4章 社会的評価を高める活動

 

1節 メンバーのリクルート

ココペリのメンバーは、米田さんが顧問をしている高岡支援学校の美術部に所属していた人がほとんどである。しかし、元美術部員であれば誰でも良いわけではなく、米田さんの基準に沿って選ばれている。その基準とはなんだろうか。米田さんは以下のように話している。

 

米田さん:プロの作品の横に並べても何の遜色も無いような、いいセンスを持った人がたくさんいて(中略)いわゆる、これからの、富山の将来のアール・ブリュットの、最初に川を渡る人達ですよね、これから盛り上げるために。それぐらいの力を持った人たちを、私の方から声かけたんです。

 

米田さん:それなりの、あのー、センスというか、プロの作品の中に混ざっても見劣りしないものを描ける人と思った人に、しか声をかけなかった。

 

この語りから、米田さんはココペリのメンバーを選ぶときに、プロと肩を並べられるようなセンスを持った人物にしか声をかけなかったことがわかる。高岡支援学校の美術部で絵を描く様子を間近で見てきて、才能を発揮していた人が選ばれたのだ。また、インタビュー中に、「ココペリの活動を単なる余暇活動にしたくない」という発言もあることから、米田さんは、ココペリを休日に障がい者を預かる場所ではなく、活発な美術活動を行う場所であると決めていることがわかる。

また、米田さんは、インタビュー中、選んだココペリのメンバーを「最初に川を渡れると思った人たち」という表現で表した。以下はそれに関する語りである。

 

米田さん:アール・ブリュットの世界も、みんな、余暇指導として、福祉就労している余った時間でちょこちょこっと絵を描いておしまいっていうのがそれまでの世界…だったんだけど、そうではなくて、実際に作家活動を行って、まぁ、半プロみたいな、実際に作品を売って、売ったお金をまた、自分の画材であったりとか、活動費に還元して活動を繋いでいくっていうやり方をとるには、あのー渡った後も、川向こうの人が、自信を持ってじゃあ僕たちも行こう!って思えるような人でないと、(中略)そのあと続かないです。(谷内:うん)誰がやっても。だからすごく大事だったので、本当に渡れる人だけに声かけてった。川を。(谷内:うーん)そうしないと他に僕もやろう私もやろうっていう人が続かなくなる。

 

この語りから、米田さんが「最初に川を渡れると思った人たち」というのは、ココペリに所属し、制作活動を続けていくことで、従来の余暇支援の範囲を超えることなく、絵を描いている障がい者の人たちの先陣を切り、アール・ブリュット作家としての軌道に乗れる力のある人であるとわかる。アール・ブリュットの未来も見据えて、メンバーに期待を込めていたことがうかがえる。

そして、米田さんは、メンバーを選ぶ際の保護者への説明と、その反応についても語ってくれた。保護者の中にはココペリのような場所を作ってほしいと希望する保護者もいたが、自分の子供はココペリで目指すような作家にはなれないと難色を示す保護者もいた。それに対して米田さんは、自分が選んだメンバーは「才能のある作家」であるという説明をしたそうだ。以下はそれに関する語りである。

 

米田さん:プロとしてっていうか、アーティストとしての活動をする場所として、それを理解してついてきてくれる親御さんがいる、サポートしてくれる家族がいる、ってことがすごく重要になってる。(谷内:うーん)うーん、要は家族が、全く興味がない人っていうのは、声かけたけど来てないですからね。

 

この語りから、米田さんは、上記で述べたように、メンバーを誘う際に、ココペリが単なる余暇活動をする場ではなく、プロの美術作家と同じように、積極的に制作活動を行う場であるという理解を、保護者に対して求めていることがわかる。


 

2節 ココペリのスタッフと作家との関係性

見学中、作家が絵を完成させて、スタッフに見せにいく場面に何度も居合わせた。そのときは、スタッフ、親御さんが作家の近くに集まって、「すごい!」「やったね!」と声をかける。拍手をしたり、ハイタッチをしたりするときもある。褒められて、嬉しそうに笑顔を見せるメンバーもいれば、動じないメンバーもいる。称賛は関係なく、絵を描くことで心が落ち着くようなタイプの作家もいるからである。しかし、作品が1枚出来上がると「できました!」と、報告し写真を撮るという一連の流れが、メンバーの中では定番になっている。作家にとって絵を認めてもらえるということは、モチベーションにつながっているのかもしれない。

また、エスノグラフィー中にもあるように、作家は、越中アートフェスタや神社に飾る巨大絵馬の制作といった、作品を評価してもらう機会、一般の人に見てもらえるような機会にも参加することができるとわかる。作家が、出品する作品を制作するときには、作家それぞれのつまずきや迷いが見られた。例えば、神社に飾る絵馬の制作の際の出来事(第3章第2節〔模様事件〕)が挙げられる。米田さんが、絵馬に描かれたにわとりの身体にアクリル絵の具で模様をつけることを提案したところ、征士さんの筆が止まってしまった。以下は、その時の様子である。

 

征士さんのなかでは、ポスカでにわとりのふちどりと模様付けをして、今日中に絵馬を完成させる予定だったのだが、米田さんが筆とアクリル絵の具を使って、カラフルな模様をつけることを提案したところから動揺したらしい。(中略)(征士さんが)「米田先生、にわとりの体やボディーにポスターカラーで模様をつけることは必要でしょうか?」と聞くと米田さんは「うん」と答える。しかし征士さんは動こうとしない。…その後、スタッフからの一言に後押しされて、どうやら征士さんは絵馬のにわとりに色を付けることを決めたらしい。(中略)まず、緑を選んだ征士さん。でも模様ではなく、ボディー一面を緑で塗り始めた。

 

このとき、征士さんは、米田さんの提案を全て受け入れたわけではない。アクリル絵の具を使うことには同意したが、模様ではなく、にわとりの身体一面に色を付けることにした。

このように、ココペリのスタッフは同じアーティストとして作家と交渉し、作品完成へのフォローをする。これは、指示とはあくまでも違うものであるべきだと、スタッフは考えている。なぜなら、指示されて制作した作品は、アール・ブリュットではないからだ。有名な作家の表現方法の模写や模作をさせるようなことは本末転倒であり、米田さんもこれだけはしたくないと考えている。フォローは、スタッフと作家の信頼関係のもとで成り立っている活動だといえるだろう。今回取り上げた、神社の絵馬の制作に関しては、依頼されて制作する作品ということもあり、作家自身にとってこの依頼は、普段のワークショップで制作するときとは違って、純粋に好きなものを描くというよりは、課題に近い可能性がある。しかし、課題のような作品が終われば、本当に自由な作品を制作してほしいと米田さんは考えている。

課題の要素が強い作品は、たくさんの人に作品を見てもらえるという利点があるかもしれないが、一方で、作家が本当に描きたいものとは離れてしまうかもしれない。しかし、メンバーの中には、出品したいという意欲のある作家もいる。また、家族に絵を見に来てほしい、称賛してもらえると嬉しいという作家もいる。そのような気持ちに応えることができる制作環境が、現在のココペリから提供されていると言えるだろう。


 

3節 美術関係者へのアプローチ

この節では、ココペリの主な活動である展覧会の開催、公募展への応募がどのように行われてきたか、作家にとってどれほどの影響があるのかについて述べる。

ココペリでは、前身のワークショップKAI=KAIとして活動していたころから、民間のギャラリーで毎年展覧会を行っていた。このギャラリーはプロの作家も利用するところで、このような場所で開催することにより美術関係者が作品を見に来てくれたり、購入してくれたりしたという。その口コミが広まって、新聞社など、マスメディアからの取材もあったと聞いた。

また、毎年行っているものとして「越中アートフェスタ」への出品もある。これはプロの作家も多く応募する一般公募展で、3割ほどの作家が落選するが、ココペリに所属している作家は9割入選しており、美術館の方からすごいことだと言われると米田さんは語る。

さらに、最近では太閤山ビエンナーレへの出品も行っている。太閤山ビエンナーレは、富山県内の作家同士が集って、刺激しあうような作品の発表場所を設けるという目的で、開催がスタートした。作品を出品する作家は、実行委員が推薦し、そこから話し合いを経て選ばれる。議論が難航する場合は、投票という形で決めることもあるという。米田さんはその実行委員会に入っている。作品を出品する作家の選出の際、実行委員の中でごく自然とココペリの作家の作品を出品しましょうという話が出ると米田さんは言う。今年の「太閤山ビエンナーレ」になぜ末永さんの作品を出品したのか尋ねた際、米田さんは次のように話した。

 

米田さん:実行委員の人もみんなアーティストなので、その作品写真を見て、これはもうぜひ、みなさんに見せたいし、彼らのような作品があると、あのー、空間が引き締まるというか、展覧会場が。だからあった方がいいということで。(中略)実際にね、出してよかったですねぇ。普通のアーティストって頭使っていろんなことを考えて、見せ方を考えたりして作っている作品が、周り見られてもそうだけど、やっぱりそういうもんなんですよ。美術作品って大体。でもその中で、末永くんの作品があることで、空間全体が明るくなってるんです。スッって風が入ってきているような、すごく肩の力を抜いた、本当の意味での自由な作品になってますよね。

 

実行委員から、自然とココペリの作家の作品の話が出るのは、今まで積み重ねてきたプロの作家も利用するような画廊での展覧会、公募展への応募と入選が効いており、実行委員にココペリの作家名が知られ、なおかつ同じ作家として認められているからだと米田さんは語る。また、現代美術のジャンルの一つとして「アール・ブリュット」の魅力も他の作家に認められているといえるのではないかと考える。

次に、太閤山ビエンナーレに出品する作家を選ぶ際、米田さんは作家の「実績」で判断している。実績がないと議論の場で推薦しづらいからだという。今年選ばれた、2人の作家の実績として米田さんが挙げたのは以下の通りである。

 

・末永征士さん:2年連続で、射水神社のお社に飾る2メートル絵馬のデザインと制作をした。デザイン会社の人が末永さんの作品を購入した。ビエンナーレでは「ハナデストハッパ」を出品。1作品。

・前田拓海さん:昨年、大島絵本館にて個展を開催した。ビエンナーレでは「Be Colorful」を出品。全8作品。

 

このことから、ビエンナーレに出品する値のある作家として評価されるには、他の作家と同じように実績が求められていることがうかがえた。

以上より、上記3つの活動はすべて、美術関係者に注目されることを目的に行ってきたという共通点がある。つまり、ココペリでは美術関係者と積極的に接点を持てるよう、活動してきたことが今作家として認められることにつながっているのだといえる。では、美術関係者から評価されるということは、作品にとってどういう意味を持つのだろうか。それは、障がいを持った作家が描いた絵という見方ではなく、作品自体を評価してもらえるというメリットになるのではないか。インタビュー中の語りにも「本当は美術のジャンルというのはものすごく豊かでいろんな人がいるんですよね。その中にアール・ブリュットっていうのもある。美術の世界の中に」とあるように、米田さんは、美術関係者に「アール・ブリュット」を現代美術のジャンルの一つとして認めてもらうこと、またココペリのメンバーが「アール・ブリュット」というジャンルの作家であることを認めてもらう必要性を感じているのではないかと考えられる。それはプロと対等に作品を評価されることが、障がいを持った作家の芸術活動を余暇活動にとどまらせないために、不可欠なことであるという考えがあるからではないかと考える。


 

4節 個展の開催

ココペリでは、毎年1人米田さんが選んだ作家が個展を開くことになっている。それでは、個展を開くということは、ココペリの作家にとってどのような意味を持つのだろうか。米田さんは以下のように考えている。

 

谷内:個展を開くことが、やっぱり、独立のためのステップだったりするんですか=

米田さん:=そうですね、だってその作家の作品を、あのー見に来て、買ってくってことなんですよ。(谷内:あー)(中略)それがすごく大事というか。その売り上げを、画材に還元して、また次の活動につなげていくっていう。あのー日本国内で、ほんとに独立して作品だけを売って、生活できてる作家って、そんな、ほんとに数える程度しかいないんですよ() (中略)あの、彼らの独立っていうのは、基本的にはもう個展をやった時点で、他の作家とは並んでるわけですよ。(谷内:あー)うん。レベル的には。…県内にいる作家でもね、そんな個展できてる作家とかいないですからね。

 

この語りから、米田さんは個展を開いているという段階で、ココペリの作家たちが他の作家とレベル的に同等に並んでいると考えていることがわかる。県内の作家でも、個展を開いて活動している作家は多くない。しかし、ココペリの作家たちは、個展を開き、自分の作品を販売して、次の制作活動につなげている。そのことが独立のためのステップであり、プロの作家に見劣りしない活動を行っている点であるといえる。

また、個展について、今までは全員でやる展覧会がメインの活動だったが、今の活動の中心は個展を開催することにシフトしていっていると話していた。なぜ、展覧会中心の活動から個展中心の活動にシフトしていったのか、以下はそれに関する語りである。

 

米田さん:今まではグループ展が中心の活動をしてた。それはアール・ブリュットっていうものを皆さんに知ってもらうための展覧会だったんで、グループ展っていう形で、現代美術の画廊でやってた。で、注目をしてもらってるから、もうその段階に来たらみんな個展を1人で、もうソロでやってもらう。(谷内:あー)うん。ソロアルバムを発表してもらう()っていう流れに今持っていってる。そのー、一通りソロアルバムを発表したらそのあとは、ま、うまくいけば、向こうからやりませんかになってくれればいいと思ってる

 

今まではアール・ブリュットというものを知ってもらうために現代美術の画廊でグループ展中心の活動をしてきたが、美術関係者にある程度浸透してきたため、個展にシフトしていったことがわかる。そして、今はココペリのスタッフが企画して個展を開催しているが、将来的には、美術関係者などから個展の開催を頼まれるようになることを目指している。


 

 

5節 絵が売れること

 この節では、絵が売れることに着目し、絵が売れることにどのような意味があるのかについて、作家本人、スタッフ、親御さんの三者の立場から見ていく。

ココペリでは作家の作品が売れた場合、作家に売り上げの半分を還元し、残りの半分を画材の購入に使用している。作品が売れるきっかけは、画廊で行われた展覧会や、各作家の個展に訪れた人が作品を気に入って購入を決めるのだという。作品の値段の決め方は、米田さんによると絵のサイズは0SM(サムホール)、2345と上がっていき、SM3000円を基準にしているという。大きさが大きくなるほど、価格は高くなり、額縁の値段も込みにして価格を設定している。

フィールドワークをしていく中で、前田拓海さんの作品が売れた。サイズはA4より少し大きいもので、七色に塗られたロボットか人のようなものの絵だ。価格は3000円で買い手は不明であるが、前田さんのお母さんの知り合いである可能性が高い。

では、作家は絵が売れることをどのように感じるのであろうか。絵が売れたことのある作家の末永さん、島さんの親御さん2名にお話を伺った。以下はそのときのフィールドノーツである。

 

征士さんにとって絵が売れることがどういうことか聞くと、本人は金銭感覚(絵がどれだけの値段で売れたということの把握)がないと思うから、絵が売れることに対する評価はわかっていないと思う、と話した。

 

このことから、征士さんは絵が売れたということを認識していない可能性がある。また、絵がいくらで売れたというようなお金の価値、その絵に対する評価も分かっていないかもしれない。また、ココペリの活動の中で、絵の報酬を作家に直接渡すという動きも見られなかったため、親御さんとスタッフの間でしか、絵が売れたことを把握していないのではないかと考える。

次に、作家の絵が将来どうなってほしいと思いますかと尋ねたところ、以下のような返答が返ってきた。

 

友達には左団扇になるんじゃない、って言われますけど、お金のことは抜きにして趣味。なおかつ発表できる場があればさせてあげたい。

 

また、島さんの父からも同様のコメントがあった。

 

島さんの絵を将来どうしていきたいと思いますかと聞くと、「そんなことは全然思っていなくて。売ろうと思って描いてるわけじゃないんで。縁があって買って下さるのはそれはそれでうれしいけれどあくまで趣味。本人が楽しんで描いてくれればそれでいいんで」と笑顔で話してくれた。

 

このことから、親御さんにとっては作家が絵を描くことはあくまで趣味であり、売れることにこだわりを持っていないと考えられる。

では、作品は売れなくてもよいのであろうか。「アール・ブリュット」という言葉が、まだ浸透していなかったころ、ココペリの作家たちの描く絵を売ると言ったとき、福祉関係者には抵抗感があったと米田さんは言う。絵を見に来てもらっているのだから、作品をあげてもいいのではないか、という考えの人もいたそうだ。ココペリの作家にとって作品が売れることはどういう意味があるのかを尋ねた際、米田さんは次のように語った。

 

米田さん:アーティストとして、彼らを認めるんだったら、作品を認めるんだったら、作品は、買うのが当然なんですよ。それはね、作品の値段っていうのは、書いてある値段をその人が払ってくれるっていうのは、その作品の点数のようなものなんですよね。価格っていうのは。これだけのお金出してでも、この作品が欲しいっていう。自分が働いたお金を出して、あの絵を購入したいっていう。すごく大事なことなんですよ、作品にとっては。

 

この語りから、作家にとって絵を購入してもらうことはアーティストとして認められ、その作品が評価されることにつながるといえる。米田さんは、価格が評価につながるから、売れることにこだわることが、アーティストとして活動するうえで大切だと考えている。

また、米田さんは、タダで作品をあげたり、安く売ったりすることに対して良くないという考えを持っている。

 

米田さん:実際に自分のお金で買った絵を家に飾って、毎日付き合ってくると出てくる魅力ってのが作品に必ずあるの。変わってくるの、作品って。家に飾ると。そのときに、また買ってくれるっていうのは、ほんとにいい作品だったってことなんですよ。タダでもらった作品ってのはね、もらった人ってのはそんな気はないので、だいたい。ありがたみが違うんですよ。()

 

このことから、作家や親御さんにとっては趣味であっても、作品を購入する方からするとその絵に魅力を感じて、その絵を認めて購入したことになるので、絵が売れることは作家にとって作家と認められるために、さらには、実力を評価してもらうために重要であると考える。