第二章 先行研究

第一節 ロックフェスティバルとは

ロックミュージックの演奏形態は、主にボーカル、ギター、ベース、ドラムを基本として、さらにピアノやヴァイオリンなどの楽器を取り入れることもある。楽曲は黒人音楽であるブルースから発展し、8ビートや2ビートの激しいビートサウンドであることが多い。今日では様々な演奏様式や音楽様式を取り入れ、この範疇を超えて発展し続けている多面的な音楽形態である。

ロックフェスティバルとは、主にロックを中心として行われる大規模な音楽イベントのことである。複数のアーティストが出演し、大音量で演奏するため、住宅街から離れた都市の工業地や、郊外のスキー場、公園などで行われることが多い。現在では「ロックフェスティバル」とはいうものの、ポピュラー音楽全般を対象として開催されているフェスティバルも多い。


 

第二節 ロックの商業化

「ウッドストック・フェスティバル」は多くの人々の記憶に残り、大成功を収めたロックフェスティバルとして有名である。このフェスティバルは、アメリカ合衆国ニューヨーク州サリバン郡ベゼルでベトナム戦争の是非が問われる風潮の中で行われた。メッセージ性を強く持ったフェスティバルで、“愛と平和と音楽の3日間”という名目のもと出演者と観客が一つになって、共に歌い、踊り、昼夜関係なく開催された。3日間で50万人もの人々が参加し、大成功を収めた。しかし、その成功はそれまでロックと聞くと眉をひそめてきた既存社会が「ロックはお金になる」ということに気づき、何とかしてロックを自分たちのマーケットの一部にしようとし始めるきっかけとなってしまった。ウッドストックはロックの持つ強いメッセージの発信力を最大限に生かしたイベントであると同時にロックの商業化の第一歩でもあった。

日本でもフジロックフェスティバルが成功を収めると次々に大小さまざまなフェスティバルが開催されてきた。河合(2009)は、資本主義化した現代は文化もビジネスの一部として組み込まざるを得ない。しかし、ビジネス要素ばかり強くなってしまうと文化は貧困してしまうと述べ、ロックフェスティバルもその範疇であるとしている。宿泊や移動、物販なども考えると、大型のイベントでは数十億円規模での経済効果が見込めるくらいである。フェスティバルには協賛企業がつき、ビジネスの一部となってしまったという。河合は、ロックフェスティバルがビジネスのロジックに支配され、管理されたものとなっていると論じ、反社会的で、主張的なメッセージ性の強い本来のロックが持つ意味を持って開催されるロックフェスティバルはほとんどないのではないかと述べている。このように、ロックミュージックの持つ強いメッセージ性というものはロックの商業化に伴い薄れてしまった。

山元(2009)は、ロックフェスティバルが商業的に成功できたのは、大衆化し多くの人々に受け入れられる音楽へと変わってきたからだと述べる。山元によると、日本でも成功できたのは、音楽以外の付加価値を付け、その場にいるすべての人が楽しめるようなイベントとしてフェスティバルをつくることによって、ロックファンのみならず、多くの人を虜にし、定着してきたからである。また、音楽市場はデジタル化により、体で生演奏を感じるという音楽の聴き方がされなくなった。ロックフェスティバルは一度会場に入ってしまえば、音楽は自分の意思に関係なく耳に入り、体に響く。大自然の中でロックミュージックを聞くという、普段ではできない経験ができるという点も、フェスティバルの商業的な成功につながっているのだ。

上記のとおり、現在のフェスティバルの開催は、その多くが第一に商業的な成功を目的としたビジネスのひとつであるといっても過言ではないだろう。フェスティバルの開催者側にとって、フェスティバルを開催する意図は多種多様、様々あると思われるが、商業的成功をおさめなければ、すなわちそれは今後の開催を望めないという事なのだから。より多くの利益を得るためにロックフェスティバルは大衆化し、イベントのひとつへと姿を変えつつある。しかしながら、近年のフェスティバルの開催数は目を見張るものである。数多くのフェスティバルの中に埋もれてしまわぬようにするには、どうしたらよいのだろうか。本稿では、地方で開催されるフェスティバルが多数あることから、地域活性化という面からフェスティバルについて考えていきたい。


 

第三節 地域活性化において文化芸術の果たす役割と可能性

 芸術文化の活用による都市政策を採用し、既存の産業の再生や新産業の創出等を行なうことで持続的な発展を目指す都市が出現している。小林(2011)は、「地域活性化の新しい潮流〜文化芸術の可能性と創造都市〜」にて、地域活性化において文化芸術の果たす役割と可能性について論じている。

まちづくりの視点として、美術館などの文化施設、アートプロジェクト、社会的包摂(ソーシャル・インクルージョン)の3点を挙げている。フェスティバルは、文化芸術を活用したイベントと言えるアートプロジェクトの中に含まれるといえよう。小林は、「こうしたイベントは、都市のイメージや知名度のアップに貢献するのみならず、観光による大きな経済波及効果が期待できることから、地域活性化として有効」であると述べる。

地方都市については、相対的に、人口規模が小さく、財政基盤も脆弱であること等から優れた舞台芸術や美術を鑑賞する機会が少なく、自ら創造的な文化活動を行う機会も乏しいと小林は述べており、以上の事は富山県でも当てはまるといえよう。既に存在する経済的格差と相関するように、都市との文化的格差もまた存在し拡大することには留意しなくてはならないという。しかしながら、創造都市論においては、文化的多様性の重視という観点から、規模の小さな都市であっても文化芸術の有する創造性の活用により地域の発展は可能であることが指摘されている。文化芸術による地域の魅力を発信することは、地域ブランドの確立にも大きなインパクトを与えよう。

小林は、文化芸術を活用した地域活性化の取り組みは、成功事例を安易に模倣し、美術館や劇場等の文化施設を作ればよいというものではないと述べる。観光客の誘致、知名度アップ等による経済波及効果を狙うイベントを開催する場合でも、地域の歴史を踏まえその特徴を明らかにすることが重要であり、地域のアイデンティティイコール魅力を他の地域と差別化し、発信することが求められると述べる。

文化芸術により地域のアイデンティティや魅力を確立し、情報発信することで、人々が住んでいてよかったと誇りを持てるようなまちづくり、人々からここに住みたいと選ばれるようなまちづくりに繋げていくことが求められているのである。


 

第四節 先行研究のまとめ

 本節では、先行研究についてまとめておきたい。

 ロックフェスティバルは、元来ロックが持つ、反社会的で強いメッセージ性を発信する場であったが、その成功とともにビジネスのロジックに支配されていった。また、ロックミュージックも、ロックフェスティバルが商業化し、定着していくのに伴い、大衆に受け入れられるような音楽へと変化してきた。その結果、ロックフェスティバルは「ロック」の特色を薄めていった。今日の日本で開催されているフェスティバルの多くは、ロックミュージックに限らず、ポピュラー音楽も扱われている。

ひとえにフェスティバルと言っても、その内容や形態は多様なものである。筆者は、フェスティバルの音楽以外の付加価値として地域振興の要素を持つものもあるのではないかと考えた。開催形態によっては地域活性化に繋がるのではないだろうか。したがって、富山県内の性質の異なるフェスティバルについて調べ、考察していきたい。