第4章 調査結果の分析と考察


 ここでは、インタビューの各質問ごとに結果をみていこうと思う。

1 一人で子どもを育てることになった選択の理由、または状況

 これは、非婚の方と離婚の方では状況が大きく異なるので、非婚と離婚に分けて分析したいと考える。まず、非婚の方の場合はどういった形であってもそういった生き方をする「選択」をしているといえる。私がインタビューした方の選択の状況は事実婚的なケースと、初めから一人で育てるといったケースの2つに分類できるようだ。事実婚的なケースでは「婚姻制度に対して、どうして個人の自由な人間関係を国に届け出さなければならないのかという否定的な考えをもっているため、たとえ同居ということになっても婚姻届けを出すことはあり得ないと思っていた。(A)」「相手がどうであれ、戸籍を同一にするということは考えてなかった。戸籍制度が女性、自分にとってメリットがないと思ったし、どちらかの名字になるのがいやだった。今の時代に生きるのならそういう道を選んだ方が自分として納得がいくなと思ったから。(B)」というように、戸籍制度に対しての否定的な考え方をもって、「非婚」という生き方を積極的に選択している。戸籍制度への否定的な考え方は、二人の方とも20歳前後の頃から持ちはじめたということである。また二人とも現在は一般にいわれる事実婚をされてるわけではなく、結婚されている人と一緒にいろいろ考えた上で、「二人で子どもをつくろう」と決心をしたというケース(A)と、事実婚の解消と失踪というケース(B)で、いずれも養育費はもらっていない。Aのケースでは、「一緒に住んでみたいという気持ちもあるが、一人暮らしが長くなると、同居するのにものすごいエネルギーがいることもわかっているので、向こうの家庭の事情からも、これでいい。」ということである。Bのケースでは、「産まない自由が自分にはあると思ったから、産んでもいい自由もあるのならば産んでみようかなと思って。子どもを産むことが自分の人生でマイナスになるとは全然思わなかったし、そんな生き方しか出来ない自分じゃないというプライドは持っていた。」という言葉から子どもを持つことに対して、主体的に強い意思決定をしているのがわかる。初めから一人で育てるというケースは、子どもの父親が家庭のある人で、婚姻外で一人で育てるしかないと最初からそのつもりで産んだということである。「子どもを産むことに対しての迷いはなかったのですが、まわりのいろんな圧力とかそういう反対があって、それで社会が私が色々大変になるのは自分で決めたのだからいいけど、子ども何もしていない子どもにそういうのに理解がない社会だからそういうことで反対とかをいわれたときに、それに対してやっぱり子どもに対して、背負わせることへの何かこうあれはすごくありました。(C)」という抵抗感と、「その前に一回結婚して離婚してという経歴があるんで、その結婚では子どもはなかったんですけども、家族もいないし、離婚してまったく一人という状態だったんで、やっぱり子どもっていう自分の分身を一人ぐらい産みたいなというのはありましたね。子ども自体かなり欲しいというのはありましたんで、別に結婚しなくても子どもだけは欲しいという傾向はあったと思いますね。」という気持ちの両方があったようで、これは一人で育てるという選択をすることの難しさを表しているといえるだろう。
 離婚の方は、相手から離婚をいわれたケースと、自分から離婚をすると決心されたケースとにわけられる。相手から離婚をいわれたケースでは、アメリカで生活していたため、「無過失離婚」という相手に過失がなくても愛情がない・生活したくないといったどんな理由でも離婚を解消できるアメリカの法律によって離婚されたということである。「アメリカの法律では、片方がそれを拒んだとしても6カ月の猶予期間だけで、最終的にはどうやって二人の共有のものをわけるか、それだけのことなんですね。」ということであり、移行しつつあるとはいえ破綻主義が確立していない日本での状況とかなり異なっているといえよう。自分から離婚を決心されたケースでは、経済能力のない相手で、嘘をついたりする癖があることがわかって、離婚されたそうだ。子どもが産まれてからは離婚する前も一緒に住んでいなくて、また子どもへの関心もないらしく連絡もしてこない、養育費は調停で決められた分をもらっているがそれも遅れがちといった状況である。「必要のない、いなくてもいい親もいるかもしれない、と思って。」というように、子どもには絶対に父親が必要だから、子どものために離婚は諦めなくてはいけない、我慢しなくてはいけないといった従来の家族イメージにとらわれない意識があったからこそ、離婚という決心に繋がったのではないだろうか。

2 生活していく上での問題点

 まず子育てについては、非婚か、離婚かということよりも、自分以外で子どもの世話を頼める人がいるかいないかという点が、大きなポイントであるように思う。夜10時までの夜間保育園に預けることができたり(注4)、子どもの父親に頼むことができたり(A)、両親と同居していたり(B・E)といった状況であると比較的仕事との両立がやりやすいようである。しかし、お話ししてくれた方が自ら「私の場合は恵まれていた(B)」といわれているように、苦労されている方も多いようである。「私自体が親や兄弟と死別していて、身内という家族がいないので実家になんか助けてもらうとかそういうことが全くない、私一人で何もかもしなくてはいけないといった状況なので、(C)」というように、自分以外に頼める人がいないケースでは、仕事もしながら子どもも育ててということを一人で行ない、病気になったりしたときには仕事を休まなければならない。その場合、以下のように非常に厳しい状況におかれる。「(保育園以外の+aの部分でベビーシッターを頼む余裕もないので)常に、子どもに対して熱を出せないという精神的なプレッシャーを与えていたという感じですね。(C)」「そのとき(離婚した時)は4年前なので三人ともまだ10歳になっていない状態でとても不安でした。アメリカだったんで、(仕事も)ちょっとしてみたんですけど結局ベビーシッター代で計算するとあわないこともあったし、私自身ものすごく疲れたのとなんとかしなくても今のところは(養育費で)すんでいたので、それで来たんですけどやっぱり自分自身の将来を考えて、これからきちんとするつもりで今探しています。(D)」「私は同居だから良いんですけど、子どもとだけ暮らしている場合、小さい子がいると就職できない。保育園はだいたいみつかるのですが、熱を出したときや時間外に頼める人がいない。知り合いが派遣社員から正社員になろうと子どもを6時まで保育園に預けているんですけど、帰りにおなかがすいてしまいパンなどを与えると今度は夕食が食べれなくなってしまい心配だと言う話もある。(E)」
 次に人間関係について、その選択に対して反対されたり、何か言われたかという点に注目した。非婚の場合には、家族から反対されたり、理解されていなかったり、「籍は入れるべき」といわれたり(B)、家族からは特に反対されないにしても、役所に出生届けを子どもの父親と届けにいったとき、婚姻届けを出すように勧められ、そうしないと出生届けの「父親」の欄を本人に消させるといった対応にあったり(A)、様々な「非婚」に対する否定的な行動を受けている。特に「『婚外子として色々差別されます』と窓口の人がいった言葉が世間を代弁しているなと感じた。」というように日本では婚外子が差別されるのが当たり前という意識が強く残っている。それは、非婚の方が三人とも反対をされるときに「自分の生き方を子どもに押しつけるのは、子どもがかわいそう」といわれていることからも、Aのケースで「応援していますと言った父親も『向こうの夫婦の子どもにすることは出来ないか』と言ったことがあった。身近な人から差別的なことを受ける人は多いが、私は行為としては受けなかったが、意識としては皆まだ受け入れていない、だからこそ守ってあげなくてはという気持ちがあるようだ」という言葉からも裏づけられているといえるのではないだろうか。これに対して、離婚のEのケースでは離婚したというレッテルで見られるという目にははっきりとはあっていないということである。「会社の人が私のことを『子どもの小さい人は採ってほしくなかった』みたいにうるさく言うのは、もしかしたらそういう目で見ているのかもしれない。」しかし、公園で会うお母さんに話したとき「ああ、そうなんだ。うちもいないようなもんだよ。」といわれたり、友達も「流行の先取りだね。」と言われたということで、離婚率の上昇によってかなり離婚に対しての否定的なイメージがなくなりつつあるといえるだろう。
 人間関係をよりスムーズにするために、非婚であることを言わない(C)、母子家庭であることを言わない(D)といったケースがあった。Cのケースは、「母子家庭」というのは今珍しくないから、近所、職場、学校にもオープンにできるが、本当の事実関係はなかなかいえないということで、離婚したという経歴から今母子で一人で育てるという状況は、離婚して子どもが産まれてやっているんだなという受けとめ方をしている人に対しては、「私もあえて『実は非婚でこう言う形で産んだのよ』というところまではやっぱり言えないような雰囲気があって、いっちゃったらこう相手の受けとめ方も変わるような印象があるからそこまではなかなかよっぽどの人じゃないと言えないみたいなところがある。」ということである。Dのケースは、長くアメリカにいたため日本の離婚に対する偏見がよくわからないため、子どもがいじめられないように学校には言っていないということである。アメリカの離婚で「共同親権」というのを日本に届けたため日本の戸籍では普通あり得ない「親権は父および母」となっていて、「保護者」の欄に父親の名前を書いて学校の書類には出しているということで書類を見たかぎりではわからないようになっている。「(言っていないこと)それは私自身の、あの嘘をついているというかありのままの自分を出していないような自分の中でジレンマがあるんですけども何か子どものことを考えると、そっちの方がいいかなと思って安全のほうを今のところとってきているんです。」ということである。
 住宅については、私がインタビューさせていただいた方は親と同居されていたり(B・E)、母子寮に入られていたり(C)(注5)、親戚から借りられていたり(D)、民間のアパートでもとても気にいっている(A)ということで、あまり困っていうという状況ではなかった。しかし、民間の不動産屋では母子家庭には、男性の保証人がいないと貸してもらえない、といった現状もあるということだ。
 仕事については、それぞれの事情が異なるので各ケースを見ていこうと思う。Aのケースでは、キャリアが少ない、下積みというかそういう学校に通ったり、アシスタントとして経験を積んだとかなくていきなり偶然に今の仕事をするようになって、まだ4、5年にしかならないということだが、「子どもを産んでからけっこう動きだしたんですよ、おもしろいことに。『非婚の母を売り物にしている』といわれている。でもまあ、みんな良いほうにね助けてくれている、それはすごくうれしいことです。」というようにスムーズに進んでいるようである。Bのケースは、「フリーライターと保険の営業の兼業、ダブルワークをしても、一般家庭の世帯収入に全然追いつかない、半分以下だというところに憤りを感じる。他の母子家庭ももっと大変だと思う。」ということだ。Cのケースは初めはやはり一人で子どもを抱えてという条件のため、なかなかきちんとした安定した職が得られず、簿記の資格を持っていたため会計事務所の経理をやったり、「あと家のすぐ近くの会社という限定でしかやっぱり動けなかったので、小さい会社の事務ということで2〜3カ所変わったりしたんですけど、そのときはやっぱり給料とかあまり良くなかったですね。」現在は公務員に準じている社会福祉法人に仕事が見つかり、給料や休日は保証されて、安定した勤務条件ということである。Dのケースは、アメリカにいたときは仕事もフルタイムでしていたが子育てとの両立が難しく、現在まで英語関係のアルバイトなどをされていたそうである。経済的には、アメリカの法律での離婚のため、結婚中の財産の半分を受け取れたり、養育費も18才までは父親がみるということになっていてきちんともらえるということで生活はなんとかなっているということである。Eのケースでは、現在は個人のところで事務をしているが、仕事以外の近所づきあいもしなくてはいけないし、融通がきくという面もあるが、前の会社が比較的自由に有給がとれたため不便さを感じている。以前11年間は有給、出産、育児休暇のとれるいい会社に勤めていたが、出産のときに身体の調子が良くなかったのと、「家にいたほうが良いのでは」と思ったため退職、今の仕事は3カ月前から、子どもを保育園に慣らすためにパートからはじめたということである。「年をとるとどんどん就職も不利になると考えて就職したが『今果たして、就職が子どもよりも大切なのか』という疑問もある。しかし、この状況で就職できただけでも良いのではないかと思っている。」ということである。私がインタビューしたケースでは、住居費などがかからなかったり、比較的経済的に恵まれた人が多かったように思う。

3 父親について いなくて困っていること、よかったことはどんなことか

 困っていることで挙げられたのは、経済的なものと精神的なものの2つがある。経済的な問題は、「収入が少ないというのが1番かな。だんながいたからといって役に立つというのは、精神的に役に立つというのは噂ではあまり聞かない。収入以外はほかで何とかなると思う、なんとかしてきたし。子どものことにしても、だんながいてもみんな孤独で悩んでいるみたいだから母子家庭に限らないんじゃないかな。(B)」というように経済的な問題単独のものと、「子どもにとって『お母さんだけで生活大丈夫かなあ』という漠然とした不安を与えてしまっているのはかわいそうだと思います。(D)」というように経済的不安が精神的な面にも影響を与えているものとがある。精神的なものでは、まず「私自体が常に子どもが具合悪くしたら休まなきゃいけないというプレッシャーを抱えているんで精神的に子どもに対してゆったりと出来ない状態で、それが子どもに影響しちゃって、それで子どもも逃げ場がないみたいな感じになっちゃったんで、やっぱり一人でやる限界みたいな部分があります。(C)」という母親本人の不安が挙げられた。そして多かったのは、以下のように父親がいないことが子どもに与える影響を心配されているケースである。「子ども自体の父親像というのも赤ちゃんのときからいないものですから子どもなりに疑問とか『うちはどうして違うのだろう』ということでそういうものをすごく持ってきたんで、で私自体が支えきれないということでやっぱりそういう意味ではかなり負担があるなという感じ。(C)」「男の子が二人なので、結果になってみないとわからない。アメリカでもお隣のお年寄りの奥さんや、日本でも事情を知らない奥さんから『やっぱり男の子には父親が必要よ」と何気なくいわれる言葉が、だって私が選んだわけじゃないのにこういうことになってそんなこといわれてもという。だからどういう結果がでるかわかりませんけども、私としてはやはり学校で男の受け持ちの先生であったらいいなとか部活だとかそういった社会の中で男性、父親と同じぐらいの男性と接することによってそれを補えたらいいなと思っています。私の兄が結構まあ色々いってくれたり何かしてくれる面があるんでそれは助かりますね。(D)」Eのケースでは「父親として『子どもに会いたい』という気持ちを持ってほしい」ということであった。やはり子どもが小さかったり、男の子の場合にはどうしても不安になるようである。Dのケースでは母親自身の不安が周囲の言葉によってより高められている。「男の子には父親が必要だ」といった考え方が母子家庭に対する偏見のベースになっているということもできるのではないだろうか。
 次に、父親がいなくてよかったことについてみてみたい。よかったことで挙げられたの屋をきちんとしておかなきゃいけないとか御飯をきっちりつくらなくちゃいけないそういう型通りの家のこととかもう手抜きできるというか、面倒臭くなったらもう外食しちゃうとかそういう感じで気楽さはありますね。(C)」というように生活が自分のリズムでやっていけることを父親がいないプラス面としている。この「生活の気楽さ」というポイントは未婚者がシングルであることのメリットとして挙げられるものとも一致しているといえるのではないだろうか。離婚のケースでは、相手の性格的欠点を挙げている。「やっぱりこういう結果になった人なので、父親としての責任感のないのが随所にみられたので、ああいう面で子どもがああまた裏切られたなみたいなそういうものを感じずにすんでいるのと、それから中学生ぐらいの女の子というのは父親に対してうっとおしさや何かを感じる年みたいなのでまあ、それに輪をかけてちょっと自分勝手な面のある父親だったんでこれでよかったかなというのもあります。(D)」「彼の子どもに対する影響はどうなるかわからなかったが、私自身が受ける影響でおかしくなってしまいそうで、子育てにもひびきそうだった。子どもに父親について聞かれたらどうしようという思いはあるが、彼と暮らしているという状況よりも、今の状況のほうがずっと安心できる安定した状況である。(E)」今まで、父親と同居していた離婚の方が生活の気楽さを挙げすに、非婚の方だけが挙げているというのは、同居生活に対する意識の違いが現れているようで興味深い。

4 シングルマザーの組織に入るきっかけ、活動、どんな点で自分に役立っているか

 はいるきっかけは、「社会的に何かやるべきことがあると考えて(A)」「自分が母子家庭の当事者であることを考えて、今のままではいけないと思って、自分にフィットする活動体を探していてここが一番いいなという、生活がみんな母子家庭ということで同じだから。(B)」という自分から積極的にというパターンと「自分が母子家庭であることを誰にも知らせない人といった閉鎖的なイメージがあったが、『一度顔をだそうか』と思ってでてみた。(E)」という消極的なものとがあった。              
 どんな点で自分に役立っているかは、「人は枠から完全にはずれることは怖いから、同じ様なことをしている人がいる、仲間がいるんだということを具体的に知ることで、『これでいいんだ』という安心感になる。(A)」「私はそういうわけで『単身赴任です』とちょっとなんか子どもを守るために嘘をついてしまっているので本音で話せる相手がほしかったっていう。(D)」「仕事を始める前は特に社会との接触が少なく、子連れではいくところがなくてもやもやしたものがあった。(E)」というように自分と同じ様な仲間だからこそありのままの自分が出せるといった精神的な支えとなっているようである。しかし、仲間を必要としているということは、母子家庭が社会で置かれている状況の厳しさを示しているのではないだろうか。

5 社会に対して望むこと、その他

 社会に対して望むことでは、3つ挙げられた。まず、「『ONE OF THEM』の非婚もあっていいんだけど、一方で男性の子どもに対する養育の自覚をもっと促したい。離婚家庭のうち、養育費を払っているのは15%だけだし、それも子どもの数に関係なく雀の涙だから、無責任極まりないですよね。(B)」という「父親」としての自覚を求めるものであった。非婚の方からは「やっぱり戸籍上に記載ですか。住民票は何年か前に『子』に統一になったんですけど、戸籍に関しては古い昔からの記載方法が改善されていないので、やっぱりその辺で差別というかこうちがうっていうあれを感じちゃいますね。(C)」といった戸籍での婚外子の差別をなくしてほしいというものであった。そして、二人の方からは、以下のように日本の社会構造についての指摘があった。「日本の社会の構造がやっぱり奥さんであることでとっても有利なように作られていて、一見家庭の主婦を守っているようなんですけど、いざ自立しなければならなくなった立場の女性にとって、とても不利な社会だと思います。というのはその配偶者控除だとかサラリーマンの妻であれば年金が働かなくても保証されるだとかいろんな保護が受けられるんですね。それは家庭が自然に壊れた場合にそれを無理してでも修復してその立場を守らなければ自分の老後を保証されないようなこの多様化している価値観にたえられない制度だと思います。(D)」「女性が働くってことが当たり前になっている状況の中で子どもを育てながら安心して働くことができないことが問題。あと子育てに対してのそうじゃない人の、周囲の無理解がある。子どもの保育園の送り迎えで早退、遅刻をすることが迷惑だとか、信じられないという考えがある。女性でもそうですからね。そういう無理解で、本当に居心地の悪い、ほうぼうにすいません、すいませんといいながら子どもを育てているワーキングマザーがいっぱいいますからね。で、母子家庭なんかはそれがもっと甚だしいということになると『やっぱり母子家庭だから』ということで、もうクビになるなんてことはざらですからね。クビになる、あるいは正社員からパートに降格されるとか、だから正社員になれない人はいっぱいいますよ、母子家庭の人で。パートでも2つ、3つやって寝る暇がない、過労死しますよ、本当に。私達が炭鉱の中のカナリヤじゃないけど、一つの指標になるんです。私達が生きやすいってことはたぶんほかの子育て家庭ももっと生きやすいわけですよね。そういう意味で私達のサポートシステムをもっと注目してほしいなと思います。(B)」。
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