第1章 装置による音楽化


第1節 音楽化社会論

 小川博司は、『音楽する社会』において、音楽化社会を「社会的コミュニケーションの中で、音楽の占める部分が増大する過程にある社会」と定義している。さらに、音楽に満ちた社会はなにも現代社会の専売特許ではなく、古今の共同体社会の中にも多くの音楽に満ちた社会が見出されるが、同じ音楽に満ちた社会といっても、現代の音楽化は(電気的)メディアによって支えられているという点で他と区別されると指摘している。まさに今日の音楽の遍在化は電気メディア(装置)の力によるものであり、「諸個人は、オーディオ・ビジュアル機器や楽器など様々な装置と共生している」のである(小川、1988、i頁)。では実際に、この装置が現代社会の音楽化とどのように関わってくるのかということを詳しく検討していきたい。

第2節 装置がもたらしたもの

 現代社会では、実に多種多様な電気メディアが人々の生活の中に溶け込んでいる。そして、このような電気メディアは、時代と共に次から次へと新しいものへと変化していく。特に最近では、音楽のハード機器や音楽ソフトの変容にはめざましいものがあった。
 1982年に発売されたCDは、従来のレコードにとって替わり、今や若者の音楽生活に欠かせない音楽ソフトとして定着している。さらに、カセットテープに替わるメディアとして1992年に登場したMD(ミニ・ディスク)は、音質が良く、録音可能で、しかも最近ではプレイヤーの曲の頭出しなどの機能の進化やコンパクト化が進み、価格も低くなったということで人気を集めている。コンポやラジカセに搭載されたタイプも多くなってきたが、人気の中心はポータブルタイプで、録音機能を生かした音楽編集をしたり、ビジネスに活用されたり、従来のCDプレイヤーの音質とカセットテープの手軽さがミックスされた便利さがうけている。また、1996年に商品化された情報記憶媒体DVD(デジタル・ビデオ・ディスク)は、CDと同じ12センチサイズで、映像なら約4時間の映像が収録できる。これは今、各社が参入して、ビデオやレーザーディスクに次ぐ新しいメディアとして注目されている。
 このような新しい電気メディアの出現は、人々の音楽の聴取のスタイルや、音楽の内容を大きく変化させる。小川は、電気メディア出現以後の、メディア、音楽、聴取の相互関連を以下のように論理的に説明している。
「(1)新しいメディアが現れると、新しいメディアに適合的な音楽が生まれる。ここで、適合的というのは、たんに音楽伝達上の技術的特性のみならず、コミュニケーションの形態、メディアが存続・機能していくための経済的条件までも含む。
 (2)新しいメディアは、聴取のスタイルの選択度を拡大する。
 (3)新しい聴取のスタイルが現れると、新しい聴取に適合的な音楽が生まれる。
 (4)メディアや聴取の変容が起こると、芸術音楽内部では、「音楽」を再定義しようとする運動が起こる」(小川・庄野・田中・鳥越編、1986、155頁)
 このように、人間と音・音楽の関係は装置を前提としたものに変わってきたが、小川は、今日では、この装置と人間とが共生しているということを指摘している(小川、1988、31頁)。
 現代の若者は、まさに生まれながらにして、このような「装置との共生」を行っている。
彼らにとって、音楽は常にそこにあるものなのであって、それは例えるならば空気のような存在なのではないだろうか。しかし、それは電気メディアという装置によって作りだされた空間であるということを再確認しておかねばならない。
 吉井は、「オーディオ関連機器の発達は、音楽聴取の時と場の選択をこれまでより自由なものにしたが、それは同時に音楽のきき方の感性的レベル自体を多様化せしめた。熱狂の対象からムード作りのBGMまで、音楽は若者の回りを、常に空気のように浮遊し、″デザイナー″の欲求に応じて、生活空間の中に突出してきたり、背景として溶けこんだりしているのである」と述べているが(林・小川・吉井、1984、158頁)、同じようなことを小川は、「地としての音楽」「図としての音楽」という表現を使って説明している。
 「すでに現代の聴衆は、ケージの提唱したような聴き方1、いや、その先をいった聴き方をしているといってもいい。すなわち、歩きながら、クルマに乗りながら、自分の気に入った音楽を気ままに選びとっている。街の様々なサウンドスケープを地として図としての音楽を装着している2。厳密に言えば、ケージのように耳をそばだてて聴くのでもない。メディアを駆使しながら、もっと軽やかに音・音楽と戯れているといったところである。」(小川、1993、17頁)
 現代社会においては、電気メディアの普及によって、個人の音楽接触の機会は増大してきているが、それと同時に、彼らをとりまく音楽のありようというものも多様化してきている。そこで以下では、現代の若者をとりまいている音楽を、小川の表現を借りれば、「地としての音楽」「図としての音楽」に分けて、詳しく考察していく。

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