卒論4−1 「教育の量的拡大」と「教育の性質」の変化、日本の教育、高校野球のあり方は異質        
 「1960年代から70年代にかけて、学校教育は著しい量的拡大を遂げた。その背景には、高度経済成長を担う人材の育成が学校教育に求められたこと、戦後解放された私的欲求の充足が進学によるアスピレーション実現と結びついたこと、所得水準の上昇に伴って、教育費負担能力をもつ層が拡大したこと、などの諸要因がある。」(今津孝次郎、1991、72p)というように、教育はその「量的拡大」という大きな変化を起こし、それは「教育」の性質自体をも大きく変えるものとなった。イミダス1997年版によると1947−49にかけてが日本における「ベビーブーム」で、それから約25年後の1972−74にかけてが「第二次ベビーブーム」である。そして、1970−80にかけては「高度経済成長時代」であった。つまり、「ベビーブーム」と「高度経済成長」に絡み合いながら、「学校教育の量的変化」が生まれ、教育の性質までもが変化したと考えられる。
 日本における「教育の性質の変化」として大きく二つのことが挙げられる。第一に、「競争社会」に対応する学校の「選別機能」のエスカレート、第二に、管理主義的教育方法への傾倒である。これは、今津が「学校組織の膨張が学校組織の官僚制化を大幅に推し進め、命令−服従のハイアラーキーの中で職務の形式化、自由裁量部分の減少化といった事態を教育現場に生じさせていった。」(同、73p)と述べているように、命令・規制する「教師」、服従する「生徒」という非常に短絡なイメージでの生徒−教師間の関係が形成、固定化されるとともに、「個人」としての生徒というよりは、「集団」としての生徒、更に言うならば、画一的な管理を施すべき対象としての「生徒」という「教育の型式」が作られたということをも意味する。それは、高度経済成長期にあった日本の産業社会の能率主義であるとか、企業組織にも対応し、そういった「社会の仕組み」に有益、かつ合致するものとして利用されることによって、ますます、多くの人々がそれを「自明な教育のありかた」として捉え、その「正統性」を疑うことさえしなくなるに至った。
 以上は、「高校野球」という教育現象の内にも同様にして起こった変化である。今津が「能率や合理性を追求する官僚制化は、人間関係を表面的・部分的なものにし、競争主義がそれに拍車をかけると、学校における人間関係は断片的で葛藤の多いものとならざるをえない。」(同、74p)と述べているように、量的拡大を遂げた「学校教育の機能障害」は、特に1970年代以降、学校教育において「問題現象」とも言えるものを様々な形で引き起こすに至った。その内容としては、いじめ、登校拒否、非行、校内暴力といった行き過ぎた管理主義教育への反動ともとれる現象が挙げられる。そういった問題を引き起こした「管理主義」の特徴として、今津は、こうした個々の具体的な規制は「身体の統制」として一括することができるとし、一般に学校における「管理主義化」とは規制が生徒達の身体的レベル(例えば、頭髪、服装、行儀作法などに関する校則など)にまで及ぶことを挙げている。(同、78p)
 そして、大量の生徒を非常に深く、細かい規則に従わせることで徹底的な秩序を形成し、なおかつ、前述した学校における問題現象を早急に解決するために、もっとも効率的な方法が教師の「統制権・懲戒権」の屈折形とも言える「体罰」という現象であったとも考えられる。体罰は1970年の「変化」以前にも数多く存在していたことは確かであるが、大量の生徒を効率的に従わせるための手段としての体罰の用いられ方が、軍国主義ではない現在の社会の「公的教育」という場面において存在し、それが半ば暗黙の内に許容されていることは、教育が「能率主義」を産業社会において趨勢なイデオロギーであるがために取り込んでしまった結果であると言える。

4ー2 「高校野球」の「あり方」

 以上のことは「高校野球」にも同じように投影することができる。高校野球における「選別機能」と「競争」のエスカレート、選手の精神、身体、私生活にまで至る「管理(統制)」などは上述した「教育の性質の変化」と同じ内容であると思われる。それは、高校野球に対しての「スタンス」の変化であるとも言える。2章においても説明したが、社会の「価値」が「軍国主義」から終戦後の「産業中心主義」へと変化を遂げる際にも、「教育」そして「高校野球」はその時代と価値の変化にも関わらず、それぞれの時代に有効な「虚偽意識」として、うまく「取り込まれ、利用され」てきた。特に高校野球の場合には、その中で発している価値は同じなのに、「軍国主義」にも「産業社会」にもうまくとりいれられるものであった。
 ただ、1970年代の「教育の性質の変化」とともに「スタンス」だけは確実に変化した。しかし、変化というよりは、その内容そのものが徹底化され、エスカレートしたと言うべきであろう。
 高校野球はスポーツである以上、「競争」の要素があることは、何ら不思議な現象ではない。ただそこに、「経済的価値」や「社会的ステータス獲得の価値」などが絡んでくることで、競争はより一層激しさを増し、かなり屈折した形での「競争」(例えば、勝利至上主義的な野球観、実力主義的な選手の序列化など)が現れてくる。それは、「人間の自由な遊びの要素の転形」としての「スポーツ」における「競争」とは全く異質なものである。
 そして、スポーツはその本来的な意味においては「人間の自然かつ自由な身体活動の本能的な発現」に「分有される意味と価値、共通の秩序」が加わったものであることからも、スポーツにはある一定の「ルール」と「制限」があることもなんら不思議ではない。しかし、選手の身体、精神、私生活までをも徹底的に監督の指示のもとにおく「管理主義」は、やはり「人間の自由な遊びの要素の転形」としての意味からは「異質」であると言わざるを得ない。
 高校野球におけるこのような傾向は、1970年以前からあったことは確かであるが、それは1970年代以降の価値観の変化、教育の量的、質的変化に巻き込まれるような形で大きく変化(エスカレート)していったと言える。

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