第六章 考察

 

第一節 リトルプレスが生み出したネットワークの特色

 第二章でレビューした先行研究において、女性のネットワーク型地域活動の事例は、ある社会的意義が認められていた組織に結実していた。女性個人にスポットが当てられるというよりも、女性達が自らをネットワークの中に位置付け、そこから組織活動が展開、継続していくことが女性の地域活動の在り方であり、それは女性の社会進出を後押しするものとしても認識されてきた。

 しかし、本稿で扱ったitonaを通じた一つの女性達のつながりは、女性達がその組織の中に身を投じて、そのネットワーク自体を継続、保持していかなければいけないといったような拘束力であったり、義務感であったり、そうしたものは見受けられない。そのつながりは、地域貢献に向けた活動を女性達が展開するための手段というよりは、むしろitonaによって生まれた女性達のネットワーク自体が、女性達をつなげる目的であり契機となっているのではないだろうか。

明石あおいさんによって生まれたリトルプレスitonaは、明石さんの思いに賛同した19名の女性達により展開されている。明石さんは、会社を設立してから1年後の2012年に、リトルプレスを創刊しているが、語り口を辿ると、リトルプレスを制作したいがためにメンバーを探し、その結果現在のitona女子が集められたわけではない。明石さんが一度切りの出会いではもったいないと思った直感により、女性達と「なにかをする」ためのitonaであり、一つの口実のような役割を成している。きっかけは女性達とつながるための口実かもしれないが、明石さんを中心に完成したitonaという一つのネットワークは、年々深みやつながりの強さを増していることは間違いない。それは、女性達と「なにかしたい」という気持ちがitonaを生み出し、一度きりの発刊に終わることなく、定期的な集まりを重ねて、号数を増やしている点から窺うことができる。明石さんも語っていたが、リトルプレスというきっかけがなければ、19名という人数の女性達が共に何かを行う機会は、なかなか難しいであろう。

さらに、明石さん自身の思いにより完成したネットワークだが、それが今後どうなっていくのか、認識の仕方は様々なようだ。明石さんにitonaの今後の展望に関して聞いたところによれば、10号目まで発行し続けることが目標としてはあるようだが、次の世代に自分達の活動を引き継いでいくことも、視野に入っている。一方で、宮下さんの語りにも注目したい。彼女は、itona女子をいつかは引退することを考えており、その背景には自分が抜けたとしても、誰かが引き継いで新たなメンバーが生まれることの想定や、人が流動することで生まれるitonaの変化への期待が込められている。この2人の語りからは、itonaの現在の姿に固執することなく、むしろitonaを引き継ぐ人が出てくれば受け渡していく可能性もあるような、リトルプレスの活動を次世代につないでいくものとして捉えている様子が読み取れた。やはりこれは、itonaのネットワーク自体というよりも、明石さんが魅力的な女性達とつながりたいという欲求が、最優先されてつながりが形作られている、itonaのネットワークがもつ特徴ではないかと考える。ネットワーク自体の存続やそこに属することへの義務がなく、女性同士のつながりが重要視されるこのネットワーク型活動は、大変自由で緩やかなものであると捉えることが可能だ。それは、編集会議の在り方や原稿の揃い具合等にも頷ける。発刊される度に行われる編集会議といっても、必ず参加しなければいけないといった強制力はない。忙しい時であれば、自分の本業の方に集中できる環境が整っており、参加しないからといって、互いに不平や不満を言い合うことはない。実際、明石さんも本業があるため、リトルプレスの制作のみに時間を割くことは難しい状況に置かれている。

原稿の揃い具合に関しても、同じく拘束力のようなものは作用していない。明石さんも語っていたが、メンバーの原稿が揃わない理由としてあるのは、一見子供じみた理由である。だが、それは許容される場合もあり、それだけメンバーの本業の仕事が優先されている面があり、むしろ自分達の仕事に一生懸命に取り組みながら、普段どのような生活を送っているかを、誌面に体現することが目的の一つとしてあるように思われる。集まるタイミングの自由さ、そしてitonaのネットワーキング型活動に、決して拘束されない女性達の姿からも、ネットワーク自体がもつ緩やかさが垣間見え、これは本稿事例のもつ一つの特徴として捉えられる。

そしてこのitonaの場合、これまでの女性のようなネットワーク型活動を通した地域活動とは異なり、個人個人にスポットを当てた場合に、参加したことによって、まずは個人がその恩恵を受け取っているのである。その具体的な様子は、釋永さんと宮下さんの語りから、読み取ることが可能であった。これに関しては、さらに次節で述べる。

 


 

第二節 itonaが起こす執筆者、読み手への影響

 ここではまず、itonaのネットワーク型活動が引き起こす、執筆者各々への影響について考察する。第五章で詳しく見ていった、釋永さんと宮下さんという2人の女性。2人の語りから読み取れたことは、リトルプレスを通じたネットワーク型活動に参加したことで、彼女達が各々の普段の活動の中において、何かしらの恩恵、影響を受けていることである。  

釋永さんの場合は、主に二つの影響が表れた。一つ目は、自身が行う茶会において、ありきたりな茶会にしたくないといった、自身の意向に沿った茶会を完成させるため、松井さんそして豊田さん、二名のitona女子の力をそこに反映させたことである。これは釋永さんがitonaを通じて知り合えたことで、新たな取り組みを展開できたことを示している。

さらに二つ目は、釋永さんにとって、地域との関わり方を改めて見直すきっかけになったということだ。語りの中にもあったように、彼女の場合、リトルプレスの制作への関わりが、地域活性化に目を向けるきっかけとなっている。携わる以前は、自身の作陶活動に没頭する毎日であり、地域への関わりも全くないに等しかった。だが今は、itona以外に彼女がもっているかなくれ会のネットワークも活かし、自身の手掛ける越中瀬戸焼の魅力を、地域の人々と関わり合いながら外に伝え、それが地域の財産として、住む人の愛着の一つとして認識してもらえるよう奔走している。このように、立山町に伝わる越中瀬戸焼を制作する一人の陶芸家が、地域が抱えている問題に向き合い、自身の力を地域に還元したいと思うようになったことは、地域側にとっても一つの財産を得たと捉えることが可能ではないだろうか。文章と写真を通し、外に向けて発信できる立場になったことが、釋永さんのそれまでの意識を変え、実際の取り組みにまで結びついたのである。

一方で宮下さんには、釋永さんとはまた異なった方向で、影響が及んでいる。itonaを読んだ一人の若者が宮下さんのことを知り、実際に会いに来た。その後、具体的なビジネスや社会変革という形にまで発展している。宮下さんも語っていたが、リトルプレスに自身の感性を表現したことが、読む人に影響を及ぼしたのである。ここまで見ていると、リトルプレスが起こしている影響は、執筆者の女性達個人にのみ及ぼされると思われるが、宮下さんの事例にあった若者のように、itonaの読み手にも少なからず影響はもたらされている。

itonaは地域の魅力を、読者に発信する媒体として制作されているが、その読者には、明石さんが想定した方達ももちろん含まれている。それは、Uターンへの興味はもっているけれど、田舎に帰ったところで仕事はないだろうと、なかなか行動に移せず、足踏みしている方達を指す。確かに、都会と田舎を比較してみても、田舎は就業の場所も機会も少ない。しかし、そういった方がもつ故郷への認識は、あくまでイメージであり、実際に就職活動を行ったわけではない。そういった明石さんが読み手として想定した方に、「現にUターンをした人が、このように生活している」という自身にも投影できるイメージを、itonaの誌面は発信しているのではないだろうか。

 よく目にするような富山県の一般的な情報誌であれば、美しい景色や美味しい食べ物、住みやすさがこんなにありますといった、簡単な紹介のみで終わってしまうことは少なくない。それとは異なりitonaは、富山にある食べ物を女性達がどう食べているのか、景色をどんな風に見ているのか、どんな環境に住んでいるのか等に、重点が置かれている。そしてそれは、いわゆる「流行り」の情報ではなく、女性達が日々生活の中で感じている平凡で日常的な、しかし色褪せることのないものである。これは、明石さんの語りにも出てきた「関係情報」(第四章第四節第二項 p.29)にも相当するだろう。明石さんから、自分達をさらけ出して書くことを女性に依頼しているため、おのずと景色や特産品を紹介するだけでは終わらないものにはなるはずではある。そのように紹介するだけでは終わらない、女性達が富山でどのように生活し、富山の風土をどのように受け止めているのかといった、一人称的な語りが、明石さんが想定した読者層の背中を押し、時にはUターンへつなげているのではないだろうか。itonaを読み、富山に帰ることに拍車がかかったという林口さんが、それを体現している。このようにitonaのもつ、他の情報誌にはないような、個人にスポットを当てた語り口は、読む人にとっても少なからず影響を及ぼしているのである。

 ここまで述べてきたように、itonaはネットワークに属する執筆者個人に留まらず、その読み手にも変化をもたらしている。

 


 

第三節 itonaとビジネス、そして女性

 最後にitonaとビジネスとの関わり、そこに女性の力が反映されていることについて、考察する。これまで、明石さんが女性達と作るリトルプレスがもつ特徴として、その女性達のネットワーク自体の緩やかさや、個人個人そして読み手に及ぶ影響について述べてきた。だが、itonaにはもう一点、他の情報誌には見られないような大きな特徴がある。それは、広告が一切含まれないということだ。広告が入るということは、紹介するお店であったり場所であったり、取材先の発信してほしい情報が優先になってしまう。先程も「関係情報」について論じたが、明石さんは、女性達自身の目線で語る富山の姿をリトルプレスで表現することに重点を置いており、一般的な情報誌のように読んだ人がその場を訪れ、お金を使って消費することを望む意図は、あまり感じ取れない。むしろ読み手の購買意欲を掻き立てるような内容の中で、原稿自体が執筆されていないのである。またそのように、itonaが人々の購買意欲やビジネスといった面に対して、一線を引いているように感じるのは、もう一点理由がある。それは明石さんがitonaを、すぐに利益が出なければ価値がないものとしては認識していないことだ。毎月販売される雑誌や出版物は、次々と新しい号が出て、それがお店に並ぶ度に古い物が入れ替えられていく。そのため、短期間にどれだけの量が売れたのかということが、利益を出すためにも重要視される。しかしitonaはそれと相反しており、短期間で売れなかったとしても、それ自体が、号数が増えてもそれぞれ色褪せることなく、長期間かけて、少しずつ利益につながることが期待されている。

 もちろん、itonaは見た人の消費意欲を掻き立てる面とは、必ずしも無縁ではいられない側面ももっている。例えば誌面の中には、旅行案内業を勤める久保田さんの、富山のおすすめのスポットを紹介した観光を促すようなものもある。またおいしいごはんが食べられるお店や、地元の特産物を紹介している内容も、他の女性の文面に含まれており、それらを読んだ人が、購買意欲を全く掻き立てられないとは言い難い。しかしそれは決して、見た人に絶対来てほしいといった語り口で紹介されているような過度なものではなく、広告のないitonaの世界観にも合致した、一人称的なさりげない語り口が特徴になっている。

 さらに、明石さんが魅力的と感じる女性達もまたitonaと同様で、お金を消費するような面と一線を置いている部分があるように思う。明石さんは、男性ではなく女性の視点に注目していることに関して、立石さんの例を挙げていた。(第四章第二節第六項 p.23)立石さんは、休日に子供を連れて大型ショッピングセンターに行くような、よく見かける家族の過ごし方をしつつも、富山地方鉄道で宇奈月まで行って帰ってくるといった、富山ならではでもあり、そこまで多数派ではないような過ごし方を、休日に子供と一緒にしている。この立石さんと比べ、多数派として挙げた大型ショッピングセンターの過ごし方は、やはり何かを買う、お金を消費するといったイメージが付きまとう。加えて、立石さんと相反する姿として挙がっていたのが、非日常な世界に重きを置いている男性の姿である。それは車であったり家であったり、それらが手に入ったことが生活の中の喜びであり、楽しみであることだ。これは、itonaが作る世界観とは対極にあるスタイルともいえる。むしろitonaの中にある女性の世界観は、何か新しいものを得て、刺激をもたらすような生活というよりも、身の回りにあるものに価値を見出し、喜びへと変化させている女性達の姿ではないだろうか。車社会の富山といわれる中で、富山地方鉄道の新たな楽しみ方を見出している立石さんであったり、日々口にする食事のことをFacebookで外に発信している方であったり、こういった生活の営み方が、毎日の暮らしに丁寧に向き合っているという、明石さんの語りに合うような理想の形であり、新しいものを手に入れて生活に潤いを見出すものとは、対極にあるものと思われる。

ただし、車や家といった、お金を消費して何かを得、喜びを見出すのが男性と言い切ることまではできない。また今回の調査データのみで、日常の中に新たな楽しみ方を発掘しているのが、必ずしも女性だけとも言い切れないであろう。そのためはっきりとは言えないが、itonaの女性達、つまり明石さんの周囲にいる女性達は、少なからず後者の生き方ないし世界観を体現しているのではないだろうか。富山と比較し、確かに都会は刺激的な場所ではある。しかしながら、そういった場所での生活を経て、富山にUターンし、富山の食の味を普段どう味わっているのか、日常で目にする立山連邦の景色をどのように眺めているのか、雪国と呼ばれる富山での暮らしは実際どうなのか等、そういった情報を発信するitona女子ならではの語りは、地域の魅力を外に伝え、帰ってくる人を後押しする役割を確かに果たしている。itona女子の、富山の魅力ある日常性の語りは、女性ならではとまではいかなくとも、明石さんを取り囲む女性達ならではのものである。

彼女達の視点で描く富山の姿が、今後も読んだ人に影響を及ぼし、またitonaのネットワークを基に結び付いたことで、itona女子の活動の幅がさらなる広がりを見せていくことを期待したい。

 

 


 

第四節 結論

これまでの研究で語られていた女性の地域活動は、以前の経験を活かした自由なネットワーク型活動と主張しながらも、そこには社会的な意義や評価が既に定まった組織を前提にしていたように思われる。このような女性のネットワークと比較すれば、itonaのような事例は、その枠組みに入らない別種のものであるかもしれない。だが、今後女性の地域活動を捉えていく上で、itonaのような事例も、視野に入れるべきものと思われる。外から見れば、itonaという1つのネットワークであるが、中を開けてみれば、そこには個人個人がそれぞれの本業に取り組み、刺激し合い、個人の姿を尊重する姿がある。このような地域活動は、参加する女性達の魅力を、今後さらに引き上げていくことであろう。

 

 

 

 

 

 

謝辞

 本稿を作成するにあたり、インタビューに快く応じてくださった明石あおい様、釋永陽様、宮下直子様には心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。