第六章 分析

 二つの調査から「筋骨めぐり」の特徴を観光資源と観光スタイルという2点で抽出する。

 

第一節  「筋骨」という観光資源ついて 

 

 「筋骨めぐり」の最大の特徴は,地域を観光資源として内側から体感できるということである。この際の「内側」とは,観光客自身が住民生活と距離を同じにして,筋骨を通して繰り広げられる住民生活の様相を住民と同じ目線で眺められるという意味である。「筋骨めぐり」と呼称されるものの,その本来の目的は「筋骨」と呼ばれる生活道を辿りながら,宿場町としての繁栄を築いた金山地区の面影や,この地の持つ「昭和を感じさせる懐かしさ」に触れることである。国道41号線から一歩足を踏み入れると,そこには平屋の木造家屋が連なり,歴史を感じさせる銭湯が当時のまま残り,ツアー参加者の発言では「映画のセットのような風景」と表される様に,筋骨を取り巻く住民の生活空間が多くの魅力を備えた状態で現存している。銭湯を見学した時の,「この町はどこも繋がっていて取り壊せない」という岡戸さんの言葉に代表されるように,銭湯が住人の居住区域と屋根ひとつで繋がっていることで取り壊されなかったという事例をはじめ,多くの家屋がこのようにして現在まで取り壊せない状況にあったことが結果として魅力を存続できた理由である。

 そして,こうした魅力ある家屋を観光スポットとして結んでいくためのルートが,金山地区には「筋骨」という形で図らずも用意されていたのである。ツアー参加者は,まず初めに,「筋骨」の入り口の狭さに驚く。人が一人で歩く分の幅しかない場合がほとんどで,

参加者は「迷路のよう」と道が入り組んでいる様子に驚嘆する。また,「筋骨」を辿っていくと,様々な生活の風景が見えてくる。天日干しされている布団や,網戸の中から聞こえてくるテレビの音など,「住民の生活を覗き見ているみたい」とツアー参加者が表したように,近距離で住民の生活を感じ取れることがその懐かしさをさらに増幅させている。

「筋骨めぐり」に参加する観光客は,この地域の持つ歴史的な側面や,昔の情緒ある家屋の懐かしさを求めやってくる。つまり,多くの観光客が目的としているのは,「筋骨」の稀有さや歴史ではなく,そこにそびえ立つ「家屋」と「住民の生活」を目の当たりにすることである。しかし,観光資源として「筋骨」ではなく,「家屋」にスポットを当てていたのなら,他地域にも残る古めかしい建造物を見学する観光と変わりなかったであろう。

金山地区では,「筋骨」という住民の生活を繋ぐ媒体が,住民の生活を作り上げてきたともいえるほど密接に関係しており,「筋骨」を巡ることが住民の生活を体感することに直結している。観光資源として捉えられた「筋骨」が「古めかしい家屋」と相乗効果的にまちの魅力を増幅させており,ツアー観光として成立したと分析する。

 

第二節  「住民ガイド」を採用した観光スタイルについて 

 

 「筋骨めぐり」が観光商品として成り立った要因は,「住民ガイド」の存在に依るところが大きい。入り組んだ「筋骨」を巡るには,観光客のみの力では難しくガイドを必要となる場合があるが,これだけではなく様々な金山地区に関する実体験を基にしたエピソードを住民自らの言葉で自由に伝えられるということが,最大の魅力であると言える。こうした「ツアーガイド」に関する取り組みは,多くの観光地で採用され実際に取り入れられているが,金山地区の「住民ガイド」は,他のものとは明確な相違がある。それは,「マニュアルがない」ということである。「マニュアルがない」ことに関して,ツアーガイドも務める浅井さんは,観光客は金山地区の歴史などに興味を持つことは少なく,浅井さん自身の持つエピソードを織り込みながらガイドするとツアー客の反応が良かったという実体験を話された。

ツアー開始初期には,浅井さん自らが「ガイドマニュアル」を作成したが,こうした経験を経て,現在では大まかな説明するスポットをガイド同士で確認するだけで,ほとんどは住民ガイドの裁量に任せている。ツアーガイドを何度も経験することで,ツアー客の反応を見極めることが出来,最適な話題を客層などから判断することもできる。このことが,ガイドを形式化したものではなく,住民ガイドとツアー客との相互の関係を可能にし,面白味を増幅させていると言える。

 こうした,住民ガイドを採用するきっかけとなったのは,ツアー開始初期に団体でのツアーの申し込みがあり,ガイドの増員を迫られたことにあるが,この時,ツアーに関して否定的な意見を持っている住民をもガイドとして起用するよう岡戸さんと浅井さんで話し合い,ツアーに対して協力的な立場に引き込んだと話されている。幅広い住民の協力を得るような構図を作り上げ,結果として増員させたガイドがさらに周りを巻き込んでいく形で現在のガイドメンバーの登録者数25名まで増員できた。

さらには,住民ガイドに登録していない地域住民が,自発的に資料を持ち込みガイドで使用できないかと提案してくる事例も増えた。多くの住民を巻き込んでツアーを作り上げた結果,住民の不満を消滅させ,住民を巻き込んで協力的な姿勢を生むことが出来たと言える。