第三章 調査報告

 

 本章では二人のインタビュイーが介助を始めたきっかけや介助に対する取り組み方について記述していく。

 

第一節 Aさんのポートレート

 

Aさんは35歳男性で、勤続年数は10年であった。Aさんが介助を始めたきっかけは、身体障害者と知り合ったことからだった。それまで福祉や介護といったことには興味がなかったが、Aさんは一人の障害者と知り合ったことをきっかけに交流を始める。その後、Aさんは障害者の地域問題を考える会を紹介され、そのメンバーと知り合った。障害者の地域問題を考える会のメンバーが在宅で一人暮らしをしており、Aさんはメンバーの家に遊びに行き、食事の介助などを行っていた。それが介助の一番初めのきっかけであった。

 

A:その障害者の人っていうのも、実際に町でほとんど見かけてなかった。ていうのも、自分がそんな外出する方じゃないけれど、見かけてなかったんで、えー、その障害者の…一番初めて出会った人の家に行く前までの、自分のイメージっていうのが、脊損の、えー、腰から下が動いてない…、自分でハンドリングで車椅子を動かすような…そういう人が障害者なんやろーって思ってて、で脳性麻痺の人っていうのを全然見てなかったっていうのが…ありました。うん。

稲家:地域問題を考える会を知ったきっかけというのは、なにかありますか?

A:一番最初に会った障害者の人と知り合っていくうちに、こういう会があるけれど、出てみないかみたいに言われて。でどんな所なんだろうと興味があったから、会議にちょっとお邪魔して、っていう感じです。

 

稲家:地域問題を考える会というのは、ボランティアみたいな…

A:ボランティアはボランティアだけど…付き合いみたいな感じがあって、その人間関係で付き合ってる状態で、相手に対してボランティアっていうのは…付き合ってる関係で、僕らの関係はボランティアですみたいな(笑)、風に言われるっていうのはものすごい…失礼なことなんじゃないかっていうのは、あったから、ボランティアっていう意識は、してなかったね。会いに行ったら会いに行ったで、何かしてくれって指示が出たら、そりゃ当然いやだって断る理由がないからやってる…だけっていう考えであって、うん。

稲家:ボランティアっていう、一種の隔たりのようなものでなくて、ほんとにもう、知り合いっていうか。

A:うん、ボランティアっていう言葉が…(3秒沈黙)毛嫌いしとったところもあったんだろうと思うけど、うん。うん、そんな感じです。

 

Aさんは当時の障害者との交流はボランティアではなく、知り合いに会いに行くという、人付き合いによるものだったと語った。また、ボランティアという言葉を毛嫌いしていたという語りからは、介助を「人付き合い」としてとらえようとするAさんの意識がよく感じられる。

 

A:ちょうど自分がバイトを辞めて休息中で、何もしてなかった時期で、面白いなと思って、Eさん家とかDさん家、Cさん家(3人とも身体障害者)に勝手に…入ってたんで。で、そんとき来週のスケジュールで、じゃあ、9時から1時まで来てとか、言われて。じゃあ来週火曜日9時から7時までですねっていう感じで、行ってたんじゃない(かな)。ヘルパー同行とかもなくて、その時間人がいない時間だから1人で家にいて、で初めて玄関入って、お邪魔しまーすっていって勝手にドア開けて、中入ってきてーって言われて中入って。で、その人自身が、俺を背中から抱えあげて車椅子に乗せてとか言われて、やってって、ヘルパーが同行しとるっていうより、その障害者自身が直々に…教えてるっていう感じで。で、そんな時に、そこで文福立ち上げるから入らんか、みたいなことを言われた時に、今とやってること変わらない…そんな変わらんような仕事内容であるならまぁ出来ますんで、っていうように答えて、入ってったと…(括弧内は引用者。以下同様)

 

Aさんは障害者の地域問題を考える会をきっかけに、障害者と知り合い、障害者の家に行くようになった。それがきっかけで、障害者から来てほしい時間をお願いされるようになり、訪問介助をするようになっていった。介助は障害者に直接やり方を教えてもらっていたようだ。文福の発足に伴いAさんにも声がかけられ、当時の介助の内容とそう変わらない仕事内容だということだったので文福での介助を始めた。

このように、Aさんの介助者としての歴史は、個々の障害者との付き合いから始まっていったのである。

 

稲家:仕事として始める前と、実際に仕事として入ってみて、介助するときの気持ちって、かわりました?

A:いや、特に。心境の変化とかない…かな。

稲家:やることに違いがあったりとか、気持ちに違いがあったりとかは?

A:うん、ないな。…だから、人付き合いである以上、あまりに仕事として意識したら、人間関係って円滑におわってかんもんだとは思うから、なんか適当な気持ちでやってきたっていうのはある…けどね。

稲家:仕事だからって肩ひじ張らないのも一つ重要なことなんですかね?

A:うーん…うん。徹底して、管理して介護サービスを行うっていうのも、それはそれでひとつの仕事で、高齢者福祉とかでは大事になるかも知れんけども、自分自身…自分個人として考えれば、うん、そんな…気合い入れてみたいなことは、ない方が、なくて良かったなーみたいな…

 

稲家:(介助をするにあたって)給与が出るからこうだ、出ないからこうだ、みたいな違いってあると思いますか?

A:まぁ特にないっちゃない…ただ、お金は、生活していく上で絶対必要だから、給料が出てるっていう感覚で…うん。なくても生活していけるならなくてもいいしという…うん。ただ、日中ずっと介助に入ってて、で賃金を得る仕事他にやってるわけでもないし、それ1本で、結構な時間数入ってるから、うん、当然お金は必要になってくるから給料はあるものだっていう…感じだけど、うん…

 

介助を仕事としてやり始めたAさんだったが、介助のやり方を変えたり心境の変化があったりというようなことはなかったようだ。高齢者介護などでは介護サービスを仕事として、徹底して行うことは一つの大事な要素であると考えているが、Aさん自身が介助を行うに当たっては、仕事として意識する必要性は無かったと感じている。Aさんの中では「人付き合い」としての介助は一貫しており、下手に「仕事」と意識しすぎると、「人付き合い」としての介助が損なわれてしまいかねないのだ。仕事として給与が出ることに関してもあまり特別な意識を抱いておらず、介助をしながら生活をするのに必要なものであるが、それ以上ではないという意識であると思われる。このことは以下の語りにも表れている。

 

A:やっぱ仕事として意識して、えーっと・・給料っていう手当を貰ってやっている仕事なんだって考えたら、徹底してやらなくちゃいけないって気持ちはあると思うんで、なんか「利用者さま」とか・・そういう感じで。うん、でもそれはそれで・・うーん・・嫌な感じになるんかなってね。うん。

 

給料が出るからといって、それを意識し始めると利用者を一人の人間として見ることができず、人間関係もうまくいかなくなるのではないかとAさんは考えているようである。この語りからも、Aさんが介助の人付き合いの部分を強く意識していることがうかがえる。

 また、給与については以下のようにも語っている。

 

稲家:ちょっと踏み込んだ質問かもしれないんですけども、あの、現在貰っている給与って、今行っている介助に対して妥当な金額だと思いますか?

A:妥当な金額・・・だと・・・うーん、妥当とか妥当じゃないっていう感覚は無いので・・えっと、例えば今より手取りが10万円少なかったとしても、10万今より手取りが多い・・・どっちでも、うん、「そうなんだ」って感覚だね。

稲家:じゃあ特別こういう仕事してるからこのくらいは貰いたいって、そういう話じゃなくって、介助は介助として、給料は給料として別々に・・・

A:多く貰えるんだったら多く貰えた方が、いいけれども。うん、妥当かどうかって言われたら、別に多くてもいいし少なくてもいいしっていう。

 

介助の給与の金額については意識していないと語った。給与が介助の気持ちに影響を与えないという語りがあったように、介助の給与額についても気にしていないと語っている。また、介助を仕事として行っている理由として、お金の問題はあまり意識していないようだ。Aさんは介助のやりがいとして、店の変化を例にしながら、障害者問題が解決に向けて進展していくのを見られる、ということを挙げていた。玄関に階段があり、車椅子では入りにくく、苦労しながら入っていた店があったが、何度か通ううちに店の判断でスロープが設置されていたということがあり、このような障害者問題に関しての社会の変化を直接的に感じられることがやりがいであると語っていた。

 

A:なんか昔はその障害者の人自身が…えーと、学生とかに声をかけて、で、自分自身でヘルパーを確保していくっていう、やり方やって、その時代の方が良かったんじゃないかなぁっていう、うん。で、うーん、金の切れ目が縁の切れ目じゃないけれども、介助に入ることでバイト料が出ますっていって、たしかにそれで人は確実に確保はできてるけど昔の気概の方がいいんかなっていうのは(ある)

稲家:お金を挟まない、自然な人のつながり。

A:うん、でもみんな歳とってしまうから……自力で介護人探しっていうのも、体力的にしんどいっていうのは、出てきてるから仕方のないことなんどろうけど、……うん。(4秒沈黙)うん、アルバイト入る関係とかは本来無くしていったら、いい世の中になるんじゃないかなぁ?程度で。うん。

 

Aさんは現在の介助者を雇用する制度に違和感をもっている。介助をすることで給料が出るとすれば、人が集まりやすくなるが、お金を挟まなければ関係が成立しなくなる、お金が出なくなれば関係が断たれるなど、関係が淡泊になってしまうことを危惧しているのではないだろうか。介助者を雇用するようになる前は、障害者自身が介助者に声をかけて集めており、そちらのやり方の方が障害者と介助者の関係は自然であり、今もそのように介助者集めができればいいと考えている。しかし、このやり方は体力的に大変であり、現在の雇用するやり方も仕方のないことだと感じているようだ。

介助にお金を挟むことが主流になってきたが、障害者自身が責任を持って指示をして、介助者が介助をするというのが本来自然であり、障害者自身が介助者を見つけ指示をして生活できるよう、世の中が変わってほしいと考えているのではないだろうか。

 

稲家:これから介助を一つの自分の定職として、続けていきたいって気持ちはありますか?
A
:うーん・・・うん、まあ、楽しいことがあれば続けていきたいというのは(ある)。これじゃなくちゃ嫌だっていうのは無くて、別に仕事として取り組んでるのであれば、どこの仕事先でも必ず人間関係のいざこざとかでも起きるだろうけども、続けていけるんはやっぱり楽しいと思える部分が感じられる、からやと。まあそればっかりならいいんやけど、まあそうでは無いけれども楽しいとは思えるから、まあ続けていけるちゃいけるなあっていう程度で。

Aさんは障害者との付き合いから介助を始めた。そして、これから介助を仕事として続けていけるかという問いに対しては、職種にこだわりがないものの、楽しければ続けていけると語っており、やはり仕事の内容よりも人付き合いなどの面に重きをいているように感じられる。


 

第二節 Bさんのポートレート

 

Bさんは25歳男性で、勤続年数は4年であった。大学生時代より福祉に興味を持っており、大学生の時に文福が行っている重度訪問介護従事者養成研修に参加した。研修を受けるまでは介助というものがあることを知らなかったが、重度訪問介護従事者養成研修をきっかけに介助を知り、文福のアルバイトとして介助を始めた。その後、文福のスタッフとなった。

 

稲家:介助っていうものがあるっていうのを知って、その介助という言葉にどういう風なイメージを、初め抱きました?

B:うーん、まぁ、介助という言葉は聞き慣れんもんやなぁとは最初思って。で、その前に知的障害者施設に行ったりとかは、個人的にしたことがあって。で 介助に、アルバイトで入るようになって、これが介助なんだと、言われた…その、在宅で自立生活する人の生活に入っていくっていうやり方は、それまで知っていた介護っていうものとは、全く違うもの…やよね?(稲家:うーん)それにやっぱ、ギャップというか、あ、こんなにも違うもんが…この周りにはあるんだなぁというか…そういう風には感じました。

 

Bさんはボランティアで施設に行くなどの体験をしていたが、介助はその体験とのギャップを感じさせるものだった。もともと「介護」という言葉にはなじみがあったものの、「介助」という言葉は聞きなれないものであり、実際の介助の場でその違いを実感した。

 

稲家:介助をやるにあたって、ボランティアっていう風な選択肢もあったとは思うんですけども、そちらの方には、何か興味…はありました?

B:うーん…ボランティアっていうものは、まぁ実際そんなボランティアに携わったことはないけども、まぁ介助をするってなったら、ある意味自分の生活の土台ありきで続けていけることが前提かなと…思うところがあって。それは、まぁ仕事として確立できるもの…ならば、なおいいかなと…そういう風に、まぁ世の中も変わればいいのかなと…最近よく思うけど…

稲家:じゃあそういった意味でも今、常勤で働いていらっしゃいますけども、アルバイトから、その常勤に移ったきっかけっていうのも、そういう風な生活の土台を支えられる…仕事として、魅力を感じたからですか?

B:うーん…まぁないとは言えんけども、やっぱりその時も、うん、障害者の、とあるお方からの…猛烈プッシュが…あったのかも知れないですね。

 

Bさんは介助をしていくにあたって、生活の土台があることが前提であると語った。文福のスタッフとして介助をしているのも生活の土台を作りつつ介助に携われるというのが一つの要因になっているようだ。しかし、Bさんは常勤になった理由として、引用中の二つ目の下線部のようにも語っている。Bさんは研修をきっかけに介助の世界に入ったが、常勤として働く際には人付き合いとしての面も意識していたようだ。

 

稲家:アルバイトから、常勤スタッフになるにあたって、介助に対する気持ちの違いっていうのは、生まれました?

B:うーん、違い…うん、そう…だね、あったかも…知れません。まぁアルバイトで入るっていうことは…まぁ多分稲家くんは分かると思うけど、結局…入って終わり…なとこってない…かな?(稲家:うーん)うーん、じゃあ次の人みたいな感じで(稲家:はい)まぁ常勤で入るっていうがは、もうちょっとなんか、広い意味合いというか、例えば稲家くんが入ると…最初入った時同行だった…よね?確か(稲家:はい)ね、その稲家くんと一緒に行ったって後も、例えば、どう…どうゆう関係性を持って、上手いこと行けとるんかとか…あるいはその人の状態が変わっとるんかとか…なんかやっぱ長い付き合いになることが分かると、まぁこっちもあっちももっと関係性を強く持とうっていう気持ちもあると思うし…そういう意味でもまぁアルバイトの時とは違ったかなと…思います。

稲家:なるほど。やっぱ常勤となると、障害者の方との距離っていうのも、なんとなく近いものに感じますか?

B:そうやねぇ…まぁ、ほんとは良くないと思うんだけどね。別に、バイトとか、常勤とか、介助に入ったからっていって距離感が生まれるっていうだけはちょっとまぁ…寂しいね、まぁ近所に住んどる人でも(できる)、っていうがは大事やと思うけども、まぁ確かに常勤なって、こっちも介助に入るっていう責任感は強くなったのかな…と思います。

 

Bさんはアルバイトから常勤になるときの変化として、利用者との付き合いを長い視点をもって考えるようになったことを挙げている。アルバイトで介助に入るということは「その場限りの関係」のような側面もあると考えており、本来はそういった距離感は無い方が良いとしながらも、常勤になってからは距離感や責任感について改めて意識するようになったようだ。

引用中一つ目の下線部の語りはAさんの介助者募集とお金に関する語りに通じるところがある。介助にお金を介すことで人が集まりやすくなるが、それはあくまでお金を介した関係であるため、障害者と介助者の関係がお金に左右され、人付き合いとしての面が失われるのではないかとAさんは考えている。しかし、Bさんはそのような「失われるもの」も意識しつつ、責任感という「得られるもの」を強調している。それは次の語りにも見てとれる。

 

稲家:お金を介すか介さないかで、やってる人の気持ちは変わると思いますか?

B:うん、それは変わると思います。うん。まあ、お金介す介さないだけがボランティアではないと思うけど、お金介すボランティアもあると思うけど、 お金を介すってことは働いているってことだよね。働くって・・・まあ、なんだろうね。やることやるって意味にもなるよね。それは逆に、なんだろう。信頼感じゃないけど、まあやるだろうって気持ちは利用者の中にもあると思うし、こっちもじゃあやろうって。お金だからって言い方は嫌やけども、まあお金が無いとなあなあになってしまう人もいると思います。

稲家:やっぱりそのお金っていうのは、それだけじゃないと思うんですけども、それを一つの理由として、お互いの責任感だとかそういった部分を補強する役割を持っているように感じますか?

B:うん、補強・・・そうだね。まあ前提として違うっていうのもあると思うけど、例えばお金無かったら自分のしたいことだけする・・・ボランティアで 何かしてあげたいっていう気持ちは、言い換えれば自分がしてあげたいってしたいことだよね。それって好き嫌いが出てくる時点で仕事には為り得んとは思うし。それはボランティアのいいところだと思いますけど。

 

介助に給料が出ることの影響として、介助に際していい加減になるのを防ぐ、ということを挙げており、下線部の語りのように責任感が生まれるというプラスの面を意識していることが見てとれる。また、無償のボランティアについては個人がやりたいことをするという点で仕事とは異なってくるが、やりたいと思う、やりたいことをするというのもまたいいところであると語った。

 

稲家:はい……次なんですけども、介助をする上で、やっぱりお金を介すと、やっぱりどこかしらで責任感というものは出てくると思うですけども、それが時に重荷に感じてしまう時ってありますか?

B()それはないよ。

稲家:そうですか?()

B:別に…うん。それは、お金を返すから重荷になる…とんでもない額もらっとったら重荷になる。別に、最低限の、あの、縛りというか、お金を介したうえでの付き合いで、お前はいくらもらってるから、こんぐらいせいや、っていう風に…言われんやろ?()

稲家:そうですね()

B:言われんし、思わんし、そんな思っとたら…やっとれんよね。お互いは。

 

 Bさんは介助にお金を介すことで責任感が生まれると語っており、それがプラスになると語っていた。しかし、その責任感は過度に意識するようなものではないと感じているようだ。お金については最低限の意識しておけば充分であり、金額によって介助のやり方を大きく変える必要はないと考えているようにも見受けられる。

 

稲家:ちょっと踏み込んだ質問かもしれないんですけども、現在受け取っている給与ってあると思うんですけども、それは今行っている介助に対して妥当っていうか、等しい対価だと思いますか?

B:まあ、等しい等しくないって言ったら・・・分からんね。別にあんま給料がいくらとか・・・で、介助がどんだけって考える・・と、なんもできんくなるから、あくまで給料は最低限の縛りって言うか。仕事で入っていますっていう意思表明のつもりだと思えば、釣り合う釣り合わんはちょっと分かんないですよね。

 

稲家:今の介助の給与っていうのは、生活を支えていく上で・・十分な金額ですか?

B:一人で生きていく分には、全然大丈夫だよ。別に一般的に低いって言われようが、よほどアホみたいに遊び回らんければ、飯食っていけるし、屋根はあるし着るものはあるし。はい、大丈夫だと思います。

稲家:給与という面では、介助っていうのを一つの仕事として続けていくには特に不足を感じることは無いですか。

B:うん、まあ続けていく分には不足はないけど、新しい人を呼ぼうとする分には、不足なんかなと・・・思います。

 

Bさんは現在の介助の給与に過不足を感じておらず、また、「これだけの介助をしたのだから、これだけの給料がほしい」といった考えもないようだ。Bさんはこれからも介助で生活を支えていけると考えているが、新規に介助者を集めるには、現在の給与額では不足ではないかと考えている。