第2章 非婚シングルマザーに関する研究


1 非婚・婚外子の諸外国での状況

 一般に「婚外子」といわれているのは『世界人口年鑑』などで把握することのできる
「法的婚外子」(善積、1993、43ページ)のことを指している。『世界人口年鑑』では婚内子とは、「出生時にその国や地域の法律に従った結婚をしている両親から生まれた子ども」であり、婚外子とは「出生時に各国の法律に従った結婚をしていない両親から生まれた子ども」(『世界人口年鑑』、1986、104ページ)であるとされている。1985年(アメリカのみ1984年)の婚外子出生率のデータでは、スウェーデンが46.6%と最も高く、以下デンマーク43.0%、アメリカ21.0%、フランス19.6%と続いている。ここでは、スウェーデンとアメリカの状況を見ていこうと思う。
 スウェーデンは、社会福祉制度の充実で有名な国である。子どもの養育という面でも例外ではない。婚外子として生まれても「子どもはすべて社会のことして平等に扱わねばならないという精神が一般的に浸透し」(善積、1993、53ページ)ていたため、保護的な措置が採られた。さらに、スウェーデン政府は1969年の家族法改正に際し、スンドベルイ、ヤコブによると「法律婚が家族法の中で中核的な地位を占めるものであっても、未婚の母や事実婚の当事者に対して不当な苦痛や不便を与えるような規定があってはならない」と述べたということである。(スンベトルイ/ヤコブ、1978,菱木昭八郎訳、宮崎孝治郎編、『新比較婚姻キ』、勁草書房)この結婚についての法的中立が、同棲の増加、そして婚外子の増加を生み出している。婚外子に対しての相続差別も1970年に解消され、1976年には「非嫡出子」という言葉も差別語として法律上から消えた。このようにスウェーデンでは婚内子、婚外子にかかわらず、平等に扱われている。
(善積、1993、49〜54ページ)
 アメリカではスウェーデンと同じような同棲の増加という現象もあるが、婚外子出生率増加の原因のもうひとつは、社会問題ともなっている10代の妊娠である。この10代の妊娠という問題は母親の貧困をうみだし、それにともなう不安定な環境は子どもにも悪い影響をもたらす。しかし、この10代の妊娠・出産も過去とは異なり、「嫡出制の規範はかつてほど厳しいものではなくなり、婚外子を育てることは経済的には現在でも困難ではあるが、精神的な面では面ではむしろ充実感を感じる少女も多く、無理やり結婚することも少ない。」(善積、1993、61〜64ページ)という。また、たった一人でも子どもを産み、育てようとする「選択的シングルマザー」も社会現象となっている。そのシングルマザー達の子どもを作るひとつの方法として、アメリカでは「精子銀行」が大きな産業となっているという。全米におよそ30ほどの精子銀行があり、一番古いものでは20年の歴史がある。ここを訪れる女性の2割ほどがシングルで今までに全米でおよそ20万人、ニューヨークだけでも1万5千人の子どもが生まれている。(上野・NHK取材班、1991、230〜231ページ)あえてシングルマザーを選んだ女性達でつくる会『シングル・マザーズ・バイ・チョイス』は1982年に発足し、現在では、その会員数は約2000人に、支部の数は全米で20以上、カナダに2支部、そしてさらに新しい支部がつくられつつあるという。統計的にも、30〜40代のシングル女性の母親になるケースは増加しているという。アメリカ国税局の1993年の発表では、全米で、一度も結婚していない女性のうち4分の1近くが母親になるが、これは10年前に比べて60%の増加である。この増加率が高いのは、高学歴で専門職に就いている女性で、白人女性や大卒女性では増加率は2倍以上、専門職または管理職に就いている女性では3倍近くになるという。アメリカ公衆衛生局のデータによると1990年で30才以上のシングル女性のうち17万人が子どもを産んでいる。これもまた、白人女性の増加が目立ち、1980年から1990年の10年間で、30〜34才の白人女性の出産率は120%増加したという。ジェーン・マテスによれば、「選択的シングルマザー」増加の背景としては、その底流に女性解放運動があり、「今や女性は国家や会社のトップになることだってできるのだから、家族の長になれないわけがあるだろうか。わたしたちは経済的に家族を養えるようになっているだけではなく、良い親になれるという自信を深め、一人でも子どもを育てられると思えるまでになった。伴侶としてふさわしい人が現れれば結婚にも興味を示すかもしれないが、ただ子どもを得るためだけに好きでもない男性と結婚する必要もない。(中略)人間として成熟したシングル女性が自分の意思でシングルマザーになると決めるとき、結婚に失敗し、辛い離婚を経て子どもを育てるはめになった人と同じくらいかそれ以上に、自分も子育てをこなせるだろうと考えたとしても不思議ではない。」(ジェーン・マテス、1996、25〜26ページ)ということである。また、婚外子であるからという差別も一昔前に比べてだいぶ減ったということである。1986年にグラマー誌が行った世論調査によると、読者(おもに20代、30代の女性)の77%がシングル女性が子どもをもつことを支持し、70%の人が30代半ばまでに結婚していなかったらシングルのまま子どもをもつことを考える、と答えているという。(ジェーン・マテス、1996、12〜13ページ・25〜28ページ) 法律的には家族法は各州によって異なるのだが、連邦最高裁判所による連鎖的な憲法判断は、結果的にはほぼすべての州が非嫡出子に対する差別的な規定を廃止するなど、州法における統一的な方向づけを行なっているという状況である。(比較家族史学会、1996、198ページ)(注1)このように、アメリカでは人々の婚外子に対する差別意識は明らかになくなりつつあり、法律も変わりつつある。
 スウェーデンやアメリカ以外の国でも、人権的な立場から婚外子差別をなくすという方向へ向かいつつある。それは、世界人権宣言・国際人権規約・女子差別撤廃条約・子どもの権利条約などの諸国際条約において、子どもを出生によって差別しないとうたっていること(伊田、1995、194ページ)からも、また1994年の「国際家族年」の原則として、「家族の形態や機能は個人の好みや社会的条件により、多様で、かつ変化するものであり、国際家族年の取り組みはその多様なニーズに応えるものであること、国際家族年は国連の規約にのっとり、すべての個人がいかなる家族に属し、いかなる家族的地位にあっても、基本的人権と基礎的自由の促進をもとめるものであること」(庄司、1996、153〜154ページ)が揚げられていることからも明らかになる。

2 日本社会での制度上、通念上の問題点

 スウェーデン、アメリカをはじめとする諸外国の婚外子出生率が近年増加傾向を示しているにもかかわらず、日本における婚外子出生率は1%前後のまま変化していない。これはなぜだろうか。
 日本では「婚外子差別」は法律としても明らかに存在する。婚外子差別は、基本的には、
戸籍の続柄欄に、嫡出子の場合、「長男、長女、二男、二女…」と、非嫡出子の場合には「男、女」とだけ記載されるという問題である。(注2)これを基盤として、民法900条4号但書に、「子、直系尊属または兄弟姉妹が数人あるときは、各自の相続分は等しいものとする。ただし、嫡出でない子の相続分は、嫡出である子の2分の1とし、父母の一方のみを同じくする兄弟姉妹の相続分は、父母の双方を同じくする兄弟姉妹の相続分の2分の1とする」とあるように、認知した非嫡出子の相続が嫡出子の半分というような差別や認知のない非嫡出子の相続分を認めないといった差別がある。(伊田、1995、193〜194ページ)この民法900条但書についてはいくつかの裁判が行われている。1993年6月に東京高裁で判決が出された中田さんの勝訴をきっかけに以後婚外子差別を違憲とする判決が続き、差別解消へ大きく動きだしたかに見えたが、1995年7月の山田満枝さんの裁判の判決で、最高裁大法廷は、「法律婚主義の下で嫡出子の立場を尊重するとともに、非嫡出子にも一定の相続分を認めて保護を図るのが目的で、著しく不合理とはいえない」と『合憲』という判断をした。(1995年7月7日、朝日新聞、一面)日本の婚外子差別問題は、国連規約人権委員会でも取り上げられ、民法900条但書は国際人権規約B規約に違反した差別であり、これを廃止するようにと、1993年11月に勧告が出されている。(水上、1996、69〜71ページ)
 1章で述べたように婚外子差別は、児童扶養手当にもみられる。児童扶養手当施行令では「母が婚姻によらないで懐胎した児童」も支給の対象となっているが、同じ項目で「父から認知された児童を除く」とされている。これは、認知されたからといって同居する、扶養されるとは限らない、離婚の母子家庭の場合には父親から養育費を受け取っていても受給できることを考えると明らかに婚外子を差別していているといえる。(伊田、1995、206ページ)
 次に、日本社会での通念上の問題点をみてみたい。善積によると日本には「非婚で子どもを産むことは不道徳である」とみなす強固な嫡出制の社会規範が存在しているという。また、日本社会は「デュルケムのいう『外的拘束性』の強い安定した社会である。」(善積、1993、99ページ)そのため生き方の選択の幅が狭く、人々は「人並み」の生き方、「世間」に認められる生き方を選択する。そして身近な人にもそれを強要する。非婚という「人並み」ではない生き方をしようとする人に対して、まず親、兄弟、親族、などが多くの場合、たとえ本人が産む意思をもっていたとしても中絶を強要したり、出産前に結婚させようとするという。生まれてしまった場合にも「近隣や親戚になどには出産の事実をひた隠し、密かに養子縁組や、施設に預けられたりする。」(善積、1993、93ページ)または、親や、既婚の兄弟の子として届けるといった戸籍の偽造、形式的に婚姻届けを出し、すぐに離婚届けを出すことで婚内子として登録されるようにするといった様々な手段で「婚外子」が生まれるのを阻止しようとしているということである。(善積、1993、93ページ)
 1991年にF県のある公立幼稚園で勤務する女性教諭が未婚のまま子どもを産んだことに対して、親たちから「教育者のモラルの上から問題だ」という声が上がり、教育委員会が「公務員の信用失墜行為を禁じた地方公務員法違反」として事務局付けに配置転換したという事件があった。(1991年12月13日、朝日新聞)この事件では、親たちも、また教育委員会も「『非婚』で母親になることは不道徳である」という発想をごく当たり前のこととしてもっているということがわかる。しかし、これが報道されたということは「果たして「非婚」の母親は、本当に不道徳なのか、公務員法違反なのか。」という疑問が明らかに存在し、この発想が社会を完全に支配しているのでないことを示しているといえるだろう。

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