第二章 先行研究

 

第一節 「やおい・BL」愛好家に見られる傾向

 

「百合」というジャンルに関する研究はほとんど行われていないため、ここでは「百合」の類似例とも言える「やおい・BL」に関する研究を参照することとした。「やおい・BL」愛好家が持つ傾向を分析することで、比較対象という形で筆者の研究の参考としていきたい。

(2010)によると、「やおい・BL」愛好家が持つ傾向の一つとして、「やおい・BL」を通して他の女性との繋がりを求めているというものがある。特に既存の商業作品などを元に作られる二次創作の愛好家に強く見られる傾向で、自ら二次創作の作品を作る一方で、他者の作った作品を読みたがるというものである。東はこれを、「やおい・BL」の愛好家が行う、「ある作品を男同士の愛を描いたものと見なす「やおい」理論を用いての、原作の人間関係の解釈を競い合う解釈ゲーム」と表現している。このゲームの内容は、「やおい・BL」作品でない漫画やアニメを題材にして、登場人物の男性同士を恋愛関係にあるものと想像するというものであり、「やおい・BL」愛好家は自ら登場人物同士のカップリングを作る一方で、他者が同じ作品・登場人物を題材にどのようなカップリングを作っているかを積極的に知りたがっているのである。これは、アカデミズムにおける文学研究を「で、この作品は本当は何について述べているのか」という問いに対する答えを競うゲームとして捉えるジョナサン・カラーの考え方に基づいている。

「やおい・BL」の「解釈ゲーム」において題材となるものには、アニメ、漫画、小説、ゲーム、テレビドラマ、映画等の他、芸能人など実在の人物が選ばれることもあるという。

また、高橋(2005)によると、「やおい・BL」愛好家はキャラクター同士のカップリングを行う「解釈ゲーム」において、性交の際主体的な立場に立つ「攻め手・男側」のキャラクターを「攻」、受動的な立場に立つ「受け手・女側」のキャラクターを「受」と表現する。そしてこれらの役割は原則としてキャラクター同士の性交の描写を条件に定められるものであるとしている。さらに愛好家たちは、こうして生みだした「攻×受」カップリングのどちらか片方に自己投影するという形で、「異性愛の投影」を行なっているようである。また、「やおい・BL」の「解釈ゲーム」においてはキャラクターの名を「攻キャラ名×受キャラ名」と示す表記が定着しているとされている。(例、キャラクター「A」が「攻」、キャラクター「B」が「受」の場合「A×B」と表記)

さらに勝山(2011)は、「やおい・BL」における「解釈ゲーム」の行われ方を大きく二つのタイプに分類している。

一つは「キャラ萌え」型で、キャラクター単体に対して好意を示しているパターン。特に、「キャラクター単体、特に「受け」キャラクターに対して「萌え」といった好意を感じることであり、性的なイメージを彷彿とさせるような外見・行為を好む」傾向があると述べている。

もう一つは「相関図消費」型で、キャラクター同士の関係性に関心を示しているパターン。キャラクター単体というより、キャラクター同士のカップリングの関係性を重視している。

「相関図消費」型はさらに二つのパターンに分類されるという。一つは、カップルの関係性のあり方そのものに魅力を感じるパターン。これはカップルの間にどのような関係があるかに注目するもので、例として対照性、類似性、主従関係などが挙げられるという。もう一つは物語のシチュエーションに注目し、恋愛物語に仕立ててしまうパターン。原作における特定のシチュエーションに物語を見出し、「解釈ゲーム」の一連のプロセスを楽しもうとするものである。例えば、原作におけるストーリーの一部を「男性キャラクター同士の愛の告白」とみなし、恋愛物語に仕立ててしまうというものである。

以上の研究から、「やおい・BL」愛好家が持つ大きな特徴として、「解釈ゲーム」という行為の存在が際立って見受けられた。「百合」愛好家の間でも同様に「解釈ゲーム」は行われているのか、またその内容は「やおい・BL」愛好家の例と比べてどのような共通点・相違点が見られるのか、この研究の一つの論点として注目していきたい。


 

第二節 男性向けポルノグラフィが持つ特性

 

女性の愛好家が多いとされる「やおい・BL」の場合とは異なり、「百合」の場合には男性の愛好家と女性の愛好家がほぼ同等程度の比率で存在している。男性愛好家に注目して分析を行う際、愛好家が「百合」コンテンツをポルノグラフィとして消費している可能性について考慮しながら考察を行なう。そこではポルノグラフィとしての女性同性愛作品についても言及するため、ここでは男性向けポルノグラフィが持つ特性について先行研究をもとに分析を行なう。

赤川(1993)によると、アダルトビデオには「カメラの視点を現場においてAV女優と〈カラみ〉を行う男優の視点にできるだけ近づけようとする仕掛け(これを俗に『ハメ撮り』という)」があり、この技法により「視聴者は男優の視点に同一化し、あたかもそこで自分が性行為に参加するかのような錯覚を与えられる」という。これを受けて堀(2009)は「女性の性的身体を描き出すことによって、受け手男性が描かれる女性と性行為を行っているかのような錯覚を持たせる〈仕組み〉が、男性向けポルノグラフィには組み込まれている」としている。

さらに堀は「女性の性的身体を描き出すことによって、受け手男性が描かれる女性と性行為を行っているかのような錯覚を持たせる〈仕組み〉」の一つとして、男性向けポルノにおいて「読者の好みの「フェティッシュな欲望」で構成された女性キャラが、カメラ目線で男性を見つめ、そして、読者男性は欲望を喚起させる記号を纏った女性身体を見つめる」という「女性身体への視線」という技法があると述べている。

以上の通り、アダルトビデオをはじめとする男性向けポルノグラフィには、受け手である男性を意識した仕組みが含まれていることが分かった。このような男性を意識した仕組みについて、「百合」作品においても同様の物が見られるか否か、また男性愛好家は「百合」作品における上記のような仕組みの是非をどのように考えているか、今回の研究で明らかにしていく。