第二章 先行研究

 

最近「若者の人間関係は希薄化している」と語られる。しかしコミュニケーションツールやSNSが発達したことで、友達と気軽に連絡を取り合うことが可能になり、また距離が離れていてもリアルタイムで交流ができ、常に友達と繋がっていることが可能である。その意味では若者の人間関係はむしろ濃密になっているようにも感じる。

この希薄化しているという語りと実際の若者の人間関係の違いに関して浅野(2013)は、若者の人間関係は希薄化しておらず、それを見る大人の視線が変化してしまったために希薄化しているように見えるのだという。しかし、希薄化して見える要因は大人の側の事情だけではなく若者の側の変化にもある(浅野 2013: 153-154)。この若者の側の変化とは以下のとおりである。

 浅野(2013)によると、「友人関係は1980年代後半以降、状況に応じて切り替わっていくいわば『状況志向』的なものになったのである。そして、それと相即して彼らの自己は関係や状況の多元性に応じて多元的になっていくのだ」(浅野 2013: 158)という。この「状況志向」と「自己の多元化」とは以下のような特徴のある状態である。

 「状況志向」とは、相手に応じてコミュニケーションの取り方や振る舞い方を切り替えることにたけ、さまざまな異なる場所や局面で友人関係を保持しており、それぞれが重なり合わない。また、一緒にいても時間を全面的に共有するわけではなく、互いに別々のことをしていることがあり、これだけを見ると、ごく表面的な人間関係を持っているようにも見えるが、その一方で熱中して友人と話す傾向を示すといった特徴のことを言う(浅野 2013: 168-169)。次に、「自己の多元化」とは、つきあいの内容に即して友人を使い分け、場面によって自己を使い分け、自己を意識的に使い分けるといった傾向が強まった状態のことを言う(浅野 2013: 172-174)。

たとえば「キャラ」と呼ばれるような振る舞い方は、複数のキャラを保有することでその場に適したそれなりに正直な自己をそれなりにわかりやすく表現することに適している(浅野 2013: 218)。この「キャラ」は相応に正直な自分自身を提示しているものであり、決して嘘偽りであるということではない。この「キャラ」ひとつひとつが多元化した自己であり、それを状況に合わせて選び使うことを状況志向という。

 前章のセブンティーンの記事に対して浅野(2013)はこのようなコメントをしている。

 

一人の友だちだけに話しているとその人に対する期待が大きくなり過ぎてつらくなる。複数の友だちそれぞれ話題を振り分けることによって、いわば負担を分散させることができるというわけだ。このような使い分けは、同時に、それぞれの場面に応じて自分自身の振る舞い方や感じ方を切り替えていくという作法と表裏一体である。(浅野 2013: 160

 

 ここでいう「このような使い分け」とは状況志向のことを言い、「それぞれの場面に応じて自分自身の振る舞い方や感じ方を切り替えていくという作法」とは自己の多元化のことを言っている。浅野(2013)はセブンティーンの記事から状況志向や自己の多元化といったような特徴を指摘しているが、では本論文が関心を寄せる大学生の場合にも実際にそのような状況はおこっているのだろうか。また、もしそれらの特徴が見られたとして、そもそもそれはいかにしてそのようになっていくのだろうか。というのも筆者には、自分自身の経験や観察から、少なくとも大学生の場合、最初からそのようにし意図して「状況志向」や「多元的自己」になるというよりも一連のプロセスの結果としてそのようになっているように思えるのだ。そのプロセスはどのようなものとして記述可能だろうか。また、結果的に「状況志向」や「多元的自己」という特徴が現れてくる背景には何か要因があるのだろうかという点も気になる。そこで本調査では友人関係形成プロセスに着目しながら、大学生を対象に若者の状況志向や自己の多元化について調査していきたい。