第五章 分析

 

第一節    【別姓訴訟を支える会・富山へのインタビュー】

まず、「別姓訴訟を支える会・富山」の成り立ちについては、もともとは原告の塚本氏が2002612日に立ち上げた「選択的夫婦別姓の会」(ななの会)が前身となっていて、そこから「選択的夫婦別姓訴訟」の提起に合わせて、東京に本部を構える「別姓訴訟を支える会」と、塚本氏の故郷である富山を拠点とする「別姓訴訟を支える会・富山」へと移り変わっていったという経緯がある。

今回インタビューした、塚本氏以外の5人の中にはそれぞれこの「ななの会」当時から参加した人もいれば、約半年前から加わったという人もいて、各人さまざまな背景を抱えて参加しているが、いずれの人も塚本氏の活動(「ななの会)設立や、別姓訴訟)に惹かれて参加したということが共通して見て取れた。

 

H:塚本さんと知り合ったのはどれくらい前になりますかね。十年ほど前かね?まあ十年ほど前かもわかんないですね。もうちょっと前かな?彼女は一人で選択的夫婦別姓を求めるチラシとか街頭宣伝をやってたんですよ。私別の所で街頭宣伝よくやってたんですよね。ある時一緒にやりませんかと言われてね、じゃあ一緒にやろうと。そこらへんがきっかけなんですよね。

 

「選択的夫婦別姓制度」については、あくまでも別姓選択の自由を本義とし、別姓反対派は選択を行わせない(行わせたくない)人々であるというスタンスをとっている。また、会全体としては、「個の尊重」(社会的集団の出発点としての個人の尊重)や「社会的な性差別への反対」といったことを重要視しているが、これらのことを反対派が「個人主義」などといったことにすり替えて、別姓賛成派にマイナスイメージを植え付けようとしがちであると主張する。決して法律婚自体を否定しているわけではないことから「別姓訴訟を支える会」は阪井論文における対立軸の区分ではBに属するのではないかと推測される。同論文にあったような反対派による「個人主義」と「個人の自由」の混同を指摘しており、その点では夫婦別姓賛成派としてのスタンスを的確にとらえているといえるのではないだろうかと考えられた。

 

K:選びたい人が選べるのであれば夫婦別姓について賛成と言えるんです。

中条:賛成ですかね。

K:そこに選ばせたくないという人たちが反対です。

(中略)

K:個人の集まりが家族であって、家族の集まりが地域社会で、地域社会の集まりが・・・政治とか国とかという考え方です。その人たち(※別姓反対派)とは出発点が違うんです。(別姓反対派は)国があって、家庭があって、終わり。

 

別姓訴訟を支える会に参加するきっかけとなった出来事について質問すると、家制度に対する不満が多く語られた。夫婦同姓の最大の効果として、明治から現在までの家制度、「家に個人が入る」という結婚観の継続があるとしており、夫側の家族から屈辱的な扱いを受けたり、過剰な束縛を受けたりした体験が、そういった家制度や結婚観への不満として挙げられていた。「夫婦同姓」そのものというより、むしろ「夫婦同姓」に対する社会的な意識が旧来のような家制度や価値観の存続につながり、インタビューで語られるような事象の要因となっていくということが言えるのではないかと思われた。

 

K:夫に「お前俺のもんや」と言われたんです。

中条:お前俺のもんや?

K:物扱い。

中条:それは愛情表現とかそうゆうものでは?

K:そういうものではないです。所有物です。

中条:そういう蔑む感じで?

K:うん。物扱い。

(中略)

I:私のきっかけは、夫亡くしたんです。夫が亡くなった後に、家は夫の両親が健在でしたから、姻族関係終了届ってゆうのを出せば姻族関係は終了できるんです。で、それを出したら、非常に腹を立てられて、家に乗り込んでこられたんです。そこからは一緒なんです。「お前は家の物なのに、何を勝手なことしてるんだ」って。

(中略)

I:個人と個人の結婚ではなくて、家の中に個人が入るという結婚観が、なんか今も続いてるんじゃないですかね。

K:同姓の強制の最たる効果でしょうね。

I:それが残る限りは、家の中に誰かが入るという価値観というか、そうゆうものって残り続けるんじゃないかって。

 

また、自分の生まれつきの姓が結婚によって変わってしまうことに対して嫌悪感、自己喪失感を抱くという意見も見られた。

 

L:私が名前を変えると決断して去年結婚したんですけど、でもそれからすごい自分の想像以上に辛くて。自分じゃない名前、好きな人の名前に変わったから嬉しいじゃなくて、自分じゃない人の名前で呼ばれるっていうのがすごいなんか苦しくて…

 

続いて、夫婦別姓と社会の関わりとして別姓が親子関係に影響を与えうるかという質問を行ったところ、子どもの持つ柔軟性ゆえに悪影響は出ないという主張がなされた。また、反対派が「夫婦別姓は子どもに対して影響を与える」という論調で夫婦別姓を批判してくるが、夫婦同姓が多数派である現在においても家族内での虐待事件が多発しており、その事実を反対派は無視しているという指摘がされた。

 

I:子ども自身って「あ、ちがうがや」「はい、ちがうがや、ふーん」っていくかなぁって。だからあまり影響はないんじゃないかなって思うんですけど。

G:ないですよね。

 

選択的夫婦別姓の社会への浸透の度合い、受け入れられ方については、図1の資料を提示したところ(図1に示されている)内閣府の世論調査には調査方法(電話を使用した調査)による回答年代の偏りがあり、正確な世論を反映しているとは言い難い不備な物であるという主張がされていた。他のアンケートなどによる調査においてはもっと夫婦別姓に対して賛成する人数が多く、会が独自に行っている街頭アンケート調査においても、別姓賛成派の増加が実感できているとのことだった。


 

第二節 【個別インタビュー】

第一項       自分が自分で無くなったような苦しみ:塚本協子氏の場合

 

塚本協子氏

プロフィール:70代の女性。1960年に結婚(事実婚)している。かつて高校で教鞭をとっており、退職後富山県の男女共同参画推進委員に参加する。その後「シャキット35」と言う団体を経て2002年に「ななの会」を発足し、夫婦別姓のための運動を本格的にスタートさせる。2011年に選択的夫婦別姓訴訟を起こし、別姓訴訟を支える会においても原告として中心的な役割を担っている。

 

選択的夫婦別姓を志した動機

大学で出会った相手と結婚しようとするが、相手が長男であるゆえに自分が相手の姓にならなければいけないということに悩み、婚姻届を出さない事実婚を選択する。しかしその後出産の際に子どもは夫側の姓で生むことを強いられたり、夫側の家族から冷たい扱いを受けたことで夫婦同姓やその基盤としてある家制度への反感を強めていき、夫婦別姓に関わる行動を開始するようになる。

 

塚本氏は、自分の本意ではないのにも関わらず許嫁を用意され、結婚させられそうになった。その人物とは結婚せずに大学に進学し恋愛結婚(塚本姓を守るために籍を入れない事実婚)をしたが、嫁入りした後も、強い家父長制的雰囲気の残る夫側の家族からの扱いに苦しんでいたのだという。

 

塚本:母から、私には許婚があるから、その人と結婚して家を継ぎなさいって言われたんです。

中条:その許婚の方のお話はそのときが初めてだったんですか。

塚本:初めて。そしたら私、戦後の自由な雰囲気の、民主主義と自由な教育を受けてきましたので、びっくりしてしまったんですね。「私、嫌だ」って言って、断って、三日三晩苦しんだんですね。そのときどう思ったかといいますと、母親も私も家制度の犠牲者だと思ったんです。

(中略)

私が外へ行ったら、近所の人に長男の嫁ですって言われる。それからみんなで食事をするときに、みんながしゃべっているのに、私がしゃべろうとしたら、睨み付けるんですお義父さんが。嫁の分際でしゃべるなっていう感じ。

(中略)

嫁は人間でない、家政婦だから。「長幼の序」って知っているかな。家族みんな縦の関係なの。横ではないの。そして嫁は、お嫁に行った女の子の下。

 

また、婚姻後子どもが生まれた際に、夫婦別姓を保つために婚姻届と出産届を同時に提出し、その後離婚届を提出する「ペーパー離婚」を行なった。2人目まではその方法を取ったが、3人目を出産する際に当時勤めていた高校の校長に「婚姻届も出さないのはふしだらな関係に見えるから」と指摘され、大きな自己喪失感に苛まれながらも夫側の姓に変わったのだという。

この校長は特別に塚本氏につらく当たっていたわけではなく、むしろ塚本氏の教師としての方針に理解を示す人物であったことから、そういった人物から見ても事実婚状態は好ましくなく是正されるべきだという世間全体の風潮があったと推測される。

 

塚本:赤ちゃんが生まれるときに婚姻届と出生届けをだして、そして後で離婚届を出せば、また夫婦別姓で居れるでしょう。だから三人の子ども生まれたとき、三人とも…二人はそうできました。三人目は1973年に生まれたんです。昭和48年なんですけれども。そのときに、当時の校長に、「今まで通り“塚本協子”で生みます」って言いに行ったんです。そしたら、「それはみだらな関係だから」って、婚姻届も出さないのは淫らだから、あなたがいるのは女子高校だから、夫の名前になりなさいって言われたので、私、喧嘩もできないので、命令に従って夫の名前になったんですが、それから非常に苦しみました。

 

塚本:私は、校長に言われてから、もし夫の名前になって、慣れたらどんなにいいだろうと思って。そしてなったんですけれども、全然慣れなくて、そのときから生理が止まったり、やせたり、泣いたり、苦しかったです。自分が自分で無くなったような苦しみ…。

 

塚本氏が夫婦別姓に関する活動を本格的にスタートさせたのは2002年に発足した「ななの会」からであるが、その「ななの会」が誕生するきっかけとなったのは、男女共同参画推進を趣旨とする「シャキット35」という団体に所属していた際に行われた夫婦別姓に関する署名運動だという。その署名運動に興味を示していた塚本氏に「シャキット35」の執行部の人々が夫婦別姓に関する団体立ち上げの意思を塚本氏に問い、「ななの会」が誕生したのだという。

改正を目指して活動を行っている民法750条に対しては、若い世代では別姓を望む人が多いのに対し実際に妻が改正するケースが大半であると、女性の持つ希望と現実のギャップを指摘し、同条は女性差別を助長する差別条項であるとの見方を示している。

 

塚本:民法750条で、女性が改姓するのは96.2パーセントになっていますね。そこからまた、別姓を取りたい若い人たちが80パーセントもいるわけなんですね。その食い違いがあります。そこに、民法750条は明らかに差別条項であるって思います。それから民法750条は、婚姻前の夫か妻の姓を称すると書いてありますけれども、普通の法律でしたら、「もしそれが決まらない場合はどうするか」っていうのが必ず書いてあるわけなんですけれども、民法750条には書いてありません。あなたたちは夫の姓にしなさいよっていうのが、形式的には選ぶことになっていますけれども、実際的には夫の姓にしなさいよって命令みたいなもので、女性差別を助長するものだと思います。

中条:ではその、選択的夫婦別姓によってその女性差別が助長される現状が改善されるという。

塚本:ええ、そう思います。

第二項 自分だけではなく、誰かのためにもという思い:G氏の場合

 

G

プロフィール:50代の女性。公務員として働いている。約25年前に結婚(法律婚)し、その7,8年後に職場での旧姓使用を開始する。現在、「別姓訴訟を支える会・富山」において役員を務めている。かつては会の代表を務めていた。

 

選択的夫婦別姓を志した動機

もともとG氏自身も旧姓のままで結婚したいと思っていたが、姉(長女)が結婚するときに婿を取るものと思っていたのが、相手側の家族の反対に遭って結局姉のほうが相手の家族の姓に変わらざるを得なくなったということがあり、その際にG氏の両親が「元の姓のままでいてほしかった」と望んでいることを知って、両親のためにも別姓での結婚を望むようになった。もともとは東京の「選択的夫婦別姓を進める会」に所属し活動していたが「ななの会」が発足した際に最古参のメンバーの仲介によって塚本氏と出会い、彼女の呼びかけによって参加することとなった。

 

G氏の夫婦別姓に対する欲求には自発的なものの他に、「両親の望みであるから」という要素もあるとみられる。

 

うちの両親は、私の旧姓に、姉の姓も、みんながずっとなってほしいと思っていたのが、結婚の少し前にそれがごたごたともめてたのを見ていて、何とかしたいと。

(中略)

自分は結婚しても、結婚するというイメージがあまりなかったんですけれど、自分の名前でずっと行きたいと。それが両親がうれしいことかなと思って、そういう風に強く思ったんです。

 

結婚してしばらく経つと夫の姓で呼ばれることにも慣れたり、職場での旧姓使用が認められた時点で一定の満足感が得られたりと、自身の姓が変わったことに対する喪失感や不便さがなくなったわけではないが、結婚による姓の変化に折り合いをつけ、あまり大きく別姓を主張しないことで周囲との軋轢を生まないようにしている面も見られた。

 

夫の姓でもう、職場でも変わって呼ばれることが増えて、保育園やらといったところも夫の姓が当たり前になってきたものですから、まあそんなものかなと。

(中略)

私は結婚してからしばらくは夫の名前になってしばらくは、いやだったけどそういう風になって過ごしていたという時期があったし、職員の制度が変わってから届けをだして「○○(G氏の旧姓)」になったものですから、軋轢はあまりなかったという、戦わなかったという感じはありますね。

 

別姓訴訟に参加するモチベーションとしては、自分と同じような悩みを持つ人々を助けるために選択的夫婦別姓を導入したいという思いもあるようだ。

 

姓が変わるということで、事実婚という法律上の届けを出さずにやる人もおられますが、法的に不利益をこうむることも、子どものこととかいくつもあるように聞いているので、そういうこともなくなるでしょうし。


 

第三項       人権問題としての夫婦別姓:H氏の場合

 

H

プロフィール:60代の男性。会社員として働いている。未婚。現在、「別姓訴訟を支える会・富山」において役員を務めている。

 

選択的夫婦別姓を志した動機

もともとは平和に関する問題のための行動をしていたが、2000年ごろに塚本氏と街頭宣伝を実施しているときに出会い、その3,4年後に「ななの会」の存在を知って夫婦別姓に関心を抱くようになった。そして2010年に別姓訴訟の応援を頼まれ、「別姓訴訟を支える会・富山」の役員として現在活動している。

 

H氏は夫婦別姓問題について、少数派の人々の権利に関わる人権問題として捉えており、自身が他に行っている平和問題に関する諸活動とも密接に関わっているとしている。

 

この問題っていうのはある種少数派の問題ですよね。うん。人権問題だね。こういった問題っていうのは、私の学生時代以降の取り組みの中では珍しいね。

(中略)

もちろんつながってはいるんだけどもね。ものすごく密接な絡みがあるし、本質的には、なんていうかな、根っこでつながっているって私は思っているんですけどもね。

 

また、選択的夫婦別姓の実現によって、現在の別姓を望む人々の人権が侵害されているという状況をなくすことができ、上記のような人々にとっては選択肢の増えたより住みやすい社会になるとしており、そのことが女性差別を含めた、差別や抑圧のない平和な社会を作る嚆矢ともなり得ると語っている。

 

人権侵害と私たちは捉えていますのでね、その一つが、ささやかかもわからないですけど、なくすことができるっていうか。結婚改姓を願ってない方々、そういった方も少なからずいるわけですから、そういった方々にとってとても救われる、とても住みやすくなるんじゃないかと。

(中略)

私の思いとしては、これは平和をテーマとした問題ともつながってくる問題だとも思いますしね。この選択的夫婦別姓制度の実現で、本当にいい世の中、課題はたくさんありますけれど、そういう方向に向かって行ってもらえたらいいなと。どんな人でも自由に生きられるというのかな、差別とか抑圧のない、そして平和な暮らしやすい、そういう世の中への第一歩、そういう風に私は思っているわけですね。


 

第四項       家制度による苦痛:I氏の場合

 

I

プロフィール:40代の女性。公務員として働いている。15年前に結婚(法律婚)し、4年前に夫に先立た

れた際、姓を旧姓に戻した。現在、「別姓訴訟を支える会・富山」において役員を務めてい

る。

 

選択的夫婦別姓を志した動機

自分の姓が変わることに強い嫌悪感を持っていて、当時の新聞記事などから夫婦別姓実現の機運を感じたこともあり、夫との間では「夫が婿養子に来る」という約束を取り付けていた。(夫の両親に猛反対され結局I氏が姓を変えることになる。)その後夫が亡くなった際に、かねてよりつらく当たられていた夫の両親との関係に耐えられず姓を元に戻して関係を断とうとするもそのことによってさらに夫側の親族の怒りを買い、夫の財産を強引に持ち去られる。そのような経験を経て傷心し、旧態依然とした家制度に憤りを覚えていた時期に塚本氏と彼女の起こした訴訟を知り、職場のOBであった「別姓訴訟を支える会」の会員の取次によって別姓訴訟を支える会・富山に参加するようになる。

 

I氏は結婚する際に夫に自分の姓に変わってもらおうとし、夫も了承していたが、夫の両親に猛反対に

遭う。彼らは、I氏が自分の息子に姓を変えさせようとしたことに激怒し、このことをきっかけに結婚後、さらにはI氏の夫が亡くなった後もI氏に対してつらく当たるようになる。特に、夫の死後にI氏がもとの姓に戻った(復氏)ことに対して立腹して、別居していたI氏宅に夫の財産を強引に取りに来るなど、「嫁」と言う立場を非常に低くみる価値観を持った人々であったことが窺え、彼らの存在がI氏の選択的夫婦別姓を求めるモチベーションに大きく関わっていると思われる。

 

とりあえずお互い一回会おうという話になって、会ったそばから「お前息子に名前変えさせようとした

な、、「お前頭おかしいんじゃないか」と、そういう言い方をされるんですよ。そういう方って「頭がお

かしい」とか「常識はずれ」、「非常識」という言葉を好んで使われるらしいんですけど、まさに典型例

のような人で、まずその言葉からしてレッテルを貼っているだろうと。「女が変えるのが当たり前だろう

が」って言われるんですよ。

 

夫が亡くなった後、姑に「結婚もしているのに姓がもとの○○(I氏の旧姓)に戻った。頭おかしいん

じゃないかあんた。」、「結婚しておきながら名前を変えるなんてどうかしている。」、「ちゃんと籍が入っ

ているのに、非常識にもほどがあるわ。」って言われました。だから今通称使用とかあるじゃないかって

言う話も聞こえてくるけど、それでは家制度を維持したい人は絶対納得しないと思う。通称使用で誤魔

化すんじゃなくて法律、民法を変えないと絶対だめだと思う。

 

私も、心からじゃないですけれども、「こういうこと(復氏)をしてしまいましたけれども、これで最後

にしたいのです」という話をしたら、そこからまた夫の両親に、「血も涙もない」、「そんなこと出来るな

んて鬼だ」、「お前の人生をお前が決められると思うなよ」ということを言われて、その時は怖くて、体

中震えていたんだけれども、さらに「今まで息子にどれだけ金かけたと思ってるんだ」、「ノートに息子

に出してやった金全部つけてあるんだ」、「それだけ金かけたんだから息子の金は全部俺のもんだ」と。

「息子の金で買ったものも俺のもん、今日は全部もらっていくから」って言って、夫の私物や預金通帳

をとられた。

 

I氏は現状の夫婦同姓が基本となる制度は家制度を守るために必要なものであり、その家制度は男女不平等の感覚を生み、家制度内の上下関係に執着する人が自分より下の立場の人をいいように使おうとするための鎖となっているとして、選択的夫婦別姓の導入によって従来の家制度が崩壊し、男女間の不平等がうすれ、家制度で人をつなぎとめるのではなくお互いの人格によって家族が結びつくようになるのではないかと期待している。

 

(選択的夫婦別姓の実現によって、社会はどのように変化すると考えるかという質問に対して)

家意識が薄れる。まずそれが一番期待しているところ。家意識がなくなるってことは、女は家の家政婦だって考え方もなくなるし、女が強くあるべきだって、男女不平等の感覚が消えるわけで、いい効果があるんじゃないかなって思いますね。DVとかも、児童虐待も、根っこにあるのは支配欲だと思うんです。支配欲を満たしてくれるのが家制度で、家制度を堅持していくのに必要なのが夫婦同姓だと私は思っているんです。それを失えば根底から崩れるのだから、制度で絆を保とうというんじゃなくて、人格でお互いの人間関係を作るって関係にシフトしていってくれるというような、一筋の希望の光が見えてくるんじゃないかなって思います。

 

I氏はどちらかの姓を選択するのでは結局子どもはどちらかの家の後継ぎとしての役割を背負わされることになり、妻の方も、たとえ自身は別姓であっても、跡継ぎを生むというだけの役割に甘んじてしまうのではないかとして、結婚した時に全く新しい姓を名乗る「複合姓」を理想とし、選択的夫婦別姓はその足掛かりとなると考えている。

 

名前が変わるのはつらいんだけれど、子供も女性も男性も、お互いにハッピーになるようなやり方が「複合姓」というか、結婚したら新しい姓を名乗るほうがすべてうまくいくんじゃないかなっていう気持ちは持っているんです。ただ今、急に三段跳びなんてできないから、まずは夫婦別姓だとは思うんだけれど…。

 


 

第五項       差別への抵抗としての個人重視:J氏の場合

 

J

プロフィール:70代の女性。婚姻という形を取らずに家族関係を築いている。「別姓訴訟を支える会・富山」には一会員として参加。

 

選択的夫婦別姓を志した動機

自らの日常生活の中で体験したり見聞したりしたことから様々な「差別」を見出し、それらを解消する

ための社会変革の在り方の一つとして選択的夫婦別姓の導入を望んでいる。自らの望みをかなえることを生活の基本において努力を行なうことで、憲法において抽象的に表現されている内容を体現し、そのことが社会の変化につながると考えており、選択的夫婦別姓の実現によってその社会の変化がさらに大きく推進されると考えている。

       

J氏は現状の法律婚のあり方と自らの考え方に不一致を覚え、婚姻と言う関係を結ばないままで家族を

作り生活している。その背景にはJ氏がこれまでの経験の中で感じ取ってきた様々な差別があり、それ

らをなくす手段としてこのようなライフスタイルを選択していると思われる。

 

婚姻関係に入ったらば相互扶助の義務を負うとか、相続権が生じるということがありますよね。そう

いうのって私にしてみたら、当事者がそれを行使することが必要だって思ったらやることなわけで。

だから法律によって縛られて扶助したりしなかったりするということじゃないでしょうということ

で、私に暮しは別にそんなこと、法制度に乗っかる必要はないわって思うもんですから、婚姻という

形を取らなかったというのがあります。それから、私自身幾人も私生児って呼ばれている人を知って

いるんですけれども、その人たちを見て、いろいろ話を聞いていると、周囲の人とその人との関わり

方に大きな問題があるという風に感じたものですから、それで、身ごもった時には、差別されるかも

しれない状況の中で、差別を蹴飛ばしちゃえっていうことを思いました。

 

個人の尊厳を重要視しており、自らの娘に対してもそのスタンスを曲げずに接している。家制度はそれ

に相反するものだとし、既に憲法においては家制度は廃されているとしつつも、選択的夫婦別姓が実現した際には民法・戸籍法などに残る家制度の名残が解消されると主張する。

 

なんていうか、自分の分身であることは間違いありませんけれども、やっぱり一人の人間としてとい

うか、それは外してこなかった。ちょっとおせっかいなところがありますけれども、それでもやっぱり

基本的に、個人っていうことで、娘に対して心配はあまりしてこなかったと自負しております。

(中略)

家制度は無いわけなんだから、家制度を崩しちゃって、まさに個人の尊厳で、男女平等で行くって、本

質的に対等だっていうところで、人と人とが関わるわけですからね。だから、別姓を選択するか、同姓

を選択するか、それは個人の自由にゆだねられるべきところなんだから、そう言うところで国家が四の

五の言う話ではないっていう、それが私の立場です。


 

第六項       改姓がもたらす問題:M氏の場合

 

M

プロフィール: 60代の女性。かつて公務員として勤めていて、現在はボランティア活動を行っている。結婚を2回していて、最初は約30数年まえに法律婚を行いその後離婚、約20年前に事実婚によって現在の夫と結ばれる。現在主に名乗っている戸籍上の名前は一度目の夫のもので、現在の夫や娘の姓とは異なる。子どもは、現在の姓で二人いるが、前回の結婚時にも二人もうけている。

 

選択的夫婦別姓を志した動機

結婚によって姓を変え、「嫁」として扱われることに対して自己喪失感と嫌悪感を抱いているため。

 

M氏が事実婚を選択したのは名前を再三変えることに抵抗があったためであり、一番目の夫との離婚時に生来の姓に戻さなかったのは、離婚したという事実を周囲に知られたくなかったという思いがあったことと、そのときに生まれた子ども(現在は一番目の夫の家に引き取られている)との縁を切りたくなかったためだという。生来の姓に戻ることが、一番の理想だとしている。

 

離婚した時点で名前を戻さなかったのは、離婚したということが周囲に知られるのが嫌だったのと、後私の場合は○○姓(一度目の夫の姓)の子どもも二人いるんです。子どもを置いていかなければいけないということになったもので、子どもと別々の名前になりたくなかった、せめて名前でつながっていたかった、そういう事もあって。

 

婚姻のたびに姓を変えざるを得ず、手続きなどで負担がかかってしまう現状に抵抗感を示している。自民党の女性議員が通称使用を行っている(結婚してもそれまでの姓で選挙などを行っているなど)ことを例に挙げ、結婚によって女性のキャリアの連続性が断たれてしまうことの重要性を主張している。

 

名前を変えたら通帳とか保険証とか免許証とか全部変えなきゃいけないでしょう。それはもちろんいやだよね。

(中略)

今国会議員で女性閣僚が何人もいるでしょう。あの人たちのほとんどが通称使用になっているわけ。要するに戸籍名ではなくて旧姓を使用している。あの人たちはみんな夫婦別姓には反対しているのね。その反対の理由というのは、知っているとは思うけど、「家制度が崩壊する」とか「離婚率が上がる」とか、そういうのが理由なんだけれど、じゃあ自分はなぜ通称使用をしているかということだよね。なぜ戸籍名で選挙をしないのか。それは、姓を変えてまったく別の名前になってしまうと不利だからなんだよね。

 

夫婦間の絆があるならばペーパー離婚(実質的に事実婚)をして双方元の姓を保つことを推奨している。

 

私は別姓の会とか、いろんなところでどう言っているかというと、「ペーパー離婚してもしっかりと夫婦の絆さえあれば差し支えない」、「夫婦の絆がある人はペーパー離婚して事実婚になって頂戴ね」と言っているけど、なかなか実現しないね(笑)。


 

第七項       一人よりも二人で:N氏の場合

 

N

プロフィール:40代の女性。生物の調査を専門とする仕事についている。約20年前に、別姓を望んだものの相手が長男であったこともあり、法律婚をする。

 

選択的夫婦別姓を志した動機

夫婦同姓の現状において姓を変えた側が一方的に負担を負う(結婚や離婚といったプライべートの変化を姓の変更によって知られてしまうなど)ということが不平等に感じたことから。姓の変更を望む自由も認めているが、基本的には姓が変わることに対してネガティブなイメージを抱いている。

 

結婚の際、勤めていた会社において通称使用を望み、上司に希望を伝えると一旦は認められたものの、その上司が変わることで「名前が二つあるのはおかしい」とのことで戸籍名への統一を強いられた。それに対して強く反発し、弁護士や地元の法務局に相談するなどの活動を起こした。最終的に通称使用はある程度認められ、会社ともある程度の折り合いはついている。会社の組合からは、N氏個人のために行動はできないと助力が望めない状況であり、周囲からもN氏に同調する意見は出てこなかったという。

 

結婚すると免許証とか銀行の通帳とか会社の届けとか、色々なものがコロコロと名前を変えなきゃいけなくなりまして。変えつつも名刺とか名札とか、会社の座席表とかは○○(旧姓)でいさせてくださいと会社にお願いしたんですけど、会社の総務部長が、何年かで変わりますが、結婚した時の部長は了承してくれたんですが、数年して部長が変わった時は「名前が二つあるのはおかしい」と言ってすごくもめまして。「なんでそんなの言われなきゃいけないのか」、「今までしてきていたことがなんで駄目なん

ですか」みたいな感じで頑として受け入れませんでした。

 

塚本氏とはそれぞれ夫婦別姓に関する活動をしている(N氏は東京で夫婦別姓を推進する趣旨の会に参加していた)うちに共通の知り合いを通じて知り合い、お互いに(塚本氏にとっても)同じ目的を持つ人物との初めての出会いだったため強く心の支えになったという。また東京の会に参加していた当時、直接は合わなかったもののG氏とみられる人物が同じ会に参加していたとも語っている。そういった個々人でばらばらに活動していた人々が塚本氏を中心に集まり、「ななの会」が発足したのだという。

 

塚本さんは数十年間ずっとやっていて、私は私でずっと、やみくもにやっていたわけですよ。それぞれ一人一人別々に活動をしていたんですけれど、同じ施設で勉強会とかにいろいろと参加するうちに、いろんな人と知り合うじゃないですか。そしたらそのうち共通の知り合いができるわけですよ。それで「こういう人がいるから、あなたたち会ったほうがいい」ということで紹介されたんですよ。それはお互いに心の支えになったと思う。一よりも二人のほうが。

 

「ななの会」では、夫婦別姓を望むという自分たちの主張を周囲に伝える活動をしたり、署名活動やワークショップを行っていたが、当時N氏はまったく別のテーマの活動を行っており、「ななの会」にはあまり積極的に参加できず訴訟が始まったころに本格的に「別姓訴訟を支える会」に参加し始めた。本来は自身で訴訟を起こしたいという意思はあったものの、自身の日常的な状況が許さず、訴訟の支援をすることとなった。「夫婦同姓が男女平等ではない」、「夫婦同姓によって不利益を被っている」など様々な側面から「別姓訴訟を支える会」に対して共感や協力が得られているという。

 

民法750条が男女平等ではない法律なので、その点で共感してくれる人もいるし、その法律が理由で職場で不都合が起きたりとか、DVになったりとか、子どもの名前とか、いろんな面で共感してくれる人がいて、そういう人たちが支援してくれています。


 

第八項       三世代の「姓」にまつわる出来事:O

 

O

プロフィール:50代の女性。現在は市役所に勤めている2014年から「別姓訴訟を支える会・富山」の代表を務めている。

 

選択的夫婦別姓を志した動機

結婚の際、姓の変更に関しての混乱があったことや結婚前からO氏が婿を取るという形になると周囲を含め考えていたことが根本的動機としてあると思われる。さらに、40代のころに男女共同参画事業に参加することとなり、そこでの種々の活動が夫婦別姓に対する強いモチベーションを呼び起こすこととなった。もともと夫婦別姓への欲求があったが、明確に目標として意識してはいなかった様子である。

 

両親に、一人娘として婿を取って家を継ぐようにと言い聞かせられていて、23歳のころに現在の夫と結婚する際にも、当初はO氏の側に夫が婿に来ることになっていた。しかし籍を入れる直前に夫が自分の姓を保ちたいということで1年ほど事実婚の状態で過ごし、その後夫の姓で籍を入れた。なお、事実婚の期間中に子供をもうけている。子どもは非嫡出子ということで夫に認知してもらうという形をとり子供も夫の姓となった。

 

今の夫と、23歳の時に結婚するんですけれども、そのときに夫は次男だったので、私の家に婿としてきて名前を継いでいいということを言ってくれて結婚に至ったのですが、いざ籍を入れるというときになると、「今までの自分の姓でいたい」と言い出しまして。結婚式を挙げたものの一年ちょっと事実婚の状態で、その間に長女が生まれました。そのときに至ってもなかなか決着がつかず、長女は私の非嫡出子ということで夫には認知をしてもらい事実婚の生活をつづけました。

 

それまでO氏の両親とは別居していたものの、家の建て替えを機に同居することとなった。その際両親の主張により夫とO氏との子どもはO氏の両親が養子にとり、O氏及び両親の姓を名乗らせることとなった。現在子どもが二人いるが、どちらも戸籍上はO氏と兄弟ということになっている。子どもの姓が違うことに対して周囲からの指摘があり、子ども自身も姓が違うということでかつてはいじめを受けていたということがあるものの、「姓の違いは家族として暮らすうえで何の関係もない」と諭すことで子ども自身も納得しているという。地域における活動はO氏の生来の姓として参加し、仕事上は夫の姓を使用しているので事実上の通称使用をしているとの意識がある。

 

両親と同居することになった時に、両親は「もともとの約束と違う」というじゃないですか。だから、子どもは何人生まれても、両親たちと養子縁組をして○○姓(O氏の旧姓)を名乗らせることになった。そういうことで、私の子どもは、戸籍上私と兄弟となっています。