第四章 入所者の介護必要度と弱さ


 入所者は、施設の規則や決まりごと、あるいは寮母によって、生活の全てを規制されていると言え る。特別養護老人ホームとは65歳以上であって「身体上または精神上著しい障害があるために常時の 介護を必要とし、かつ居住においてこれを受けることが困難な者」を対象とした施設である。入所者 は介護を受けるために入所するのであるが、実際に介護を受けている時間以外の多くの時間を自分の 思い通りには過ごせない。それは、入所者が弱い立場にあるからだと仮定する。入所者が、寮母と対 等な立場であれば、(施設の決まりごとや建物の構造上のことは無理であっても)ある程度の自由を 手に入れることができ、少なくても我慢を強いられることはないのではないだろうか。入所者の中で 特別な存在であるKさんと他の入所者との比較により、介護の必要度と寮母の扱い方との関係につい てみてみよう。

I 子供扱い

 寮母が入所者をまるで子供のように扱っているのではないかと思える出来事がいくつもあった。
 出来事や会話の例を挙げる前にまず、「寮母」という言葉に注目してみよう。介護する側が「母」 であれば、介護される側の入所者は「子」にあたるだろう。「寮母」という言葉は、特別養護老人ホ ーム等の高齢者福祉施設だけで使われる言葉ではないが、介護をする寮母の意識の中に「母」と「子 」という関係が潜在的に存在しているかも知れない。
 実際、私も、一人で三人の食事介助を同時にしたときは、ひなに餌をやる母鳥になったようだと無 意識に思った。
 以下、子供扱いと感じた事例を挙げてみることにする。
1−1頭を撫でる、からかう
1−2ジャージ
1−3Oさん
1−4S・Yさんのジュース
1−5ツリーの飾り
1−6今日何日?
 以上の子供扱いの事例は、とても頻繁に見られるものである。入所者はよくからかわれる。寮母は 、からかう対象を限定している。からかわれる条件1、からかいがいのある人。からかっても反応し てくれなければおもしろくないので、ある程度おしゃべりのできる人でないとからかわない。条件2 、怒らない人。いくらおしゃべりができても、その人の機嫌を損ねるようなことはできないので怒り そうな人はからかわない。
 寮母が話すことに対して、あまり反応を示さない、介護の必要度が高い入所者には、からかうとい うより、その人の人格を無視しているともとれるような行動が目に付いた。声をかけずに車椅子を動 かしたり、口の中にほとんど無理矢理スプーンを押し込んだり、というようなことである。これは、 寮母の効率アップのためであると思われる。
 これらの子供扱いの事例から、入所者は寮母にとって自由自在に扱える存在だと言うことができる だろう。ただし、子供のように扱うと怒ってしまう可能性のある一部の人を除いて、ではあるが。な ぜ自由に扱えるのか。それは、寮母が入所者よりも「強い」立場にあるからである。自分と平等だと 考えているなら、からかったり、子供扱いしたりはしないだろう。逆に、寮母をからかったり、寮母 と話をするときに嘘をついたりする入所者はいない。
 一方、子供扱いをしないようにしている寮母もいる。私は多くの寮母がしているように、食事介助 をしていた。

II 遠慮

 次は、入所者が、寮母に対して遠慮をしていると思われる事例である。
2−1みかんの皮
2−2バナナの苦い部分
2−3「これでいいちゃ」
2−4「すんません」
2−5「あんたにならはなせる」
 身の回りの世話をするための寮母だが、寮母はいつも忙しそうにしている。平日の朝9時から10時 までの間の寮母の数が最も多い時間帯でも、多い日で7人である。が、7人という日は滅多にない。 ほとんどの日が5〜6人である。単純計算して、一人の寮母が入所者5〜6人の世話をすることにな る。毎日、決められたことをするのに精一杯という感じがする。朝礼のあと、おむつ交換、お茶を飲 ませ、体操、歌、おやつ、トイレ誘導、食事。午前中はあっという間に過ぎる。曜日によっては、お むつたたみやシーツ交換などもある。一人一人の小さなニーズにまで対応できないことはない。しか し、入所者にとっては、何かしている寮母に頼み事をするのは気が引けるようだ。あまり忙しく動い ていない私には、何かと話しかけやすかったようだ。(それは、調査を始めて1カ月ほど経って、私 が入所者と親しくなってきた頃からだったが。)
 子供なら気を使わずに暮らすことができるかもしれないが、入所者は寮母や他の入所者に気を使い ながら生活している。一方、介護をする寮母には、遠慮はない。子供扱いもそうだし、入所者がテレ ビを見ていてもテレビの前をゆっくりと歩いたりもする。
 このことから、入所者が、寮母にはあまり迷惑をかけてはいけないと思い、なるべく我慢している 。そして、些細なことでも、自分の欲求を満たしてもらえることに対して、感謝することがわかる。 自分の欲求を満たすどころか言い出すこともできない「弱い」立場である。

III Kさん

 次に、子供扱いをしなかった、対等な人間として寮母が接していた事例を挙げる。
3−1おむつたたみ
3−2ズボン事件

《考察》

 介護を受けるということは、誰かに頼ることであり、その人に依存して生きていかなければならず 、その人には逆らうことができないような人間関係に陥ってしまう。しかし、第二章で見たように、 スウェーデンでは、高齢者自身の意見を尊重することにより、介護する−されるの関係は対等なもの になっていた。本来、介護を受ける側の主体性が重要視されるべきであるのに、日本では、その主体 性が失われていると言えるだろう。
 Kさんの場合、介護をほとんど必要としていないが、他の入所者と同様、施設の様々な規則に自分 自身をあわせなければならない。起床就寝などの生活リズム、入浴の回数、食事の時間やメニューな ど、 365日、24時間、自分が中心の時間を持つことができない。いつも、入所者の中の一人としての 自分であらねばならない。やはり、「弱者」である。
 しかし、寮母の手伝いができ、しかも毎日、毎食後、エプロンを干す、たたむ、おしぼりをたたむ 、といった仕事をこなすことにより、欠かせない存在になっている。このことが弱い立場にならない 大きな理由である。
 では、介護を必要とする入所者の場合はどうだろうか。ADLが自立していればいるほど、介護は 必要でなくなる。ということは、介護をする寮母にとってはありがたいことである。おむつたたみな ど、寮母の役に立ってもらえればますますありがたい。逆に、ほとんど生活の全てを介護に頼ってい る入所者は、かなりやっかいであり、どんどん弱い立場になる。介護の必要度が高い人と、「会話の キャッチボール」ができない人は、ほぼ重なる。子供扱いされない、子供扱いされる、子供扱いさえ もされない、という段階に分ける境界線は、その人の生活自立度であり、会話の自立度である。子供 扱いされないのは、Kさんやミドルステイ利用者などしっかりしている人。子供扱いされるのは、「 会話のキャッチボール」ができる人たち。子供扱いさえもされないのは、話しかけられても返事もで きない人である。
 介護を必要とし、かつ、コミュニケーションのとれない入所者は、弱者であるがゆえ子供扱いさえ もされなくなる。そして、自分自身をますます弱者だと考え、自分の感情すら内に閉じ込めることに より、回りに関心を持たないようになり、生活への意欲を失い、生活の主体性を失ってしまう。弱者 でないKさんのような人は、人間として尊重されることにより、また、他の入所者と比較して、自分 は弱者ではないと言う確認により、強い立場としての自分自身を発見し、生き生きと生きることがで きる。
 「寝たきり」の高齢者は弱者であるというイメージがなければ、介護をする側とされる側の立場が 対等となり、入所者の主体性が回復でき、一人の人間としての生き甲斐のある生活を送ることができ るのではないか。


戻る