第五章 考察

第一節 先行研究との比較

 鐘ヶ江(2000)の調査でも、「言葉によるセクハラ」や「身体への接触や性的暴力行為」に対し不快感を抱き、セクハラと捉える人が多いと言及されている。本稿における4つ要素と照らし合わせてみると、これらは【性的要素】にあたる。また、より不快に感じる項目が多く選択されている点を見てみると、その傾向は【不快感】に相当し、先行研究と比較しても上記2つの要素がこれまでの調査研究の結果と合致することが分かる。一方で、4つの要素のうち【加害者の意識】と【相手との関係性】は、特にこれまでの研究では判明しなかった新たな問題意識であると言える。前章第四節でも述べた通り【加害者の意識】は、【性的要素】【不快感】と比べるとセクハラ判断要素としての優先度は低い。しかしながら、セクハラが「性的な嫌がらせ」であるとされているため上位二つが特に目に付きやすい中で、その裏側にある加害者側の意図にこだわったセクハラ判断の形態は、これまでのような「共通点」に着目した調査では見られないものである。また、【相手との関係性】では上下関係を例にしたセクハラ判断で「逃げ道」というキーワードを重視する傾向が見られた。セクハラ問題の悪質さは、強制力や断り辛さにあるという印象を大学生が持っているのだということが分かる。さらに被害者的な立場からの語りにおいては、交友の頻度や親密さ、相手への印象によってセクハラか否かの判断が大きく分かれる意見も見られた。つまり【相手との関係性】とは一概に言ってしまえば、被害者側が行為を嫌だと感じるかどうかが相手によって決まってしまうという、原則性を持たない要素なのである。したがって、どんなにアンケート調査でセクハラか否かの問をしても、二択で回答しなくてはいけない以上、調査対象たちはそこに「この人だったら嫌だ」とか「この人なら嫌では無い」といった場合分けを行うことができない。しかし事実大学生の多くにおいては、このような場合分けによって明確にセクハラ判断の違いが生じているということが本調査では判明した。つまり、「あなたは自分より年上だから、これはセクハラなのだ」というようなことを感じる大学生も多く存在しており、何か1つの行為に対して一概にセクハラか否かを問うことは不可能と言えるのである。

 以上のように、上記二つの判断要素によるセクハラ判断が従来の研究方法では見出せなかった新しい傾向であると言える。何がセクハラであるかを考える前に、なぜセクハラと捉えるのかを考えることで、それらの行為がどのように受け取られやすいのかということを知ることができるのではないか。