第5章 まとめと今後の課題


 4章で見たように、母子家庭は多くの問題を抱えて生活している。まず生活する上での問題点を1章と比較してみたい。1章では母子家庭の問題は収入的な面が中心であった。インタビューのケースでは今現在経済的に困っているというのは1ケースだけであり、状況はかなり恵まれている様子であったがそれでも仕事がなかなか見つからなかったりといった経験はされていて「経済的に不安である」という気持ちは誰もがもっていたようである。やはり母子家庭にとって経済的な悩みは最も大きな問題であるといえるだろう。またインタビューでの精神的な支えがないという問題も、「子どもが具合悪くしたら休まなければならないというプレッシャーがあって」ということが原因となっており、経済的に安定した生活をおくるためには会社を休むわけにはいかないという経済的な余裕のなさが精神的な悩みを生み出している、そういった意味ではこれも経済的な問題ということができるだろう。
 インタビューでは人間関係の面で母子家庭の生きにくさを象徴するものとして、「母子家庭であることは言えるが、「非婚」であることはなかなか言えない」「日本での離婚に対する偏見がわからないため、母子家庭ということは言ってないんです」といったケースがあった。この2つのケースはどちらも社会の差別・偏見から自分と子どもの生活を守るために有効な手段を利用している。しかし、本当のことを言えない、ありのままの自分でいられないというのは辛いことである。こんな辛いことをしてまでも差別や偏見から身を守らなければならないのは、日本の社会がまだまだ人の生き方に対して多様性を認めない、本当のことを言えないと感じさせる雰囲気をもった社会であるからであろう。問題は本当のことを言えない生き方にあるのではなくて、みんなと同じであることを要求する日本の社会、人々の意識ではないだろうか。
 次に、「非婚」の状況についてみていこうと思う。インタビューをして、「非婚」と
「離婚」のケースで返答が最も異なったのは、その選択「非婚で子どもを産む」をいうことに対する反応と、「離婚をする」ということに対する反応であったと私は思う。非婚の場合には家族から反対を受けたり、役所から「婚外子として差別されます。」といわれたりと確実に否定的な対応を受けている。それに対して離婚の場合は「流行の先取りだね。」「うちもいないようなもんだよ。」という発言にみられるようにかなり否定的な意識はなくなってきているということがいえるだろう。しかし、「非婚」の選択をした場合でも「なかなか言えない」といった雰囲気はあるが、選択をした後ではっきりと差別を受けたというケースはなかった。「収入の問題だけで、非婚としてのデメリットは何もない。引け目・負い目はまったく感じていない。(B)」「確かにリスクや心理的プレッシャーはあるが、自由な選択はできるようになっていると思う。私は自分を中庸だと思っている。その私が、こうしているということは10年前よりはずっと「やっていけそうだという空気」を感じたのではないかと思う。もちろん覚悟を決めなくてはならない何かはあるけれど。(A)」というようにどちらかといえば前向きな発言が目立った。また2章で挙げられているような親や兄弟から中絶を強要されたり、養子に出されたりといったことや、戸籍の偽造といったことを受けるというほどに強制的な手段もインタビューのケースではとられていないようである。反対をする理由も直接的に女性の「非婚で子どもを産む」という選択自体について不道徳だと言うのではなくて、「子どもがかわいそうだ」と反対している。2章で述べたように非婚・婚外子をめぐる問題は意識的なものと制度的なものの2つがある。このうち意識的なものについては上に挙げた例からもまだまだ生き方の多様性を認めないといった側面も残っているものの、制度が変われば、制度上の婚外子差別がなくなれば意識の変化は意外に早いのではないかということがいえるのではないだろうか。制度的なものについては、2章でみたように婚外子差別を違憲とする判決もいくつか出されているが、最高裁大法廷の判決では合憲と判断されており、まだまだ一進一退といった状況である。ただ、日本の婚外子差別は国連の人権委員会から勧告が出されていることからもわかるように明らかに婚外子差別解消の国際的な流れに逆らっており、これからますます国際化が進むと考えられる中で、近い将来変わらざるを得ないのではないかと思う。 インタビューを進めていくうちに、母子家庭が抱える問題は母子家庭だけの問題ではないことがわかってきた。まず、母子家庭の一番の問題点である収入の少なさは、女性の収入が男性のそれよりも少ないことと同じである。また、インタビューの中で「保育園で話していると、非婚の母だからということではなくて、働いている母親としての共通の大変さ、悩みがある。(A)」「シングルだからというよりも、働く母親としての仕事と家庭の両立が大変(E)」といった発言があったように、仕事と子育ての両立という点でも、働く母親が抱える問題点と共通である。違うことは夫がいる家庭では経済的な負担が自分だけにかからないため、自分の収入の少なさが生活に直結しないが、母子家庭ではそれが生活の余裕のなさにつながる、そして食べていくためには両立が難しいからといって仕事を辞めてしまうわけにはいかない。そういったことで、母子家庭は仕事をする多くの女性が抱える悩みをより切実に感じているといえよう。
 こうやって考えていくと日本の社会システムが、法的に認められたそして男性が稼ぎ手となる性別役割分業を行なう一般的な「家族」を基本単位としていることからすべての問題が起因していることがわかる。まず法的な家族を保護するために、何も悪いことをしていない「婚外子」に対して差別する。そしてそれを理由にして法律婚への誘導を行なっている。また経済的な問題でも女性が働く、子どもが生まれても働くという前提になっていないため、子どもがいると就職できない、仕事と子育ての両立が非常に難しいものとなる。それはこれから結婚しても子どもを産んでも仕事を続けていこう、と考えている女性、続けたいけどどうしようと迷っている女性の問題でもあるのだ。つまり、女性が自分の力で「自立」して生きていこうとするとき前に立ちふさがるのはこの社会システムが生み出す、母子家庭が抱える問題と同じ「壁」であるといえよう。
 現在の日本は残念ながら、スウェーデンのように法律的に個人のライフスタイルが認められているという段階にはほど遠く、アメリカのように制度的にも、意識的にも明らかにその方向へ進んでいるといった状況でさえない。それでも、晩婚化に現れているように結婚に対する意識はかなり変化してきているといえる。しかし、シングルであるということは認められてもシングルで子どもをもつということは日本ではまだ認められていない。だが、個人のライフスタイルは個人が決めてもいいのではないか。それを妨げるような社会は、その社会自体が問題なのではないだろうか。
 私達は、母子家庭の問題を自分にはあまり関係のないものと考えがちである。しかし母子家庭が抱える問題は、女性の自立の問題であり女性全体、そして社会を構成する人々全体の問題なのである。このことに気づき、母子家庭をかわいそうだとみるのではなく、自分達の問題として取り組んでいくことが必要なのではないだろうか。

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