第一章 高齢者をめぐる現状


 総理府が平成5年9月に行なった「高齢期の生活イメージに関する世論調査」によると、高齢期の 生活について不安を感じることがあると答えた人の割合は89.2%であった。内、「自分や配偶者の身 体が虚弱になり病気がちになること」、「自分や配偶者が寝たきりや痴呆症老人になり介護が必要に なったときのこと」と答えた人の割合は、ともに約半数であった。(グラフ1参照)
 高齢化に伴い、このような不安が現実問題として多くの国民の前に訪れることは避けられないこと なのだろうか。スウェーデンなど、北欧の国々には、「寝たきり老人」に対応する言葉がないそうだ 。日本でなら寝たきりになっているような人々が、車椅子や歩行器を使って歩いていると言うのであ る。なぜ、日本には多くの「寝たきり老人」が存在するのか。日本における「寝たきり老人」の受け 皿である特別養護老人ホームにおいて、入所者はどのような暮らしをしているのだろうか。その暮ら しを観察することで「寝たきり」の高齢者がおかれている社会的環境を知ることができると思う。

I 高齢化社会

○日本の人口
 厚生省人口問題研究所が行なった将来人口推計(1992年9月推計)の結果によると、わが国の人口 総数は今後も増加を続け、2011年に1億3044万人でピークを迎え、その後は減少に転じ、2027年には 現在とほぼ同程度の人口規模になると見込まれている。
 人口総数に占める割合を、年少人口(0〜14歳)、生産年齢人口(15〜64歳)および老年人口(65 歳以上)の3区分に分けて見てみると、戦前は、年少人口が35%、生産年齢人口が60%、老年人口が 5%で長期間比較的安定していた。しかし、戦後になるとその割合は大きく変化し、年少人口は減少 、生産年齢人口と老年人口は共に増加してきた。その結果、1990年には、年少人口は18%、生産年齢 人口は70%、老年人口は12%となった。将来の推計では、年少人口は2000年の15%まで減少し続ける が、その後はほぼ安定する。生産年齢人口は2015年の60%まで減少し、その後安定する。老年人口の 一貫した増加は、2020年まで持続し、25%の水準に達する。
 以上のように、長期的に見れば、戦前の比較的安定した状態から、大きな変化の時期を経て、将来 は、再び比較的安定した状態となる。つまり、生産年齢人口の割合は戦前と同水準になるが、年少人 口と老年人口の割合が逆転した状態になる。
 また、老年人口を65〜74歳の前期高齢者と、75歳以上の後期高齢者とに分けてみると、後期高齢者 の増加率は前期高齢者の増加率よりも大きく、年々後期高齢者の割合が高くなっていき、2025年には 後期高齢者は前期高齢者よりも多くなる。前期高齢者に比べて後期高齢者は、寝たきりや痴呆になる 確率が高く(グラフ2参照)、今後、これらの介護を必要とする高齢者の増加が予想される。

II 「寝たきり老人」

○「寝たきり老人」とは
 ADL(日常生活動作、Activity of daily living の略)とは、人間が毎日の生活を送るために 必要な基本的な動作群のことであり、具体的には、食事、睡眠、着脱衣、移動、洗面、入浴、排泄な どのことである。ADLの観点から障害者や高齢者の能力評価を行なう。ほとんどの場合、自立・一 部介助・全介助の3段階で評価される。
 「寝たきり老人」については、地域や研究者によりさまざまな定義がなされてきたが、厚生省では 「障害老人の日常生活自立度(寝たきり度)判定基準」を作成し、市町村における要介護老人の実体 の把握に努めている。また、特別養護老人ホームへの入所判断にも利用される。(表1参照)
○「寝たきり老人」の登場
 昭和36年(1961年)に「国民皆保険制度」が発足する以前は、高齢者が病気で倒れても、入院する ことはごくまれで、ほとんどの高齢者は短期間の自宅療養を経て亡くなっていった。しかし、「国民 皆保険制度」が発足し、さらに、昭和48年(1973年)に「老人医療無料化制度」が実施されてから、 ようやく高齢者でも病気になったら入院することが常識となった。また、医療技術の向上により、死 亡率が低下した。こうして、脳卒中など、命に関わる重大な病気で倒れても一命をとりとめ、半身不 随などの障害を抱えて生きていかなければならない高齢者が増加した。つまり、このような「寝たき り」の高齢者が現れたのは、ほんの20〜30年前のことなのである。
○「寝たきり老人」の数
 表2のように、要介護老人の数は、今後ますます増加すると予想されている。また、表Bからは、 高齢になるほど、寝たきりの期間が長くなることが分かる。寝たきりの高齢者が増加すると、介護者 も増加することになるだろう。日本では高齢者の介護は家族がするものという考えが一般的であり、 福祉の世話になるのは恥と考える人もいる。しかし、「最期を看取る介護」から、「生活を支える介 護」へと高齢者介護そのものの内容が大きく変化し、家族だけで介護することは限界だと言えるだろ う。

III 家族

○高齢者と家族
 平成7年9月に総理府が行なった「高齢者介護に関する世論調査」で、仮に自分や自分の家族が、 老後に寝たきりや痴呆になり、介護が必要となった場合、何か困ると思うことはあるか聞いたところ 、82.1%の人が困ることがあると答えた。続いて、困ることがあると答えた人に、具体的にどのよう な点が困ると思うか聞いたところ、「家族に肉体的・精神的負担をかけること」を挙げた人の割合が7 4.3%と最も高かった。また、30.1%の人が「介護をしてくれる家族がいないこと」を挙げている。( グラフB参照)
このように、高齢者介護は家族と深い関わりがあると言えるだろう。
○家族と福祉
 森岡清美は『現代家族変動論』の中で、家族を「第一次的な福祉追求の集団」と定義している。こ こでいう「福祉」とは、多元的なもので、消極的には貧困・病気・不安からの解放、積極的には豊か さ・健康・精神的安らぎの達成を意味している。「第一次的」は、この場合、福祉を重要性あるいは 不可欠性の度合いにより第一次的・第二次的などに分類する作業を前提として、そのうち第一次的福 祉が家族の機能であるであるということを意味する。さまざまな福祉の担い手の中で、家族が第一次 的な責務を引き受けるもの、という意味も含む。しかし、森岡は、家族が担当者として不十分な場合 には、国や地方公共団体などが福祉の担当者として登場しなければならず、また、救済的性格のもの だけでなく、公共性あるいは効率の観点から見て公共団体が担当者となるのがより適切であるような 福祉については、家族はその責任を解除されてよいだろうと述べている。
○現代家族の変化
 森岡は現代家族の変化として、次の三点を挙げている。
 第一に、出生児数の減少と核家族化によって生じた小家族化がある。世帯員数が減少したことによ り、家族関係が単純化した反面、家族の危機対処能力の一般的な低下をもたらした。
 第二に、核家族化が挙げられる。核家族化は夫婦ごとに世帯を分かつ傾向の深化を示唆し、世代間 扶養の弱体化を招きかねないことを暗示している。また、夫婦のみの世帯数は増え続けており、この ことは、日本における夫婦制家族の出現を示唆するものと言ってよいだろう。
 第三に、家族意識の変化が挙げられる。「家」制度が健在であった時代には、老後は子供(あとと り)に頼るのが常識であり、たとえ経済力があっても頼らないつもりなどというものではなかったし 、実子がなければしかるべき養子をとって家を継がせるのが常識であった。しかし60年代には「老後 の暮らしを子供に頼らないつもり」、「家を継がせる必要はない」という意見が優位に立つようにな った。このことは、「家」意識の崩壊ないし変質を暗示する。
 これらの変化は、どれも家庭における高齢者介護を困難のものにしている。具体的には、

1住宅の問題
 一人暮しの高齢者の増加により、家庭内に介護者がいない。そのため、子供の家で暮らそうかと思 っても、住宅が狭く高齢者の暮らす部屋がない。
2介護力の不足
 家庭においては介護される側もする側も、高齢化が進み、介護者の共倒れの心配が出てくる。また 、女性の社会進出により、共働き夫婦が増加し、介護者がいない。
3精神的苦痛
 家庭での介護には、嫁姑の問題がつきものである。さらに、介護について兄弟や親戚とのもめ事ま で起こるようになる。また、どんなに大変でも、「介護するのは当たり前」「福祉の世話になるのは 恥」という世間の目もある。
4経済的困難
 共働きをやめ、介護に専念すると家計が成り立たない。
などが挙げられるだろう。

IV 高齢者の生きる場所

 家族における介護が無理ならば、高齢者は様々なサービスを受けなければならない。また、自宅で の生活が困難であれば、然るべき施設で生活しなければならない。現在、日本には介護が必要な高齢 者のためにどのような施設、サービスがあるのだろうか。
○特別養護老人ホーム
○老人保健施設
○老人病院
○ホームヘルプサービス
 おおむね65歳以上の寝たきり老人等、日常生活を営むのに支障がある老人世帯を訪問し身の回りの 世話、介護等を行う。平成5年度の利用者数は全国で延べ12,733,802人で、 100人当たり年間利用日 数は74.2日であった。
○ショートステイ
 おおむね65歳以上の寝たきり老人等を家族が疾病や介護疲れにより介護できない場合、特別養護老 人ホーム等で一時的に預かり世話をする。平成5年度の利用者数は全国で延べ69,386人で、 100人当 たり年間利用日数は11. 5日であった。
○デイサービス
 おおむね65歳以上の虚弱老人等をデイサービスセンター等の施設に送迎し、又は居宅まで訪問して 入浴、食事等のサービスを提供する。平成5年度の利用者数は全国で延べ12,745,139人で、 100人当 たり年間利用日数は74.2日であった。
以上がわが国における代表的なケア・サービスである。在宅の高齢者をサポートするサービスは、利用状況を見てもまだまだ完全には整っていない状態である。ホームヘルプサービスの24時間体制で の実施、デイサービスの空き教室利用の検討など、課題は山積みといえる。
 施設について言えば、特別養護老人ホームは老人保健施設、老人病院とは異なり、「生活の場」で あり、「終のすみか」であるはずである。しかし、北欧諸国等に比べるととてもそうは呼べない。ほ とんどが4人部屋で、「収容」しているようだとよく言われている。それなのに、特別養護老人ホー ムは入居希望者数が多く、入居するには年単位で待たねばならない状況である。その待機期間に、高 齢者は老人保健施設や老人病院へ行くことになり、この3つの施設が実際は同じ機能を果たしている とも言われている。日本における施設福祉は、高齢者へのケア・サービスと言うよりは、高齢者を抱 えて困っている家族を助けるための福祉であるといっても言い過ぎではないだろう。高齢者の主体が 奪われてしまっている。「収容」といわれても無理がない。
 第二章で詳しく述べるが、スウェーデンではとてもきめ細かいケア・サービスが行き届いている。その背景には、徹底した豊かさの追求がある。ノーマライゼーションを基礎に、高齢者が社会的弱者 として扱われていないのである。介護が必要となり、自分一人では生活できなくなっても、主体性を 失わず、生き生きと暮らしている。スウェーデンの高齢者福祉についてみる前に、高齢者の社会的な 弱さについて触れておくことにする。

V 高齢者の社会的立場

 人間は誰でも、高齢になるにつれ、身体的に少しずつ衰えていく。ある日突然、骨折や脳卒中など で身体に障害を抱えて生きていかねばならなくなった時、どのような気持ちになるのだろうか。
 何十年もの間自分でできていた当たり前の事柄ができなくなる。それだけならまだしも、他者の援助を求めなくては生活できなくなることは、かなりつらいことである。自分自身に対する不甲斐なさ 、他者への負い目、それらが重なって、自分自身を弱者視しやすい。また、援助する側も、その人の 障害の部分にばかり目が行き、弱者のイメージを作り上げていく。そして、障害を抱えた高齢者は、 「自分は弱者であり、介護をしてもらっているのだ。」と考えるようになる。一方、介護する側は、 「自分でできないことを代わりにやってあげている。」と考える。この相互作用で「弱い高齢者」が 作られていくのではないだろうか。
 特別養護老人ホームは介護を必要とする高齢者が入所する施設であり、言わば、高齢者が「介護を してもらうために」入所する施設である。そして、寮母という介護者が「介護をしてやるために」待 ち構えている。そこでは、高齢者は介護してもらいやすいように、嫌なところがあっても我慢し、な るべくそのことは考えず、回りのことを気にせず、介護してもらうことだけに専念しようとする。こ うして、寮母の言うことをよく聞く、従順な「寝たきり老人」が増加するのではないだろうか。
 以上がこの調査を始めるにあたっての仮説である。


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