第三章 エスニシティの定義


1 エスニシティとは何か

 エスニシティというのは比較的新しい言葉である。Oxford English Dictionary.では、1972年の補足版に始めてこの言葉が収録されている。民族問題について精力的に論稿を発表しつづけているネーサン・グレーサー(Nathan Glazer)によると、エスニシティとは「一つの共通な文化を意識的にわかち合い、何よりもまずその出自によって定義される社会集団」である(綾部、1993、2頁)。またギデンズは「所与の集団成員を他の人々から区別する文化的価値や規範。エスニック・グループとは、周囲の他の集団と自分達を分け隔てる文化的アイデンティティを、自分たちが共有しているという明確な認識を成員がともにする集団である。」と定義している。彼は「エスニシティの差異の度合が乏しい場合でさえも、他のコミュニティから区別されてマイノリティ・グループを形成するときは、それもエスニシティ問題になりうる。」(中野、1993、164頁)というように考えており、エスニシティに関して、幅広くゆるやかな捉え方をしている。
 エスニシティについての定義は研究者の数ほどあると言われるほど多く、その概念はたいへん複雑である。日本語に適訳がなくそのまま「エスニシティ」として用いることが多いが強いて語訳が与えられた場合「民族性」とされているのがある。しかしエスニシティの概念は民族性として割り切れるほど単純なものではない。
 共通していることは、エスニシティとはエスニック・グループ(=民族集団)が表出する性格の総体を指している、ということである。エスニック・グループとは「国民国家の枠組みのなかで、他の同種の集団との相互行為的状況下にありながら、なお、固有の伝統文化と我々意識を共有している人々による集団」と綾部恒雄は述べている。(綾部、1993、13頁)そしてさらに「エスニシティはよくエスニック・グループと同義的に用いられるが、行為現象の実体としてのエスニック・グループと、その性格やアイデンティティ、つまり民族集団の在り様の総体を指すエスニシティとは使い分けるべきなのである。」と述べている。綾部はエスニシティと民族集団の区別に言及しているわけだが、そこからもエスニシティの概念が理解できてくるように思う。

  また人と人を分ける概念として“人種”と“エスニックなもの”とを比較すると、”人種”は形質的な違いによって集団を分ける言葉(肌の色、目の色、髪の毛などによって)であるのに対し“エスニックな集団”は、文化的な要素の他に、出自を共通にするという意味で、推測上人種的にも共通性をもつことが期待されている。(綾部、1993、4頁)
 以上のことから、文化的伝統の共有をもっとも重視している点、そして相互行為ないしは相互作用的状況と深く関わっている点がエスニシティの概念において特に重要なところであろう。

2 アプローチの方法 

 ここまでエスニシティの概念、定義について簡単に述べてきた。本稿の目的は概念、定義を議論することではないのでエスニシティについての概念はおよそ前節で述べた程度に止める。また言及する範囲を拡げることはそれ自体無益なことではないが、(諸外国の民族問題(人種紛争)と日本における外国人労働者問題を比較対象するなど)
 しかし、「各々の民族問題はそれぞれの歴史的条件に応じて多種多様であり、複雑な構造やダイナミズムをもっており、したがって、もしこうした社会現象に関して一般的な理論図式を構想するとすれば、当然、高度な抽象化を余儀なくされることになる。」(中野、1993、245頁)ので、各々の民族問題に言及し日本の外国人労働者問題と比較することは困難であり、そしてあまり大きな意味をもたないと思われる。そこで日本のエスニシティを述べる上で以下のようにその方向性を限定する。
 ひとつは、日本の特殊性に留意し、これを重視する視点から、日本の現実を考えるうえで有効な中範囲理論(4)のレベルでこの問題を捉える。つまりあくまでここでの関心は、日本社会におけるエスニシティの問題なのであって、その意味では、これによって普遍的命題を導くことや、あるいはまた先行研究によって得られたある種の仮説や理論図式を日本に適用するなどということは意図しないのである。(中野、1993、245頁)
 もうひとつは、アプローチに関わる限定である。「たしかに、これだけ古今東西にわたって広く表われた現象であるから、実証研究や理論仮説の構築に多くの蓄積があるのは当然である。国家・階級・民族というキータームを置けば、政治学的、あるいは政治経済学的アプローチがすぐさま頭に思い浮かんでこよう。けれどもこの問題を「人種関係」(ethnic relation)として考えてみたい。すなわち、第一の限定との関連でやや具体的に述べれば、ここでは一方に「ホスト社会」とでもいうべき日本社会があって、これがマジョリティを形成している。他方、これとは人種的に異なる「エスニック集団」(通常はマイノリティ)が前者となんらかの関係をつくり上げている。その社会関係が考察の焦点になるということである。」

3 日本的特殊性とは何か

 前節において日本的特殊性について触れたが、では日本的特殊性とは具体的にどういうものかについて述べる。中野は問題状況の日本的特徴は二つの側面から語ることができると言っている。(中野、1993、246頁)
 ひとつは、歴史的現実の特殊性である。日本における人種関係は世界史的にみて比較的広く観察されるいくつかの典型を欠いている。なかんずく、奴隷と移民がそれである。
今日、日本社会における民族問題で奴隷と移民にその起源をもつものはない。そこで、歴史的に古い起源をもつ「原住民と征服者社会」すなわち先住民問題(アイヌや沖縄人の場合など)、それから今世紀になって起こった領土併合に伴う「原住民と併合社会」(朝鮮人の場合など)という二つの人種関係をもつに過ぎないのである。そしてこれらに対して日本政府は同化の政策がとられた。アイヌにおいては蝦夷地を領土化して、明治政府は同化政策を積極的・体系的に実施した。朝鮮に対しても日本帝国主義・植民地主義の同化の思想は発現した。朝鮮併合を契機に、「日朝同祖論」や「日朝同種論」(5)を拠り所に同化政策が遂行された。創氏改名や神社参拝の強制はその最たるところだろう。
 中野は、いまひとつの日本的特徴を”こうした現象を扱う社会学の側の特殊性”とし「日本の近代社会科学は、西洋の学問の移入、それも帝国(近代日本)の興した帝国大学を中心にその発展が推し進められてきたという経緯がある。そこでは、国家の政策に資する御用学問的な要素が否定できず、実証科学的な精神はかなずしも強固であったとはいいがたい。人類学のようなアカデミズムの異端であったような学問領域でも、その研究と植民地政策との関係が否定できないのである。例えば、台湾の原住民の研究に関しても、右にみたような国家イデオロギーや国策が遂行されるなかで、こうした背景とは無関係に学問的研究を行なうことはできない相談であったといってもよかろう。」と言っている。
 そしてさらに「戦後、舞台は180度回転した。日本は民主主義国家となり、すべての民族は自由と平等の原理で扱われなければならないということになった。しかし、日本人の外国人問題に対するメンタリティは、今度は孤立主義や罪の意識と共鳴して、歴史的現実としても、社会科学における方法の問題としても、再び実証的な意味での人種関係研究を展開すること妨げてきたのである。」と続けている。(中野、1993、248頁)

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