第二章 少女漫画の定義・歴史

 

以下では、難波(2001)に依拠し、少女漫画の定義を述べる。

少女マンガは「自己を少女(ないし少女性の持ち主)と定義する(される)人々が読み遊ぶマンガであり、主としてそうした読者を想定した雑誌に掲載されている(いた)マンガ」ということになる。(難波 2001189

以下では、1950年代〜1970年代、80年代は難波(2001),7383年は宮台(2007),1990年代は藤本(2008)に依拠し、少女漫画の歴史をまとめる。

 

1950年代〜1960年代

1953年から手塚治虫が『少女クラブ』に『リボンの騎士』を連載し、少女漫画にストーリー性を導入した。50年代の内容の多くは「ひたすら読者の紅涙をしぼるべく、腕をふるって描いていた悲しい悲しいお話」であり、その作者たちも同じような不幸を描くルーティンとパターンの中で他の作家より多く読者を泣かせることが目標だった。60年代には、作品の多様化や独自化が始まり、この頃の少女漫画はちばてつやや松本零士など男性作家が活躍していた。

 

1970年代

この時代は少女漫画の黄金時代と呼ばれ、萩尾望都・竹宮恵子・大島弓子・山岸凉子といった「二十四年組」と呼ばれる作家群が台頭し、少女漫画の水準も高まった。

 

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少女マンガにある、別々の世界を提示する三つの流れが分離する。1973年以前の少女マンガの主流は、大河ロマン・成長もの・性愛ものの「大衆小説的な少女マンガ」であった。これは、「ありそうもない経験」についての<代理体験>を読者である少女に提供するものだ。こうした少女マンガは、「自分とたいして違わない主人公」が自分には実際に経験でき(そうも)ない目に遭うからこそ感情移入や同一化に意味が与えられたことが、共通の特色である。

1973年に「乙女ちっく」と呼ばれる少女マンガが登場し、以降、少女マンガの主流は「大衆小説的な少女マンガ」から「私小説・中間小説的な少女マンガ」へと変わる。これを境にして、少女マンガが、<私>を読むための<関係性モデル>として機能し始めたのだ。少女(読者)たちは少女マンガの中から「これってあたし!」と言えるモデルを捜し出すことができた。かくして「乙女ちっく」以降、少女マンガの主流は<代理体験>ものから<現実解釈>ものに移転した。

時代が進むと、読者の加齢とともに<関係性モデル>は飛躍的に複雑化した。結局最初の<現実解釈>ものだった「乙女ちっく」は低年齢向きに固定されて短絡化していく方向と、初期読者の加齢に伴って「乙女ちっく」を脱して複雑化していく方向と、二つの向きに進化を遂げた。

これらとは別に存在するのが、「西欧純文学的な少女マンガ」である。当時小中学生だった少女は「乙女ちっく」に馴染み、馴染むことができなかった一部の高校生は「大衆小説的な少女マンガ」に留まり、「高偏差値の文学少女たち」はこの両方に満足できなかった。こうした不満層を引きつけて、高踏化していったのが萩尾望都・山岸涼子らの「純文学的」な少女マンガである。

 

77年〜83

「乙女ちっく」は1977年には初期読者の加齢と並行して「これってあたし!」との結びつきを弱めていき、終焉を迎える。それ以降、主人公の視点の分岐が始まり、<私>を読むためのモデルが分化した。さらに、<私>だけでなく自分の思い通りにならない「<他者>としての男の子」が登場し始める。少女マンガが現実を読み替えるモデルを提示するものとなった以上、こうした変化は読者の加齢から見て必然的であった。

83年になると、<関係性モデル>としての少女マンガはさらに進化し、一つのマンガにタイプの異なる<彼女>がさまざまに登場して、同世代の類型性が強く意識され始めた。

 

1980年代

作家のキャリアが長くなってきていることと、70年代に少女漫画を読んでいた層が成長した結果、大人の女性向けの漫画が成長し、恋愛以外にも結婚・出産・育児をテーマにした作品が増え、レディースコミックがジャンルとして確立し、創刊ラッシュが起こった。少女マンガは上の年齢層をレディースコミックに委ね、ローティーンに狙いを絞っていく。(『美少女戦士セーラームーン』等)

 

1990年代

現実とたしかに向き合い、複雑な現実を現実のまま受け入れ、その中でなお自分の道を進んでいこうとする少女(女性)たちが描き始められた。そしてそれは同時に、性をごく自然なもの、等身大なものとして捉え、それと向き合っていける世代が育ってきたということである。

 

以上が、それぞれの論者に依拠した少女漫画の歴史である。ここではその中から、ふたつの流れに注目したい。

第一の流れは「現実主義化」と呼びたい。これは「ありそうもない」側面と「ありそうな」側面のうち後者の比重が高まることを指す。1950年代には不幸を描くストーリーがパターン化されていたが、1960年代から1970年代前半は、「自分とたいして違わない主人公」が「ありそうもない」経験についての代理体験を読者に提供していた。また、1973年に登場した「乙女ちっく」では、現実を読み替えるためのモデルが提示されていた。このように1950年代から1970年代にかけて「現実主義化」の流れがあった。

第二の流れは「複雑化」である。これは現実化の帰結として、つまり読者の加齢や細分化にともなって必然的に起こることとして捉えられる。1977年以降、「乙女ちっく」を脱して主人公の視点の分岐が始まり、<私>を読むためのモデルが分化した。読者はどんな状況下の<私>でもそれに当てはまるモデルを捜し出していた。さらに<私>だけでなく自分の思い通りにならない男の子が登場し始めた。1980年代に入ると、一つの漫画にタイプの異なる<彼女>が登場し同世代の類型性が強く意識され始めた。また、結婚や出産、育児をテーマにした作品が増えた。1990年代には、複雑な現実を受け入れ、それに向き合う少女たちが描き始められた。このようにして1970年代から1990年代にかけては「複雑化」が進んでいた。

しかし、もちろんこれらの流れは単線的でない。例えば、1980年代の少女漫画はローティーンに狙いを絞り、一定の非現実性や比較的単純な善悪の図式をもつストーリーを展開していた。このように局所的にはゆり戻しもある。それでも、この二つの流れはジャンル内在的な動きといえそうである。