第二章 先行研究のまとめ

 

第一節 地域活動とは

鄭(2000)は、地域活動に目を向ける者の多くが女性と高齢者であることを踏まえ、「なぜ男性よりも女性が地域との関わりが多いのか」といった関心を、女性が家庭から地域社会へと活動の幅を広げた変遷を辿り、明らかにしようとしている。

一口に地域活動といっても、具体的にはどのような活動を指すのか、明確には鄭(2000)において定義されていない。しかし示された事例を見ると、高齢者、介護者問題や環境問題等、その地域内の問題を見直して解決方法を探っていくような「地域社会に貢献する」要素が含まれているように思われる。さらに地域社会といった、「地域」が付いている表現からは、エリアが限定された社会のことを指しているといえる。

以上の点から、本論文では地域活動を「限定されたエリアの中で、地域に貢献する目的で展開している活動」と捉える。

 後で詳しく紹介するが、本稿において調査事例として扱うリトルプレス『itona』もまた、上記に示した地域活動の中に含まれると捉えることが可能と考える。このリトルプレスの活動は、一名例外を除いた富山県在住の女性達により、彼女達自身が感じる富山の魅力を自ら県内で取材し、誌面に表現している。このことは、地域活動の条件にあるエリアの限定性に当てはめることができる。またこのリトルプレスは、編集長の明石あおいさんという一人の女性がきっかけとなっているのだが、彼女が想定した読者層として、「田舎を出て都会で生活を営みながらも、どこか故郷への懐かしさを捨て切れず、Uターンを希望しながらもなかなか踏み込めない方」が含まれている。そのような思いを抱く方へ、itonaは、実際にUターンをして地域に住んでいる方から、生活者としてのイメージを発信する媒体にもなっている。さらにUターン希望者に決して限定することなく、富山の魅力を県内外に向けて発信している面からは、地域社会へ貢献しているという要素を窺うことができる。   

エリアの限定性、そして地域への貢献という要素が読み取れることから、リトルプレス『itona』の活動を地域活動に位置付ける。

 


 

第二節 女性の地域活動の変容

鄭(2000)は、1980年代を、女性の地域活動に変化が表れた一つの契機として捉えている。それまで女性達は、地域において公民館等を拠点とし、趣味・学習・スポーツといった個人的な活動から、ボランティア、地域福祉、消費者運動、住民運動等のような、社会的な活動までを展開してきた。

しかし1980年代以降、女性達の地域活動には質的な変化が起こる。「女性たちは、地域活動での経験を生かし、地域への貢献と自らの経済的自立とを結び付けたネットワークを新たに形成するようになってきたのだ」( 2000: 67)。鄭は、この女性達の地域活動の広がりを、具体的な女性の活動家のインタビューを元にまとめているのだが、その中において「ネットワーク」は、「女性達が仕事の幅を広げていくための一つのコネクション」と捉えられている。その内の事例2つを紹介したい。

一人目の女性は、結婚を機に建設会社の仕事を退職。だが、家庭の中にいるだけでは社会的な視野が狭くなってしまうため、仕事を始め社会貢献がしたいという気持ちを抱くようになる。そこから、病院内の入浴ボランティアや給食部門のパートタイム等の仕事を経て、福祉活動に関わるようになり、頭角をあらわす。お年寄りの世話をする宅老所を作る活動を進める中、阪神大震災が発生し、そこで新たな問題意識が生まれたことから、社会福祉法人の立ち上げまで活動の幅を広げた。この女性の場合、知人の紹介や、仕事の中で違う業種の仕事をしている方との出会い等から、活動が次々に展開していったことが読み取れた。そこから、それまでの仕事や経験の中で生まれた人間関係が、新しい仕事へ関わるきっかけとなり、かつこの女性の活躍を促進する要素として働いているように思われた。

二人目の女性も、以前は保母として働いていたのだが、結婚を機に退職。しばらく育児に専念した後、地域ネットワーク組織等を通して地域活動を始めたことで、社会への問題意識を抱くようになる。その後、自身の適性に合うという理由から、ワーカーズ・コレクティブに携わるようになる。その働き方や職種に魅力を感じたことで、自身も介護、育児支援を事業とするワーカーズ・コレクティブを設立。地域活動の中で目的を掴み、仕事において人と接する中に情報を得、能力開発に取り組んでいるようだ。この女性においても、所属するネッワークが一つの糧となり、社会参加に結び付いていると感じられた。

これらの事例から、地域活動は女性達にとって、地域貢献の場のみであらず、それまで形成してきたネットワークや積み重ねた経験、知識が、新たなビジネスを展開する上での一要素として作用しているように感じられる。その上で鄭(2000)は、「いまや地域活動は女性に課せられた義務というより、女性が自らを活かす機会を与えるものと認識されるようにすらなっている」( 2000: 72)とまとめている。

 


 

第三節 コミュニティ・ビジネスの視点で捉えた地域活動

鄭(2000)により、女性の新たなネットワーク型活動が、女性たちの活動を地域から社会へ広げる一要素として作用すると主張される一方で、栄沢(2007)は、女性が起こす地域活動をコミュニティ・ビジネスの一環と捉え、新たなネットワーク形成の流れと位置づけている。コミュニティ・ビジネスとは、「地域コミュニティを基点にして、住民が主体となり、顔の見える関係のなかで営まれる事業をいいます。またコミュニティ・ビジネスは、地域コミュニティで眠っていた労働力、ノウハウ、原材料、技術などの資源を生かし、住民が主体となって自発的に地域の問題に取り組み、やがてビジネスとして成立させていく、コミュニティの元気づくりを目的とした事業活動のことです。」(細内 2010: 12)と、提唱者の細内信孝は定義している。それに期待される効果の一つとして、「地域文化の継承・創造(地域団体と地元企業を結びつけ、人々の交流を促す、ノウハウの蓄積、さらに多様性の受け入れにも期待)」が含まれている。

栄沢はコミュニティ・ビジネスの一事例として、配食サービスやデイサービス、地域通貨等を通して、大阪府吹田市で地域活動を行っているNPO団体、友−友(ゆうゆう)を取り上げている。これは、一人の女性の代表理事により始まった取り組みである。昼間一人で団地に閉じこもる高齢者が地域の人々とのつながりを失くしてしまわぬよう、高齢者と昼食をとる機会を設けたり、地域の魅力ある人財を生かすため、地域で活躍している人の講演会を開いたりしながら、地域内にある問題解決のため始まった事業が、徐々に活動の規模、内容を変化させた様子が述べられている。友−友は、活動の中で主婦も登用し、地域の人材資源を活用しているそうだ。

その上で、栄沢(2007)は、コミュニティ・ビジネスの新しい社会関係の形成として、佐藤(1996)に依拠しながら着目している。その新しい社会関係とは、「プライベートな関係や功利主義的関係を越える、自立した人間同士の自由・平等な対話的・共感関係」を指し、それを可能とするのが、ボランタリー・アクションであるという。しかし他方で、その善意を生かし、地域の必要とするサービスを受益と負担のもとに提供する、安上がりな住民動員に堕としかねないと懸念している。さらに無償労働の制度化も危惧し、地域活動の有償化への必要性を主張している。

 

 


 

第四節 女性のネットワーク型活動

鄭(2000)、栄沢(2007)ともに、これまでの女性によるネットワーク型の地域活動を、女性の活躍の幅をさらに広げ、また女性の社会参加を後押しするものとして捉えている。しかし、女性達が築き上げたネットワークが、どんな効果をもたらしたのか、不明瞭な点があるように思われる。鄭の女性の活動家の事例を見ると、以前の仕事や経験の中の人間関係が一つの元手となり、「新たな仕事を始めた」、「ワーカーズ・コレクティブを立ち上げた」というように、それらが社会的な意義をもつ結果として表れていることは分かる。だがそこからは、女性達の築いたネットワークが一つのきっかけになったことのみで、それがどのようにその後の地域活動に影響し、活かされたのかまでは言及されてはいない。さらに、栄沢が事例として挙げたNPOの活動において、地域の人々が、労働する中で人との出会いを喜び、学び合うと共に、地域の人材として活かされていることは分かる。しかし、参加者が自身の属するNPOという一つのネットワークに対し、どのような思いを抱いているのか、参加者自身のことは浮彫りになっていない。つまり、女性の地域におけるネットワーク型活動は、これまで社会的な意義や結果を生み出す枠組みでしか捉えられておらず、そこに携わる女性達各々に何がもたらされるのかまでは、十分に焦点が当てられていないのではないだろうか。

筆者が本稿で扱う活動事例は、女性達の活躍を後押しし、社会的な評価を得られることにつながる以前に、活動に関わったことで、女性達各々にまず好影響をもたらし、そこからその影響が地域にも広がっている様子が読み取れた。

女性達にとって、ネットワーク型活動とは、一体どのような効果をもたらすものなのか、そしてそれは本当に、女性達の活動を後押しする要素を含んでいるのか、明らかにしていきたいと思う。さらに、活動に携わる女性達が、自身の属するネットワークに対し、どのような認識を持って活動しているのかにも着目したいと考えている。