第五章 考察

第一節 大学生のネガティブ経験

ここでは、先行研究にある加藤(2013)による高校生15名へのSNS疲れに関する面接結果では見られなかったが、今回のインタビューで得られた大学生特有のネガティブ経験についてこれまで分析で使用した語りを用いて整理を行いたいと思う。そこから、高校生と大学生のネガティブ経験の比較を行いたいと思う。以下の表では、高校生の面接結果で得られたネガティブ経験の項目に対して大学生が当てはまるものとそうでないものを表した。

 

「受信者」のネガティブ経験

「受信者」のネガティブ経験

「発信者」のネガティブ経験

誹謗中傷発言…○

友人・知人とのやりとり…○

コメント欲求…○

誇示的発言…○

友人・知人とのすれ違い…○

発信内容への気遣い…○

 

多量の発信…○

見知らぬ者とのやりとり…×

個人情報の漏洩…×

悲観的発言…× 

言い争い…×

 

見知らぬものからの接近…×

 

 

業者からの宣伝、勧誘…×

 

 

 

 

 

 

 

以下は、高校生の面接結果では見られなかった大学生特有のネガティブ経験についての語りである。

 

A:なんかLINEが誰からも来ない、っていう状況が耐えれないっていうか…内容はなんでもいいんです。ただ、誰かとやりとりをして繋がっていたいっていう感じ。だから、LINEのトークにいっぱい名前があればあるほど、LINEが溜まれば溜まるほど安心する(笑)

 

 

この語りからAさんは、用事がないのに特定の相手と個人ラインでのやりとりを続けることで、実際に会っていない時も自分の人間関係の付き合いを持続させ、安心感を得ようとしていることが分かる。トークの内容が重要なのではなく、何人とも個人ラインをしているという事実が、自分の人間関係上でのステータスに感じていると考えられる。

                   

 

 

坂田:はい、じゃあ次。LINEの返信が遅いときに、相手が何をしているかとか、どこにいるのかをとか考えたりする?

A:それは、めっちゃ考える。Twitterとかでもわからん場合とか特に。既読は付いとるんかとか、何回も確認してしまう。

坂田:それって相手が誰でも?

A:うーんとね…(3秒)仲いい人とか、好きな人とかやったら余計気になるかな。でも、誰であっても返事遅かったらわりと気になる。なんか変なこと言ったっけ?とか、遊んでるんかな、とかバイトかな、とか…なんか返事が遅いと、あっほんとは迷惑なんかな、とか面倒臭いんかなって心配になってしまう。

 

 

この語りからAさんは、LINETwitterを並行利用していて、Twitterを同時に見ることで、相手のLINEの返信スピードに関連づけて不安を増幅させていることが分かる。LINEの返信はしていないのにTwitterでの更新がされている場合には、何故返してくれないのだろう、何か変なことを言ってしまったのか、などの疑問や不安を抱くことにより、余計にLINEの返信への固執が強まり、何度も返信や既読の有無を確認してしまっていると考えられる。

 

 

 

B:なんか自分の存在意義をアピールしたい…みたいな、そんな感じもあるし、みんなも楽しいことあったらつぶやいとるし、せっかく遊んだんやから記念に写真とかアップして、みんなに見せたいなって。

坂田:共感を求めてたり?

B;うんうん。それもあるし、みんなもすごいツイートするし、なんか自分も楽しんでるよっていうアピールでもある(笑)坂田:あー、はいはい(笑)アルネ。対抗じゃないけど…=ど、自分だって楽しいんやぞって(笑)楽しそうって思われたくてわざとめっちゃ楽しそうな写真のっけたりしちゃう。

 

                 

 

この語りからBさんは、他者のツイート内容に対して対抗心や自分の存在意義のアピールからツイートをしなければいけない、という衝動に駆られていることが分かる。他者のツイートに対してネガティブな感情を抱きながらも、それが自分のツイートでのアピールへの原動力ともなっていることが、ツイートに固執する気持ちを高めていると考えられる。

 

  

                                             

B:ツイートをした後に、なんかしらの反応がないかめっちゃ待ってしまう。何回もTwitter開いてまだかな、まだかな、みたいな(笑)この写真でよかったかな、あれにしとけばよかったかなとか、こう書けばよかったなとか。

坂田:それは、なんでそんなに気にするの?

B:たぶん見栄やと思うけど…他の人が見て、あっこのツイートお気に入り多いやんすごいって思われたいみたいな。反応が全くないとなんか恥ずかしい。だからつぶやく時とかも、ここをこう書いたら面白いんじゃないかな、とか。写真アップする時とかも、わざとなるべくみんなが写ってるやつにして、お気に入り増やそうとか。面白い写真選ぼう、とか。

坂田:相手の反応を気にしちゃう…=

B:=そうそう。相手の反応を気にして、いろんなこと考えながらツイートしてしまう。

 

 

この語りからBさんは、自分のツイートに対するいいね!(旧お気に入り)やリツイートの数を気にすることで、いいね!やリツイート数が増えるように必要以上に慎重にツイート内容を考えたり、写真を選んでいることが分かる。他者の反応や共感を得るために自分のツイート内容をコントロールしており、自分に対する他者の評価に重きを置いているということからも、自分という存在を認めてほしいという自己アピール精神が強く働いていると考えられる。

 

 

 

加藤(2013)が行った高校生15名への面接結果でみられたSNS疲れに繋がるネガティブ経験のカテゴリーや種類に関しては、それほど際立った違いはなかった。今回の大学生へのインタビュー結果から、ネガティブ経験の種類としては高校生への面接結果でいうところの相手に対する「コメント欲求」と「誇示的発言」に該当するものが多く見られた。しかし、第四章で行った語りを用いた分析から、生活環境や人間関係に起因した大学生にしか見られないSNS疲れの結果が得られたことも事実である。先行研究での高校生においてメッセージでのやりとりに代わるLINEに関しては、やりとりでの他者へのわずらわしさや不満というよりはそこでの人間関係を重要とした上での、他者とのつながりを求め執着性が強くなっていることによって起こるネガティブ経験が多いように感じた。mixiに代わるTwitterに関しては、他者の発信や他者との絡みに関するというよりは自己アピールや自分への評価に対してのネガティブ経験が多いように感じた。また、高校生とは異なった大学生におけるSNS依存に関係するSNS疲れについて、その要因や背景について語りから分析することができた。「SNS疲れ+やめられない要素=SNS依存」という方程式が成り立つと仮定するならば、大学生では高校生とは違った「やめられない」要素があると考察できた。高校生の場合、どのメディアにおいても「やめられない要素」として「人間関係的要素」が強いと感じた。ここでいう人間関係的要素とは、SNSでの活動のおける既存の関係への悪影響を指す。既存の友人・知人とのやりとりの為にSNSを利用しており、SNSを退会することによりそれらの者との関係悪化や断絶を恐れている。いわば、常に対相手を意識とした相手主体の利用となる。これに対し大学生では、対相手といった人間関係的要素に加え、「人間関係性」と「自己顕示性」といった新たな「やめられない」要素があると分かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二節 「やめられない」要因としての「人間関係性」と「自己顕示性」

第四章第一節で分析したABCのように同じ大学生の中で個人差が出るのは、ネガティブ経験や「SNS疲れ」を感じていながらもSNSをやめられない要因にあると考える。ここでいう「やめられない」は、メディアそのものの利用を停止することではなく、その場での使用を一時中断させることができるかどうか、ということになる。Aさんの場合、LINEのやりとりに対する疲れを感じたり返事が来ないことに対してネガティブな気持ちになっているにもかかわらず、その嫌悪感を失くすためにその場での使用を止めるという行為には至っていない。これはBさんにおいても同じで、他の人のツイートに対するネガティブ経験や自分のツイートへの他者からの評価に対してネガティブ経験を感じているにもかかわらず、それに対処するのではなく、むしろその嫌悪感を増幅させる可能性の高い「SNS疲れ」につながる行動をやめようとはしない。二人の語りの分析からも、「やめたい」とは言うものの、「実際にやめてみた」というものはなかった。おそらく自分たちでもやめようとしてもどうせ無理であることを自覚しており、使用を停止することは不可能であり、その結果ネガティブ経験と「やめられない」が不可分の関係になっていると考える。これに対しCさんはAさん、Bさんと同様にネガティブ経験をしているが、これ以上の「SNS疲れ」への警戒から相手にかかわらず自分の判断でその使用を中断するなどの対策を行っている。Cさんが個人LINEよりもグループLINEを好むことに関しても、中断することが困難な個人LINEに比べて大勢でメッセージをタイムリーに交わすグループLINEは個々とのつながりが比較的浅い為、中断することが容易であることが考えられる。ここから、Aさん、BさんがSNSを「やめられない」背景としてそれぞれの性質とメディアの機能の観点からその特徴を明らかにしたところ、その要因として「人間関係性」と「自己顕示性」が関係していると考える。

ここで、第四章第二節で分析したAさん、Bさんの比較について、何故LINETwitterで違いが生じるのかという問題に繋がってくる。AさんとBさん二人の環境や行動からその特性を明らかにしたところ、各メディアの機能が個人の特性と密接に結び付き、それぞれのSNS利用やSNS疲れを増幅させるように作用していることが分かった。Aさんは、大学に入って人間関係は広がったが、実際の交友関係はサークル内など特定のコミュニティに限定されている。そのため、Twitterでの誰とでもつながることのできる幅広い交流ではなく、対個人として日常的に密にコミュニケーションの取れるLINEを多用していると考えられる。Twitterを利用しているが、自分からは発信はせずまたその場で交流をすることもない。現実世界以外で他者とやり取りを交わし、自分の思いを伝えたり、自分の存在をアピールできる場所はLINEだけであり、その反動でLINEに固執してしまっているということができる。そのため、LINEはAさんにとって実際に会っていない間の人間関係の付き合いを保っていく上で重要なツールであり、欠かせない存在になっている。このようなAさんの特性に対し、LINEの機能がAさんの不安やマイナス要素を補うように、その依存性を増幅させていると考えられる。第二節で取り上げたLINE疲れに伴うネガティブ経験に関しても、実際にLINEの使用による気疲れを感じてはいるが、むしろLINEに縛られることやそれに伴う気疲れがあるからこそ自分のアイデンティティや人間関係に対する欲求が満たされていると実感していることが推察できる。Bさんは、大学に入って人間関係も交友関係も広まり、地元の付き合いも続いており特定された一つのコミュニティだけでなく、幅広く関わっている。そのため、特定の人と対個人で日常的にやりとりを行って仲を深めるLINEよりも、自分と関わりのある人すべての情報がタイムリーに分かり、自分のことも発信しながら交流をしていくTwitterの方を多用していると考えられる。内輪だけでなく多くの人とツイートを共有し、Twitter上での反応や評価を得ることで自分という存在をアピールしようとしている。その為、他者との競争心からツイートしなければいけないという気持ちに駆られたり、いいね!やリツイートなどの他者の評価を得ることを気にし過ぎるなど、Twitterへ執着が強くなっている。このBさんの特性に対しても、現実の人間関係を補完する役割としてTwitterの機能が自身のニーズを満たしており、Twitter疲れを経験することで自分がSNSを通して人と繋がっていることやSNSの世界での自分の存在を実感していると考えられる。このことから、自分の周りの、ある確定された人間関係を保っていくためにLINEを利用するAさんは「人間関係性」、離れた友達や身近な友達など幅広い友好関係を持ち、Twitterでの交流や発信を通しての自己アピール性が強いBさんは「自己顕示性」がそれぞれのSNSを「やめられない」要素となっていると考える。ここでいう「人間関係性」は、先行研究での高校生がSNSをやめられない要因としての「人間関係的要素」とは異なり、能動的な人間関係性を指す。既存の友人との関係が悪化することを恐れて「やめられない」受動的なものではなく、特定の人間関係をより深くつなぎ留めておくために、自分の安心感や存在意義の為に能動的に人間関係を求めていることを指した「やめられない」要因としての「人間関係性」である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                    

 

第三節 まとめ

大学生の「SNS疲れ」は、大学生生活の「友人関係の広がり」、「地理的移動」という特性に影響を受けていることが考えられる。地理的移動とは、進学の為に地元を離れた一人暮らし生活のことを指す。高校での友人は大学に入るとリセットされ、また新しく友好関係を作り上げなければならない。特定の友人と日常的に会っていた高校と比べて、大学生の生活スタイルは一人一人全く異なるため、友好関係は不定期である。そういった環境の中で、LINETwitterなどのSNS上でのコミュニケーションの重要性の位置づけは高くなると考えられる。また、大学生活での友人関係の広がりは大きく、大勢と関係を保っていくには、LINETwitterなどのSNSでコミュニケーションを持つことが必要不可欠であると考えられる。また、この観点でいうと、LINEにおいてLINE上でのやりとりを現実の人間関係を補完する手段としてとらえていること一つのも大きな要因であると考えられる。毎日会って、直接会話することや一緒にいることによって自然と保たれていた人間関係のリアリティが、大学ではLINEがその働きを補完するツールとしていつでもどこにいてもリアルタイムでコミュニケーションを取ることができる。この点において、離れていてもLINEのやりとりによって相手の存在を感じることで、安心感と共に人間関係のリアリティは満たされてしまうということから、LINEの便利さと拘束性が地続きになっていることがより明らかになってくるといえる。Twitterにおいても同様に考えることができる。高校では、毎日直接会うことによってリアルタイムで自分の情報やアピールを他者に伝えることもそれを受け取ることも可能であった。また、それに対する他者の反応や評価も直接知ることができた。しかし、人間関係の幅が広く不定期な付き合いの多い大学においては、一度に大勢の他者に自分の情報を伝えアピールできると同時に大勢の他者の情報も得ることができるという点において、他者とのつながりへの満足感は満たされ、Twitterにおいても人間関係の補完的約割を果たしていることからその便利さと拘束性が地続きになっているということができる。これらの高校から大学生活への変化も、個人がそれぞれのメディアと作用し「人間関係性」、「自己顕示性」が強くなり、「やめられない」要素として働いていると考える。また、「やめられない」要素は、執着性の高いSNS疲れを経験する中で次第に強くなっていき、SNS依存へとつながる可能性が高いことから、大学生においてSNS疲れ経験に「やめられない」要素が加わると、SNS依存へと陥る危険性は高くなるといえる。