第六章 考察

 

大枠として、「男女平等(女性差別)」と「家制度」という2つの論点が共通して見られた。実際に体験したり、あるいは伝聞として知ったりするなどで、いまだに社会には男女間の差が厳然としてあり、その解決のための手段として選択的夫婦別姓が有効に働くという主張、家制度の弊害によって不利益を被ったなどの経験から家制度を排除すべきものと認識し、そのために選択的夫婦別姓を求める主張があり、個々人の体験の長さや内容によってこれらの主張の強さが変わってくるのではないかと思われた。

また、選択的夫婦別姓を志す中でも、別姓そのものを求める意識と、別姓を実現させることで社会の変革を求める意識があり、個々人によってどちらの意識がより強いか偏りがあるのではないかと考えられた。

先行研究である阪井(2011)に照らし合わせると、A(夫婦同姓固守、夫婦別姓反対)の立場をとる人物は、Aが夫婦別姓を批判する立場である以上見受けられなかった。(3

B(夫婦別姓の法制化に賛成)の立場をとる人物としては会の趣旨から全員が当てはまるといえるが、その中でもG氏のライフヒストリーからは他の立場の要素があまり見られず、この立場を表すにあたって最もシンプルな一例として挙げられるのではないかと考えられた。彼女は自身の両親も元来の姓を継ぐことを期待していると感じており、その期待に応えたいという思いも夫婦別姓運動を推進するモチベーションとなっている。ただしこれは家制度の肯定というよりは両親の意思を尊重するが故のことであるとみられる。

C(戸籍制度や法律婚の否定、夫婦別姓反対)の立場については、Aの立場と同様に別姓を推進する会のメンバーである以上全員当てはまらないと考えられる。

D(戸籍制度または法律婚の否定、夫婦別姓賛成)の立場については、明確に法律の下の婚姻に異議を唱えるJ氏、従来の家制度の下で「嫁」として冷遇され、家制度の下での価値観やそれに基づく嗜好をする人々に嫌悪感を抱くI氏、従来の制度の変革を望むH氏の3人が、従来の法律婚や家制度について批判的であり、夫婦別姓を推し進める立場であることから当てはまると思われる。会全体としてはあくまでも夫婦別姓自体を求める団体と判断しBに分類されると思われたが、個人レベルにおいては従来の制度に不満を持つ人物が多く存在し、それゆえにこの立場に分類される人物が多いのではないかと推測された

今回のインタビューにおいては、夫婦別姓の法制化に賛成するという点は各人共通しているものの、B以外の立場の要素も入り込んだライフヒストリーが見られ、Bの立場によってのみ「夫婦別姓の法制化」をめぐる議論が行われるべきとする阪井(2011)とはそぐわない印象が持たれた。またインタビュイーからは、夫婦別姓を男女平等や人権問題と結びつけて考える様子も見られ、一見、阪井(2011)が指摘するような立場の混同が発生してしまっているように見える。しかし、彼らのライフヒストリーから、彼らは自分たちの行っている活動(訴訟やそれにまつわる諸々の活動など)を、自分自身を含む夫婦別姓を望み、それがかなわない現状に苦しんでいる人々に対して姓選択の自由をもたらすという形で「個人の自由」を拡大するものであると見ているのではないかと考えられた。そして団体の内部においても、自分たちと異なる考え方も「別姓を志向する」という方向性さえ一致していれば「個人の自由」であるとして受容するという意見が多く見られ、「個人の自由」を尊重する風潮が存在すると思われた。ここから、少なくとも今回調査した範囲内においては、夫婦別姓問題における主義主張が、阪井(2011)で「あるべき姿」として述べられているように「夫婦別姓の法制化」とそれ以外の思想に明確に分かたれていなくとも、「個人の自由」という要素が重視されていれば主張として瑕疵なく成立し、また「個人の自由」として各人の主張をとらえることで議論の混乱を防ぎ得るのではないかと思われた。

阪井(2011)は、夫婦別姓議論は「個人の自由」という視点から姓選択の自由や、その法的な妥当性があるかどうかということを争点としてなされるべきだとしているが、実際に別姓賛成派として活動している人々は姓選択とは離れたところで「個人の自由」を抑圧された経験(夫側の家との確執など)がある人々がいる。そうした人々の場合、その当人としては純粋に対立軸の中のBの立場から主張を行っているつもりでも、その主張を受け取るAの立場側の人々が、主張した当人のバックグラウンドからC,Dの立場に当てはまるような思想や主義主張を(真偽に関わらず)読み取ってしまい、結果として議論の錯綜が起こってしまうことがあり得るのではないかと考えられた。夫婦別姓に賛成する立場に属する人々が主張を行う際に、「個人の自由」という理念をより鮮明かつ詳細に打ち出し、自らの主張が「個人主義」ではなく「個人の自由」に基づくものであるということを別姓に反対する立場の人々や別姓に無関心である人々にも理解させるよう努めることが議論の錯綜を防ぎ、「夫婦別姓の法制化」の是非についての議論の発展を推進しうる手段となるのではないかと考えられた。むろん、夫婦別姓という概念やそれに関わる事象について「個人の自由」という観点のみですべて整理して語ることはできないが、夫婦別姓についての議論をとらえるうえでの一つの指針として「個人の自由」は有効に働きうるのではないかと考えられた。