第2章 先行研究

 

第1節 男性保育者の現状

 

第1項 男性保育者の数

中田(2014)によると、1990年代までは男性保育士は1%に満たずほとんどみられなかった。しかし2000年代から増え始め、2000年から2010年の10年間で3倍に増加しており、現在も増え続けている。しかし2010年の男性保育士は保育士全体の2.77%であり、他のピンクカラー・ジョブ(※2)のなかでも男女比率に大きく差が出ている。男性幼稚園教員も全体の6.25%であり、1割に達していない。また男性幼稚園教員は1995年から一定の比率に留まっている。このことから、保育職は現在もピンクカラー・ジョブといえるだろう。

 

1 男性保育士数と比率

(中田奈月,2014,研究室紹介:資料でみる男性保育者より引用)


 

2 各職業の男女比率(2010年国勢調査)

(中田奈月,2014,研究室紹介:資料でみる男性保育者より引用)

 

3 男性幼稚園教員数と比率

(中田奈月,2014,研究室紹介:資料でみる男性保育者より引用)


第2項 賃金

平成25年度賃金構造基本統計調査によると、保育士(全体)の平均給与(※3)は約21万円である。保育士(男性)の平均給与は約22万円であり、保育士全体の平均給与よりも1万円多いが、全職種平均よりも約10万円安い。同じ女性職とされてきた看護師(男)の平均給与は、約29万円であり保育士(男)よりも約7万円高い。このように、保育職は他のピンクカラー・ジョブと呼ばれる職業の中でも賃金が極めて低いことがわかる。賃金の低さから、結婚に踏み切れない男性保育者も多いと考えられ、保育者を辞めざるを得ない人も出てくるだろう。


 

第2節 男性ピンクカラーの社会学

ここからは、矢原隆行(2007)「男性ピンクカラーの社会学―ケア労働の男性化の諸相―」を主な先行研究として扱っていく。この論文は、ピンクカラー・ジョブ(※2参照)全体について述べられているが、主な調査対象が看護職であったため、男性看護職員を例に考察をしている。

 

第1項 少数派としての男性

矢原は、ケア労働に従事している男性を「トークン」であるとしている。トークンとは、R.M.Kanter1970年代に会社組織の研究において男女の比率に着目し、多数派を「ドミナント」、少数派を「トークン」と名付けたものである。トークンの視覚的特徴は「可視性」「対照性」「同化」の3点である。この3点をケア労働に従事する男性に当てはめると以下の通りになる。

 

(1)可視性:女性が多い職場で、男性が少ないと見て確認できること。

 例)1学年中男子学生が1名のみということもある看護系学校において男子学生は、授業中教員から「今日は男は○匹かな」と確認され、授業中何かと指名される。

 

(2)対照性:女性が多い職場で、男性の女性との相違点が大げさに表現されること。

 例)新生児にかかわる職場で働く女性看護主任が、女性スタッフの間では患児に情がわき、「わー、かわいくなったね」といった会話が自然と起こるのに、男性スタッフにはそれが見られないと語る。

 

(3)同化:男性に社会一般のステレオタイプをあてはめること。

 例)精神科で暴れる患者の対応を頼まれた男性看護職者は、自分が相手に話しかけて落ち着かせようと試みた際、女性スタッフから「そんなのは私たちができるんだ」、「それ以外のものをして欲しくて呼んだのに」と、力で押さえつける役割を期待された。

 

これらの3点に当てはまるケア労働に従事する少数派の男性は、トークンであることが確認できる。

 

第2項 ケア労働固有の課題

ケア労働に従事する男性には、当該職業領域固有の諸課題が存在する。それが以下の3点である。

 

(1)身体接触にかかわるセクシュアリティの問題

山田(1992)では、「男性が行うケアは、特に女性にとって、構造上、@いやがられる(性的意味が付与されてしまうため)、または、A好まれない(事務的、冷たい、情緒的意味がこもっていない)のどちらかに陥ってしまう」と結論づけている。特に@については、女性看護職員の倍以上の比率にあたる6割以上の男性職員が患者から看護を拒否された経験を有するというデータも存在する。多くの病院では、思春期の女性はもちろん、高齢女性にも一応尋ねるといった対応がとられているが、人員の少ない場合や代わりになる女性が存在しない職場の難しさも存在する。

保育職は看護・介護職に比べ、身体接触を行なう場面が少なく、女子児童からいやがられることは少ないと考えられる。そうした性質に違いがあるため、この問題は起こりにくいと思われる。

 

(2)ケア労働は女性向きというイメージ

実際にケアの場面で求められる感情労働の内容は「こまやかな気づかい」や「他者への共感」といった母親や妻としての女性のイメージに結びついたものが多い(武井2001)。その結果、対照性や同化の効果もあろうが、「(女性のほうが)思いやりの気持ちとか、やっぱり男性より持ちやすいというか、自分も思いやりがないわけじゃないんですけど」と感情労働における女性の優位を語る男性看護職員の声もしばしば聞かれた。

ケア労働の多くは、ピンクカラー・ジョブといわれ、女性のイメージが強いため、女性の方が向いていると感じられやすい。

 

(3)社会的・経済的評価が低い

職種や勤務先によって一定の幅が存在するものの、一般に言われるように、日本の女性労働者は年功性が低く、女性が多くを占めるピンクカラー・ジョブでは、他の職業に比べ賃金の上昇が低く抑えられている。第1節でも述べたが、看護職に比較しても平均給与が低い保育職では状況はさらに厳しい。

また社会的評価の課題は、男性が多くを占める職業に参入する女性たちが、ある種「上昇」のイメージで捉えられがちであるのに対し、女性が多数を占める職業に少数派として参入する男性たちは、ときに「下降」のイメージで語られる。

 

以上3つの課題は、身体の次元、感情の次元、社会・経済の次元と整理することもできるが、現実の場面ではそれらが渾然と折り重なりつつ男性ケア労働者の困難さを形成している。

 

第3項 男性ピンクカラーの戦略

矢原(2007)は、男性看護職者が職業領域で直面する諸課題に対して取り得る戦略として、@男性性を不可視化することとA男性性を可視化することの大きく2つに整理している。@男性性の不可視化とは、文字通り看護職について男性性を無効化し、見えなくする戦略である。具体的には、専門職として看護に性差は無関係とすること、また男女差ではなく個人差が問題であるとする。A男性性の可視化とは、男性性を強調する戦略である。具体的には、機械に強い男性向きの仕事・体力のある男性向きの仕事がある、あるいは男性ならではの看護の視点があるとすることである。

矢原は@男性性の不可視化戦略が、看護業務特有の身体接触にともなうセクシュアリティの問題(女性患者からの拒否等)に直面する場合や、看護職という業務遂行に必要な技術として女性性が埋め込まれている場合においては遂行困難となるため、そうした状況ではA男性性の可視化戦略の方が有効であるとしている。

 

第4項 男性ピンクカラーの戦術

男性性と職業が結びついて語られる場面において、男性ピンクカラーである彼らが男性性の可視化・不可視化とみなされる主張をおこなうことは観察できる。しかしそうした2つの戦略はいずれを選択したとしても、実際のケアの職場において完全に性差を無視することは困難であるし、逆に男性向きの仕事のみを選択して遂行することも困難である。

矢原(2007)が1(3)の例に挙げた男性看護職者は、インタビューの中でその経験に憤り、そうした性差に基づく期待を誤ったものとして否定しつつ、同じインタビューの箇所では、「まあ仕事をしていく上では、男女関係ないと言いましても、やはりこう、力では女性は、男性の患者さんにかなうわけありませんので」と性差を肯定(男性性の可視化)している。また、別の男性看護職者は、女性患者からの看護拒否について、その羞恥心への配慮の必要性を語りつつ、「でも、まあ男だろうが女だろうが、やっぱり信頼関係を築いていければ」と性差を超えた個人差の主張(男性性の不可視化)をおこなっている。

主張の一貫性(不可視化か可視化のどちらかを選択する)という観点から見れば、彼らの主張は矛盾しており、その立場は曖昧なものと感じられる。しかし、実際のケア労働の場は、ジェンダー論的に不可視化戦略か可視化戦略のどちらかをおこなうことよりも、その場その場で臨機応変な対応を求められる場である。これが男性ピンクカラーである彼らが実際に用いている「戦術」であると矢原は述べている。