第四章      分析

 

第一節      米国作品

米国作品内での忍者表象の特徴を作品ごとに抽出し、作品間での忍者の共通点、類似点を探り、忍者がどのようなものと捉えられているのか調査した。項目順に分析を行っていく。

 

1 米国作品分析

項目

A

B

C

D

諜報

3

2

3

0

諜報・超

0

2

0

0

破壊

11

19

11

10

破壊・超

2

8

2

0

修行描写

×

奇異な忍装束

×

忍者の集団

雇用の有無

勧善懲悪

忍者の国籍

米国(主)、日本(敵)

日本(主)、米国()

米国(主)、日本(敵)

日本(敵)

舞台設定

現代マニラ

現代米国

現代米国

現代日本

 

1の通り、諜報・破壊活動の二項目については全作品を通して、諜報活動の描写に比べると圧倒的に破壊活動の描写が多いという傾向が見られる。破壊活動の内容としては、戦闘描写がほぼすべてを占めていた。いずれの作品も、諜報などの忍者の隠密性に力点を置くのではなく、より多くの戦闘シーンを設けているため、戦闘に見せ場を置いていることが窺える。数度ある隠密行動も、諜報や窃盗目的のものとして表現することは稀で、敵を不意打ちするために身を潜めるというゲリラ的攻撃の準備段階として描いていることが多い。また、武器は主に刀もしくは素手であるが、Dを除いたABCにはサイやトンファー、ヌンチャクといった日本外の東洋的な武器の使用が見られた。

外国人忍者が登場する三作品(ABC)についてはいずれも修行描写があった。この修業とは、山奥の人目につかない場所にある忍者の里のような場所で行われているようなものではなく、誰でも入門可能な道場のような場所で、師範から教えを授かる、というようなものであった。特徴的なのはその訓練で、柔道場を思わせる一面畳張りの部屋、または開けた土地で行われており、そこでは柔道、空手、剣道などの日本武術が総合的に学ばれている。Aでは主人公が忍者修行の最終試験で、広大な土地の中で同じ道場の門下生忍者たちを撃退し、免許皆伝を言い渡され一人前の忍者と認められる。Bでは渡米した日本人忍者が道場を開き、その中で空手や柔道、剣道を門下生に教えている。Cでは色とりどりの忍者がフィールドアスレチックのような場でさまざまな修行を積んでいる。これらの演出は、忍者は日本武術全般を広く習得した存在と表現しているように見える。それら日本武術だけでなくヌンチャクなどの東洋的武器を用いて戦闘を繰り広げていたことも同様に、日本国外の武術を忍者に使用させることで、アメリカ人にとっては身近ではない、未知の東洋的要素を内包させ、より強力に戦闘者としての忍者を表現している。さらには、そのような東洋的な忍者をアメリカ人が吸収することにより、ますます忍者をパワーアップさせているといえるだろう。

忍装束はBを除く三作品において、複数色の忍装束が登場した。青、赤、白、橙など様々な色の装束を纏った忍者が登場する。Aでは外国人忍者である主人公のみが白の装束で、敵となる忍者は黒、他の忍者は赤であった。Cでは主人公と忍者集団のリーダーのみが黒で、他の忍者は赤、青、橙であった。Dでは黒とクリーム色の装束があった。忍者の中でのヒエラルキーのようなものが設定されていて、それに従って色わけされているとも考えられるが、階級間移動の描写があるわけでもなく、そのカラフルな装束自体に何かしらの意味や役割が付されているわけではないように思われた。

忍者の集団項目については、Aは主人公が道場で門下生の忍者集団と戦う修行シーンのみ、Bは物語冒頭に日本の忍者集団に襲われるシーンのみに集団行動する忍者が登場した。CDは終始一貫して主人公の敵として忍者の集団が現れた。主人公の忍者が集団として行動することは無く(Dは主人公が忍者ではない)、単独、もしくは少数で敵対する組織と戦い、壊滅に追いやる存在として描かれていた。

雇用の有無は四作品いずれにおいても、敵のみに見られた。Aでは主人公の忍者に対抗するために日本忍者を雇うというもので、Bはアメリカのギャングと契約して麻薬の密輸を行っていた。Cも同じように、マフィアと契約して米軍の武器の横流しを手助けしている。Dは殺し屋など、依頼を受けてそれを遂行するというもので、他の作品とは毛色が異なるかもしれない。いずれにしても、どの作品も敵として設定される忍者というのは、己の欲望を満たすため、目的のためには手段を問わないといったような描写であることが特徴である。

勧善懲悪項目は、雇用項目で触れたとおり、正義の忍者(主人公)が支配的な悪の組織に孤高に立ち向かい、勝利する、という構図が四作品いずれにも見られるという点が特徴である。

忍者の国籍は、主人公が忍者という作品はABCで、ACはアメリカ人忍者が主人公で、Bは日本人忍者が主人公、敵が忍者であるのは四作品共通しているが、Bを除くACDは敵が日本人忍者、Bは敵が外国人忍者であった。前述の雇用項目や勧善懲悪項目とも関連するが、日本人が敵の忍者として登場するACDでは、大勢の人が住む集落に火を放つ、乗り合わせた新幹線の乗客を皆殺しにするなど、日本人忍者が暴虐の限りを尽くす。そしてそれを外国人である主人公が成敗するという展開である。そのため、善い心をもつのは外国人忍者のみで、悪の心をもつ忍者は日本人のみ、ということになりそうだが、Bを見てみると、悪の外国人忍者を日本人忍者が倒す、というストーリーであるため、外国人忍者=善、日本人忍者=悪という図式は成立しないようだ。

舞台設定は、国こそ違うが、全て時代が現代だという点で共通している。さらに、山奥の自然の中で物語が進んでいくのではなく、発展した都市の中に忍者を登場させるという特徴が見て取れた。

以上から、米国作品に概ね共通して見て取れる忍者の特徴として、戦闘性が強調されている、生まれを問わず修行でなれる存在である、単独で悪と戦う存在である、舞台が現代であるという四つの要素が挙げられるのではないか。

二節では、日本作品について分析していく。

 

第二節      日本作品

ア〜オを設定した分析項目により調査した結果が表2である。

 

2 日本作品分析

項目

諜報

9

9

3

2

3

諜報(超)

4

0

0

0

1

破壊

10

7

11

16

15

破壊(超)

2

0

8

4

1

修行描写

×

×

×

×

奇異な忍装束

×

×

忍者の集団

雇用の有無

×

勧善懲悪

×

×

×

外国人忍者

×

×

×

×

×

舞台設定

安土桃山

江戸

現代

安土桃山

江戸

 

日本映画五作品における忍者の諜報・破壊二項目は、諜報と破壊のバランスが取れているア・イ、そして諜報よりも破壊に比重が置かれており、また超人的な忍術(驚異的な跳躍力や天井に逆さに立つなど)を多く使用して破壊活動を行っているウ、破壊活動描写に大きく比重を置いたエ・オとで分かれた。1960年代製作のアは、織田信長の暗殺や他の忍者との対決等の破壊行動に主軸を置きながらも、公家の屋敷に盗みに入ったり異なる二つの勢力を争わせるための工作をしたりと、隠密的な諜報活動もそれなりに描かれている。同じく60年代のイは、連判状の奪取が忍者達の任務であるため、必然的に隠密行動が多くなっている。しかし、その連判状を守る者との戦いも同時に発生するため、結果的に諜報、破壊共にバランスの取れた数字となった。64年のウは、ア・イとは異なり破壊描写の割合が多くなっている。同時に、超人的な技術を用いた破壊活動も他と比べて明らかに多い。それはこの作品が漫画を原作としており、娯楽性を強く押し出した作品であるためと考えられる。一方で、1980年代のエ・オは、どちらも諜報活動が少なく、破壊描写が非常に多くなっている。超人的な技術としての忍術の使用は多いというわけでもなく、むしろ一節で見たアメリカ的な忍者に近いと言える。また、エは主人公が中国帰りで、カンフーの技術を有しており、オはアメリカンフットボールからヒントを得たという忍装束を忍者が着用し、アメフトの動きを戦闘に取り入れている。1960年代に製作された三作品は、忍者の目的は違えども、結果として共に諜報・破壊がバランスよく描写されたア・イと、超人的技術を伴った破壊描写が多いウとで性格が分かれたと言える。そして1980年代の二作品は破壊描写が非常に多く、外国の要素を取り入れているという点で共通する。日本の忍者イメージとしてありがちな、口寄せや竜巻を起こすような超自然的な忍術を多用する忍者が見られなかったのは意外であった。

基本的に修行描写は無く、幼いころから忍者として育てられてきたであろう忍者達の物語であった。例外的にエの主人公は、忍者の家に生まれたが、幼いころに忍者同士の抗争に巻き込まれ、結果として中国に渡っているため、日本に帰国した後に忍者としての教えを授かる描写が挿入されていた。日本作品においては、忍者でない者が忍者になるという描写のある作品は見られなかった。

装束描写は、ア・イは白黒映画のため色の判別は難しいが、異常な形態の装束は見られなかった。ウは漫画原作ということもあるのか、ヘルメットに革ジャンにブーツという異色の服装をしていたが、何か利点があるのかどうかは不明。エ・オは標準的な黒の装束の他、エでは森林の中で紛れやすくなる迷彩柄の装束や通常の装束より軽量の動きやすく肌を露出した装束、オではアメフト的な肩パットとマスクを導入し、戦闘的な装束が描写されていた。80年代に入ると、そういった実利的な理由で装束に違いが生まれるということもあったようだ。オーソドックスな装束のア・イ、奇抜な装束であるウ、そして新たな忍者描写をするために装束を活かしているエ・オの三つに分類出来る。

忍者集団はイ・ウを除いて全て敵味方共に忍者の集団が見られた。イは味方の忍者達は集団として行動していたが、敵方の武士の統率役に一人忍者がいるのみで、忍者の集団が形成されているとは言えず、ウは味方にのみ忍者集団がいて、敵には忍者が存在しなかった。忍者が集団内で果たす役割はともかく、全ての作品内で集団行動する忍者が描かれていた。

雇用の有無は全作品共通性がない。アは、忍者が特定の大名に仕えている、もしくは誰かからの依頼を受けてそれを遂行するといった描写はされておらず、忍者の里単独で行動しているような印象を受けた。イは、主人公側は老中に連判状の奪取を命じられ、敵方の忍者はそれを阻止するため大名に雇われており、敵味方共に雇用が見られた。ウは曙機関という組織の一部門として忍者部隊が作られており、雇用関係にあると言えるが、敵に忍者がいないため敵忍者の雇用関係は存在しない。エの主人公達は独立した存在で、敵の忍者は将軍に雇われている。オは敵味方共に大名に雇われていた。

勧善懲悪については、ア・イは明確な悪や善が無く、上に命じられるままの使い捨ての駒やシステムの一部としての忍者の悲哀(と克服)というものがメインのテーマとして描かれているため、勧善懲悪的な要素は薄い。オについても、どちらも悪とも善とも設定されてはいなかった。一方で、ウは悪の秘密結社を相手取って戦いが始まるため、明らかな勧善懲悪であり、エは主人公が親の仇を討つという物語で、これも勧善懲悪であった。しかし、これも作品間での共通性は見られない。

いずれの作品にも外国人忍者は存在しないが、エ・オは外国要素を含んだ作品であった。前述の通り、中国的な要素を含むエは主人公がカンフーを使用し、敵を格闘で圧倒するシーンが多く設けられている。そしてアメフト要素を導入したオは強力なタックルで相手をなぎ倒すシーンが見られた。

舞台設定はウを除いて時代物である。ウは唯一現代もので、忍者が現代的な拳銃を使用したり、酸素ボンベを背負って海を潜ったりと、従来の忍者をかなりアレンジしたものとなっていた。しかし、現代だからアレンジされた表象になっているかと言うと、エ・オのように時代物であっても外国的な表象を加えていることもあるため、舞台設定と忍者描写に関連があるとは言いにくい。

以上から、今回調査した日本の忍者作品全てに共通した特徴として挙げられる要素は、集団行動をするという一点のみである。全てに共通する要素は少なく、忍者表象に多様性があるということが日本作品の特徴であろう。本調査で見られた多様性は三つのタイプに分けることが出来る。一つ目はア・イのような、諜報、破壊数のバランスが保たれ、超人的な忍術の使用が少なく、奇異な装束も見られない、史実の忍者に近いであろうと思われる史実タイプ。二つ目はウのように、超人的忍術を多用する漫画タイプ。このタイプは超人的忍術の使用にこそ意味があり、諜報と破壊の数のバランスや装束は恐らく関係ない。三つめはエ・オに見られた、本来の忍者とは異なる要素を身につけることでより強力な力を得る、エキゾチックタイプである。このタイプは、服装等の外観に、標準的な装束とは異なる何かしらの変化が加えられるようだ。

第五章ではこれまでの調査を踏まえて考察を行う。