第四章 フィールドワーク

 

第一節 フィールドワーク調査概要

 

本章では計2回にわたって行ったフィールドワークについて論述する。

この調査は,「筋骨めぐり」がどのように観光資源として発掘され,観光商品化されていったのかを追究するものである。

第一回調査は,平成27819日に下呂市金山町のドライブイン飛山を出発・到着点として愛知県一宮市から来訪の3名の個人旅行グループに同伴した。全行程を2時間ほどで,金山町観光協会の岡戸孝明さんをガイドに迎えての催行であった。

第二回調査は,同年1024日に上記と同じツアーを愛知県から来訪の2名の個人旅行グループに同伴した。ガイドも同じく岡戸さんであった。

岡戸孝明さんのプロフィールについて概略的にまとめる。金山町観光協会に所属されており,「筋骨めぐり」のガイドも務める。14年前,岡戸さんが52歳の頃,愛知県の豊橋市から田舎暮らしがしたいと考え,奥さまの実家がある下呂市金山地区に移住される。2002年に県の補助金で空き店舗を利用しての地域活性化の依頼が来たため,その募集に立候補しその運営に携わる。その空き店舗「よってこや」は,休憩所と情報発信スポットの機能を備えていた。そこで観光について考えるようになり,「筋骨」を観光資源として発掘し,筋骨めぐりツアーを発案した。

 

第二節 筋骨めぐりの概要

 

金山地区で行われる「筋骨めぐり」は,金山町観光協会が主催するツアーで,予約制であり,料金は団体では一人につき300円,3名以下の個人客では一律1000円で催行されている。一つのグループに対し「きんこつガイド」と称されるツアーガイドが案内役として,国道41号線沿いのドライブイン飛山をスタート・ゴール地点とし,「筋骨」と呼ばれる大小さまざまな路地を巡りその歴史や風景を楽しむことを目的とした着地型のツアーである。「筋骨」自体は公道であり,ツアーに参加しなくても独自に楽しむこともできる。ツアーコースの散策は約1時間半から2時間に設定されており,団体客や個人客の要望に応じてツアーコース・散策時間を変更することもできる。ツアーコースの中では,地域住民の経営する飲食店や土産屋,酒屋といった場所で試飲・試食をし,郷土の味覚に触れることもできる。本章第三節以降で,同行した筋骨めぐりの様子をまとめる。

 

第三節 フィールドワーク調査

 

以下,「筋骨めぐり」の詳細な内容をまとめる。初めに,ツアー客はスタート地点の国道41号線沿いのドライブイン飛山で「ツアーガイド」と待ち合わせを行う。ツアーガイドと合流したところでツアーガイドからツアー内容から金山地区の歴史について説明を受ける。ドライブイン飛山から出て国道41号を歩行者信号付きの横断歩道を渡るとすぐ右手側に,細い路地があり,以下[.5-1]が筋骨の入り口であると説明される。

[5-1.筋骨めぐりの入口を進む参加者]

フィールドワークの際に,ガイドの岡戸さんが,知らされなければ通り過ぎてしまうほどの狭い入口の筋骨を示すと,参加者の女性Aは,「細い。気づかずに通り過ぎちゃいそう」とその路地の細さに驚いていた。

入口を過ぎて少し進むと,民家の裏庭に沿った路地になった。以下[5-2]である。

[5-2.入口から少し進んだ所で裏庭(畑)に接する筋骨の様子]

岡戸さんによると,金山地区は宿場町として栄えてきた背景から大きな路地に対して正面では商売,裏で畑,その間で生活という間取りが出来上がり,生活の上では表の道よりも細い裏の路地を使うことになったということである。こうした生活風景は,日本全国にあったが時代と共に消失し,ここまで完璧に存在しているのは,全国でも珍しいという。

 さらに,進んでいくと,四軒の家屋が一つの屋根で繋がった平屋が見える。[5-3]

[5-3.屋根がつながっている家屋の様子]

岡戸さんの話では,この道は昭和までバイパスが通っていたところで,4軒で話し合って1枚の屋根にしたという。昔は山奥で裕福ではないために,この方が安上がりであるためにこのようになったという経緯である。さらに土地を増やそうとすると,前述のとおり奥へ奥へと生活空間の奥行きが生じてきた。

フィールドワークの際に参加者の女性Bは「仲良くないとできないね」と感想を述べる。そして,この4軒の内のひとつが餅倖商店さんという餅・和菓子の販売店で,ツアー参加者にきなこのおはぎが振る舞われる。ここで参加者は,店主や岡戸さんと談笑し,少しの休憩を取る。休憩を済ませ,餅倖商店さんを後にする。また狭い路地裏に入って以下[5-4]のようなポンプ式の井戸に行き着いた。

[5-4.ポンプ式の井戸]

筋骨の途中にあり,岡戸さんの話では,地下の浅いところに水があり,13軒ほどで一個のポンプというように共同で使っていた。このような井戸,もしくは水路は筋骨に点在している。現在では,衛生上の問題で使われてない所が多い。

この道を進むと,鎮守山という5分ほどで頂上に登れるところに着く。頂上に登ると,金山地区の様子を見渡すことができる。ここで,飛騨の地に伝わる「宿難(すくな)」の伝説の説明を受ける。

鎮守山を降りて,また筋骨に入っていくと,創業が明治で昭和63年まで営業していたという銭湯(旭湯)に着く。現在は金山町観光協会が管理しているということで,中を見学することができる。それが以下の[.5-5]である。

[.5-5.銭湯の中の様子,当時のまま残っている]

 岡戸さんから,この時代の銭湯の使い方や,それぞれの部品などについての説明を受ける。内装は当時のままでポスターなどから昭和の雰囲気を感じ取ることができる。また,ここが廃業になってからも取り壊されないのは,大家さんがこの銭湯の横に住んでいて,この銭湯と家がくっついているから(1枚の屋根で繋がっているため)だという。

フィールドワークの際に岡戸さんは,この状況を「この町はどこも繋がっていて取り壊せない」と説明した。これを聞いて,参加者の女性Bは「いい意味で。」と,まちの景観が保存されてきた背景について安堵を口にしていた。

 この銭湯を後にして,正面の大きな路地をまたいで,また筋骨の入口に入っていく。

すると,以下の[.5-6]のように,家の裏口をでてすぐ,水面までの深さ1m,幅も1m位の水路が見えてくる。そこから水路を渡れるように筋骨へと橋を渡した様子が見えてくる。

[5-6.裏口から筋骨へ橋を渡している様子]

 岡戸さんの話では,水路沿いの家屋では,筋骨の高さから数えて,1階が地下で

水物(洗い物や洗濯)を扱うようにして,2階が商売(この近辺は居酒屋が多かった),

3階が居間となっている。表の通りから見れば,2階建てであるように見える。筋骨には,所々に水路へ降りる階段がある。今はコンクリートで橋が作られていたが,そうでない時代は,木の板が橋の代わりで,渡るときに板を敷くような形がとられていたということである。また,この筋骨沿いに水をためる洗い場がある。[5-7]

[5-7.水路沿いにある洗い場]

 常時水温は15度で清水がわいており,夏は冷たく,冬は暖かい水温である。

現在も清水は湧き出るものの,常に水を流していない(栓をしている)ため衛生的な観点から使用されていない。また,この場所以外にも洗い場は点在しており,その内のある洗い場では,清水の湧いているほうから飲料水として,次に野菜を冷やす,最後に洗い物をするというように区分けをして利用されてきた。

その他に,鰻の販売店では,この洗い場に鰻を浸からせて身をしめるといった使い方をしているところも見られる。

この後も,細い路地の間を縫うようにして筋骨めぐりは続き,様々な立ち寄りスポットを巡りゴール地点であるドライブイン飛山を目指す。フィールドワークの際に筆者は,以下のように住民の生活を体感した。筋骨から隣接する家屋は,少し背伸びをすれば開いている窓をのぞき込むこともできる。それほどに近い場所である。また,生活音が聞こえたり,歩いていると飼い犬に吠えられたり,筋骨から逸れた開けた場所では布団が干されていたりと,初めて通行する道であるのに,そこには様々な発見があり,一種の冒険をしているような気になる。

立ち寄りスポットの例としては,現在も経営している古くからの宿泊施設の中に入ることが出来,その他,ツアーに組み込まれた立ち寄ポイントの豆腐屋さんでは豆腐の試食,酒屋さんでは酒の試飲も出来,筋骨めぐりへの住民の協力も感じられた。一通りのコースを巡り終えると,ゴールのドライブイン飛山へと戻る。ここで岡戸さんから挨拶があり,筋骨めぐりは終了となる。

ツアー終了の際には,ツアー参加者にインタビューも行った。ツアーの参加者は愛知県一宮市からの参加で,下呂には何度か観光に来ている方であった。筋骨めぐりのことは,パンフレットなどで知ったという。下呂温泉で一泊の予定で,ホテルに向かう前に筋骨めぐりに参加されていた。細い路地裏のようなところを探索することが好きで興味を持ったという。ツアーに参加してみて,住民の生活が垣間見える所や,映画のセットのような風景,筋骨めぐりの入口の狭さに驚いたという。