5章 死別後に関する事例分析

この章では、ペットとの死別後における葬儀社の取り組みや飼い主がペットロスや悲嘆の段階論についてどのように捉えているのかを中心に分析していく。

 

 

1節 悲嘆の段階論

ペットの死別による悲嘆を受容するまでの過程にキュブラー・ロスの段階論が適用される場合がある。また、坂川さんはペットロスの講演会において、ペットロスが治る過程として「準備期、衝撃期、悲痛期、回復期、再生期」の5つの段階があると説明していた。この事からペットロスにおいて「段階論」という概念が存在していることが分かる。しかし、木村(2009)ではその段階論を安易に適用するべきではないと述べている。坂川さんも、段階論を提唱しながらも、すべてこの通りにいくわけではないとも語っている。それでは、実際にペットロスを経験した飼い主は、段階論をどのように捉えているのだろうか。以下は、その事についての塚崎さんの語りである。

 

塚崎さん:でも、(ペットロスは)回復に向かっていってもまた戻ります。ゼロにはなりません。

 

塚崎さん:治らないと思うし、治る必要もないと思っている。だってその子がどんだけ大事だったかって証でしょう?だって知らない人が亡くなっても、「ああ」くらいで終わっちゃうでしょう?だって身近な人間でも、忘れないでしょう?ただ必要なのは忘れる事じゃなくって、なんて言ったらいいのかな…ずっと思いつめちゃいけないけど、良い思い出になっていくことと、その寂しかったとかいうことを言える相手、言える場所を、その思いを共感できる、そういう相手に巡り合うことが大事なんじゃないかなと

 

これらの語りをふまえると、塚崎さんはペットロスというのは、順当に段階を踏んで回復していくのではなく、段階を行ったり来たりするものだと捉えていることが分かる。「ゼロにならない」「ペットロスは治らない」という言葉から、段階を踏まえてペットロスが回復していくという段階論を否定しているとも捉えられる。また、塚崎さんはペットロスが完治するということは無いが、ペットロスを軽減する方法について、ペットが死んだという悲しい思い出をペットとの良い思い出に昇華していく事が大事だと語っている。

 

 

2節 ペットとの最期の別れ

ペットが亡くなってから、ペットとの最期の別れについて、どのような取り組みが行われているのだろうか。坂川さんは、亡くなってから火葬するまでの最期の別れについて、以下のように語っている。

 

坂川さん:そうですよね。あのー…気のすむまでお別れはした方がいいですよね。(中略)やっぱり、家族の一員ですから、家族みんなでお別れしていただかないといけないと思ってますので。

 

坂川さん:まぁ結構コストはかかるんですけど、実際に、(霊安室の設定は)人間と同じ設定で全部やりますよ。まぁ、それ以上にお別れをキチッとやっていただく事の方が大切だと思いますので。

 

ペットを亡くなってからすぐに火葬すればいいという考えも一般的には少なくない。しかし、亡くなってすぐ火葬するのでは、より喪失感を感じたり、ペットの死の実感がわかなかったり、ペットロスを重篤化させる要因になりかねないのではないだろうか。対しておおぞらでは、人間と同じように24時間以内に火葬をする事はない。また、人間と同じ設定の霊安室を設置したり、ペットを人間の家族とほぼ同様の扱いをしているのである。これは、坂川さんがかつて人間の葬祭関係に関わっていたことが影響していると思われる。そして、それは、ペットを家族同然と考えていて、人間の葬儀と同じようにきちんと見送ってあげたいという飼い主の思いを尊重し、家族全員が納得する最期の別れをすることを大切に考えているからである。

そして、塚崎さんは亡くなってから火葬して葬儀するまでの最期のお別れについてのおおぞらの対応について以下のように語っている。

 

塚崎さん:あの、納得するまでどうぞって言ってくれます。だから、あそこのお葬式、流れ作業じゃなくて、混み混みで取ってないんですね。(中略)火葬している間もずっと話聞いてくれるんですね。今、火葬してるからこっちで待っててくださいとかじゃなくて、ずっと相手してくれます。(7秒沈黙)どんな状態で行っても、ずっと丁寧に対応してくれるんで。結構落ち着いてはいられるんですかね。あれ、1人でポツンとはとてもいられない。

 

以上から、おおぞらが最期のお別れの時間を飼い主が納得するまで行う事を飼い主は快く思うことがある。事務的に最期のお別れを済ませるのではなく、飼い主が満足する別れを演出するという方針はおおぞらと飼い主とともに一致しているのである。また、申し込み、火葬、葬式、そしてその後のお参りなど、すべての段階において家族とコミュニケーションをとっているのもおおぞらの特徴である。おおぞらと飼い主のコミュニケーションについては第4節で詳しく分析する。

 

 

3節 表現するということ

坂川さんは、ペットロスついての講演会を開くなど、ペットロスに対する活動を精力的に行っている。おおぞらでは、飼い主のペットロスによる負担を減らすためにどのような活動を行っているのか調査したところ、自分の気持ちを何かの形にして表現するという事例が見られた。以下、その事例についてそれぞれ分析していく。

 

◎お参り日誌と絵を描くこと

おおぞらでは、お参りに来た人たちのためにお参り日誌というものを置いてある。これは、おおぞらが開設した14年前から置いてある。お参り日誌の内容について、「あっちでは何をしているの?」といった問いかけや、「自分は今日こういう事があった」といった現状を報告するようなものが多く、ペットと飼い主の双方のやり取りをするような形で描かれているようだ。また、この事について坂川さんはお参り日誌を利用する人は比較的ペットが亡くなって間もない人が多く、そのため、まだペットが生きているような感覚を抱いているために、お参り日誌は会話をしているような形式になっていると語っている。

また、お参り日誌と同じく、絵を描くためのスケッチブックが開設した当初から置いてある。このスケッチブックを利用する人は、お参り日誌と同じく亡くなって1年迎えていない人が圧倒的に多いそうだ。また、自分で描いた絵を持ち込んで置いていく飼い主もいるようだ。

この2つの方法によるペットロスへの影響について、坂川さんは以下のように語っている。

 

坂川さん:そうですね、あの、セミナーの時にちょっとお話させていただいたように、やはりあの、心理的には、ストレスがたまるといいますか、大きなストレスがたまるという風にも捉えられますので、やはりこの、色々発散する場所といいますか、人によっては話したり、涙を流したりとか、中には絵を描かれたりということも。表現の仕方というか発散の仕方が、描くことの方もいらっしゃるものですから。

 

このように、ペットロスには精神的なストレスが大きい。そこで、お参り日誌を書いたり、絵を描いたり、何か目に見える形で自分の思いを表現する事でペットロスによるストレスを軽減できる。

 

◎手紙を書く

それでは、手紙を書くことはどうだろうか。お参り日誌やスケッチブックのように、手紙は自分の気持ちを表現する一つの方法といえると思われる。しかし、坂川さんは、ペットの死を受け入れる前と受け入れるあとでは手紙の内容が変わってくると語っていた。おおぞらでは、火葬の前に棺に手紙を入れることができるようになっているが、その時点では心が不安定の人が多く、ペットの死を受け入れることができてないので、お参り日誌のような会話のような形よりは、「まだ信じられない」「明日からどうやって生きていけばいいの?」などといった飼い主の悲しみを綴ったものが多くなるようだ。

それでは、手紙を書くことは、どのように飼い主に影響するのだろうか。坂川さんは以下のように語っている。

 

坂川さん:そうですね。書いてくうちに亡くなった事に気づかされる方もいらっしゃると思いますね。(中略)書くことが、非現実的であればあるほど…いつも書いてる人は現実はあまり変わらないかもしれないですけれど、普段手紙なんて書かない人が○○ちゃんへとかって書くことによって、「あっ、亡くなったんだな」っていうのを確認されるかもしれないですねぇ。

 

以上のように、手紙を書くことによってペットが亡くなったことを実感するようになる可能性がある。第42節で述べたように、ペットが死んだという事を実感するという事は、飼い主の感じるストレスや悲嘆を軽減する効果があるのではないかと考えられる。

 

 

4節 共感者の存在

坂川さんはスタッフと家族との会話に一番力を入れていると語っている。葬儀の際にも家族と対話をするが、別に無料でペットロス相談も行っている。葬儀の際に後日相談の時間を取ってもらうよう希望する人や、またおおぞらのホームページにはペットロス相談について記載してあるので、電話で相談の予約をする人もいる。以下は、相談へ来る飼い主さんについて坂川さんの語りである。

 

坂川さん:葬儀の時でも、もちろんこうやってお話するんですけども、それだけではとても心が、生活していくのも中々厳しいといいますか。あと、お話されている間は落ち着くんですみなさん。(中略)みんなといる間は気が紛らわせられるんですけど、部屋帰って一人になると孤独で寂しくて、とか、それと一緒のことかも分からないですね。

 

以上の語りから、一人でペットを亡くした悲しみを抱えているより、ただ単にペットの話をするだけでも心が落ちついたり、ストレスが解消されることが分かる。よって、おおぞらのスタッフは少しでも飼い主の悲しみを紛らわすために、飼い主とのコミュニケーションに力を入れているのである。また、その相談内容については、家族間や周りとの孤立や、終末期の様子が本当にあれでよかったのか、といった内容が多いそうだ。

そして、塚崎さんは、亡くなった3匹ともおおぞらで葬儀を行っている。その時のおおぞらのスタッフの対応について以下のように語っている。

塚崎さん:で、その時にいろんな話、ただ黙って聞いてくれて、一緒に泣いてくれたのがおおぞらさんのスタッフの方たちなんですね。もう私一日あの部屋に座っていても、黙って置いてくれるんです。で、合間合間に話相手になってくれて、で、そういうんで、結構救われる部分もあって。

 

塚崎さん:だって、どんなにつらい、悲しいって言っても、他人にとってはそれは他人事でしょう?けど、あそこのスタッフさんって同じ立場に立って一緒に考えてくれるんです。

 

以上のように、塚崎さんは、おおぞらのスタッフが親身になって話を聞いてくれたことが、ペットロスに苦しんでいた当時、とても救いになったそうだ。おおぞらのスタッフが、塚崎さんにとって、ペットロスの苦しみをわかってくれる共感者になっているのである。

また、「かんたとふうた〜そしてゆかいな仲間たち」というブースの意義について、以下のように語っている。

 

塚崎さん:でも私別に、ここをモノを売る以前に癒しの場にしたいんですね。(中略)で、私もいろんな方、同じ思いをしてる人とか、それ以上の思いをしてる方もたくさんいらっしゃると思うんですよね。ま、あの、傷をなめ合うっていうんじゃなくて、言葉に出すことによって、ちょっと救われるでしょう?また、どこにも言えないし、また、いつまでも引きずってるって言われるのが嫌やから言う場所がどこにもないんですね。

 

塚崎さんはペットロスの苦しみについて周囲の理解が得られず傷ついたという経験がある。また、DさんやTさんもペットロスを経験した時に、周囲の心無い発言によって傷ついたと語っており、ペットロスを経験した人たちは、周囲との認識の差に苦しむ事が多々あることが分かる。塚崎さんは、このブースを同じようにペットロスで苦しんでいる人達が自分の気持ちを気兼ねなく言葉にできる場所にしたいと考えている。同じような立場の人たち同士の会話や、スタッフとの会話など、塚崎さんはペットロスの軽減には悲しみを言葉で表現する事を重要視している。やはり、ペットロスで苦しんでいる人にとって、共感者というものは重要な存在である。