴力的な活動ばかり報道していて、暴動とか狂信的、といった言葉を好んで使いたがることです。例えば、広場での平和的な集会を報道してもらいたいと思っても、それはニュースにはならない、というのです」と訴える。(JAVAニュース8号)
 米国PETA(動物の倫理的取扱を求める人々)は、東京で毛皮反対の街頭デモをおこなって新聞にとりあげられたが、その戦略をこう語る。「まず若い人々をターゲットにします。若い世代が成長すれば、また次の世代に伝えてくれます。それから運動はできるだけポジティブで明るいイメージで行います。楽しくて人の心に残るように働きかけます。一般に、大衆を引きつけるようなものは、セックス・アピールや楽しい面白いものですから、そのような要素を取り入れることが大事です。そして簡単なメッセージで繰り返しアピールします。例えば、毛皮はダサイ、とか。また、有名人もたくさん我々を指示しています。今回、ポール・マッカートニーはPETAの機関紙の表紙になってくれました。PETAを指示しているアーティストはとても多い。コンサートやレコードなど楽しい企画で、若い人達に呼び掛けていきたい。アピールの仕方は、シンプルな、的確な言葉で、繰り返し繰り返し人々に訴えていくことです。」(JAVAニュース25号)
 その一方で、非科学的と思われないように、専門家だけで運営する団体もある。
 海外の動物実験反対の立場には、医学研究改革委員会(MRMC)というの団体があるが、そこでは、「主として医師、看護婦、その他の医学の進歩を通じて人間の福祉を前進させることを主目的とする専門職で構成され、安全で信頼できる効率的な研究を推進します。」と明言している。科学的なメリット、人間にとってのメリットがあるかどうかという観点から動物実験を評価している、とし、アニマルライト、動物福祉団体との区別を明言している。これも、動物実験反対にまつわるマイナスイメージを考慮しての発言であると言えよう。
 このように、専門家に対して反対運動を行うには「非科学的な動物実験反対運動」と思われないように、「科学」の論理を盾にして反対運動を展開しなければ不利なのである。

 その論理はどこから得るのか、というと、愛護団体で、動物実験にかんする本を見せてもらったが、バイブル的存在になっているのは、海外の本である。それだけ動物愛護の歴史が深く見習うところが多いだろうし、科学者から動物実験の反対の声があり、しかも科学的根拠にもとずいた反論を展開しているので、論破に適している、というところに利点を感じていると思われる。あたりまえだが、科学者の意見や、科学的根拠を元にした本にたよらざるをえない。そして海外で動物反対運動が活発なこともあり、「見習うべきところが多い」として、交流もしているそうだ。

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