第五章 インタビュー調査

 

第一節 調査概要 

 

「筋骨めぐり」が観光商品として成立していく過程において,観光商品化を可能とした要因を混淆商品として成立していく過程から見つけ出すことを調査の目的とする。

 金山地区の筋骨を観光資源として発掘し,観光ツアーの商品として形成していくその過程についてのインタビューを計三回行った。第一回調査では平成27819日に飛騨金山駅構内の金山町観光協会事務所において金山町観光協会の岡戸孝明さんに,第二回調査では,同年1024日に神具店「フジヤ」の店主で住民ガイドも務める浅井哲彦さんに,第三回調査は,同年124日に金山町観光協会の岡戸さんにこれまでの調査から補足的な内容のインタビューを行った。

第二回調査のインタビュイーである浅井哲彦さんのプロフィールを概略的にまとめると,岡戸さんが運営していた空き店舗【よってこや】の管理を任されていた方で,岡戸さんと交流が深く,地域住民として「筋骨めぐり」の観光資源化に積極的な参与が認められる人物である。「住民ガイド」を募る際には,住民への呼びかけを行った人物でもある。

 

第二節 「筋骨めぐり」の観光商品化のプロセス

第一項 筋骨を観光資源として発掘するまで

 

2002年の春に,空き店舗運営をしていた岡戸さんと地域住民の浅井さんが観光資源としての「筋骨」を発見する。その経緯は,浅井さんにとって当たり前であった生活道を,移住してきた岡戸さんには興味深いものとして捉え,「筋骨」を巡るツアーとして観光資源化しようと考案する。その後すぐ,岡戸さんが新聞記者を招いたが,その記事を見て来訪した観光客を住民は快く思っておらず,町内会から苦情として挙げられたため,「筋骨めぐり」は一時中断をする。それから6年の時を経て2008年に,下呂市の各地をツアーに組み込むための各旅行会社の代表者が集まっての検討会が催されることになったとき,金山地区として改めて「筋骨めぐり」を打ち出すことになった。この検討会の後,名鉄観光からツアーのオファーを受け,初めて地域住民ガイドを募ってのツアー催行に至る。

 

第二項 団体ツアーの受け入れ

 

2002年の「筋骨めぐり黎明期」から,町内会からの苦情を受けしばらくの沈黙を守ることになるが,団体ツアーの受け入れを期に「筋骨めぐり創成期」を迎えることとなる。その発端は,2008年ごろに各旅行会社のツアーを企画する方々が30名ほど下呂市の各地を巡って,ツアー商品に組み込めるか吟味するという検討会があり,この時,岡戸さんは観光協会の理事であり,金山地区では「筋骨めぐり」を提案することとなる。この結果,団体ツアーとして初めて名鉄観光からのオファーを受け,団体ツアーの催行にいたる。しかし,2002年の黎明期からしばらく時間が経っており,新たに団体ツアーとして計画をする必要があった。この際,黎明期に住民から苦情を受けたことを克服するため,住民をツアーガイドとして巻き込み,ガイドの不足・住民への配慮の2点を達成することを目指す。このようにして,黎明期に出来かけていたツアーの骨格を,創成期には観光商品として肉付けしていくことになる。オファーを受けた名鉄観光の団体ツアーは,春に大型バス23台,秋には合計600人ほどの参加があり,参加費5980円で現在も継続されている。

 

第三項 住民ガイドについて

 

ツアーガイドは201512月現在25名の登録があり,男性16名,女性9名(内,海外出身者が夫婦で2名)という内訳である。多くは,60歳以上の地域住民である。ツアーの予約がある日に都合がつく方がガイドをするという方式をとっている。ツアーを初めて12年目までは無償のボランティアという形でのガイドを依頼し,3年目からは無償では続かないという金山町観光協会の判断もあり,1回のツアーに付き500円という報酬を設定している。

2013年には,ブラジル・中国・オーストラリアなどから講師として短期で来日していた海外在住の方のツアー催行する機会があり,金山地区在住の外国人にツアーガイドを依頼することもあったという。

ツアー催行初期に岡戸さん・浅井さんが声をかけたメンバーからさらに勧誘を受けたりした方がガイドとして参加されて,現在の人数に至る。

 201510月には,筋骨めぐりのツアーガイドの様子を岐阜県内のガイド向けの研修会ということで視察に訪れている。

ツアー開始初期に行われた初めてのガイドメンバーの募集の際には,喋りがうまい方,主張が強い方(インタビューの際に浅井さんが使った言葉ではうるさ方)を初期のガイドメンバーとして依頼をする。依頼は主に現地住民と昔からの付き合いがある浅井さんが行っていた。その他,当時の金山町観光協会長である小林さんも尽力された。主張が強い方にガイドメンバーを依頼したのは,比較的苦情が挙がりそう雰囲気を持つ人々を「住民ガイド」として協力的な立場に引き入れ,さらにはそうした苦情を出にくくするよう働きかけてもらうといった目論見があったとしている。

ガイド付きのツアーを始めた当初は,浅井さんの発案で地域の歴史や説明するスポットなどをまとめたマニュアルを作成したが,ツアー客はそういった歴史などよりも,個人が有する様々なエピソードに興味を持つという傾向がわかり(他地域でのツアーガイドの研修会でもこの認識は同意された),マニュアルを廃止した。現在では,コース上を自由に説明するような形式であり,ガイドによって説明要素が異なるという個性を生かしたガイドになっている。

 

第四項 様々なメディアでの紹介

 

新聞媒体では,ツアーを観光資源として本格的に打ち出した2012年に,同じく「中日新聞」の飛騨版(2012,1114付朝刊)で改めて紹介され,その後「岐阜新聞」(2013,4,14付朝刊)で紹介され,岡戸さんの体感では,岐阜新聞で取り上げられた頃,一番反響が大きかったとのこと。

 その後雑誌などで「筋骨めぐり」が取りあげられるようになる。はじめに都内在住の飛騨地方出身者向けの雑誌で取りあげられ,全国版の雑誌としては,「旅の手帖」(201310月号)で取り上げられ,図書館などに保管されるような雑誌であったため,こちらを見て観光に来るツアー客も増えた。テレビ番組での取材を受ける回数も増え,名古屋テレビ「ウドちゃんの旅してゴメン」,同局情報番組「UP!」,中京テレビ「PS」,東海テレビ「西川きよしのご縁です!」などから取材依頼があった。201512月以降でも,東海テレビ「ぐっさん家」などの取材を控えているとのことである。国際的なメディアでは「共同通信」で取り上げられ,一時的に外国のツアー客も増えたとのこと。

 動画メディアでは,「日本の歩き方」で取り上げられ,人気ランキング2位になったとの報告を受けたと言う。その他,2013年ごろには動画共有サイト「YOU TUBE」などで,ツアー客によって「筋骨めぐり」の動画を紹介されるようになる。

 

 

 

第五項 「筋骨めぐり」ツアーとして成熟するまで

 

2008年の団体ツアーを皮切りに[筋骨めぐり]はツアーとして成熟期を迎える。それまで,住民の反応は,「生活道を見て何が楽しいのか」というものであったが,観光客が増えた現在では,岡戸さんいわく「観光客が楽しいならしょうがない」という賛同と諦めの気持ちであるという。

ガイドは,「筋骨」を案内するうちに地域に関する歴史や知識,話術を蓄えるようになり,個性的で23度来ても楽しめるようなガイドになった。そして,今から3年半前(20124月)に現在の飛騨金山駅構内に金山町観光協会の事務所が設立されたのを受け,その半年後からツアーの認知度の高まりを受け,ツアー催行に本格的に乗り出すことになる。

ツアー参加者数の推移としては,2012年は1140名,2013年は1544名,2014年は3600名となっており,ガイドを利用していない観光客を含めるとさらに大きな数字になると推測できる。近年ではガイドを利用していない観光客が増加し,東京からの観光客が3度目の「筋骨めぐり」にして初めてガイドをつけてのツアーをしたという事例もあったという。初年度の1140人のツアー客のうち団体ツアー以外は,岡戸さんがほとんど一人で案内したという。それも約半数は,駅で電車を待っている観光客を強引に街へ誘い出し,無償でツアーしたという。そのお礼として,ツアー参加者がネットなどに書き込んだため,徐々に知れ渡るようになった。その後,動画共有サイト「YOU TUBE」などに動画として筋骨めぐりが紹介されると反響があったという。地上波のローカル番組にも出演依頼があった。

認知度の高まりを受け,北海道からの来訪客は「下呂温泉」の存在を知らず「筋骨めぐり」に参加していたという事例もあった。

金山町観光協会としては,広報・宣伝費にほとんど費用をかけておらず,下呂市の観光パンフレットに「筋骨めぐり」の記載はあるものの,新聞・雑誌・テレビ・動画共有サイトなどの影響が大きいという。

また,住民の反応という面では,これまで地元住民を相手に商売をしてきた商店が,「筋骨めぐり」の立ち寄りスポットに入れられると,「観光客が居なくても,地元に向けて商売しているから」という声も聞かれたが,実際に観光客が増えると売り上げも伸びたという。しかし,在庫を多く用意できない餅・和菓子販売店などでは,午前中の観光客の分で売り切れてしまい,午後の販売分が不足するなど,売れる日・売れない日のムラがあるため,観光客相手の商売をよく思っていなかったとも伺った。しかし,ツアー開始初期には観光協会が料金を払ってツアー客に商品を試食させると,売り上げが安定化し,無償で試食の提供をするようになったそうだ。このようにして,立ち寄りポイントとしての地元商店が組み込まれるようになった。

最近では,ツアーガイドではない地域住民が,金山町の歴史に関する資料などを浅井さんへ提供し,「筋骨めぐり」に役立ててほしいと協力的な姿勢を見せるようになった。

ツアーにはだいたい1015人で1人の専属のツアーガイドが付き,団体であれば2,3人が列の間に入ってそれぞれに案内をするようになった。リピーターも増え,多い人では4回も筋骨めぐりに参加しているという。旅行会社「クラブツーリズム」が「ミステリーツアー」などと銘打った団体ツアーでは関西地方からもツアー客が訪れている。旅行会社の方からも「安心して任せられる」とツアーに対して一定の信頼も得ることができたという。

 

第六項 「筋骨めぐり」における課題

 

金山地区では,過疎化に伴い空き家の増加が深刻な問題となっている。空き家の増加は,「筋骨めぐり」において地域景観に及ぼす悪影響だけでなく,観光客が住民の生活を「体感」する場面を減少させてしまう可能性もある。こうした状況を踏まえ,地区内に残る空き家を観光協会が借り上げ,ツアーの一つのスポットとしてその生活風景を体感してもらう取り組みもしている。しかし,すべての空き家を借り上げることは難しく,空き家であるため老朽化などが進み,管理体制の強化が必要になっている。また浅井さんは,地域住民が個人として投資をしてでも空き家を借り上げて,景観保存に尽力したいと話している。

また,観光協会としては,地域活性化のために商店の新規出店の試みをしている。繁忙期には,菓子販売の模擬店を開いたりして,将来的に若年層の雇用を創出したいとも考えている。現在では,団体ツアーが催行される際には,期間限定で物販を行うような方も現れた。

ツアーに関しては,以前は金山地区の山奥にある「巨石群」という観光スポットと「筋骨めぐり」をセットにしたツアーを催行していたが,営利目的のバスの運行には認可が必要であるとの県の指摘を受け,現地集合・現地解散の着地型観光を取らざるを得なくなった。つまり,下呂地区の宿泊施設から金山地区まで(20キロ以上の距離)の移動手段を宿泊客自身で手配する形になったということである。下呂市における観光として捉えれば,

「筋骨めぐり」を観光目的とした観光客を下呂市内の宿泊施設に引き入れることは重大な課題であるが,そのための交通網は,整えられておらず,公共交通機関を利用するほか,自家用車を利用する以外に手段はなく,観光客にとっては,不便であるといえる。