4章 ペットの看取りに関する事例の分析

この章では、吉田動物病院の事例について終末期におけるペット治療のあり方や、ペットの最期を見届けるという行為について分析していく。

 

 

1節 終末期の治療について

ペットロスを軽減するために、終末期のペット治療ではどのような事が行われているのだろうか。また、動物病院や飼い主は、終末期治療において何を重要視しているのだろうか。

 

1項 飼い主が満足できる治療法の選択

まず、今回のインタビューで吉田先生は特に、病院側が一方的に治療方針を決めるのではなく、飼い主自身で選んでもらうことを重視していたことが分かった。終末期における治療法は様々なものがある。例えば、入院、通院、在宅治療、大きい病院への二次診療、安楽死などである。その中で、病院側はどのような基準で治療法を提示するのだろうか。以下そのことについての語りである。

 

吉田先生:動物と飼い主さんを見て、ケースバイケースで治療を選んでもらわないといけないし、選んであげないといけないと思うんだけど。(中略)飼い主さんとのコミュニケーションは一番重要だと思う。

 

吉田先生:最終的にはやっぱり、動物にはすごく悪いと思うんですけど、やっぱり飼い主さんの満足度だと思うんですよ。(中略)仕事したら、獣医ってのは、動物のためのお医者さんなのかもしれないけど、ほぼ人間のためのお医者さんなんじゃないのかなと思ってしまうことがある。

 

動物病院は人間の病院と違って、患者本人が治療を選べるわけではなく、飼い主が治療を選択する。その治療法の提示の基準は、飼い主によって異なる。金銭的な理由で入院を選べない飼い主や仕事の都合上で在宅治療を選べない飼い主もいる。そして、最終的にはその選択が飼い主にとって満足できるものである必要がある。そのため、動物病院といえども、医者と飼い主のコミュニケーションが大事になってくると考えられる。それは、飼い主とコミュニケーションをとり、個々の飼い主に最適な治療法を提示しなければならないからである。

 

2項 ペットの死に対する心の準備

次に、終末期治療で重要視されているのは、ペットの病状や今後についての明瞭かつ詳細な説明である。それでは、ペットの状況を詳しく知るという事は、飼い主にどのような影響をもたらすのだろうか。以下は、その事に関する語りである。

 

Tさん:やっぱり、その亡くなる…亡くなるときの事がやっぱり自分にとって一番恐ろしいことだったから、まぁ死んでしまうのは仕方がないけど、どういう風に死んでいくのか、苦しんで死ぬのは嫌だなっていうのがあったから、なんかこういう可能性が出てきますよーとか、あの、こういう風になっていきますよっていうのを聞けて、なんかこういう風に、治療じゃないけど、心の準備っていうか、準備していけました

 

林:その、説明することによって、死を納得できる…

吉田先生:そうだよね。やっぱ、自分のできることは何かっていうのが飼い主が分かるというか、それもあるだろうし、それと、どういうふうになっていくひとつひとつかみ砕いて消化してってっていう風に思うけど、やっぱそれは昇華できないひともいらっしゃるしね。

 

以上の語りから、ペットの死についての「心の準備」をすることが、その恐怖を解消する一つの方法だと考えていることが分かる。ペットの状態について、あらゆる可能性について詳細に説明することで、飼い主は自分のペットが今どういう状況に置かれているのかを正確に把握でき、自分が何をするべきなのかよくわかるようになる。また、自分のペットがこれからどういう風になっていくのかをきちんと飲み込めるようになることで、ペットの死についてある程度受け入れることができ、「ペットが死ぬかもしれない」という恐怖を少しは軽減できるのではないだろうか。

それでは、自分のペットの状態について、詳しく知ることができなかった場合、飼い主はどのように感じるのだろうか。Dさんは亡くなる最期まで、ペットが何の病気で死んだのかを知ることができなかった。これは稀な例ではなく、動物の治療においてはよくある事だそうだ。そして、Dさんは、その事について、後悔が残ると感じていた。この事から、やはり、ペットの状態を詳しく知ることができないということは飼い主の心に大きなダメージを残すものと考えられる。

 

3項 ペットが苦しまない治療

やはり、治療においてペットにはなんらかの負担がかかっている場合がある。それを軽減するような治療には、注射の回数を減らすために抗生剤の効き目を長くしたり、ペットが飲みやすいように薬の味を変えたりするなどがある。このことについて吉田先生はペットが苦しまないような治療を飼い主自身が選んでいる場合があるとも語っていた。以下は、ペットの終末期治療についてのTさんの語りである。

 

Tさん:ただやっぱり苦しまない、常に苦しまないようにっていうのは…考えてました。だから、発作が起きて、ね、辛くて体力失ってって、辛い思いをしたら困るから、あれ、たぶん飼ってる方もそれを何回も見てたら、かなり精神的にきついんじゃないかと思って。

 

Tさんは、病気が発覚してまで亡くなるまで、1年近く通院しながら介護をしていた。その間、ペットが苦しむ姿を見続けることは精神的につらいことであるため、なるべくペットが苦しまない治療を望んでいたと語っていた。また、塚崎さんも、延命治療を行うにあたって、ガンそのものは治せなくとも、呼吸だけは楽にできるように呼吸器の治療を行っていたそうだ。このように、ペットが苦しまないような治療、もしくは痛みをとる治療を選ぶのは、苦しむペットを見るという飼い主自身の心の負担を減らすと同時に、治療を行う事によってペットに苦痛を強いているという罪悪感を減らすことにもつながるのではないだろうか。

 

 

2節 ペットの死に立ち会うとは

インタビューの中で吉田先生は「終末期治療とは最期の形をどうするか」と語っていた。それでは、その最期の形として、ペットの死を看取ること、特に、飼い主自身の家でペットの死を看取ることは、どういう意味を持つのだろうか。この節では、ペットの死に立ち会うということについて、分析していく。

まず、看取りというものが、飼い主にとってどういうものなのか。DさんとTさんは、2人ともペットを自宅で看取っている。ペットの死を看取ることができたということを二人はどう感じたのか聞いたところ、以下のような語りが得られた。

 

Dさん:その、自宅で、腕の中で看取れたってのはすごい、良かったなぁって、見てる目の前で名前呼びながらっていうのはやっぱりよかったなぁとは思いますね。

 

Tさん:最期やっぱり一緒にいてあげたいっていうのが、どこでもね、病院でもどこでも、一緒にいるときに死んでもらいたいと思ってた。(林:うーん)(中略)やっぱり、最期の時はキチンと看取りたい。一緒にいてあげなきゃいけないと思ってる。

 

これらから考えると、Dさん、Tさんともに、ペットの最期を自宅で看取ることを望んでおり、そのことを達成できたことに喜びを感じていることが分かる。また、Dさんの語りから、ペットの死を看取ることに一種の使命感や責任感を覚えていることも見て取れる

また、吉田先生はペットの最期を看取ることによる飼い主の抱えるペットロスへの影響について以下のように述べている。

 

吉田先生:結局終末期治療っていったって最後の形をどうするかですよね。病院で迎える方もいらっしゃるし、お家連れて帰る方もいらっしゃるし、やっぱこの間みたいに麻酔入れる方もいらっしゃるし、思うに、やっぱ、最期亡くなる時は、飼い主が見る方がペットロスって少ないんじゃないかなと思う。

 

吉田先生:(終末期治療は)ペットロスの軽減の効果はあると思う。結局、軽減ってなにっていうのは、まぁちょっと動物を追いといてっていうのは申し訳ないんだけれども、結局飼い主の、その、納得の部分の一つなの。(林:うーん)を、増やすんだもん。最後までこれまで自分がやったんだとか、あとは、最終的に看取ることができた。

 

以上の話をふまえると、ペットの最期を看取ることは、飼い主がペットの死に納得し、受け入れるための一つの方法であり、ペットロスの軽減と直接関係していることが分かる。目の前でペットの死を看取り、自分の目で確認することで、ペットの死というものを飼い主自身が受け入れやすくなるのではないのだろうか。また、DさんとTさんとともに、「病院より落ち着く家で死なせてあげたい」と語っており、「自宅で飼い主が見守る中での死」というものがペットにとって、最も良い死だと感じていることも分かる。

それでは、病院は、飼い主がペットを看取ることができるように何か具体的な方策を行うことはあるのだろうか。以下はそのことに関する語りである。

 

吉田先生:だからうちとしてもほら入院してる人とかで、もしかしたら病院で死んじゃうかもしれないってこともあるわけじゃないですか。やっぱできればやっぱおうちで亡くならせてあげたいわけね私たちも。(中略)だからいかに、なんか家でほんとにそのまま手の中で息を引き取ってくれるーその時間帯に、時間帯っていうか残されたそのー時に帰すっていうのがすごい難しい。

 

病院は、ペットが飼い主の自宅で息を引き取れるようにタイミングを計って返すことに一番気を張っている。また、ペットと離れて暮らしている家族がペットの死に立ち会えるように栄養補給を行ったり、延命治療を施したりしているとも語っていることから、病院側も飼い主がペットの死を看取ることができるように気を遣っており、飼い主と同様にペットの死を看取ることを重要視していることが分かる。

そして、塚崎さんも同様にペットを自宅で看取る経験をしており、自宅で看取る事に加えてペットの幸せな最期について以下のように語っている。

 

塚崎さん:うーん、なぜか、私が家にいる日、休みの日に亡くなったんです。で、最期寝たきりやったんで、結構汚れて、拭いてるだけではだめなんで、お風呂いれたんですね。で、乾かして、こう、流動食をちょっと食べて、薬も飲んで、それからなんですって。ちゃんと綺麗にして旅立ったんです。

 

塚崎さん:うん、うん。だって、こう、綺麗にさっぱりして、お腹もいっぱいになって、旅立ったわけでしょう?幸せな最期、ですよね。

 

以上の語りから、自宅で看取るだけでなく、ペットが綺麗な状態で亡くなるという事も幸せな最期の一つであると感じていることが分かる。このように、「ペットの幸せな最期」を演出するというのもペットの死を納得するうえで大事なものなのではないだろうか。