第二章 先行研究のレビュー

 

第一節 対立軸の整理

阪井(2011)は「夫婦別姓の法制化」をめぐる議論においては次の4つの対立軸があり、その対立軸があいまいなために議論において混乱が生じているとしている。ただし対立軸の名称については、阪井によるもののほかに筆者自身による命名も加えている。

 

A 夫婦同姓固守、夫婦別姓反対:夫婦別姓の法制化に反対する立場。「夫婦の姓が一つとなっていることで家族の一体感が得られる」、「夫婦同姓が日本の伝統的な習俗である」などの主張が見られる。夫婦の姓を組み合わせて新しい姓にする複合姓や、結婚して全く新しい姓を名乗る夫婦創姓も、おそらくは夫婦で同一の姓を名乗るという点で夫婦同姓にこだわっていると捉えられるため、この考え方に含まれている。

B 夫婦別姓の法制化に賛成:法律婚の中での夫婦別姓の法制化に賛成する立場。別姓を望む理由としては、姓が変わることによってこれまでの自分という存在が失われてしまうかのような自己喪失感に襲われてしまうこと、姓が変わることでこれまでの職務上のキャリアの連続性が立たれてしまうことなどが挙げられる。夫婦同姓が原則としてある以上、結婚すると夫婦の内どちらかの家の姓は消えてしまうため、自らの家の家名を存続させたいという人々もこの立場に含まれる。

C 戸籍制度や法律婚の否定、夫婦別姓反対:現状の戸籍制度や法律婚に対して「国家が個人の営みに過剰に介入している」などの理由で否定的な態度を取り、夫婦別姓の法制化に対しても、現状の制度の不満点が改善されることでそれらの制度を撤廃しにくくなってしまい、それが現状の制度の補強につながってしまうという理由で反対する立場。制度の内容というよりも、制度によって個人が管理されてしまうこと自体に抵抗を覚えるのではないかと推測される。

D 戸籍制度または法律婚の否定、夫婦別姓賛成;Cと同様に現状の戸籍制度や法律婚に対して否定的ではあるが、夫婦別姓の法制化に対しては、それらの制度を改善していく足掛かりになると捉え賛成する立場。Bとは、夫婦別姓の実現が本義ではなく、夫婦別姓が現状の社会制度を変える一助となり得るという理由から夫婦別姓を受容しているに過ぎないと言える点、そしてBが法律婚の範囲の中で別姓を認めてほしいと考えるのに対し、Dは現状の法律婚の制度に対し否定的であるという点で異なると考えられる。

 

阪井は以上のように整理したうえで、「夫婦別姓の法制化」を論じる上では、純粋に別姓の法制化に賛成するBの立場の主張に焦点を絞りその主張の正当性を吟味して、「夫婦別姓の法制化」の是非に反映させるべきであるとした。そのうえで、現実の議論においては夫婦別姓を、本来は直接的にはつながりのない「男女平等」や「個人主義」といった思想と結び付けて(「夫婦別姓の実現が男女平等につながる」、「夫婦別姓を求めることは個人主義である」など)議論の前提としてしまう例が別姓賛成派、反対派双方に見られると指摘し、そのことが「夫婦別姓の法制化」という問題とそれぞれの思想にまつわる問題の混同を招き、「夫婦別姓の法制化」を論じるにおいては不適切な反論(「法的にはすでに男女平等が成立している」、「別姓賛成派は個人主義者であり、社会のつながりを崩そうとしている」など)を産んで議論の混乱につながっているとしている。つまりA(夫婦同姓固守、夫婦別姓反対)のみならず、B(夫婦別姓の法制化に賛成)も自らの立場を本来別個に語られるべきである思想の立場と混同してしまい、そのうえで主張がなされるため、C(戸籍制度や法律婚の否定、夫婦別姓反対)やD(戸籍制度または法律婚の否定、夫婦別姓賛成)といった立場に対しての批判がAからなされるという議論の錯綜状態が発生しているとしている。


 

第二節 議論形成における「個人の自由」の重要性

さらに阪井は、Bの立場の主張は「個人主義」ではなく、「個人の自由」として捉えられるべきであると主張している。なぜならば、「個人主義」からの主張はそれを論ずる各々の論者の理念によってそれぞれ限定的な定義となってしまい、反対派は自分にとって都合の良い論敵となる「個人主義」を選んで反論を加え、結果的に議論が混乱しがちになるという難点があるためである。そうではなく「個人の自由」がどこまで認められるのか、つまり婚姻時における「姓を選択する自由」がどのようなものか、それが「法的に承認に値するのかどうか」ということが別姓を求める議論の争点としてあるべき姿であると阪井は主張する。(BDの間の対立軸は、この「個人の自由」と「個人主義」の違いとして捉えられるのではないかと考えられる。)(1

そして本来、Bへの反論としては「個人の自由」への制限という観点からなされるべきであるにもかかわらず、現実には「夫婦別姓を承認することが現在社会の秩序を崩壊させる」といった根拠のない主張がなされているとしている。現状の制度のもとにおいて発生している問題(離婚、少子化など)が、現状の制度に拘泥しているがゆえに発生している、つまり現状の制度と社会の実態や価値観の変容との「乖離」こそが「秩序の解体」の原因となっている可能性もあるにもかかわらず、反対派は家族の実態や価値観が変化してもなお「ある制度が普遍的に同じ機能を果たす」という、「制度の本質主義」とも言うべき思考に陥ってしまい、時流とそぐわない可能性もある既存の制度に固執して、その制度を変容させかねない主張に対する反論に終始してしまっていると阪井は指摘している。


 

第三節 先行研究からの疑問

このような阪井の主張を受け、私は夫婦別姓の法制化についての議論を行う上であるべき形とされている4つの類型や対立軸が、現実に行われている議論においても明確な形で機能するのだろうかという疑問を抱いた。阪井が焦点を絞るべきとしたBの立場一つとっても、その立場に属する個々人が別姓を志すきっかけとなった事象が単一の物とは考えにくく、夫婦別姓に肯定的であるという点では同じDの立場の意見も複合されてしまい、BDを分離させることが難しいケースも有り得るのではないかと考えられたからである。そこで、夫婦別姓、より正確に呼称するならば、現在の夫婦同姓が原則となっている結婚のあり方に夫婦別姓の選択肢も追加して自由に選べるようにするべきだという選択的夫婦別姓を志して活動している団体に対して調査を行い、その団体に属する人々のライフヒストリーを調査することで前述の疑問に対する何かしらの発見が得られるのではないかと考えた。