第二章 先行研究

 

第一節 デジタルセルフ

 春木(2013)は、個人がインターネット上に蓄積していった情報の総体について、「デジタルセルフ」という概念を用いて論じている。この概念は、2000年初頭頃にブログをはじめとした個人の記録的情報の増大に伴い生まれたもので、「インターネット上、コンピューター上に構築された疑似的な自己」といった意味合いを持つ。社会学、社会心理学の領域では、自分自身と記録されたデジタルセルフとの対話をもとに自己分析、自己理解を試みるという方向性で調査がなされている

 

 デジタルセルフは大きく3つの内容を含む。(春木2013

(1) 自己の視聴覚情報などの記憶を外化するもの(外化記憶)

     (2) 他者やWebなど外部情報源から自己に関連するデータの蓄積を目指すもの(内化情報)

     (3)自己の生理データの蓄積を目指すもの(生理記憶)

 

(1)(2)は情報源の違いによるものであり、(1)は自身の視聴覚体験の記録、(2)は自分以外によって記録された情報から自身に関連する情報を内化したもの。(3)は主に医療で用いられるデジタルカルテに代表される生理データの記録である。これらの要素を含むデジタルセルフとの対話により、過去の記憶の明確化、自己特製の発見、自己管理や癒しなど効果が期待されている。

 

 自己の情報の記録は古来、日記やメモのようなアナログな手段によってごく私的に行われてきた。しかしこれがデジタル化することにより、編集、伝達が容易になり、同時にネットを通じて時間、空間を越えた他者に開示されるようになった。私的なものではなくなった自らの記録は客観化やフィルタリングがなされ、記録としての精度は高まってきているという。

 

既存のデジタル・セルフ研究では、デジタル・セルフを分析することによりマーケティングの分野での活用の試み、あるいは自己分析の手法としての利用が主とされており、デジタル・セルフそれ自体が作り上げられるまでの過程について重きを置く研究はあまりなされていないようだ。とくにソーシャルメディア上に現れるデジタルセルフについては、従来のデジタルセルフ研究の方法論では捉えきれない新しい性質を持っているのではないかと考える。オープンなコミュニケーションとして記録される以上、見られる自己を念頭に置いた記述の仕方がなされる可能性については否定できない。本研究では、ソーシャルメディア時代のデジタルセルフがいかに生成、そして編集されるか、自己呈示の視点をベースに考察を進める。

 


 

第二節 戦略的自己呈示の考え方

 本研究では主張的自己呈示の分類(Jones and Pittman 1982)を用いることによって分析対象となるデータにあらわれるデジタルセルフを検証する。自己呈示とは、相手に対して自分についてなんらかのイメージを持ってもらうために、自分を演出することである。自己呈示は戦略的か戦術的か、主張的か防衛的かの2つの軸で分類される。

 ジョーンズとピットマンは主張的自己呈示を、「取り入り」、「自己宣伝」、「示範」、「威嚇」、「哀願」の5種類に分類し、それぞれの意図する人物像と、それによって相手に喚起させたい感情、そしてその自己呈示が失敗した場合の評価とともにカテゴライズした。まず「取り入り」は相手の機嫌を取り、気に入られようとすること。相手に好感を持たれることを目指すが、失敗するとその謙遜が卑屈な印象を与えることがある。「自己宣伝」は自分の能力、才能を売り込むこと。能力の高さが認められ、尊敬されることを目指すが、失敗するとうぬぼれや不誠実な印象を与えてしまう。「示範」は模範となる行動をして見せることで道徳的な人物であることを印象付けようとする。相手に自己反省を促すため、罪悪感や恥を感じさせるが、それが翻って偽善者と思われてしまうこともある。「威嚇」は自分が相手より上の立場であると主張すること。なんらかの方法で相手に恐怖を与え、危険な人物であることを印象付けようとするが、失敗すると口うるさいばかりの無能と見られてしまう。最後に「哀願」は自分の弱さを積極的に訴えることで同情を買おうとすること。相手に介護心を喚起するが、失敗すると怠け者と見られる。

 

 今回はそれぞれの自己呈示の意図する、印象付けたい人間像の部分を用い、分析対象となるデータから、デジタルセルフを浮かび上がらせる。文章中での自己呈示について分析対象とするため、実際の行動を対象としたジョーンズとピットマンの分類を適用するのが難しいケースも起こりうるが、それを含め新しい時代の自己呈示のありかたとして分析考察を進めていきたい。