第三節 セクシュアル・ハラスメント防止のために

 セクハラは加害者と被害者、さらにはそれを観測している第三者という、相互関係の中で起きる事象である。悪意や悪気があってそのような行為が行われることはとても不幸なことであるが、本調査で多くの大学生の意見を聞いているうちに、時としてセクハラは悪意の無い偶然の中でも起きてしまうものなのではないかと感じた。たとえば、自分にとってさりげないコミュニケーションであるつもりの接触が相手にとって非常に不愉快であったり、良かれと思って相手の外見や性質を褒めたつもりが男女差別のような意味合いにとられてしまったりすることも、対人関係の中では常に気を付けていなければいけないことなのである。特にこういった現象が男女という異性間で多く生じてしまうのは、男と女がお互いの性質や感性について、深く知らないからではないだろうか。前節で述べた通り、男女の立場の違いというのは相手方の性質や感情に対する「分からない」という事実に起因する。少なくとも男女がそれぞれのセクハラ観について「分からない」ということを分かり合うために、まずは男女の関係作りが必要となる。

 本調査において数回のディベートを行う際、構成員の性別については特に気を遣った。女性のみ・男性のみ・男女混合という3つのタイプで構成を計り、その経過を記録した。意外であるのは、男女混合セッションではより活発なディベートがなされたという点である。その様子を見ても、互いの性を知らないということで食い違う様々な意見を指摘し合うことによって、逆に互いを知ることに繋がるのではないかと感じた。例えば、今回は調査という形で行った男女混合のディベートであるが、互いのセクハラ観について意見交換をするという目的の下にそういった機会があっても良いのではないだろうか。調査対象のある男性の発言では、「女性は自分が『冗談の通じない人間である』ということを普段からアピールするべきだ」とあった。男性同士が普段のノリや冗談のつもりで交わしている会話が、女性にとって不愉快であるかどうかということが、個人によって違う場合があると指摘した上での意見である。この発言のように、加害者になりやすい男性は相手がどのような行為に不快感を示すのかという点において非常に気を遣うことが、女性は被害者とならないために、自分の身をいかに守るかが求められていると感じた。そうして互いに異性への気遣いや関心を持ちながら、円滑なコミュニケーションによって理解し合うことで、現代社会に蔓延するセクハラ問題の解決への第一歩となるのではないだろうか。