第五章 考察

第一節 二次創作としてのコスプレ

撮影会や合わせでは、原作では存在しないシーンの撮影や原作では接点のないキャラクター同士での撮影が見られることもある。漫画やアニメのキャラクターが生きているとしたらどんな生活を送っているのか、スポーツ少年漫画のキャラクターたちはどのような学生生活を送っているのかなどを想像し、コスプレ写真を撮っているという語りがインタビューで見られた。このように、コスプレイヤーたちは原作に対するそれぞれの解釈を写真に反映させている。また、コスプレを始めたきっかけやコスプレ名刺についての語りで見られたように、イラストや小説などの創作行為の代替手段としてコスプレを扱っているコスプレイヤーがいる。原作に対する自分の解釈をコスプレ写真で表現していること、コスプレを創作行為として扱っていることから、コスプレはイラスト、小説といった形で表現することと同じ、二次創作活動のひとつと捉えることができる。

では、コスプレとイラスト、小説などのその他の二次創作活動の違いとはなんだろうか。まず、コスプレは自分自身の身体を使って表現しているという点が大きな特徴である。そのため「写真」という作品を作り上げる際、他のコスプレイヤーやカメラマンといった、自分以外の創作者と顔を合わせる必要があり、また面と向かってコミュニケーションをとることが可能である。インタビューでは、撮影時にコスプレイヤーとカメラマンがキャラクターに対するそれぞれのキャラクター像を言い合い、意見をすり合わせながら写真の構図やポーズを決定するという流れがあると語られていた。自分ひとりで作品を作り上げるのではなく、他のクリエイターと話し合い、即興的に作品を作り上げていくことが創作活動としてのコスプレの特徴のひとつである。

 

また、他者との関係が作品作りに直接関係するという点も、創作活動としてのコスプレの特徴である。今回の調査では知り合いが主催、参加している合わせや撮影会に主に参加しているという語りが見られた。このような参加基準を持っているコスプレイヤーが多いのならば、もし自分が合わせを主催しても知り合いが少ないと参加人数が集まらない場合もある。コスプレイヤー自身で表現できるキャラクターは同時には1人であり、複数のキャラクターを表現したいのならば自分の他にもコスプレイヤーが必要となる。そのため、自分が撮りたいキャラクターのコスプレをする人がいない、自分の撮りたいコスプレ写真が撮れないということも起こりうる。

コスプレを二次創作の一種と捉え、撮影を重視している一方で、Kさんがコスプレを「交流で成り立っているジャンル」と表現していることなどから、コスプレにおいては他のコスプレイヤーとの交流が重要視されていることがわかった。キャラクターの選考や衣装制作といった、一見個人的な営みに見えるプロセスにおいてさえ他のコスプレイヤーの存在が垣間見え、コスプレにおける他のコスプレイヤーやコスプレイヤー同士の交流の占める割合の大きさがうかがえる。

交流が重要視されているのは、コスプレが一人では成立しない文化だからだろう。「衣装を着てその写真を撮る」という行為は、三脚やスマートフォンのインカメラなどを利用すれば自分一人だけでもできるかもしれない。しかし、コスプレを二次創作と捉えて活動しているコスプレイヤーにとっては写真は「作品」なのである。それはコスプレを創作活動をするためのイラスト、小説などの代替手段と捉えている点、コスプレ写真を使用して作るコスプレ名刺を「作品」と表現している点、自分なりの作品やキャラクターに対する解釈を写真で表現している点などから読み取れる。また、前述したように知り合いが参加している撮影会に参加するコスプレイヤーが多く、コスプレでは他者との関係が作品作りに直接関係する。「作品」としての写真を撮るために、一人での撮影は制限が多いため、コスプレイヤーは他のコスプレイヤーとの交流を重要視しているのだろう。

では、全てのコスプレイヤーがコスプレを二次創作として扱い、原作、キャラクターの論評、解釈を表現するためにコスプレをしているのだろうか。この点について次節で考察を行う。

 


 

第二節 コスプレに対する2つの志向性

 コスプレを二次創作と捉え、コスプレでキャラクターを表現したいと考えるコスプレイヤーがいる一方、それとは違う考えでコスプレ活動をしているコスプレイヤーも存在する。第四章第五節第一項で述べたように、キャラクターに対する愛が感じられるコスプレイヤーと一緒に活動したいAさんと、一緒に活動する相手の見た目を重視するコスプレイヤーとが同じグループ内にいるため衝突が起きている。Aさんは、自分とは考え方の違うコスプレイヤーについて次のように語っていた。

 

A:レイヤーって…まあだいたい2種類いて。ちらっと話したけど、その世界しかない人と、よそにも世界がある人がやっぱりいるわけで。

 

コスプレイヤーは大きく、コスプレの世界しか持っていないグループとコスプレ以外の世界も持っているグループに二分されるという。

 

A:そのキャラが好きだからやるんじゃなくて、その衣装が好きだからやるとかもやっぱりいるわけであって。その、着てちやほやされたい?そのキャラとしてちやほやされたいから着る。だから、キャラ主体じゃなくて自分主体でやってる人ももちろんいるわけで。その、コスに対する考え方の違い?まあある種それが他に世界があるかどうかっていうところなんだとは思うんだけど。それでの衝突ももちろんある。

 

コスプレに対する志向にはキャラクターや原作への愛情を持ち、それを表現するものと、かわいい衣装を着てもてはやされるものの2つがある。インタビュイーの言葉を借り、以降、前者の志向を「キャラ主体」、後者の志向を「自分主体」と呼称する。

この2つの志向はそれぞれ対極に位置するのではなく、グラデーションのように混ざり合い、段階的に存在していると考えられる。また自分主体志向のコスプレイヤーと、コスプレ以外の世界も持っているコスプレイヤーの層は重なっていると言う。Aさんが女性キャラクターのコスプレを避ける理由に、周囲から自分主体志向のコスプレイヤーだと誤解を抱かれる可能性を挙げていた。このことから、キャラ主体志向が強いコスプレイヤーは、自分主体志向のコスプレイヤーと同一視されることを望んでいないと考えられる。


 

第三節 2つの志向性の同居

 コスプレイヤーの活動内容の調査から、コスプレには2つの志向性があることがわかった。1つは作品、キャラクターが好きで、その想いを表現するためにコスプレする、「キャラ主体」である。コスプレ写真を「作品」と捉えているのも、この志向性が強いコスプレイヤーだろう。もう1つは可愛い衣装を着ること、周囲から称賛を得ることを望む「自分主体」である。キャラ主体志向のコスプレイヤーは、自分主体志向のコスプレイヤーと混同されることは避けたいと考えているようだ。

コスプレの志向について、Twitterでは以前このようなツイートが注目を集めていた。

 

@rnrnrkmk2015/8/7 20:03

最近、「わたしのコスプレ」じゃなくて「コスプレをしたわたし」を全面に出してくるレイヤーさん増えた気がして

 

@rnrnrkmk2015/8/11 8:37

別にメイクが下手とか衣装が既製品とか言ってるんじゃないよ。レイヤーとしてではない自分自身の人気をあげるためにコスプレを利用してる人が増えた気がするねってことだよ。そしてそれを否定する気もないけど、半分商業レイヤーと完全趣味レイヤーを区別する言葉が生まれたらいいのにって思うよ。

 

「半分商業レイヤー」と自分主体志向のコスプレイヤー、「完全趣味レイヤー」とキャラ主体志向のコスプレイヤーはほぼ同じ意味と捉えていいだろう。元々はキャラ主体志向のコスプレイヤーがほとんどだったが、近年、自分主体志向のコスプレイヤーが増加してきている。志向性の違うそれぞれのコスプレイヤーを区別する言葉がないため、特にコスプレ愛好者以外から、『コスプレイヤー』としてひとまとまりにされているのが現状である。

キャラ主体志向の強いAさんは「キャラクターに失礼のないようなコスプレをする」と語っており、原作やキャラクターへの想いがうかがえる。「自分のなかのキャラクター像を表現する」ことに真剣に取り組んでいる。一方で、自分主体志向のコスプレも「自分」を表現するための行為であり、表現する対象が違うもののキャラ主体志向のコスプレと同じ「創作行為」である。

『コスプレ』という創作行為の内では、表現する対象が違う、2つの志向性が同居している。コスプレ愛好者以外からより強い注目を集めているのは、キャラ主体志向のコスプレイヤーよりも自分主体志向のコスプレイヤーだろう。本人たちも注目されることを望み、そのために自分を最大限魅力的に見せるための衣装やメイクを選んでいる。しかし、多数派なのはキャラ主体志向のコスプレイヤーである。原作、キャラクターと真剣に向き合っているコスプレイヤーの情熱や写真撮影を通しての創作活動にも注目されることを期待したい。