2章 先行研究

1節 若者の地域参加

 

地域活動の場における若者の参加について、これまでの研究では何が述べられてきたのだろうか。羽田野(2014)は自身の授業の一環として取り組んだ「福井大学EMP実行委員会」[1](以下、EMP)を例にとり、活動の前後で学生にどのような意識の変化があったのかを考察している。授業という機会提供を受けた後、学生がその後も継続的に地域活動に取り組むかどうかに着目したところ、その後の学生の行動様式が3つのモデルに分かれることを明らかにした。以下がその概略である。

 

@)地域活動アクティブ群

A)地域活動ウォームアップ群

B)地域活動ポテンシャル群

 

@)地域活動アクティブ群は、もともと地域活動の経験や関心があり、EMP参加後も継続的に地域活動に参加していこうという意思がある人たちである。この類型の学生は、EMPというきっかけが無かったとしても何かしらの形で地域に関わっていたであろうと思われる。「地域を良くしたい」という思いが、実際に活動することでさらに深まり、地域活動についてさらに意欲的になっていく。A)地域活動ウォームアップ群は、地域活動への関心はなかったものの、EMPをきっかけに地域に関心を持ち、今後地域活動への参加意欲を持つとする学生である。活動を通して今まで知らなかった地域の魅力に気づき、地域の人や他の学生との出会いを通して成長することができたと感じている。B)地域活動ポテンシャル群は、以前の地域活動経験に関わらず、今後地域活動の予定は無いとする者である。EMPの活動自体には積極的に参加しており、そこで得られた経験や知識を自身の職業選択やキャリアアップに転化してとらえているのがこの類型の特徴といえる。地域の人とコミュニケーションを取ること、プロジェクトを立案し、企画運営していくことなどが、就職活動ないし実際の社会で役に立ったと感じているのである。

もともと地域活動に興味があり、能動的に行動できる@)地域活動アクティブ群はもちろん、関心がなかったA)地域活動ウォームアップ群、B)地域活動ポテンシャル群の興味をも増幅させていることから、地域活動の機会を提供することは、どの立場の学生にとってもメリットになっていることが分かる。この3類型から、学生が地域活動に関わることで自らが暮らす地域の魅力を再発見し、よりよいまちを作っていこうというポジティブな思いが生まれていること、そして、それに至らずとも地域活動の経験がその後のキャリア選択のうえで有益なものであると実感している様子が読み取れる。

しかし、彼らがそう感じるためには、EMP内で自らのはたらきかけが地域に還元されている実感を得ることと、それを決定づける具体的な契機が必要だろう。EMPの活動が何かの形で地域を活性化しているという「手ごたえ」はEMPに対する当人のアイデンティティを高め、さらなる活動のモチベーションにつながる。ゆえに、若者ないし学生の地域参加を語るうえでは、集団内でのアイデンティティ形成とその要因(集団内の人間関係・集団外からの反響など)を関連付けた考察が重要だと考えるが、羽田野(2014)の論文中から、それについて掘り下げる分析は見られなかった。集団内でのアイデンティティは、それが有るか無いかという二分論で語るよりもむしろ、そのレベルが高いか低いか、つまり集団への「参加度」という一本軸における個人の位置取りの変化という文脈で考えるべきである。そして、それを説明するのが正統的周辺参加論の考えである。EMPの例にもあるように、同じ集団に属し、同じカリキュラムを経験していたとしても、その解釈は人によって異なり、その経験を誰もが次の参加に繋げられるとは限らない。そうした個人の参加方法の差異に着目し、より柔軟に学生まちづくりをとらえていくことを本稿の目標としたい。


 

2節 正統的周辺参加論

 

正統的周辺参加論は1993年発刊の著書『状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加―』のなかでJ.LaveE.Wengerが提唱した学習論のひとつである(Lave&Wenger,1993)。その中で学習とは「実践の共同体への周辺的参加(peripheral participation)から十全的参加(full participation)へ向けての、成員としてのアイデンティティの形成過程(岡安 1996)」としてとらえられる。つまり学習とは、個人が一方的に教授された知識・技能を獲得していく過程ととらえるよりもむしろ、ある特定の実践的な活動を行なっている共同体(実践共同体:community of practice)に参加していく経験を通して、そのなかでの個人のアイデンティティの変化に即して理解・叙述することである。ここにおいて重要なのは「参加している」という実感であり、その意味で学習者は単なる知識獲得者ではなく「全人格的(whole person)」主体となる。学習によって得られるのは単純な知識よりも「一人前になる」という共同体内におけるアイデンティティの変化であり、その実感こそがさらなる参加を推し進める動機となりうる。

正統的周辺参加論がそれまでの認知主義的学習理論における学習の定義と最も異なっている点は、学習というものを個人の認知過程の水準から学習者と他者との関係性という水準へと転換したところにある。学習者は単なる知識のいれものではなく、リアルな社会実践の場を生きるアイデンティティ構築主体であるととらえ、その可能性を開いた。

正統的周辺参加という言葉を用いるとき、この「周辺」は「(共同体への)参加率が低い」ということと決して同義ではない。ここでいう「周辺性」は「実践共同体への包摂に向けた位置取りであり、その人の学習の一局面としての共同体にそれ独自の形で組み込まれた位置取り」(高木 1999)を指す。つまり、ある共同体の「周辺」に位置するということは、当人の学習過程の現時点での位置取りがそこにあるだけで、これからより十全的に実践共同体へ関わっていく可能性をはらむ「ポジティブ」な状態、と解釈することができる。ゆえに、この「周辺」と対になる概念は、「無関係」であり、「無関心」である。これは「周縁性」ということばで表される。「周縁性」は「(実践共同体への)交渉可能性をもたず、共同体への包摂に向けた実践に向かってもいない」(高木 1999)状態であり、「周辺性」よりも、さらに外側をイメージさせる「ネガティブ」な概念であると言えよう。また、これらの概念は、実践共同体との絶えぬ相互交渉の間で常に変化する動的な概念である。ゆえに、共同体に対して何らかの関与を続ける限り、彼らの位置取りは常に「より十全的」になったり、「より周辺的」になったりするのである。

 ある特定のテーマを共有する実践共同体の中で、各個人は「正統性」(所属する共同体内での存在が認められている状態)を有するため、その時与えられた状況に応じて自分の果たすべき役割を持っている。この役割を果たすために、共同体内でのあらゆる実践を通して学習する。それがJ.Laveらが主張する「状況に埋め込まれた学習」である。

 

3節 日本語学習者Oさんの参加過程

 

直前の第2節にもあるように、正統的周辺参加論において個人の参加度は集団内での役割の変化に関連付けて語られることが多い。まちづくりの事例ではないものの、ここでは林(2013)がその論文中で取り上げた中国人の日本語学習者Oさんの参加過程を例に挙げる。

武蔵野市国際交流協会(以下MIA)では「同じ地域に共に暮らす住民としての『人間関係』を構築する」ことを大切にした日本語学習支援活動を行なっている。これは、日本語の基本文法を教える「日本語教室」と日本語を用いて交流員と学習者が自由に交流する「日本語交流活動」の2つによって成り立っている。

 外国人は、「日本語教室」では知識を教わる「学習者」となることを余儀なくされるが、「日本語交流活動」においてはそうではない。「日本語交流活動」の目的は言語能力の獲得よりもむしろ、異なる文化を持つ日本人と外国人が同じ時間を共有し、交流することにある。ゆえに、その場に参加することそのものが人間関係の構築につながり、それこそが正統的周辺参加論の視点における「学習」としてとらえられる。

 中国帰国者のOさんはもともと「日本語教室」の常連であったが、ある時日本語交流員の1人がOさんの水墨画の技術の素晴らしさを発見したため、外国人企画事業の一環として水墨画教室を開くよう提案した。Oさんの水墨画教室にはたくさんの人が訪れ、「日本語ができなくてもできることがある」とOさんに自信が芽生えるきっかけとなった。「日本語教室」においてOさんは単なる「学習者」としてしかありえなかったが、水墨画を通じて新たに「講師」という役割を得たことで、言語能力の獲得とは異なる学習(=実践共同体への「参加」による学習)が進んだ。ここでは、新たな役割を付与されることによりOさんのアイデンティティが高まり、さらなる参加が導かれている様子がうかがえる。

 このOさんの事例では、MIAの日本語交流員がOさんの水墨画の才能を“発見”したことで「日本語学習者」以外のアイデンティティが芽生え、結果としてMIAへの参加度が高まっていった。このように、自分が所属している集団内に存在する他者の反応は当人のアイデンティティ変容に大きく影響する。そして今回取り上げる学生まちづくりの場合、活動の過程で様々な人物と出会うため、こうした他者の反応は集団内だけにとどまるものではない。ゆえに、他者からのリアクションや評価が個人の参加度にどう影響するのかということも踏まえながら分析を進めていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

4節 学生まちづくりサークルへの参加過程

 

1節で羽田野(2014の事例を取り上げた際に触れた本稿の目標について、EMPと街アップを比較しながら今一度考えたい。

EMPと街アップを比較したとき、まずもってその実施形態について違いが見られる。EMPは、羽田野(2014)の授業の一環としてとして展開しているのに対し、街アップは自発的な学生サークルとして運営されているのである。この違いは何を意味するのか。羽田野(2014)は学生に対して地域に関わる機会を提供したことで、その熱意に差異はあれども、誰もが地域活動の経験を有益なものととらえていたことを明らかにした。このように、授業として、ある一定の期限を据えてまちづくりに参与することは、もともと地域に興味が無い者を取り込むきっかけになり、実際の経験を通じて地域に魅力を見出すことができた点で効果的だったといえるだろう。きっかけさえあれば能動的に地域に関わっていくポテンシャルを秘めた若者(特に学生)にとっては、授業という機会提供が効果的に作用し、地域参加のスタートラインの役割を果たしている。そしてその結果、学生が抱く地域への関心が高まっているので、この参加のしかけは上手く機能し、成功しているといえるだろう。

一方、街アップは参加への強制力を伴わない学生サークルという形態をとっている。大方の大学生の在学期間は4年間であるため、自らでサークルをつなぐ学生を再生産し、継続的な運営を続けることが求められる。これは、街アップに限らずあらゆる学生団体が最も意識する部分といえよう。学生まちづくりの場では、学生のモチベーションを上手く喚起し、出来る限り長期的なスパンでまちに参与していくことが求められているのである。そのような条件の中で街アップは、これまで長きに渡って学生メンバーが途切れず運営されている。それどころか、直近3年間における入部者は急増しており、サークルの雰囲気もこれまでにない様相を呈している。このように、街アップが継続的にメンバーを再生産し続けながら、より中心商店街に根付いた活動を続けている裏には、EMPと同様に学生の主体的参加を促すしかけが存在しているはずである。羽田野(2014)の事例の場合、EMP参加後の学生にアンケートを取り、学生の熱度別に3類型が導かれるとした。しかし、羽田野(2014)の論文中では学生が地域に関するイメージをポジティブ化するに至った具体的な契機と感情変化の過程に言及している箇所があまり見受けられなかった。地域という公的な空間をフィールドにし、メンバーやそれを取り巻く大人といった幅広い人物と共に活動を進める街アップでは、他者との関係性の構築に関する実感がサークルへの満足感と密接に結びついているはずである。ゆえに、本稿では街アップ内の個人が、他者とどのように相互交渉を重ね、サークルへの参加の実感を高めていったかということにより詳細に着目し、その性質について明らかにしていく。そして、その学びは「習う」よりもむしろ、サークルのことを何も知らない状況から参加を重ね、徐々に「慣れ」ていく過程で得られるものであるため、そのような個人の変化を理解する枠組みとして正統的周辺参加論を用いるのである。

この正統的周辺参加論の具体例として第3節に示したのが、林(2013)が取り上げた中国人学習者Oさんの参加過程である。それは、ひとりの「日本語学習者」であったOさんに、「水墨画の先生」という新たなアイデンティティが加わったことでOさんの参加の実感が高まったという内容であった。しかし、ここで示されるOさんの変化は役割の変容、特に同じサークル内での人間関係の変化によってもたらされたものとして、限定されている印象を受ける。つまり、このOさんの参加過程では、サークルの内部に存在する人物(身内のような存在)との相互交渉についてのみ述べられているのである。次に、街アップに目を向ける。街アップは中心商店街の活性化を目標に掲げる実践共同体であるため、活動を通じて地域に暮らす人々とのつながりが生まれていく。先ほどのOさんのアイデンティティを変容させた他者がサークル内部の他者であるならば、街アップにおける地域住民はサークル外部の他者ということになるだろう。このサークル外部の他者は、街アップが取り組みを仕掛ける相手であるとともに、街アップの活動に何らかのリアクションを寄せ、評価する人物でもある。ゆえに、街アップでの参加過程を論じる上で彼らの存在を欠かすことはできない。街アップに所属するメンバーは、サークル内外の他者との関わり合いを通じてどのような参加をしてきたのか。そして、積極的にまちに関わろうとする学生を継続的に取り入れ持続的な運営が可能になっている背景にはどのような参加のしかけがあるのか。この問いに答えることを本稿の目的とし、分析を進めていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



[1] 福井大学の学生により構成されるまちづくり団体であり、主に福井市中心商店街の活性化を目的に2010年から活動している。「EMP」とは、「駅前プロデュース」と「Enjoy My town Project」の2つの言葉の頭文字であり、学生たちの発案による名称である。EMPは市街地の情報発信、フリーペーパーの発行、まちあるきツアー、各種ワークショップなどの運営など、精力的に活動している。