5章 考察

この章では、障がい者の芸術活動のキーワード、「社会的評価」と「就労の可能性」に基づいて、ココペリの活動がどのように捉えられるのか考える。

 

1節 ココペリの活動と社会的評価

インタビューや活動見学から、米田さんをはじめとするココペリのスタッフの「評価」に対するこだわりがいくつも見えてきた。

まず、メンバーのリクルートに関して述べる。親御さんから卒業しても絵を描ける場所がほしいという要望があったことが、ココペリの立ち上げのきっかけだった。立ち上げに向け、メンバーを募るとき、米田さんの頭の中には、高岡支援学校の美術部に所属していた生徒が浮かんだという。当時の美術部にはプロにも劣らない作品を描く才能を持った人が何人もいたそうだ。その中でも、顧問であり自身も日本画家である米田さんが間近で絵を描く姿を見てきて、この人は特別な才能があるという人を選抜して、ココペリへ来ないか声をかけたそうだ。その結果、ココペリの現メンバーはほぼ、高岡支援学校美術部OBOGである。また、大前提として絵を描くことが好きな人で、親御さんも絵を描くことに賛成している人たちが集まっている。いくら親御さんがメンバーに入れてほしいと言っても、ココペリのことを、「絵を描かせて子供を預かってくれる場」だと考えていた人には、余暇の場ではないことを説明し断ったと聞いた。また、米田さんが声をかけても、親御さんが絵に興味がなく、来なかった人もいたそうだ。以上のような米田さんの思いがあり、現メンバーの親御さんは、ココペリに作家と一緒に来て、絵を描いている場に必ず立ち会っている。以上を踏まえると、米田さんの、メンバーの選抜基準は、2つある。1つ目は、富山を代表するアール・ブリュット作家になることが期待できるような才能がある人、2つ目は余暇活動で絵を描くのではないと理解してくれる親御さんがいることである。

次に、ココペリの美術関係者へのアプローチについて述べる。メンバーの描いた作品はアール・ブリュットだけの作品展には出品せず、「越中アートフェスタ」という一般公募展に出品する。この公募展は、富山県内在住者及び本県に居住したことのある人なら、年齢、職業を問わず、誰でも出品できる公募展である。間口が広いため、ココペリの作家がポスカやクレヨンで描いた作品も出品できる。この公募展の審査員は第一線で活躍する作家をはじめとする美術関係者だ。ここで入選すれば、プロの作家の評価を受けることができるという利点がある。そして、多くの美術ファンも作品を見に来るため、反響は大きいと考えられる。また最近では「太閤山ビエンナーレ」という県内作家が刺激しあう場への出品も行っている。このように、作品の出品機会は多くはないものの、美術関係者が多く関わっている場に出品すると決めていることがわかる。

さらに、年に1回、ココペリを代表し1名が射水市の大島絵本館にて個展を開催している。筆者も実際に見に行ったが、作家の絵のカラフルな色使いのキャラクターや型にはまらない自由さが、絵本館の雰囲気と合い、とても温かい空間だった。ココペリの作家の絵は大人から、小さな子供まで誰でも楽しむことができる。絵本館では、お母さんと子供が指をさしながら絵を鑑賞している様子がよく見られた。米田さんによると、展覧会の中でも、グループ展であれば、見に来てくれた人にアール・ブリュットを知ってもらうことができるメリットがあるが、一方個展は、特定の作家のファンが見に来て、気に入った作品を購入してくれることがあるのが嬉しいのだという。個展に足を運んでくれるのは、ココペリのグループ展で作家の存在を知り、個展も見に来てくれる人や美術コレクターなどである。このようなファンを増やしていく活動を続けていきたいと米田さんはいう。絵を購入するファンがいて、その売り上げを次の制作につなげるという流れが個展にはある。また、個展を開くには、開くことができるだけの作品数が必要だ。個展はココペリの作家の今まで積み重ねてきた成果を発表する場でもある。今後も、一人でも多くのファンを増やすことが独立のためのステップであり、アーティストとして道を開いていく希望になるのである。

そして、米田さんは絵が売れること自体が作品への評価だと考えている。親御さんに聞くと、「絵は趣味であり、売れることはうれしいけれど売るために描くのではない」という返事が返ってくるが、米田さんは絵が売れることは作品に対する点数のようなものであり、購入することはその価値を認めているからこそだと考えている。井上さんからも、真央さんの絵が売れた際、「あんまり安く売りたくないんですよね、福祉の絵みたくなっちゃうから」という発言があった。お金が評価になるという考え方のもとで活動していると考えられる。


 

2節 社会的評価を高めることで就労の可能性を広げる―ココペリの特徴―

ここで、他の事業所とココペリを対比し特徴づけたい。以下では、障害者の芸術活動支援取り組み事例集(2015: 56-59)をもとに、障がいのある人のアートを仕事につなぐことに関して、先進的な取り組みを行っている、「エイブルアート・カンパニー」の事例を取り上げる。

「エイブルアート・カンパニー」は、障がいのある表現者のイラストをデザインの素材として使用したいという商用ニーズに対して、これを支援する中間支援組織の一つだ。

設立のきっかけは、2000年代、「障がいのある人の作品をデザインの現場で使いたい」という声が上がっていたが、著作権や契約のことがわからず、実行に移せなかったことだ。その後、2006年には「障害者雇用促進法」の改正と「障害者自立支援法」の施行があり、障がいのある人たちが社会に出て働く社会的基盤の整備が期待されたが、現実には、まだまだ就労の機会は限定されている。そのような中で福祉の現場においても、「アート活動=就労につながらない」という価値観のもと、それまで自由な領域としてアート活動を実践していた人たちの中に、アート活動に対するある種のあきらめのようなものが生じ、下請けの作業や食品づくりにシフトする事業所が増えたという。アートに対するこのような価値観を問い直そうと、2007年、特定非営利活動法人エイブル・アート・ジャパン(東京)、一般財団法人たんぽぽの家(奈良)、特定非営利活動法人まる(福岡)の3つの団体が共同で、中間支援組織「エイブルアート・カンパニー」を発足したのである。

「エイブルアート・カンパニー」の活動内容は大きく分けて4つである。1つ目は、「障がいのある登録作家の作品の公開と著作権使用の窓口となる」ことだ。作家の登録作品はすべてWebサイトで公開し、相談したうえで用途は自由としている。ここにはアーティスト個人と契約を交わすことで著作権を守り、同時に作品を使いたい人がスムーズに使えるようにするという意図がある。2つ目は各種プロモーション活動である。アーティスト別に条件は異なるため要問合せだが、イラストレーションのオーダー制作を承ること、また、作品を用いた商品、ノベルティグッズの製作の相談に応じている。広告や商品のデザインに利用してもらうための営業活動や、商業スペースや見本市などでイベント活動も行っている。3つ目は、アーティストのマネジメントである。障がいのある作家の公募と選考を行い、使用実績に応じて登録作家に著作権使用料を支払う仕組みになっている。4つ目は、講演活動である。登録作家、事務局スタッフ、デザイナーや企業の方が登壇するプログラムの企画・運営を行っている。

この取り組みから、「エイブルアート・カンパニー」では、作品そのものと外部の人との契約により、絵が商品化される仕組みが整っていることや、作家をマネジメントすることで、「アート活動=就労につながらない」という価値観を変えようと、就労の可能性を切り開いているとわかる。

一方で、川井田(2013: 123-124)は、労働の価値を考えたとき、労働を通して社会とつながりを築いていくことが価値あることであり、お金を得ることは結果としてついてくるものではないのかという訪問先の担当者の意見に注目した。障がいのある作家にとって、芸術活動を通したセルフエスティームの高まりが大切なのであり、訪問先の担当者の意見にもあるように、経済的価値の実現よりも、周囲との関係を築いていくことを最優先にすべきであろうと述べている。

では、ココペリでは、アートをお金につなげることについてどのように捉えられているのであろうか。それは、前述したように、お金を得ることではなく、社会で評価されることに重きを置いている、と考える。

 ココペリの活動を間近で見てきて、メンバーの皆さんの絵が好きだという気持ち、描きたいという気持ちに触れてきた。メンバーの皆さんが自分の描き方を画面いっぱいに表現した作品が出来上がり、真っ先に米田さんに見てもらう時の笑顔や写真撮影の様子からは達成感があふれている。また、親御さんからは、作家の絵が選ばれてうれしいという気持ちや、作家の普段の通所先のスタッフや勤務先の人にも、絵を理解してもらえてうれしいという気持ちを聞くことができた。活動見学の中で、作家本人にとっては、家族に描いた絵を見せて喜んでもらうことや、「越中アートフェスタ」に出すことが、毎年の欠かせない行事になっていて、それを目指して絵を描いている様子もよく見受けられた。しかし、ココペリに来て絵を描けば、作家本人は、家族だけに絵を見せることにとどまらず、スタッフや他の作家の親御さん、アトリエを訪れた来客といったように、たくさんの人に絵を描いている姿や、完成した作品を見てもらうことができる。そして「すごい」と褒められ、または「どうやったらこんなふうに絵が描けるの?」と感心される。それは、家で、一人で絵を描いているだけでは得られない貴重な経験だと言えるのではないだろうか。このことを踏まえると、支援学校を卒業後、絵を描く機会や場所がなくなることは、メンバーにとって痛手なことではないだろうか。「先生、できました!」と作品を見せるときや、越中アートフェスタに出品し、作品が評価されて受賞したときは、家族と一緒に絵を見に行くといったようなエピソードにあるように、身近な人に認めてもらうための機会、また好きで得意なことを認めてもらえる機会こそ、作家にとって経済的な価値を超えた価値のあるものだ。作家本人にとっては、好きで得意な絵を認めてもらうことができるというメリットがココペリにあると考えられる。

また、親御さんにとって、絵を認めてもらうことはどのように見えるのだろうか。以下はフィールドノーツから抜粋した語りである。

 

島さんのお母さんが高文祭(全国高等学校総合文化祭)のポスターに選ばれた話をし、私にポスターをくれた。平成24年に高文祭のポスターに選ばれ、県内の高校生何人かと共に、県知事のもとへ訪れたそうだ。ポスターの絵は、いつも暮らしている富山の街並みや山、海、川を、空を飛んで眺めているように見ることができる作品だった。「このポスターに選ばれたことで反響はありましたか?」と聞くと、島さんのお父さんが、反響ということもないが、これがきっかけで県内の新聞社のロビーで個展を開くことができ、何人か高校生が見に来てくれてうれしかった、と笑顔で話していた。

 

ココペリに通う作家の親御さんは口をそろえて、「絵が売れるのはうれしいけれどあくまでも趣味」という。それだけではなく、絵に関してうれしかった出来事を私に話してくれる。上記の島さんの場合は、高文祭のポスターに選ばれたことで、個展を開く機会を手に入れた。趣味で個展を開けることはそうそうないことであるし、米田さんのインタビューの語りにもあるように「個展を開いた時点でほかの作家と並んでいる」と言えるだろう。それでも、お金のことを抜きにしてという語りになるのは、作家の絵が社会的に認められること、より多くの人に知ってもらい、認めてもらえることを望んで、ココペリに通っているからではないかと考える。また、高校生が見に来てくれたことも、喜びに大きく関わっているのではないだろうか。若い世代にアール・ブリュットを知ってもらうことは、アール・ブリュットが、今よりさらに多くの人に知られ、広まっていくことにつながる。親御さんはそこに期待を寄せているのではないかと考える。

最後に、スタッフがココペリの活動を通して期待していることは、障がいを持った作家が、自分の才能を生かし、好きなことで認めてもらえる生活ができるようになることだと考える。絵を描いて生計を立てることのできる人は一握りであり、作家としての活動と経済性は結びつきようがないことに思える。しかし、米田さんをはじめとするスタッフの人たちは、メンバーの未来に希望を抱いている。米田さんがココペリを立ち上げたきっかけも、絵の素晴らしい才能を持つ人が支援学校を卒業後、福祉施設や事業所で軽作業しながら一生を終えていくのは惜しいことだという考えからだった。アーティストとしての道を開拓していくうえで、絵がお金につながったことは、評価された証の一つである。社会的に認めてもらうことを目標として、ココペリの活動を続けることで作家を支援してきたのではないかと考える。

以上より、ココペリという場には、第一に作家本人にとって得意な絵を認めてもらえる場だという意義がある。さらに、親御さんにとっては、作家の絵をより多くの人に知ってもらえるような希望がある場所であり、スタッフにとっては、障がいを持った作家がアーティストとして生きる道を開く場所として、それぞれ未来に期待しているのではないかと考える。それぞれの関心は違うけれど、社会的評価を切り開いていく活動を続け、今後も作家本人、親御さん、スタッフが一緒になって取り組んでいくことで、就労の可能性も広がるかもしれない。そのような希望を持てる場がココペリなのだろう。