第五章 二種類のいじられキャラ

第一節 「不本意ないじり」から「快適ないじり」への変化

 第四章において、いじられる側には「不本意ないじり」と「快適ないじり」があることがわかった。インタビュイー達は全員、そのどちらも経験していたが、「不本意ないじり」の後に「快適ないじり」を経験しており、順番も共通していた。Bさんは少し異なっているものの、AさんとCさんは「快適ないじり」を経験したことで初めて、かつて自分が受けたいじりを不本意なものであったと認識し、いじりを「不本意ないじり」と「快適ないじり」に区別するようになったと考えられる。そしてインタビュイーの語りから、「不本意ないじり」から「快適ないじり」へと変化する過程は二種類あることがわかった。以下はインタビュイー達が経験した、「不本意ないじり」が終わる過程についての語りである。

 

Aさん:例えば寺生まれでいじられるのは結構嫌だったよ。中学の時のクラスの男子から「お前寺生まれなんだろ?お経読んでみろよ。」って何回も言われてうっとうしかったんだよね。それですごく腹が立っちゃったから、その時覚えてあったお経を五芒星(1きって読んだの(笑)。そしたら最後まで読む前に、相手が「も、もういいよ。」って言って帰ってもらえたんだよね。初めて勝ったよ(笑)。

 

 このAさんの語りから、予定調和を崩し「不本意ないじり」を終わらせる、という方法が挙げられる。それまでAさんは、何度もお経を読めと強要されても、実際にお経を読むことはしなかった。そのためいじる側は自分たちが強要しても、Aさんはお経を読まないと予想して、その上でAさんに対してお経を読むことを強要し、Aさんの反応を楽しんでいたと考えられる。しかしAさんはあえていじる側の予想の逆をいき、お経を読んだ。いじる側は自分たちの予想とは異なる反応をAさんにされたために、その後続く予定だったやりとりが行えなくなってしまった。Aさんによって予定調和が崩されたために、いじる側はいじりを続けることなく帰っていったと推測される。このことから「不本意ないじり」を断ち切るために、予定調和を崩すという方法が挙げられる。

 しかし上の語りには注意すべき点がある。それはAさんが予定調和を崩す方法を行った相手が、あまり親しくないクラスの男子だったという点である。またAさんは「何回も言われてうっとうしかった」と言っていることから、親しくないだけでなく、Aさんの我慢の限界を超えるいじりをしてくる相手であったといえる。

 つまりAさんはいつも「不本意ないじり」を行ってくる、同じ集団に所属する人達に対しては、この方法を行っていないのである。ではいつも「不本意ないじり」をしてくる相手に対して、Aさんはどのような対処を行っていたのであろうか。

 

Aさん:中学の最後の方は、いつもいじってくる人達が行かない高校に進学しようって思ってた。高校まで行って、またあの人達からいじられてたまるかって思ってたから。

 

 Aさんはいつもいじってくる相手とは、異なる高校へ進学しようとしていた。相手との接触する機会自体を無くすことによって、「不本意ないじり」を断ち切ろうとしていた。つまりいつも自分をいじってくる同じ集団に所属する人達に対しては、自ら行動を起こして「不本意ないじり」を断ち切ろうとはしていなかったのである。 

このことからAさんは、我慢の限界を超えた相手に対しては、予定調和を崩していじりを断ち切ろうとしていたが、基本的には「不本意ないじり」を受け入れていた。そのため予定調和を崩すという方法をとってはいたものの、自分の力で「不本意ないじり」を完全に断ち切ることはできなかったといえる。

 

谷崎:高校でのいじりっていつまで続いたんですか?

Cさん:卒業までだよ。

谷崎:止めさせるために何か行動したことってあったんですか?

Cさん:無いね。ただいじりに耐えるのみだった。

 

Cさんは「不本意ないじり」を断ち切るために自ら行動はすることはなく、「ただ耐えるのみ」と語っていた。自分の力で「不本意ないじり」を断ち切ることができなかった点で、Aさんと共通しているといえる。

 

谷崎:その人に「止めて」って伝えたの?

Bさん:言ったよ、言ったけどあの人は聞かなくて。あの人からすればフリかと思ったんじゃないかな?(中略)その時よく話する人がわりと多かったから、そうゆう人たちにいじってくる人の嫌いな所とかをいっぱい話したりした。(中略)好きな人にはいじられていいの。でも嫌いな人にはいじられたくなかった。(中略)だんだんその人がどんな人か見えるようになってから、選別するようになった。なんとなくね。(中略)やっぱり信頼関係が多少なりとも築けてなかったら、多分あんなこと言われたら傷つくと思うし。

 

 Bさんは「不本意ないじり」を受け続けたために、一度は自分からその相手に対していじりを仕掛けたことがあった。しかしこの方法では、相手にとって「不本意ないじり」になってしまうと感じた。そこで「不本意ないじり」を発生させないために、いじる側の選別を行った。「不本意ないじり」をしてくる相手を選別して、いじりを断ち切ろうとしている点では、相手を選んで予定調和を崩すという方法をとったAさんと似ている。しかしAさんとBさんとは、大きく異なる点がある。Aさんは「不本意ないじり」をしてくる相手の中で、Aさんの我慢の限界を越えた相手に対してのみ、そのいじりを断ち切るためにいじりの予定調和を崩していた。一方Bさんは「不本意ないじり」をしてくる相手全員に対して、いじりを発生させないように接触する機会を減らし、「不本意ないじり」をしてくる相手の前では「いじられキャラ」として振舞うことはしなかった。

 Bさんは「不本意ないじり」を止めさせるために、同じ内容のいじりをやり返した。しかし結果として相手を傷つけてしまったと感じ、反省したBさんは、いじる側の選別を行うことで「不本意ないじり」を発生させないようにして、「不本意ないじり」を自力で完全に断ち切ることに成功した。

 このことから「不本意ないじり」を断ち切るために、AさんやCさんのように、いじる側と接触する機会自体が無くなるまでは耐える人と、Bさんのように接触する機会がある状態でも、自ら行動していじりを完全に断ち切る人がいることがわかる。

 

第二節 「いじられキャラ」としての演技の意識         

 AさんCさんとBさんには、「不本意ないじり」を自力で完全に断ち切れること以外にも、違いがあった。それは「いじられキャラ」としての演技をしているという意識の強さである。以下は「いじられキャラ」として演技をしているのかという質問に対しての、それぞれの回答である。

 

Aさん:暇になってくるとすごい構ってオーラを出してるらしいんだ。だから無意識だけど、構ってもらえるためにいじられキャラとして振舞っているかもしれないね。あ、これは人から聞いた話だよ。

 

Cさん:大学の時は残念キャラだった。まあ別にいいかな、これでキャラ立ってるしって。

谷崎:じゃあ残念キャラっぽい振舞いをしたとか、残念キャラっぽい行動をしたことってあるんですか?

Cさん:いやー、そんなことはないよ。元々運が悪いから。

 

 Aさんは意識していないものの、「構ってもらうためにいじられキャラとして振舞っているかもしれない」と語っていた。この語りから、Aさんはある程度「いじられキャラ」としての振舞いを意識しているものの、「無意識だけど」という部分からその意識はそこまで強くはないといえる。

 Cさんも元々運が悪かったため、意図的に残念キャラとして振舞ったことはないと語っている。しかし「これでキャラが立ってるし」という語りから、自分のキャラを全く意識していないという訳ではないと考えられる。そのためAさん同様、演技の意識はあるものの、そこまで強くはないといえる。

 

谷崎:Bさんってわざといじられキャラっぽい振舞いしてるの?

Bさん:だって自分からいじってくれる人を判断して、その人からいじってもらえるように行動して、いじってもらってるからね。わざといじられキャラとして振舞ってるよ。むしろ無意識でいじってもらうための行動する人っているのかな?

 

 Bさんは自分をいじってもらう相手を選別し、その人にいじられるためのフリを行っている。そのため、自分がいじられキャラとして演技をしていることを強く自覚している。

 Bさんは「いじられキャラ」としての演技をしていると強く自覚しているが、AさんCさんは「いじられキャラ」としての演技はしていないと語っている。しかしAさんCさんともに全く意識していないとはいえない。自分が「いじられキャラ」であると自覚している以上、ある程度は「いじられキャラ」としての振舞いを意識していると考えられる。そのためAさんCさんは、Bさんに比べて「いじられキャラ」として演技をしているという意識が低いといえるのではないだろうか。

つまりAさんCさんは「いじられキャラ」としての演技の意識が低く、Bさんは「いじられキャラ」としての演技の意識が高い、という違いが挙げられる。

 

第三節 「いじられキャラ」として振舞う状況       

 AさんCさんとBさんの違いは、もう一点存在する。それは「いじられキャラ」として振舞う状況である。

 

Aさん:高校の時にいつも一緒のグループの中で誰かが落ち込んでたら、他の人が馬鹿な事をして、私が「やめろよー」っていうやりとりをして、それでその子とかその場の雰囲気を和らげようとしてた。

 

Cさん:いじられてた時の方がおいしいなって思う時もあるし。その場が盛り上がるか、だよ。楽しい席で盛り上がるんだったら、そっちの方がいいじゃん。自分もそんなにプライドとかアイデンティティとか傷つけられることもなく、ね。

 

 Aさんはいじりをすることで、落ち込んだ友人の気分を和らげようとしている。ここでいじりを選択した理由は、落ち込んでいる友人への配慮によるものだと考えられる。いじり以外で友人の気分を和らげようとした場合、友人も会話に参加する必要がある。しかしいじりの場合であれば、友人は会話に参加せずに、ただやりとり見ているだけでも参加し楽しむことができる。落ち込んだ友人を無理に会話に参加させることなくその場のやりとりを楽しませるために、Aさんはいじりをすることで、落ち込んだ友人の気分を和らげようとしたのではないだろうか。

Cさんは楽しい場をさらに盛り上げるために自分がいじられることを、「おいしい」と表現している。このことから、Cさんは自分がいじられることで場を盛り上げられることに、喜びを感じているのではないだろうか。

このことより「いじられキャラ」としての演技の意識が低い人は、いじりを場を盛り上げる手段と捉えているといえる。

 

Bさん:いじってくれるのは嬉しいんやけど「喋んな」とかはそんなに嬉しくないんだよね。私構ってほしいから。いじられて嬉しいってゆうのは構ってほしいってゆうのが元にあるからだと思う。(中略)だって話しかけられなかったら、そのグループの人達から「何でいるの?」とか「別にいなくてもいいんじゃない?」とか思われてそうってゆう想像が膨らんで辛いんだよね。

 

 Bさんはいじりをすることで、相手とコミュニケーションをとろうとしている。Bさんにとって相手と会話をしていない状況では、相手は自分の存在を認めてくれていないのではないかという強迫観念にとらわれてしまうためである。そのため「いじられキャラ」として振舞うことで、相手とやりとりを続けようとしている。また以下はBさんが特に親しい友人との関係についての語りである。

 

谷崎:具体的にはどんな感じでフリをしてるの?うーん・・・例えばDさんに対しては?

Bさん:Dさんか。Dさんとは最近すごいゆるい関係な気がする。

谷崎:ゆるい関係?

Bさん:いじるとかいじらないとか、そうゆう関係じゃなくて。普通の友達な感じ。

 

 Dさんとは、Bさんと特に親しい友人のことである。Dさんとはいじりが行われない関係であり、その関係を「ゆるい関係」と表現している。この「ゆるい」という表現から、BさんはDさんとの関係において、何とかやりとりを続けなくてはならないという強迫観念にとらわれることなく、気楽にコミュニケーションを楽しむことができる関係なのではないかと推測される。