第三章 調査概要

第一節 調査方法

 今回の調査では、現在もしくは過去に「いじられキャラ」であったと自覚している若者を対象として、インタビューを行う。

いじりといじめの区別については、いじられる側からだけでなくいじる側からも調査を行った方が、より精密な分析が期待できる。しかしいじりという行為は「いじられキャラ」を不特定多数の人がいじるという構造であり、いじる側には特別な要素や共通点があるとは考えにくい。そのため今回の調査では、「いじられキャラ」であった経験がある人のみにインタビューを行うこととする。

 

第二節 インタビュイーのプロフィール

 この節では3人のインタビュイーが、どのようないじりを経験してきたのかをそれぞれ簡単に紹介する。

                                                                                              

第一項     「中学の時のいじりは嫌だったよ」――Aさん(20代女性 大学生)――

谷崎:Aさんがいじられキャラになったプロセスは?

Aさん:(中学の時に)宿題の手助けとかしていたの。そのうちに「とりあえずAに頼んでおけばいい、Aにやらせよう」って扱いになった。この「Aにやらせよう」の中に無茶ぶりとかが入ってきた。(中略)中学の時のいじりは嫌だった。

Aさん:(高校の時は)無茶振りみたいなのがあるのと、あと、私が馬鹿な事をしたってゆうのを暴露される感じ。(中略)内容的にはもしかしたら中学と高校でそんなに変わってないのかもしれないけど。これ私が嫌だって言ったらいじめだよなって思ってて、まあ(高校でのいじりは)嫌じゃなかったんだけどね(笑)。

 

 Aさんは今回のインタビューで、中学で受けたいじりと高校で受けたいじりについて語っている。Aさんは、中学でAさんをいじっていた人達とは異なる高校へ進学したため、中学と高校でAさんをいじっていた人物は異なる人物である。中学で受けたいじりと高校で受けたいじりの内容には、ほとんど違いが無いと語ったものの、中学で受けたいじりは「嫌だった」と表現し、高校で受けたいじりは「嫌じゃなかった」と表現している。このことからAさんは中学で受けたいじりに対しては否定的で、高校で受けたいじりに対しては肯定的に捉えているといえる。

 

第二項     「いじられることは嬉しい」――Bさん(20代女性 専門学校生)――

谷崎:Bさんが初めていじられキャラとしていじられるようになったのはいつなの?

Bさん:えー、中学かな。自分がいじられるために、あえて怒られるようなこと言ったりしてた。話すことが無くなったら、そうゆうフリをしてた。そうしたら中学の時に、家族のことを馬鹿にしてきた人がいたの。とりあえずいじりに悪意がある感じがしたから嫌だった。

(中略)

谷崎:じゃあ進学とかで、環境が変わってもいじられキャラだったのは何で?

Bさん:あー、最初に言ったもん。自己紹介で「Bです。今までいじられキャラだったので、みんないじってください。」って。

谷崎:じゃあいじられることは嫌じゃないってこと?

Bさん:いじられることは嬉しい。喜び、かな。(笑)

 

 Bさんは中学から、いじられるためにフリを行うようになった。悪意を感じるいじりを受けたこともあったが、その後もBさんはいじられるためのフリを行い続けている。そのためBさんは、中学で一時的に嫌ないじりを経験したものの、そのいじり以外に対しては肯定的に捉えているといえる。

 

第三項     「ほとんどいじめ」――Cさん(20代男性 アパレル店員)――

Cさん:(高校の時は)持ち物にイタズラされたりしてた。ほとんどいじめ。

(中略)

谷崎:大学の時もいじられていたんですよね?それは嫌じゃなかったんですか?

Cさん:うん。嫌じゃなかった。

谷崎:どんな感じでいじられてたんですか?

Cさん:元々運が悪かったから、それで残念な奴だなってからかわれたりした。でもやられつつ、やり返しつつだったよ。

 

 Cさんも進学によって、高校と大学でCさんをいじる人達が変わっている。Cさんが高校で受けたいじりでは、持ち物にイタズラをされるという内容のいじりを受けるようになった。このいじりに対して「ほとんどいじめ」と表現していることから、Cさんはこのいじりを否定的に捉えていると考えられる。大学で受けたいじりでは、Cさんをからかう内容であった。大学でのいじりに対しては「嫌じゃなかった」と表現していることから、肯定的に捉えているといえる。