第二節 不快感

赤石憲昭(2010)の調査によると、ほとんどの学生がセクハラに関して「嫌がらせ行為」「迷惑行為」といった、正しい認識を持っている。セクハラとは「受け手が望まない性的言動により、受け手に不利益を与えること」なのである。つまり、セクハラであると判断するためには、前節で挙げた【性的要素】に加えて、被害者が“嫌がっているかどうか”という観点が重要となってくる。これを総じて【不快感】と呼ぶことにする。

ほとんどのセッションにおいて、特に女性の回答者からは「すごく嫌」「毎回同じ人から言われたら嫌」等、【不快感】を示す発言が多く出ている。

 

r1:じゃあ、「女性に学は必要ない」という発言についてはどう思いますか?

a:うん・・それセクハラかも。悔しいっていうか、見下されとる感じがすごい嫌。

 

これはセッション1におけるaさんの発言である。aさんは自身が女性であることで、社会的に男性より弱い立場に置かれることに対して敏感に不快感を示している。aさんにとって女性差別のような風潮は「見下されてる気がしてすごく嫌」なものであり、実際に自分に向けてそのような発言がなされた時は、そこにセクハラ判断要素としの【不快感】が発生するのである。ところが、まったく同じ状況に対してセッション4では次のような意見もでた。

 

r1:それも男女差別かー。じゃあさ、自分が研究に一生懸命なんに、同じ研究室の男の子に「女の子なんだからそんな頑張らんでいいやろ、勉強なんてしなくてもいい。」みたいなこと言われたら?

jうちは常に楽したいから、あーありがとうって感じやわ()

hうちは多分嫌かも。なんか似てるか分からんけど、前男の人から、「女の子なのにこんなにモノをはっきり言うなんて珍しいって思って」って言われたことがあるんね。めっちゃカチンと来て、お前何様やねん!って思ったけど相手は偉いひとやったから、よっぽど言い返そうと思ったけどなんか言えんくて。

 

jさんの発言に注目してほしい。セッション1のaさん、同セッションのhさんの意見とはまったく逆の意見である。女性差別のような発言を受けても、jさんはまったく不快感を抱いていない。ゆえにjさんは「女性に学は必要ない」といった旨の発言をセクハラと判断することはしなかった。

 

また、中には【不快感】という要素を第三者視点からの客観的なセクハラ判断要素として利用する人もいる。例として挙げるのはセッション2におけるDさんの発言である。「女性の身体的特徴を褒めることはセクハラになりますか」という質問に対して、Dさんはこう話している。

 

D:まあ言われて嫌なひとに言ったらセクハラになると思いますし。誉められたほうも嬉しかったら、周りがセクハラとか決めるべきではないと思います。やっぱ嫌がっているか嫌がっていないかの違いだと思います。

 

 ディベート中のDさんはほとんどの項目に対し、第三者的視点での見解として回答していたが、その際に一貫していた判断基準は「女性が嫌がっているかどうか」である。Dさんにとってはどのような行為でも、まず女性が嫌がっていなければそれはセクハラではないし、逆に嫌がっていたなら、些細なことでもセクハラになりかねないのである。

 ここで特筆すべきなのは、「嫌だ」「不快だ」などの感情は本来主観的なものであるにも関わらず、Dさんのように客観的に【不快感】を重視する人がいるという点である。このように、被害者本人視点よりも第三者的な視点でのセクハラ判断において【不快感】が用いられる場合がある。本来主観的な感情であるはずの【不快感】が、行為を観測している「自分の不快感」ではなく、行為を受けている「他人の不快感」としてセクハラ判断の際に意識されているのである。

 ところが【不快感】とは、それ一つだけでセクハラの判断基準となることはない。全セッションを通して【不快感】に関する発言を見ていても、「不快に感じる、侮辱である。だが、セクハラではない。」という意見は多く見られるのである。では、その違いに働きかける要因とは何なのであろうか。以下のセッション6でのやりとりを見ていただきたい。

 

r3:じゃあ次、男のくせにだらしないとか、女のくせに生意気といった発言はセクハラになると思いますか。

N:差別じゃないですか

r3:これは差別?セクハラじゃなくて差別?

N:うーん

r3:じゃあ差別とセクハラってなんの違いですかね

m:差別とセクハラ・・・。

r3どっちにしろ不快なもんは不快じゃないですか

N:うーん。なんていうんですかね。セクハラって性的な嫌がらせじゃないですか。

m:うん。下ネタ?

r3:下ネタ?

N:え、結婚とかはセクハラですか?

m:なんか人によってはさ、セクハラやっていわん?

 

【不快感】が与えられているという状況設定において、Nさんが「セクハラって性的な嫌がらせ」と発言しているのに対し、mさんによって下ネタという例が提示され、また、結婚(恋愛などのプライベート)についての話題を振る事が「性的」であるという意見が出た。つまり、ただ【不快感】を抱いているだけでなく、【不快感】に加えて、前節で採り上げた【性的要素】が感じられることが最低条件となっていることが分かる。

 

 

また、上記セッション6での対話の続きとして、以下のやりとりが行われた。

 

(結婚の話はセクハラかどうか?)

N:うーーん

m:なんか全然違う話やけど、プラダに勤めとった女のひとがおって、その人はわりとぽっちゃり系で、私服はシャネルを着る人やったんやって。そしたら「お前はそんな体型でうちの会社の商品でもない服着やがって」って言った奴がセクハラじゃないかって問題になったって

r3:セクハラなのかな?

m:その女の人はセクハラやって言うん。別に仕事以外にどの服着たっていいじゃないかって。なんか差別は他の人(誰に対しても?)でも対象になるっていうか、万人が万人嫌やって思う。セクハラはなんやろね―

r3:特定されてる、みたいな?

m:そう。

r3:あーそういうことか。

N:うーん。男女差別って基本比較されてる感があるんすよ。セクハラは別に単純に―

m:―そうやね、一個人相手やもんね

N:そうです、一個人相手に向けて、嫌がらせしてって。

 

 「結婚の話を振ることは、セクハラになる(性的要素がある)のか?」という議題についてのやりとりで、差別=不特定多数の異性に対し相対的に向けられるものであり、セクハラ=一個人に向けられるものであるという意見が出ている。結婚の話題がセクハラの例として提示されているものの、それが「性的」であるかどうかとなるとNさんとmさんには若干の意見の違いが見られる。だが、このやりとりで結ばれているように、「特定の個人」に向けた発言である、という条件が加わると、その付加価値により「結婚などのプライベートに関する話題を振る」という行為が「性的」なものとみなされ、被行為者に【不快感】を与える要因となり得るということも言える。