第四章 分析

 大学生へのインタビューの中では、例示された行為に対し、「セクハラか否か」を判断する話題や、「このような行為を見た・聞いた」という体験等の語りを中心に自由なディベートがなされた。様々な語りの調査結果の分析から、大学生たちのセクハラ判断に関する共通性に注目したところ、主に4つの項目において共通点を見出すことができた。これらをセクハラ判断における4つの要素として、【性的要素】【不快感】【加害者の意識】【相手との関係性】と呼び、それぞれが大学生のセクハラ観形成にどのような形で影響を及ぼしていくのかを分析していく。

 

第一節 性的要素

具体的な行為をいくつか提示し「自分がこのような行為を受けたらセクハラであると感じますか?」という質問をしたところ、多くの人が「セクハラなのか男女差別なのか判断しかねる」といった旨の発言をしている。しかし、明確に「セクハラである」と回答された行為についてのみ言及すると、そこに【性的要素】が存在するという共通点が見出された。ここから、【性的要素】はセクハラと判断されるための基準として一番重要な項目であると分かる。【性的要素】と言っても、どのような点に“性”を感じるかは人それぞれに違いがあり、触れる部位や触れ方等(表現)のカテゴリーに分けることができた。また、ディベートの中で「性的と言っても、性別の“性”とは違う」という発言があった。ここから分かるように、男女差別とセクハラは別物だが判断基準が曖昧であるという傾向に対して、確実に【性的要素】から「性別」という意味での“性”を除外して判断している学生が多い。実際、「男女差別ではあるが、セクハラではない」という意見は多くみられる。この、学生が考える「男女差別とセクハラ」の違いについても留意して、【性的要素】とはどういった指標になっているのか分析していきたい。

まず初めに体の部位についてだが、多くの大学生にとってセクハラとは肉体的な身体接触による被害であるという認識が多い。さらに一言で身体接触と言っても、「下半身」「上半身」といったおおまかな分別から、もっと細分に亘る身体の部位について“性的”であるか否かの違いが存在する。セッション1で、aさんは浪人時代予備校で実際に被害に遭っていたセクハラについて語ったが、その際に以下のような発言をしている。

 

a:なんか管理人みたいなおじさんなんだけど、私のこと特に気に入っとって、みんなは肩なんに私は腰に手回されたりおしりポンポンされたり

 

また、セッション3と4から、以下のようなやり取りがあった。

 

(セッション3から)

f:髪をさわられる!

g:それはセクハラだと思う。髪触られるのはだめだわ。さっきのねえねえみたいな(語りかける際に肩に軽く触れる)やつなら別に全然大丈夫。

 

 

(セッション4から)

h髪は微妙やけど、胸とかはアウト。

y:髪触るとかは(それほどセクハラだとは感じない)。

r1:膝ってどう?ふとももとか。

h:あー、ふとももってアウトやね。

 

aさんの「みんなは肩なんに私は腰に手回されたりおしりポンポンされたり・・。」という発言がある。ここから、少なくともaさんは上半身よりも下半身の方がセクハラだと認識しやすい、つまり“性”を感じる部位であると分かる。また、hさんからは「髪は微妙やけど、胸とかはアウト。」という意見も出ており、上半身と言っても主に身体の女性的な特徴について敏感な反応を示す場合も多い。ところが、セッション3ではfさんとgさんの発言から、上半身である肩への接触はセクハラではないとされているものの、セッション4で否定された女性の髪に触れる行為に関する【性的要素】の有無について、明確に「セクハラである」(性的要素は存在する)とされている。これらの発言は異なるセッションで発生したものだが、まったく逆の意見である。髪は特に女性的な特徴であるとも思えないが、むしろ髪に性的な要素を見出す個人もいるようだ。

また、触れ方や表現の仕方によって【性的要素】の有無を左右する意見もみられる。これらの要素をまとめて「表現」と呼ぶことにする。セッション2は男性のみで構成されているが、そこで女性の外見的な特徴に関して言及するやりとりがあった。

 

R2:じゃあ女性の外見的な特徴をからかったり誉めたりするのはセクハラになるかな?例えば、わかりやすいのだったら「お前おっぱいでかいな」とか()「スタイルいいね」とかさ。

E:言い方によりますね。あきらかに性的表現が多かったら、はい。さっきのだと前者のほうはそう(セクハラ)ですが、後者のほうなら(セクハラではない)、はい。

 

Eさんは「言い方による」という表現をしている。発言者の意図は、「女性の胸の大きさに関する指摘をどのように表現するかによってセクハラかどうか判断される」であるが、直接部位を明言することは“あきらかな性的要素を含む表現”と見なされている。女性の外見を褒める事に関して、セッション1でCさんが「(全てをセクハラとみなして何も言えなくなることは)人同士のコミュニケーションとして、間違っとる気がするから、だから、セクハラではない。そりゃ言葉は選ばんなんし、言うことは選ばんなんけども、まあざっくりとして褒めたりとかアドバイスしたりっていうのは、必要だろうと僕は思います。」と意見しているように、むしろ外見的特徴を指摘した発言はセクハラ以前に人同士のコミュニケーションにおいて必要なものであり、その表現の仕方を間違えさえしなければ望ましいものであるといった考えのようだ。

このように、部位以上に“表現”による性的要素有無の判断はシビアなものであると分かる。判断基準において重要となる違いとは何なのか、以下のセッション5でのやりとりから伺える点がある。

 

K:なんか変な表現になるけど。隠してるとこを、あからさまな表現で、こういう皮肉るっていうか、言い方をするのは、セクハラ。

R2:うん。じゃあ、性的な基準っていうのはね、どんなんがある?性的な要素と判断する基準。セクハラと判断する性的要素。肉体的な特徴の部分もあからさまじゃなきゃ、ならないかな?「スタイルいいね」とかはならない?

K:うん。ぎりぎり(性的要素ではない)。

 

キーワードとして挙げられているのは、「隠している部分」と「あからさまな表現」である。確かに女性の胸は意図的に隠されている部位であり、その部分をあえて指摘することはセクハラになり得るとKさんは言っている。さらに、Kさんの言うところの「あからさまな表現」とは、上に挙げた2つのやりとりから例示されている、「おっぱい」という言い方と「スタイル」という言い方である。前者は性的要素を含む=あからさまな性的表現であり、後者はそうではないというのが、2・5両セッションにおけるEさんとKさんの共通認識であることから、表現に関する大学生の性的要素判断基準として重要な点だと言える。また、発言や指摘に関する表現の他にも、触れ方に関する表現についても言及があった。例えば、肩に触れる際「トントンと軽く触れるのは良いが、撫でるような触れ方はセクハラ」や「頭をポンポンと叩くのは良いけど、ナデナデは嫌」、また「手をぎゅっとされたり、そっと触れられるのは嫌」といった意見が男女共に多くみられた。ただその部位に触れることだけが問題なのではなく、触れ方が性的要素の重要な判断基準の一つとなっている。

 

また、大多数の大学生にとって「セクハラ」と「男女差別」は全くの別物という認識がされており、これらを分ける大きな要因がこの【性的要素】であると言える。それぞれの行為群において、この【性的要素】が認められない場合は、セクハラというよりは男女差別であるとみなされやすい傾向がある。ジェンダー的な問題の一つでもあるセクハラは、男女差別という大きなくくりの中に位置する下位概念である、というのがおそらく大学生の多くが持つ見解であるが、男女差別からセクハラを抽出するためにこの【性的要素】という判断要素を用いるものと思われる。【性的要素】を有さないジェンダー・ハラスメント的な行為は、おのずとセクハラというカテゴリーからは排出され、男女差別という大きなくくりの中に還元されてしまう。セクハラは男女差別の一種として位置付けられてはいるが、大学生にとって【性的要素】の存在しない男女差別はセクハラには成り得ないのである。ゆえにセクハラ判断基準における大前提としては、この【性的要素】が存在するということが、最も大きな役割を持つ基準であると言える。