第六章 考察

先行研究では、Twitterのリアルタイム性について、タイムライン上では140字の字数制限が活きた数秒から数分前の情報が活発にやり取りされ、これが「人々の間に会話的やり取りを発生させるテンポ感」であると評していた。本調査ではそれに加えて、リアルタイム性が作用しているTLにおいて、同じものを見ているという共有の感覚というものによって人と人とをより密接に結びつける働きをしていることが分かった。第五章第二節にて、きーーーたああぁああーーーおんぶううぅう”や、“おんぶー゚+(*゚Д゚*)+゚”といった、同時間に放送しているテレビドラマの内容に関するツイートを紹介した。これは、リアルタイムに起こったことを「今なにしてる?」の形で投稿するというTwitterのそもそもの概念があってこそ、これらがテレビドラマのその瞬間のシーンに関するツイートであり、相手がドラマを見ながらつぶやいているということを認識できるのである。この「同じものを見ている」という認識があることによって、一言や二言の短いツイートが意味を持ち、140字の文字制限というものが活きてくる。さらに同じものをリアルタイムで見てリアルタイムでつぶやくからこそ、これらのツイートの言葉と共にその瞬間の感情がしっかりと伝わり、全てが総じて盛り上がりのあるTLになるのではないか。

また、リツイート機能に関しても、そこにリアルタイム性が組み合わさることによって単に情報を拡散させるということ以上の効果を持たせることが分析結果から読み取れた。

第五章第三節において、こちらでもテレビ番組を見ながら投稿されたツイートが並ぶTLを分析していたが、ここでは番組を見ているだけでは知ることのできない情報が記載されているリツイートがいくつか見られた。そのリツイートが投稿された数分後には、そのリツイート内容を話題として、同じ反応を見せるツイートが数多く並んだり、その情報を会話のきっかけとして、ユーザー同士のリプライのやり取りが始まる動きも確認することができた。同じ番組を見てその内容についてのツイートが並ぶだけでも盛り上がりを感じることができるが、そこへ更にリアルタイムな最新の話題がリツイートによって組み込まれることによって、更なる一体感、盛り上がりを生じさせることができるのではないか。これより、リツイートはリアルタイムで拡散されることにより、その場に応じた話題を提供するという役割を果たすと考える。

そして、Twitterにおいて、最大の不思議さとも言えるのが、各ユーザーそれぞれが異なるタイムラインを見ているにも関わらず、共通の話題で盛り上がり、“皆で”共有しているという一体感を感じられるということだ。本研究の調査で取得したTL2には、その共通の話題となるツイートがリツイートとして表れていたが、第五章第四節において、このリツイートが表示されない場合、すなわち、同じ情報を共有していないことを仮定して分析を行った。

調査では、あるテレビ番組が放送されている時間のTLを分析対象としていた。TL上にはそのテレビ番組に関する2種類のツイートが存在した。ひとつは、テレビ番組に関する内容ではあるが、番組を見ているだけでは得られない情報が記載された情報源となるリツイートであり、もうひとつはそれらリツイートの情報に反応するツイートである。つまり前者が共通の話題となるツイートである。こちらのツイートが消え、後者のそれに反応するツイートのみが残ると、そのツイート単体でTLに表示されていることを想定すれば、単純に考えて一見意味のわからないツイートとなってしまうだろう。しかし、今回取得したTLのように、これらが複数集まり並ぶことによって、情報源のツイートがなくても、今どのような情報が流れているのか、ツイート内容から容易に推測することができるのだ。また、検索機能を使えば、フォロワー以外の同類のツイートも簡単に見ることができるので、自分の可視範囲外でも、大勢の人たちが同じ情報について盛り上がっていることを確認出来る。こちらの検索画面もリアルタイムで更新されていくので、次から次へと同類ツイートが増えていき、皆で盛り上がっているという目に見える一体感を感じることができる。

このように、「皆が同じ情報を共有していない」という不完全な情報ネットワークが、Twitterでは有効に働いていることが分かった。この、それぞれ異なるユーザーをフォローし、異なるTLを見ていても、結果として皆で盛り上がっている感覚を得られるこの現象は、先行研究で述べられていた“ゆるさ”を象徴するものなのではないか。ゆるさの説明において、基本的には誰かのモノローグをキャッチするという会話的でない一方的な関係性があり、その積み重ねでTwitterのコミュニケーションは成り立っていると述べていた。今回の場合、テレビ番組についてのモノローグが次々と並び、反応したいと思ったユーザーのツイートに自由にリプライをしたり、時にリツイートをして全く知らない人とその場の盛り上がりを共有することができていた。このような、一方的な関係性が前提とされた独特の不安定性を兼ね備えた“ゆるい”空間は、コミュニケーションにおいてある種の広がりを持たせているのではないか。

最後に、今回この研究をするにあたって調査に使用したタイムラインは、調査概要にも記載したように、大半のフォロワーが見ているであろうテレビ番組が放送されている時間という、非常に特殊な条件の中取得されたものである。そしてその条件は結果的にTLにとても大きな影響を与えている。要するに、同じものを見ているからこそ起こったことが数多く分析結果にあらわれているということだ。これは一見非常に特殊な例のように見えるだろう。しかし、本当にそうだろうか。Twitterが一躍話題となった事例を挙げてみる。一番に浮かび上がるのは2011年に発生した東日本大震災発生時だろう。この時、日本中の人々が新聞やテレビ、インターネットといったマスメディアで震災の基本情報を把握しており、もちろん実際に揺れを体感している人も存在した。そのような中Twitterでは、人々の安否情報や各地が今どのような状況なのかということが、その瞬間の新たな情報としてつぶやかれ、それがリツイートなどで瞬く間に拡散されていった。こうして、震源地に近い被災地の人々も、関東で大きな揺れを感じていた人々も、そしてほとんど揺れを感じなかった西日本の人々も、Twitterを通して同じ空気を共有していたのである。このような、あらかじめ人々の間で共有されている情報を前提に、そこにない新たな情報を付け加えながらその話題で盛り上がるというTLは、今回の調査で得られたTLと同じ境遇なのではないか。これは震災に限ったことではなく、例えばオリンピックであったり、流星群が見える日などのTLでも同じことが言えるだろう。以上より、今回の調査の“テレビ番組を見ながらつぶやく”という条件は、そこまで特殊なものではないのではないか。もちろん、このような条件の中Twitterを使うというのが使い方の全てではないが、本調査の事例はTwitterというものの非常に大きな特徴を表していたものであったと考える。

つまり、全ての情報交換がTwitterの中だけで完結するのではなく、何かほかの手段である情報が既に共有されていて、それが前提の上で140字内での短いコミュニケーションがリアルタイムで交換されている、そこへプラスする形で新たな情報が付け加えられたり、それを話題として更にコミュニケーションが活性化する、このような流れだ。今回は典型的な例ではあったが、しかしよく考えてみれば、震災の例にもあったように、Twitterが特に活躍し影響力を持つのは、このような場面なのではないか。

マスメディアは、情報を共有する働きを持っているが、マスメディアを見ているそれぞれの人々が一緒にではなく個別にあるときであれば、共有しているはずだとは思えるが、“確かに”共有しているという感覚は得られない。その感覚を形にしているのがTwitterなのではないか。すなわち、「それぞれが見ている」から「皆で見ている」という意識に持っていける場所なのである。それらの情報について独白的につぶやいたり、誰かのツイートに反応することで、そのマスメディアを通じた情報の共有が、本当に共有しているという実感に変化するのだ。

そしてそれは単に娯楽の目的だけではなく、場合によっては何かの問題意識の共有になることも十分にありえる。皆でこれをしなければならないということが共有されることによって、協力し問題を考えようというきっかけになることも考えられる。それら全てのやりとりがリアルタイムで交わされるという部分も非常に重要なポイントである。

Twitterは、誕生からこれまでに、ユーザーの意見によって新たな機能が追加されたり、既存の機能をユーザーが独自にアレンジして使用したりと、ユーザーによって変化と成長を遂げているという部分も大きい。今後もニーズに合わせて様々な使い方が生まれてくるであろう。その点に注目しながら、Twitterの更なる可能性に期待したい。