第五章    分析

 

この章では、ここまで高岡コロッケの事例からいえる特徴を、以下の2つのポイントに絞って分析をしたい。

 

第一節     緩い定義付け

 

これまでの調査で、高岡コロッケの事例の特徴として、高岡コロッケの定義が緩いこと、そして、加盟店が販売方法やイベント参加等を自分たちの考えで自由に活動できる、ということが分かった。B級ご当地グルメとしてブランド化し売り込むためには、普段食されているという要素だけでなく、その地域で取れる食材や、その地域独自の調理法といったような差異が価値となるため、食材、調理方法の指定などが定義に盛り込まれる。しかし、高岡コロッケの定義は高岡で売られている全てのコロッケ=高岡コロッケという緩い基準で定められており、高岡で売っているコロッケなら全て「高岡コロッケ」と呼ぶことができる。一般的に、偽物商品を避けるために定義を厳格に決めているB級グルメ団体が多いが、このように誰もが気軽に名乗れるような緩い定義を設けているのは珍しい例である。高岡で売っていれば高岡コロッケと名乗れるため、高岡ではお店ごとに個性のある多種多様な創作コロッケが売られている。この定義の緩さが、それぞれの加盟店ごとの高岡コロッケの味や形に違いを生み出す結果となり、加盟店ごとの個性となって表れているのではないだろうか。

例えば、()インサイトの金子氏は高岡をコロッケで有名にしたいから、とにかく人の印象に残るようなコロッケを作りたいという思いから、大仏コロッケを創作した。また、創作コロッケを作ったきっかけについて、天の川倶楽部南条の笠井氏は、高岡市がコロッケでまちおこしをしていると聞き、自分もコロッケを作ってみようと思い、紫芋コロッケを開発したと述べている。この意見から、定義の緩さは、市民のまちおこしの参加しやすさにも繋がっているのではないだろうか。高岡コロッケがHP「カラーたかおか」で取り上げられたのをきっかけにホテルニューオータニ高岡や、()インサイトがまちおこしをしたいという思いを持って創作コロッケの開発にいち早く取り組んだように、定義の緩さは、結果として、市民が参加しやすいまちおこしの体制になったと言える。

高岡コロッケの事例では、主体となる実行委員会が、高岡コロッケとして一つの名物コロッケを作り、それでまちおこしをしようというブランド化戦略を取らなかったが、それによって、高岡の市民が気軽に加盟することができ、自由にコロッケを作ることができたと思われる。その結果、大仏コロッケや紫イモコロッケのような加盟店の方の創意工夫がみられるコロッケが誕生した。高岡市を訪ねれば様々なコロッケの味を楽しむことができる。このようにまちでいろんなコロッケが誕生し、いろんなコロッケに出会えることは高岡コロッケの事例の特徴であり、高岡コロッケの魅力となっていると考える。

 

第二節    行政主導から民間主導へ

 

 高岡コロッケの取り組みは最初に高岡市の人口減少対策からスタートしたが、後に高岡市、高岡商工会議所、富山新聞社からなる「高岡コロッケ実行委員会」へと移行し、官民一体で共同的な組織になった。市役所の事業は終了してからは、高岡コロッケの事務運営は富山新聞社に委任された。行政は補助金を支出して、運営資金を捻出して高岡コロッケの活動をサポートしている。また、全国コロッケフェスティバルの事例では、行政はコロッケの開発に関わり、実際にイベントにも出向き現地でのPRに協力していた。滝田(2010)では、行政は市民団体の活動のサポートをする立場から、市民団体の良さを失わないために行政と市民団体がバランスよく関わっていくことが重要であると考察していたが、高岡コロッケの事例でも行政と実行委員会がお互いに共同して運営し、上手くバランスが取れているのではないかと考えられる。

そして、高岡コロッケの事例では行政から民間企業への広がりがスムーズに展開されて行ったと思われる。市役所のHP「カラ―たかおか」でコロッケのまちを呼び掛けたところ、ホテルニューオータニ高岡が企画に乗っかり創作コロッケを作ったのをきっかけにし、他の飲食店にも次々広まった。また、()インサイトでは、コロッケでのまちおこしを観光ビジネスに展開し、高岡大仏コロッケを観光土産品として道の駅で販売や、ツアー客に無料で1人1つずつコロッケをプレゼントして、知名度の上昇を測った。まちおこしは加盟店のようなまちおこし活動に賛同してくれる協力者がいないと継続して行うことは難しい。行政がまちおこしの事業を企画しても、加盟店の協力がなければ、行政の事業だけが1人歩きすることになりかねないため、加盟店の協力が不可欠である。高岡コロッケの事例では、HP「からーたかおか」の企画から、ホテルニューオータニ高岡、()インサイトへと創作コロッケを作る動きがスムーズに展開し、加盟店の協力を比較的早い段階から得ることができた。その後も実行委員会という官民一体の活動主体が誕生したこと、天の川倶楽部南条のような個人経営の定食屋にまでまちおこしの広がりが確認でき、コストの投入をあまりかけないで行政事業から市民活動へと広がりを得ている。それには、高岡コロッケの定義が緩いため、創作コロッケを作ってまちおこしに参加しやすかったこと。そして、加盟店にコロッケの活動を自由にお任せする実行委員会のスタンスが、加盟店の方の負担とならず、自由に活動できたこと。これらの背景がコストの投入をかけない広がりに繋がったと考えられる。

滝田(2010)で書かれている事例と比較すると、せんべい汁を売り出す発端は市役所から始まり、その後、飲食店経営者などのせんべい汁関係者が携わっていないまちおこしに意欲的な市民が集まり、「八戸せんべい汁研究所」が結成され活動の主体が移った八戸市の事例と、市役所人口減少対策から始まり、その後、高岡市、高岡商工会議所、富山新聞社から発足した「高岡コロッケ実行委員会」へと活動の主体が移った高岡市の事例は、主体が行政から民間へと移行する経緯は似ている。しかし、八戸市の事例では、活動の中心が市民団体に移行したことで自由な発想が生まれることや活動のスピードを重視してまちおこし活動の展開が確認されていたが、高岡市の事例では、行政から民間へと、コストをあまり投入しないまま活動がスムーズに広がっていったことが観察された。よって、高岡コロッケの事例では、先行研究の行政の関わり方とはまた別の特徴も見出せる。