第四章 入所者の介護必要度と弱さ
入所者は、施設の規則や決まりごと、あるいは寮母によって、生活の全てを規制されていると言え る。特別養護老人ホームとは65歳以上であって「身体上または精神上著しい障害があるために常時の 介護を必要とし、かつ居住においてこれを受けることが困難な者」を対象とした施設である。入所者 は介護を受けるために入所するのであるが、実際に介護を受けている時間以外の多くの時間を自分の 思い通りには過ごせない。それは、入所者が弱い立場にあるからだと仮定する。入所者が、寮母と対 等な立場であれば、(施設の決まりごとや建物の構造上のことは無理であっても)ある程度の自由を 手に入れることができ、少なくても我慢を強いられることはないのではないだろうか。入所者の中で 特別な存在であるKさんと他の入所者との比較により、介護の必要度と寮母の扱い方との関係につい てみてみよう。
I 子供扱い
寮母が入所者をまるで子供のように扱っているのではないかと思える出来事がいくつもあった。
出来事や会話の例を挙げる前にまず、「寮母」という言葉に注目してみよう。介護する側が「母」 であれば、介護される側の入所者は「子」にあたるだろう。「寮母」という言葉は、特別養護老人ホ ーム等の高齢者福祉施設だけで使われる言葉ではないが、介護をする寮母の意識の中に「母」と「子 」という関係が潜在的に存在しているかも知れない。
実際、私も、一人で三人の食事介助を同時にしたときは、ひなに餌をやる母鳥になったようだと無 意識に思った。
以下、子供扱いと感じた事例を挙げてみることにする。
1−1頭を撫でる、からかう
食堂に入所者を誘導してから、食事が運ばれてくるまで、短いときで25分、長いときは40分待たね ばならない。その間、寮母は入所者に話しかけたりする。車椅子の人の後ろに立つと、ちょうど撫で やすい高さに頭が来る。さらに、寝癖がついていたりして、頭を撫でる寮母が結構いる。また、話し かけるときに、頬をつついたり、軽くつねったりする寮母もいる。さらに、入所者の背中を後ろから 指でつついて隠れたりする寮母もいる。
1−2ジャージ
寮母…「Hさん、かっこいいが着とるぜ。それ、なんてゆうかしっとる?」
Hさん…「なーん、知らん。」
寮母…「これね、ジャージってゆうが。ジャージ。Hさんゆってみて。ジャージ。」
Hさん…「ジャージ。」
二日後
同じ寮母…「Hさん、これ、なんてゆうがか覚えとる?」
Hさん…「えっ。何だったかね〜。」
寮母…「ジャージだよ。ゆってみて。」
Hさん…「ジャージ。」
1−3Oさん
Oさんは、おでこがかゆい。かゆいからかく。かくと傷になる。やがてかさぶたになる。かさぶた になるとかゆい。かゆいからかく。というように、いつもかゆいのである。寮母、看護婦とも、Oさ んがおでこに手を持っていこうとするとそれをやめさせようとする。
Oさんの話し方はちょっと特徴があり、その話し方をまねて話す寮母もいる。
寮母Tさん…「Oさ〜ん、おでこさわらないでくださ〜い。」
1−4S・Yさんのジュース
S・Yさんはお茶が嫌いである。しかし、高齢者にとって水分補給は重要なことらしいので、他の 高齢者がお茶を飲むときに、お茶が嫌いな人はポカリスウェットを飲む。S・Yさんは、自分でコッ プをもって飲むことができるのだが、自分が飲みたくない気分の時はコップをもっていても飲もうと しない。そのようなとき、寮母は嘘をついて飲ませようとする。
寮母…「S・Yさん、これねー、目のお医者さんから預かってきたが。目のお薬だから飲んどいて。 」
この嘘は、3〜4人(もしかしたらもっと多く)の寮母が共通して使っていた。S・Yさんに飲物 を飲ませるには最も効く嘘であると思われる。
1−5ツリーの飾り
クリスマスが近づいたある日、昼食の時間に食堂へ行くと、それぞれのテーブルの上にきれいにラ ッピングされた大きな植木鉢がおいてあり、ポインセチアが植えてあるそばに、飾りの鈴やリンゴや プレゼントの箱が飾られていた。この日はにぎやかだった。
a
ツリーに飾ってあった金色のチェーンのような飾りを、ある寮母がAさんの頭に巻き付けた。それを 見て、他の寮母達も集まってきて、
寮母…「うわ〜。Aさん、かっこいい。西城秀樹みたい。」
寮母…「さ、何しとんがいね。」
Aさんは、それを取ろうとせず、寮母達とにこやかにしていた。
b
寮母…「Hさん、これ(リンゴ)あげっちゃ。皮むいて食べられ。」
Hさん…「あれー、そうけー。」
リンゴを手に取り、手で撫でてみる。
Kさん…「それ、にせものだろ?食べれんちゃー。」
Hさん…「か、にせもんかいね。(笑)」
c
寮母…「はい、N・Kさん、プレゼント。」
N・Kさん…「あれ〜。私にけ?」
寮母…「何入っとるかわかる?」
N・Kさん…「何だろかね〜」
寮母…「何も入ってないよ。これ飾りだもん。きれいだろ。」
1−6今日何日?
12月30日
寮母Hさん…「今日何日か知っとる〜?」
S・Zさん…「?」
寮母Hさん…「1月1日。………嘘。」
12月31日
寮母Tさん…「明けましておめでとうございます。」
Hさん…「おめでとうございます。」
寮母Tさん…「Hさん、今日大晦日だよ。」
以上の子供扱いの事例は、とても頻繁に見られるものである。入所者はよくからかわれる。寮母は 、からかう対象を限定している。からかわれる条件1、からかいがいのある人。からかっても反応し てくれなければおもしろくないので、ある程度おしゃべりのできる人でないとからかわない。条件2 、怒らない人。いくらおしゃべりができても、その人の機嫌を損ねるようなことはできないので怒り そうな人はからかわない。
寮母が話すことに対して、あまり反応を示さない、介護の必要度が高い入所者には、からかうとい うより、その人の人格を無視しているともとれるような行動が目に付いた。声をかけずに車椅子を動 かしたり、口の中にほとんど無理矢理スプーンを押し込んだり、というようなことである。これは、 寮母の効率アップのためであると思われる。
これらの子供扱いの事例から、入所者は寮母にとって自由自在に扱える存在だと言うことができる だろう。ただし、子供のように扱うと怒ってしまう可能性のある一部の人を除いて、ではあるが。な ぜ自由に扱えるのか。それは、寮母が入所者よりも「強い」立場にあるからである。自分と平等だと 考えているなら、からかったり、子供扱いしたりはしないだろう。逆に、寮母をからかったり、寮母 と話をするときに嘘をついたりする入所者はいない。
一方、子供扱いをしないようにしている寮母もいる。私は多くの寮母がしているように、食事介助 をしていた。
私…「Mさん、あーん。」
寮母Bさん…「あーんって、赤ちゃんに言うがみたいじゃない。自分がもしそんなん言われたら、嫌 じゃないけ。だから、あーんって言うがんじゃなくて、お口開けてくださいとか、そんなふうに言っ てあげてください。」
II 遠慮
次は、入所者が、寮母に対して遠慮をしていると思われる事例である。
2−1みかんの皮
その日は日曜日で、午前のおやつのない日だった。寮母がみかんを3つもってきて、私と二人で、 皮をむいて入所者に少しずつ配っていた。一回りして、まだみかんが残っていたので、私がもう一度 「みかん食べますか。」と聞きながら歩いていると、Hさんが手に何か持っているのが見えた。
「あれ、Hさん、何持っとるがんけ。」と聞くと、Hさんは手を広げた。見ると、みかんの薄皮と 種を一つ持っていた。Hさんは、自分で車椅子を動かすこともでき、ティッシュペーパーとごみ箱は 三メートルほど離れた所にあるのだが、おやつの時間はみんながきっちりと並べられていて、一度車 椅子を動かすと、またもとの位置に戻るのは困難だからであろうか。それなら、寮母の誰かを呼んで 渡せば済むことなのだがそれもしていなかった。もし私が気づかなかったら、おそらく昼食時まで持 っていたのではないかと思われる。
2−2バナナの苦い部分
同じようなことが、別の日にもあった。その日のおやつはバナナだった。朝食がご飯の日は牛乳、 パンの日はバナナと決まっている。バナナが厨房から届けられると、まず、寮母が全部のバナナの皮 をむき、介助が必要な人に食べさせ、他の人にも配り始める。みんながバナナを食べ終わった頃、私 が爪を切りに回っていると、Kさんが手に何か持っていた。見てみると、バナナの一番端の、黒くて 苦い部分だった。
2−3「これでいいちゃ」
入浴が終わった人に靴下や靴を履かせていたとき、Mさんはいつも素足にズックをはいている。私 がズックを履かせようとすると、風呂上がりで足が湿っぽくて履きにくかった。するとMさんは、か かとがまだきちんと履けていないのに、
Mさん…「これでいいちゃ。ありがとさん。」
2−4「すんません」
ふと、Nさんと目が合った。Nさんが手招きで私を呼んだ。昼食が運ばれるのを待っていたときだ った。Nさんは右半身が動かせない。左手を前に出して、
Nさん…「引っ張って。」
私はNさんがパジャマの上に着ていた赤いカーディガンを引っ張った。
Nさん…「引っ張って。」
私がもう一度Nさんの手を取ってみるとカーディガンの中のパジャマの袖口がひじのところに来てい た。やっとわかって引っ張ると、Nさん…「すんません。あんがとう。あんがとう。」
何度も頭を下げてくれた。
2−5「あんたにならはなせる」
N・Kさんは、私にいろいろとよく話しかけてくる。たいていは「お父さん」のことである。N・ Kさんの夫のことらしい。
N・Kさん…「今お父さんでかけてしもておらんけど、ゆっくりしてかれ。」
「あんた、今度家遊びにこられ。狭いとこだけどお父さんもおるし。」
「お父さん今こっち向かっとるとこなが。」
と、話をする度に言っている。痴呆である。
寮母…「N・Kさんは、普通の顔して訳のわからんことゆうからねえ。」
といわれるように、N・Kさんの普段の顔つきにうつろな表情はない。
そんなN・Kさんがある日私に言った。
N・Kさん…「あんたよ、私、腰痛て腰痛て。座っとっても痛いが。おしりも痛いわ〜。他の人にち ゃ言えんけど、あんただったら何でも話しやすいから。」
身の回りの世話をするための寮母だが、寮母はいつも忙しそうにしている。平日の朝9時から10時 までの間の寮母の数が最も多い時間帯でも、多い日で7人である。が、7人という日は滅多にない。 ほとんどの日が5〜6人である。単純計算して、一人の寮母が入所者5〜6人の世話をすることにな る。毎日、決められたことをするのに精一杯という感じがする。朝礼のあと、おむつ交換、お茶を飲 ませ、体操、歌、おやつ、トイレ誘導、食事。午前中はあっという間に過ぎる。曜日によっては、お むつたたみやシーツ交換などもある。一人一人の小さなニーズにまで対応できないことはない。しか し、入所者にとっては、何かしている寮母に頼み事をするのは気が引けるようだ。あまり忙しく動い ていない私には、何かと話しかけやすかったようだ。(それは、調査を始めて1カ月ほど経って、私 が入所者と親しくなってきた頃からだったが。)
子供なら気を使わずに暮らすことができるかもしれないが、入所者は寮母や他の入所者に気を使い ながら生活している。一方、介護をする寮母には、遠慮はない。子供扱いもそうだし、入所者がテレ ビを見ていてもテレビの前をゆっくりと歩いたりもする。
このことから、入所者が、寮母にはあまり迷惑をかけてはいけないと思い、なるべく我慢している 。そして、些細なことでも、自分の欲求を満たしてもらえることに対して、感謝することがわかる。 自分の欲求を満たすどころか言い出すこともできない「弱い」立場である。
III Kさん
次に、子供扱いをしなかった、対等な人間として寮母が接していた事例を挙げる。
3−1おむつたたみ
毎週火・木・土曜日に、貸おむつ業者からおむつが届けられる。そのおむつを、すぐに使えるよう にたたんでリネン室や各部屋の棚に収納しなくてはならない。おむつには大きくて厚手のものと、小 さくて薄いものの2種類がある。本来、おむつたたみは寮母の仕事の一つだが、たたむことのできる 入所者にはなるべく手伝ってもらっている。
大きいおむつをたたむことのできる入所者は二人。小おむつをたたむのはこの二人のほかに4人で ある。他にもたたむことのできる人はいるのだが、あまりやりたがらない。大きいおむつのたたみ方 は3種類あって、3階の入所者で全てのたたみ方をできるのはKさんだけである。
寮母がおむつたたみを入所者に頼むときは、私に頼むときと同じである。「これお願いできますか 。」「おむつたたんでもらえる?」など。終わったときは、「ありがとうございました。」「ご苦労 様です。」
しかし、3階で一番しっかりしている、歩行・排泄・食事・入浴、全て自立していて、痴呆でもな いKさんは別格である。Kさんは何でもわかっている。おむつが来る曜日も、自分がたたむことを期 待されていることも。率先してたたみ始める日もあるが、そ知らぬ顔でテレビに見入っていることも ある。Kさんにやる気のないときは寮母は何も言わない。Kさんがやる気になるまで待つのだ。
Kさんは、おむつたたみのほかにも、毎日、エプロンを干して乾いたらたたむ、おてふきをたたん で寮母室に持っていくなどの「仕事」をこなしている。Kさん自身は、おむつもエプロンもお手拭き も使わないのにである。他にも、みんなの分のお茶をくんだり、食べ終わった食器を集めて持ってき たりなど、Kさんは働いている。そのことが、Kさんと寮母との人間関係を考える上で重要なポイン トとなる。
3−2ズボン事件
Kさんは数日前から、「私のズボンがなくなった。」といっていたらしい。その日の朝、Nさんが トイレで尿失禁をした。それで着替えをした。そのNさんが寮母に履かせてもらったズボンはKさん の物だったのである。Kさんは寮母の誰かが間違えてNさんの棚に入れたのだということがすぐにわ かったらしく、しばらく機嫌が悪かったそうだ。たまたま、その日は日曜で、朝の申し送りは各階で 行なっていたので、申し送りと言うよりは世間話のような口調でそのことを夜勤の寮母が話していた 。日勤できた寮母Aさんはその話を聞いて「私からも一言謝っておくちゃ。」
夜勤の寮母Fさん…「あ、でも、またKさん思い出して怒るかもしれんから…。」
寮母Aさん…「うん、そうだね。なら、Kさんがもし思い出してなんか言っとったら謝っておくね。 」
この事件で、Kさんが他の入所者とは違う存在であることがよくわかる。他の人の場合、それほど 謝ったりはしないからだ。
例:寮母Sさんが、K・Sさんの車椅子を押して、食事の席に座らせようとしていた。K・Sさんは 男性で背の高いほうである。従って、車椅子に乗ったときの膝の位置も高く、膝をテーブルにぶつけ られてしまったのだ。
K・Sさん…「痛っ。か、何するがんじゃ。あー、痛い。」
寮母Sさん…「あっ、ごめんごめん。」と言って次の人を誘導するため去っていった。
Kさんが他の入所者と違う点は、介護をあまり必要としていないこと、寮母の手伝いなどを毎日し ていること、の2点である。この2点で寮母のからかう対象からはずれ、寮母に対して遠慮せず、自 分の感情を表すこともできるのである。また、寮母がKさんを怒らせることを恐れていることからも 、Kさんは弱い立場ではないことがわかる。
また、ある日、KさんはNさんにこんなことを言っていた。
Nさんが口をぽかんと開けてテレビの真ん前にいた。
Kさん…「あんたそこにおったらみんなテレビ見えないでしょ。口開けてぼ〜っとしとったら、ただ でさえバカみたいなんに、もっとバカみたいになっとるよ。」
Nさんは入所者の中では、自立度が高いほうである。トイレはちょっと危なっかしいので一部介助 が必要だが、車椅子は自分で動かせるし、食事も自分で食べることができるし、おむつだって進んで たたんでくれる。会話もできる。それなのにKさんから見れば「バカみたい」となるのである。Kさ ん自身が、自分と他の入所者との違いを明らかに認識していることがわかる。
《考察》
介護を受けるということは、誰かに頼ることであり、その人に依存して生きていかなければならず 、その人には逆らうことができないような人間関係に陥ってしまう。しかし、第二章で見たように、 スウェーデンでは、高齢者自身の意見を尊重することにより、介護する−されるの関係は対等なもの になっていた。本来、介護を受ける側の主体性が重要視されるべきであるのに、日本では、その主体 性が失われていると言えるだろう。
Kさんの場合、介護をほとんど必要としていないが、他の入所者と同様、施設の様々な規則に自分 自身をあわせなければならない。起床就寝などの生活リズム、入浴の回数、食事の時間やメニューな ど、 365日、24時間、自分が中心の時間を持つことができない。いつも、入所者の中の一人としての 自分であらねばならない。やはり、「弱者」である。
しかし、寮母の手伝いができ、しかも毎日、毎食後、エプロンを干す、たたむ、おしぼりをたたむ 、といった仕事をこなすことにより、欠かせない存在になっている。このことが弱い立場にならない 大きな理由である。
では、介護を必要とする入所者の場合はどうだろうか。ADLが自立していればいるほど、介護は 必要でなくなる。ということは、介護をする寮母にとってはありがたいことである。おむつたたみな ど、寮母の役に立ってもらえればますますありがたい。逆に、ほとんど生活の全てを介護に頼ってい る入所者は、かなりやっかいであり、どんどん弱い立場になる。介護の必要度が高い人と、「会話の キャッチボール」ができない人は、ほぼ重なる。子供扱いされない、子供扱いされる、子供扱いさえ もされない、という段階に分ける境界線は、その人の生活自立度であり、会話の自立度である。子供 扱いされないのは、Kさんやミドルステイ利用者などしっかりしている人。子供扱いされるのは、「 会話のキャッチボール」ができる人たち。子供扱いさえもされないのは、話しかけられても返事もで きない人である。
介護を必要とし、かつ、コミュニケーションのとれない入所者は、弱者であるがゆえ子供扱いさえ もされなくなる。そして、自分自身をますます弱者だと考え、自分の感情すら内に閉じ込めることに より、回りに関心を持たないようになり、生活への意欲を失い、生活の主体性を失ってしまう。弱者 でないKさんのような人は、人間として尊重されることにより、また、他の入所者と比較して、自分 は弱者ではないと言う確認により、強い立場としての自分自身を発見し、生き生きと生きることがで きる。
「寝たきり」の高齢者は弱者であるというイメージがなければ、介護をする側とされる側の立場が 対等となり、入所者の主体性が回復でき、一人の人間としての生き甲斐のある生活を送ることができ るのではないか。
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