第二章 日系人問題を考える


1 出稼ぎ日系人の現状

 1980年になって外国人労働者が増えはじめたのは前にも述べたとおりだが、90年の入管法の改正により日系人に対しては入国を合法化し、その手続きを簡素化した。
『「日本人の配偶者等(日本人の配偶者、日本人の子として出生した者及び日本人の特別養子)」「定住者(日本人の孫など、日系2世及び3世である外国人)」という、就労を含め日本での活動に制限がない在留資格が与えられ、合法的に単純労働にも就けるようになった。これまでは日系人の場合、日本国籍を有する移住1世や二重国籍者にとっては入国、在留ともに法的には問題なかったが、改正後は外国籍の2世、3世にも合法的な就労の道が開かれた。また非日系人であっても日系3世までの配偶者の場合、日系人と同様な特別な在留資格を獲得することができるようになったのである。このように、入管法の改正は日系人以外の不法就労外国人の流入を防ぎ、日系人を合法的な労働力とすることによって、日本社会の人手不足の解消を意図したものであるとみることができる。』(渡辺、1995、20頁)表2ー1をみると日系人の数が90年以降急激な速度で増加しているのがわかる。96年現在では約20万人いるといわれている。その内訳はブラジル人が全体の80%をしめ、次いでペルー人となっている(表2ー2)。ブラジルにいる日系人の総数が120万程度であることからしてもその数の多さがわかると思う。逆にブラジルでは、日系人の減少によってこれまで築きあげてきた日系人の地位が下がってきているという問題や、3世などに日本語を教える人が実質的にいなくなった、または日系人コミニテイでの祭が開催できないなど、空洞化によって様々な問題が起きている。私が行なった調査においても、働いた後日本からブラジルに戻った人が強盗に狙われるケースが増えたなど指摘する声が聞かれた。(調査の詳細は後で述べる)
 日本において、日系人の大半は東京都、神奈川県、埼玉県、群馬県、栃木県、静岡県、愛知県の七工業都県に居住しており、その多くは製造業を中心とした「企業城下町」に集中している。また、家族単位で来日する人が多いという特徴がある。そして在留期間が他の外国人労働者と比べて概して長いということもあげられる。これによって子弟の教育問題や周辺住民との関わり方など定住化による問題も起こっている。

表2ー1 日系ブラジル人の入国数の変化
85年を100とした数値
1987年2000人前後 100
1988年  4159人 210
1989年 14528人 740
1990年 56429人2890
1991年119333人6100
1992年147803人7560
1993年154650人7910

表2ー2 外国人登録者の推移(南米、ブラジル)
      (*は南米全体の外国人登録者数に対するブラジル人の割合)
南米全体ブラジル
1985年  3608人  1955人54.2
1986年  3961人  2135人53.9
1987年  4134人  2250人54.4
1988年  6872人  4159人60.5
1989年 21899人 14528人66.3
1990年 71495人 56429人78.9
1991年153099人119333人77.9
1992年187140人147803人79.0
1993年196491人154650人78.7
(渡辺、1995年、22頁より抜粋および出典。表2ー1、2ー2ともに)

 このようにみていくと、外国人労働者が今後合法化された場合の問題点など日系人は、外国人労働者の先駆的立場にいるといえる。そういった意味で日系人についての研究は外国人労働者問題の本質を探る上で重要な研究といえる。

2 調査

 今回、私は独自に外国人労働者に対する調査を行なった。96年11月9日に 栃木県、真岡市において日系人労働者を対象に面接による調査を実施した。
 真岡市とは栃木県の南部に位置し神戸製鋼など大手製造メーカーの下請け企業が多く存在するいわゆる企業城下町である。労働力需要があるということでかなりの数の日系ブラジル人、ペルー人が生活している。街には南米の料理店や雑貨屋、母国語のレンタルビデオ、カラオケ店などがある。そこのとあるブラジル料理店に出向き、客として来ていた日系人労働者に話しを聞いた。簡単な調査票(資料1として末尾に掲載)を作成したが基本的には自由に好きなことをしゃっべってもらうことにした。

調査人数
国籍
家族
滞在期間

<日本に来日する前の職業、現在の職業、収入の使い道などについて>
 この質問で興味深いのは、ブラジルにおいて比較的中流階級の人が多いということ。 会社をもっている人、教師、医者や弁護士をしていたという人もいるらしい(直接会うことはできなかったが)。日本での生活を切り詰め、貯金しブラジルに戻って事業を拡大しようとしている人。医者は将来病院を建てたいらしい。このように本国での生活に窮し背水の陣で来日するというような人はいなかった。それよりむしろ本国での生活をよりよくするために、具体的には先にも述べたように事業の拡大や家の購入、自動車などの耐久消費財の購入などのために来日、就労している。この傾向は若い3世などにより顕著に表われている。
 本国に送金している人は50代ではいたが、ほとんどの人が家族で来日しており、その意味で送金している人は少ないのではないだろうか。ブラジルでの平均所得は激しいインフレのため正確にはつかめないが、大体のところ2、3万円といったところということだった。

<日本に対するイメージなど>
 今回調査した人達は一人を除いて2世、3世の人達だが、父や祖父母の話しのなかで日本に対するイメージが形成されていったようだ。それは戦前、戦後すぐの日本のイメージ日本人気質といったようなもので、またブラジル社会のなかに摩擦を起こさないよう溶け込んでいった苦労があるようだ。「あなたは日本人なのだから……こうしなさい、してはいけません」と親に口癖のように言われてきたそうだ。驚くべきことはブラジルでの長い移民の歴史のなかでは日系人による殺人は過去一度しかなかったということだ。そういったイメージのまま日本に来て日本はそんな立派な国ではなかったと気付き、日本での「外人」だということによる差別を受けていることと相重なって日本に対するイメージは決してよくない。また日本から戻った若者などが「日本だってそれほど立派な国ではない」と周囲に広めることによって、ブラジルの日系人特に若者達の資質が下がっていると嘆く人もいた。

<日系人としての意識などについて>
 ブラジルにおいて日系人は表立った差別は現在はほとんどなくなったが、それでも  「ジャポネ」とよばれブラジル人とはみられず何となく差別を受けているという意識があるという。つまりブラジルに生まれ育っても日系人はブラジル人ではない。そこでかれらの意識のなかに「自分達は日本人なのだ」というものが芽生えるという。そういった意識のなか日本にやってきて今度は「外人」とよばれ差別を受けている。先にも述べたが日系人の人達は父や祖父から日本の話しを聞いて育った、そこにでてくる日本は戦前の規律の厳しい、そして景色の美しい理想郷である。それがブラジルの日系人社会よりも規律が悪く(茶髪や夜中の騒音、など)そしてある意味彼等の心のよりどころだった日本で「外人」という言葉で差別を受けることが彼等にとってどのくらいがっかりさせたことだろうか。店の営業方針で警察からしつこい嫌がらせを受けたり、デパートで日系人が入ってきたら店内放送で「外人は万引きをする恐れがあるので皆さんで警戒しましょう」といったことが流されたことがあるそうだ。また日系人の子供が学校で「外人」と言われいじめられ「僕は日本人なのに。ブラジルでは日本人だからといじめられ、なぜ日本では外人といわれなくてはいけないの」と泣いて帰ってきた。ということを話してくれた。

<日本人、地域の人との付き合いなどについて>
 日本人とは仕事上の付き合いはがほとんどで、たまに飲みに行ったりする程度で家族同志の付き合いをしている人はいなかった。仕事上での日本人に対して、何らかの差別を受けているように感じるという人が多かった。具体的に何かをされるといったことではないようだが、見下されていると感じたり、ある人は「毎日、踏みつけられているように感じる」と言っていた。
 地域の住民との交流はこちらが想像していたよりもかなり少ないようだ。つまり日系人コミユニテイが形成されており、ほとんどの人がその中で生活をしている。そのほうが気楽だしブラジルの様々な情報を手に入れやすい。ただ、学校に通っている子供がいる場合少し違うようだ。どちらにしても日本人と共存している姿は見られなかった。

<定住化などについて>
 全ての人が日本に定住する意思はない、ということだった。しかしながら現実には4年から10年と概して在留期間は長くなかなか戻れないようだ。家族単位で来日して子供などが日本に根を下ろしてしまい、仕方がなく日本にいる人。5年もいるうちに日本での生活に慣れてしまい、もう少し稼ごうと思ってなかなか帰れない人。などがいた。それでも皆、日本に定住するつもりはない、できることならブラジルに戻りたいと考えている。しかしながら、今後定住化が進む可能性は十分あると考えられる。
 最後に、アジア系外国人労働者つまり不法就労者について聞いてみたところ、はっきりと話してはもらえなかったが、どこか批判的な印象をもっているようだった。それは、つまり不法就労者が日本における外国人のイメージを悪くしている、といったようなニュアンスを感じた。

<行政側の対応について>
 行政側は日系人に対してどのような対応を行っているのだろうか。真岡市に直接聞いてみた。市としては特別にしていることは無いということだった。ただ、市内案内と市の広報をブラジルの母国語であるポルトガル語で記載し便宜を図っているということは行っている。
 在日外国人と行政との大きな問題のひとつとして、子弟の教育問題がある。90年の入管法の改正により日系人が合法的に在留できるようになった。それにより家族での来日や家族を本国から呼び寄せたりと日系人の子弟が多く在留する結果となった。しかしながら子供たちのほとんどは日本語が話せない。そこで、日系人を多く抱える自治体は、日本語教育や母国語教育など独自の対応を行っている。そして、地域社会とあまり交流がない日系人にとって、学校は子弟教育を通した地域社会とのパイプになっているという側面もある。では真岡市の現状はどのようになっているのだろうか、教育委員会に問い合わせてみた。現在、真岡市には日系人の小学生、中学生が140人から150人いる。真岡市には小学校が15校、中学校が6校あり、そのうち日系人の児童、生徒が通っているのは小学校で4校、中学校で3校となっている。
 これらの学校は市の中心部に位置し、大体均等に日系人の子供たちが分布している。
 こういった現状のなか、真岡市は各々の学校に通訳を派遣し、日本語の特別授業を週何回かのペースで行っている。これは民間から通訳の人を雇い、日本語が話せない子供を特殊学級のようにひとつの教室に集め実施している。日系人が増え始めた平成二年頃から始めた、ということだった。平成二年というと丁度入管法が改正された年であり、それを境に日系人子弟が増加していったことがわかる。真岡市には、それ以前にも日系人や在日朝鮮の子供が相当数いたそうだが、一定の数を超えないと行政としても対応ができないということがあるようだ。
 しかしその一方で、日系人は帰国したり、また戻ってきたり、他県に引っ越したり、と移動が激しく、そのため授業の成果が出ないうちに転校してしまう、ということがしばしばあり頭を悩ませている。また高校に進学する子弟も多いが、特別に推薦枠を設けるというような対応をしている高校は無く、高校受験の問題は深刻な問題となっている、ということだった。
 自治体として真岡市のような比較的小さいところは柔軟な対応ができるという利点がある。それに、「企業城下町」であり税収が多く財政的にも比較的余裕があるという側面もある。こういった自治体は現状に即した対応が他の自治体に比べ迅速に行うことが出来
その結果、日系人労働者にとって住みやすい自治体として更に人が集まるという循環を生みだしている。群馬県大泉町や大田市などもその典型といえる。

<調査を終えての感想>
 事前に連絡もしないまま出向いたのだが、店の主人を始め、皆さんに快く協力していただいた。質問をあまり細かく設定しなかったことと、通訳のできる方がいたことで、いろいろな話しが聞けたと思っている。全体を通して感じたことは、日本に対して一様に悪い印象しかもっていないということだ。幼いころから父や母に聞かされてきた厳格で美しい故郷、日本。それが実際に来日して、日本のモラルはブラジルの日系社会より悪く、街並も決して美しくなく、生活習慣も全く違い、そして何より「招かざる客」として日本の中にいることの失望感。といったことを感じているように思えた。そして、ブラジル日系社会の秩序のよさを語っているときの表情には、自分達も確かに「日本人」の一員なのだと言っているようにも感じた。
 今回の調査で最も興味深かったのは、日本に定住したいと考えている人がひとりもいなかったことである。彼等はあくまで日本には一時滞在で将来はブラジルに帰りたと考えている。他の調査においてもそのような傾向にあるようだ。しかし、在留が認められていることで今後定住化が進む可能性は多いにあるように思う。日系人の在留が合法化され約6年が過ぎたが、子弟の教育問題や他の外国人労働者との問題など、これから日系人問題は本格化していくのではないだろうか。その意味では日系人の研究は今後更に重要になってくるように思う。

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