第四章 シェアメイトたちの日常生活における相互関係―親密さと互いに立ち入り過ぎない配慮―

第一節 顔を合わせる頻度と場所

第三章第二節第一項で述べたようにシェアライフ富山は単に家をシェアするというよりは知識や経験、人生観など暮らしを共有することを目的としている。私はつまりそれはシェアメイト同士が毎日顔を合わせて会話をする生活なのだろうと想像していた。しかし姫野さん、Aさん、Cさんは他のシェアメイトと顔を合わせないことがあるかという問いに頻繁にあるという反応を示した。Aさんは自分がずっと家にいるパターンのときの1日を以下のように語った。

 

仮に僕が家にずっといるパターンであれば、みんな大体朝出て行っちゃうから(リビングで)いってらっしゃーいって言う。そのあとに仕事があって(リビングに)また戻ってくる。その間はCが学生やから行ったり来たりしていてすれ違ったりとかする。ま、昼間は大体ほとんど誰もいない。で、家を自分で1人で使っているみたいになるじゃん。その間に料理作ったり掃除とかやったりするわけよ。で、大体19時くらいになると誰か帰ってきて、おかえりーって言いながらそうするとなんか(相手が)なんか作ってる?とか(自分が)まあ何もないけどこれ食べる?っていうと食べるって言うし。ま、あとで頂きますみたいなこともあるし。大体会うのは週3回から4回くらいかな。朝はそのままいそいそと出ていく子もいるし、おはようって言う子もいるし。帰ってきたら部屋に戻ってもうそれで終わりみたい。

 

他のシェアメイトとは朝と夜に2回リビングで顔を合わせる機会があることが分かる。しかし毎日ではないし、顔を合わせても挨拶だけのこともあるようだ。

これに対してBさんは同い年の女性Dさんと帰る時間帯が一緒だったため、リビングでご飯を食べながらDさんと話す機会が多かったという。また、Bさんは他のシェアメイトとも話す機会が多かったと感じている。Bさんがいた時のシェアライフ磯部はリビングに明かりがついていると自然と人が集まり会話をすることが多く見られたという。

 

 

第二節 生活スタイル

シェアライフ富山は食事、掃除、洗濯などはそれぞれ個人ですることになっていて、役割分担はない。役割分担を作らない理由の1つには、何曜日にこれをしなければならないというような生活スタイルの拘束をしたくないという姫野さんの考えがある。よってそれらをする時間帯や頻度は基本的に個人の自由ということになる。Aさんは一緒にご飯を食べる時のことを以下のように語った。

 

朝時間無いのに団欒を求められたらうっとうしいやん。そこはぱっと食べてぱっと出て行きたいはずやん。だから誰もそんなことは強要しないし、基本的には全部個の集まりだけやから。たまたま今からちょっとゆっくりテレビでも見ながらとかさ、あーじゃあこれあるから食べる?って言った時に、あーじゃあ一緒に食べようかみたいな感じで、たまたま合えば一緒に食べるレベルで。

 

たまたま一緒に食べることができる状況になったため誘っているのであって、一緒に食べようと強い期待を持って誘ってはいない。個の集まりだという発言はそれぞれの生活は独立していて基本的に影響されないという意味だと解釈できる。Cさんは生活スタイルについて以下のように語った。

 

そんな無理に合わせようとしない。それぞれの生活があってたまたま時間とか、何か持っているものが重なっているから使わせてもらってるってかんじ。無理に合わせようとすると、すごいストレスになっちゃうと思うから。

 

入居者たちはそれぞれの生活を自由に過ごしているのであって、無理に合わせようとすることはストレスになると考えている。AさんとCさんの語りから入居者たちは自分の生活スタイルを自由に選択し、相手の生活スタイルの選択を強制しないように意識しているといえるのではないだろうか。

 

 

第三節 リビング・キッチン・ダイニングでの交流

第一項 リビングの利用

リビングの利用について、食事やテレビなど何か用事があって利用する他に個室でもできることをしていることが分かった。Cさんは読書やパソコンを個室ではなくリビングで行うことがある。その割合は64で個室の方が多い。読書はソファがあるからで、パソコンはなんとなくだと語った。Aさんもパソコンを個室ではなくリビングでやっている。

 

第二項 挨拶

AさんBさんCさんはリビングに明かりが付いていたら用事はなくても顔を出すようにしている。Bさんはリビングに顔を出すときのことを以下のように語った。

 

Bさん:誰かがリビングにいたらただいまーって言って、そうそうリビング行くー。

吉野:ただいまーって帰ってきて、ちょっとまあいろいろ着替えとかなんかしてリビング行く?

Bさん:うーん。私は1階だったから荷物置いて。ご飯食べてから着替えしてたかな?とりあえず私はリビングに。

吉野:顔出して部屋戻って、そのあとはリビングにはいかない?

Bさん:行きたかったら行くし、疲れてたら部屋に籠る。リビングに誰かいるなって思ったら一応挨拶は。

吉野:へー。なるほど。結構そこで会話もするんですか?

Bさん:うん。したいときは。ちょっと疲れたなっていうときはただいまって言って部屋戻る。

挨拶をした後、一度部屋に戻ってリビングに行くか部屋で過ごすかその時の状況に合わせて選択をしている。必ず挨拶をしなければいけないわけではなく、急いで出ていくときや個室にいるときはしないこともある。Aさんは挨拶をすることについて、一緒に住んでいるだけだから強制するべきではないと考えており、例え挨拶をしない人がいてもわざわざ指摘することはないだろうという。

 

第三項 会話

入居者たちはリビングで他の入居者と会ったときに、挨拶や用事をしてすぐ出ていくかしばらくリビングに残るか選択している。リビングに残った場合必ず会話をしているかは分からないが、仕事上の悩みや人生設計の話をすることがあることが分かった。Bさんは特に親しくなった同い年の女性Dさんと家のことや恋愛のことなど親密な話もしている。

 

第四項 間接的なつながり

Aさんは料理を多めに作ってシェアメイトに提供している。自分が作りたいときに作って、メールや置き書きで「もしよかったら食べてね」という内容を書き、鍋や冷蔵庫に置いている。入居者たちには「うっとうしければ言ってねー」と伝えてあり、自分が勝手に作っているだけなので食べてもらえなくても構わないと考えている。

Cさんはコーヒーを入れることが多く、多めに作ってポットに入れて冷蔵庫で冷やしておき他の入居者たちに「飲んでもいいですよ」と言っている。また、自分の雑誌を入居者たちに「読んでもいいですよ」という気持ちでリビングに置いたままにしている。そして気が向いた時に持ち帰っている。

AさんとCさんのこのような行動は必ずしも他の入居者と直接顔を合わせて密な会話をする交流にはなっていない。また、メールや言葉で伝える他にキッチン・リビング・ダイニングという場に置くことで、他の入居者が自由に選択できることを示している。

このようなシェアメイト同士の関係の取り方には、緊密になりすぎないという意味である種のゆるやかさがあるように感じられるが、その点については、第5章で改めて考えてみたい。

 

 

第四節 シェアメイトの「家族」という意識

第一項 掃除・ゴミ出し

シェアライフ富山では食事と洗濯は個人で行い、ゴミ出しや掃除などの共有している部分の家事は当番制にしないで気づいた人が行うことにしている。姫野さんはこの方法について以下のように語った。

 

掃除とかも綺麗好きと無頓着とほんと偏りますね。無頓着なのばっかり集まったら、僕がシェアハウス回ってきたときに、ビックリするくらい、ほこりが落ちてたり、髪の毛だらけだったり、ってこともあるんで。たまりかねて、掃除してくることも結構ありますね。ほんと当番制とかにしてもいいのかなと思うんですけど(中略)当番制っていったら、やっぱみんな社会人で、やりたいことあるのに、何曜日は誰々の日ね、とか決めてしまうとできなかったときに、やってねえじゃねえかっていう、まずそこでトラブルになっても嫌なんで。そこらへんはもうキチキチ決めてはないですね。コンビニみたいに誰々清掃終わりましたサインして、ほんとにやったのかよとか昨日掃除したの?とか言われても。それも窮屈な生活になりかねないし。あんま決めたくないですね。

 

偏りが起きていることを把握しているものの当番制はトラブルや窮屈な生活を助長させてしまうかもしれないため消極的に捉えている。シェアライフ磯部でもAさんBさんCさん共に偏りを自覚していた。Bさんはゴミ出しをよくしておりそのことを以下のように語った。

 

当番決めたらやっぱり平等でいいかなと思ったけど、まあ仕方ないかってかんじ。だんだん家族みたいになっていくから。誰も出さんし、じゃあ私出すかみたいな。たまに誰かが出してくれると、あーうれしいみたいな。(中略) まあありがとうって言ってくれるし、せんなんなっていう意識は分かるから。全くしない人はいないから。そこは全然苦痛ではなかった。

 

Bさんはゴミ出しが自分に偏っていることを苦痛に感じていなかった。その理由にはシェアメイトがBさんがゴミ出しをして当たり前だと思っていないことを感じていること、そしてBさんはシェアメイトを家族みたいだと意識していることがある。家族みたいだから仕方ないという語りはどういう意味なのだろうか。再度尋ねてみると以下のように語った。

 

なんかあたしもほんとはしたくないけど仕方がないかなというのとはまた違って。どういったらいいのかな。世話しようかなみたいな?うーん。なんか家族だから無償の愛的な?利益もいらないし。無償なものだと思うね。家族って誰がゴミ出ししても全然利益とか求めないし。あたしはしたくないけどっていうのも家族にはないと思うから。それが生活だから。世話好きっていう私の性格だと思う。世話好きなんだよね。

 

利益を求めない無償の行為が家族みたいだという。Bさんはやりたくないけどやっているのではなく、世話好きという性格もあって誰がしてもいいゴミ出しを自分で選択してやっている。

 

第二項 Aさんの料理

Aさんは料理を多めに作ってシェアメイトに提供している。BさんはAさんは「磯部の母」と呼ばれていたという。おそらく一般的な家庭では家族の食事を用意するのは母親だからだと思われる。Aさんは自分が作りたいときに料理を作っているが、シェアメイトに作ってくれと言われて作るのは関係性としておかしいと考えている。

 

その子たちに別に仕えているわけじゃないし。お願いされりゃあ、作ろうかなとは思うけど。でも、なんかそういう関係じゃないもんね。なんか、「今度またこういうの作ってくださいねー」って言われることはあっても、「今これ食べたいから作って」って言ったらちょっとなんか人間的におかしくなっちゃう。(中略)僕もやっぱりさ自分の仕事もあるし、自分の生活パターンがあるから。何で作ってあげなきゃいけないのみたいな感じになるでしょ。(中略)ま、家族のつもりでもいいんだけど。でも家族でもほんとはそこ気をつけた方がいいよね。親は聞いてくれるし、むしろそれを喜びとしてやってくれたりするんだけど。

 

シェアメイトは家族という考えを否定はしないが、一般的な家庭に見られる母親のように料理を毎日作らなければならない立場ではないし、家族でも気を付けるべき点だという。BさんとCさんはAさんの料理はありがたい、助かると語っている。

これらのことからつまり「家族」はBさんにとっては利益を求めない特殊なつながりであり、Aさんにとっては義務的な束縛によって自分の生活をおびやかされるようなことのない関係だと考えているといえる。

 

 

第五節 四章のまとめ

シェアメイトたちは一種の仲間意識、もしくは親密さの感覚が見受けられる一方で互いの生活に立ち入り過ぎない配慮が色濃く感じられる。

彼らはリビングに用事がなくても顔を出したり、料理を多めに作って提供したり、シェアメイトは家族みたいだという意識を持っている。これらは交流やつながりが生まれる行動であり、ただ一緒に暮らしているだけの関係とはいえないだろう。

しかし、これらの行動には相手と自分にはそれぞれの生活があるという意識が前提にある。リビングに顔を出しても、挨拶だけして部屋に戻ることもあり、無理に一緒にご飯を食べたり会話をすることはせず、それらを強要することもない。料理を多めに作って提供するときには、もしよかったらどうぞという姿勢で、他の入居者がその時の状況に合わせてどうするか選択できるようにしている。

このことからシェアメイトたちの関係は、親密さと互いに立ち入り過ぎない配慮の両方を兼ね備えているといえるだろう。