5章      各種少年非行報道と世論調査の関係

 

 3章では内閣府の行った世論調査の結果をまとめ、4章では新聞で報道された少年による事件についてそれぞれの年の調査結果をまとめた。この章ではこの二つのデータを組み合わせることで世論調査の結果と新聞報道の関係を探っていきたい。

 

5-1 刃物を使った殺傷事件と世論調査の関係

 

 世論調査が行われた年に報道された少年による事件を聞蔵で「少年、殺人」をキーワードにして記事検索してみると1998年は全部で172件の記事があり、同じ条件で各年を検索すると2001年が92件、2005年が117件、2010年では102件の記事が見つかった。この結果と世論調査の「社会的に見て問題だと思う少年非行」のうち「刃物を使った殺傷事件」の結果をグラフにしたのが図5-1-1である。

5-1-1

出典:平成10年『青少年の非行等問題行動に関する世論調査』、平成13年『少年非行問題等に関する世論調査』、平成17年『少年非行等に関する世論調査』、平成22年『少年非行に関する世論調査』より作成

 

それぞれの年に報道された記事を見てみると、1998年では1月に栃木県で発生した教師刺殺事件が大きく報道されている。「聞蔵」で「黒磯、教師刺殺」をキーワードにして検索してみると以下のような記事が全部で44件見つかる。

 

栃木県黒磯市の中学校で女性教師を刺し殺した十三歳の生徒は、学校から見ると「ごく普通」の生徒だったという。その少年が「カッコよかったので」ナイフを持ち、遅刻をしかられて「カッとなって」教師を刺した。子どもがむかつき、ささいなきっかけで突然キレて暴力をふるう、一九八〇年代とは違う「新しい荒れ」は、いま全国の学校に広がっている。ナイフをファッションで持ち歩く子どもも多い。教師たちは言う。「とうとう来たか」「明日はウチかも」(「「普通の子」キレて凶行 遅刻注意され 栃木の教師刺殺事件 」『朝日新聞』1998.1.29.朝刊)

 

この事件をきっかけに少年のナイフ所有が問題として取り上げられるようになり、内閣府の世論調査内にもナイフの所有に関する設問がある。そのためか世論調査で「刃物を使った殺傷事件」を社会的に見て問題だと思っている人は82.4%もいた。

2001年の検索結果は92件だが、その中には過去に起きた事件の裁判の様子を報道しているものが含まれているため、実際に報道された事件の記事はこれより少ない。また大きく報道された事件はなかった。1998年より記事の数が減少しており、同じように世論調査の結果も下がっている。

2005年には栃木・宇都宮の男性監禁事件や、水戸の鉄アレイで両親殺害の事件などが大きく報道されているが、これらの事件は刃物を使った事件ではない。それにもかかわらず世論調査では「刃物を使った殺傷事件」の回答率が、前回よりも上がっている。そこで調査期間よりも前を調べてみると、2004年の6月に佐世保小6女児同級生殺害事件が起きていたことがわかった。調査期間が2004年の10月からなので検索結果には出てこなかったが、「聞蔵」で「佐世保、小6、事件」と検索すると以下のような記事が287件ヒットするので大きく報道された事件である。

 

「命の大切さ」を教えるはずの学校で1日午後、子どもが命を落とした。亡くなったのは、長崎県佐世保市の市立大久保小学校6年の御手洗怜美(さとみ)さん(12)。カッターナイフで切りつけたとして補導された同級生の女児(11)は、謝罪の言葉を口にしているという。仲良しだったという2人の間に何が起きたのか。娘を亡くした父は涙ぐみ、周囲の人たちはあまりに大きな衝撃に言葉を失った。(「「仲良し」2人、なぜ バスケ部、一緒に練習 佐世保の小6死亡」『朝日新聞』2004.6.2.朝刊)

 

また他に刃物を使った事件はほとんどなかったので、恐らく2005年に「刃物を使った殺傷事件」を社会的に問題であると捉える人が増加したのはこの事件が影響しているであろうと考えられる。

2010年の場合は大阪府池田市の高校一年生放火事件が7回報道された以外は、記事の数が1,2件のものが多かった。検索した結果は102件だが、その大半が過去の事件の裁判などの調査範囲外の記事だった。大きく報道された刃物を使った事件はなく、世論調査の結果も4回のうちで一番低かった。

キーワード検索の結果と世論調査の結果を比べてみると、「刃物を使った殺傷事件」の回答率が高くなった1998年と2005年にはそれぞれ栃木県で発生した教師刺殺事件と長崎県で発生した佐世保小6女児同級生殺害事件が大きく報道されており、逆に回答率が低くなった2001年と2010年には事件の報道があったものの、大きく報道された事件はなかった。また、この2つの年は「刃物を使った殺傷事件」の結果がそれぞれ48.4%46.4%と似たような数値になっている。今回の調査では何度も報道された事件を大きな事件としている。つまり1つの事件が何度も報道される大きな事件が発生することで記事の数が増加し、それに合わせて「社会的に見て問題だと思う少年非行」の「刃物を使った殺傷事件」の数値が増加している可能性がある。

 

一方で見出しを「聞蔵」で「刃物」、「ナイフ」、「包丁」、「カッター」のキーワードを使いそれぞれの年を検索してみると、以下の表の結果になる。

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1998年は「ナイフ」を含む記事がけた違いに多いので絞り込みを行うために「少年、ナイフ」のキーワードで検索してみると127件の記事が残った。その中には共通する言葉として「販売自粛」や「所持品調査」という言葉が使われている記事がいくつも存在する。「販売自粛」は事件の影響でナイフが18歳以下の子供に販売することを規制する有害玩具に指定されたからで、「所持品調査」の場合は学校でナイフを使った事件が起こる事を防止するための方法の一つとして実際に行われたからである。また「少年犯罪増」や「少年のナイフ事件増加」という言葉が使われた記事もいくつか存在しており、その内容は「販売自粛」の場合とあまり変わらないが、本文中に「少年によるナイフを使った事件が相次いでいる」ということが書かれている。読者の声にも「ナイフ」という言葉がたびたび出てくることからもナイフに注目が集まっていたことがわかる。2001年の見出し検索は前回よりも減少している。2005年の場合も「刃物」、「ナイフ」、「包丁」、「カッター」の見出し検索の結果は前回と比べるとやはり減少している。2010年の結果でも減少が止まらず、記事の数は1998年の10%ほどになっている。

見出し検索の結果を世論調査の結果と比べてみると次の図5-1-2のようになる。図5-1-2は見出しの各年の項目の合計した値を記事の数として使っているが、記事の重複を避けるために「聞蔵」でor検索を行った結果を使っている。この結果を見てみると1998年だけはどちらも高い結果が出ているが、その後は見出しの減少が続き世論調査とは異なった結果が出ている。特に2005年では見出しの数が減少しているにもかかわらず、世論調査の結果は上昇している。1998年だけ結果が一致したのは、1月に栃木県で発生した教師刺殺事件が大きく報道され、少年のナイフの所有が社会問題化したことにより少年のナイフ所有が一般化しているように感じられたからではないだろうか。

5-1-2

出典:平成10年『青少年の非行等問題行動に関する世論調査』、平成13年『少年非行問題等に関する世論調査』、平成17年『少年非行等に関する世論調査』、平成22年『少年非行に関する世論調査』より作成

 

 世論調査の結果のうち「社会的に見て問題だと思う少年非行」の「刃物を使った殺傷事件」の数値は記事の数の変化に合わせて変化している。このことから「刃物を使った殺傷事件」はメディアの報道の影響を大きく受けていることがわかる。

 

5-2 いじめと世論調査の関係

 

では「いじめの問題」はどうだろうか。「聞蔵」を「いじめ」をキーワードにして検索してみると結果は以下の表のようになった。

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この表のキーワード検索の結果と世論調査の「社会的に見て問題だと思う少年非行」のうち「いじめの問題」の結果をグラフにしたものが次の図5-2-1である。


 

5-2-1

出典:平成10年『青少年の非行等問題行動に関する世論調査』、平成13年『少年非行問題等に関する世論調査』、平成17年『少年非行等に関する世論調査』、平成22年『少年非行に関する世論調査』より作成

 

1998年の調査期間内で「いじめ」という言葉が出てくる記事のうち、いじめの記事だと断定できるのは全部で34件あった。同じ条件で他の年も見てみると、2001年はいじめの記事だと断定できるのは裁判を起こした2件だけで、それ以外には過去のいじめ裁判の経過を報じているものがいくつかあるだけだった。また文部科学省が行った問題行動調査のデータを使った記事が21件あった。2005年はいじめの事件であると断定できる記事が存在せず、0件だった。2010年はいじめと断定できる記事はいくつかあった。その中で大きく報道されていたのは群馬県桐生市で起きた小6女子いじめ自殺事件だけだったが、その記事数は15件あった。また、県ごとに行われるいじめ調査の記事も26件と比較的高い割合で見つかっている。これに関しては8月〜12月にかけて全国的に調査が行われていることが関係していると思われる。

1998年は全部で556件の記事が見つかるが、その多くは読者の声を記事にしたものである。同じ条件で他の年も検索してみると2001年は前回の半分ほどまで記事の数が減少したが、その内容は1998年とは異なりそのほとんどは講演会や戦争に関することだった。2005年ではさらに減少し、そのなかの多くは過去のいじめ自殺を教訓とした相談会や、過去のいじめ事件の訴訟の記事だった。2010年になると記事の件数は前回より90件ほど増加した。それぞれの年で大きく報道された事件を見てみると、1998年には埼玉の中一殺害事件が報道されている。「聞蔵」で「埼玉、東松山、いじめ」という言葉を使いキーワード検索してみると以下のような記事が17件見つかった。

 

「上等じゃないか」。中学一年の男子生徒(一三)は、そう叫んでナイフを握った。埼玉県東松山市の市立東中学で九日、一年の加藤諒(まこと)君(一三)が、刺されて死亡した事件の背景には、「いじめる側」と「いじめられる側」が容易に入れ替わる子どもたちの複雑な関係があった。「いじめ」は、学校の中でねじれ、潜行して、噴き出し口を探しているのか。中学生のナイフ事件続発の防止に、手だてはないのだろうか。刺した男子生徒はこの日のうちに身柄を浦和少年鑑別所に移された。(「「いじめ」ねじれ、悲劇 立場逆転、我慢できず? 埼玉の中1殺害」『朝日新聞』1998.3.10.朝刊)

 

この事件は分類としては刃物を使った殺傷事件になるが、事件の動機としていじめが取り上げられている事から、いじめの事件として扱う。またこの年は4回の世論調査のうち「いじめの問題」を「社会的に見て問題である非行」であると捉えている人の割合が一番高く、69.1%もいた。

2001年には大きく報道された事件はなかった。その代わりに文部科学省が行った問題行動調査のデータを使った記事が21件あり、その見出しからはいじめや暴力行為が増加しているように見える。記事の数は減少し「社会的に問題である少年非行」の設問でも前回よりも大きく下がっている。

2005年には2001年と同じように大きく報道された事件はなかった。また統計を使った記事も存在しなかった。「社会的に見て問題だと思う少年非行」の設問でいじめを問題だと捉えている人は前回よりも減少している。

2010年は大きく報道された事件として群馬県桐生市で起きた小6女子いじめ自殺事件が挙げられる。この事件に関する記事は以下のようなものが32件あった。

 

   群馬県桐生市の市立小学校に通う6年生の女児(12)が市内の自宅で首をつって死亡していたことが分かった。父親は「学校内のいじめが原因」と話しているが、学校側は25日に記者会見し、「人間関係に問題があったが、いじめとまでは認識していなかった」としている。(「群馬の小6女児自殺 父「いじめ」、学校に相談」『朝日新聞』2010.10.26.朝刊)

 

また県ごとに行われたいじめ調査の記事も26件あった。この年の「社会的に見て問題だと思う少年非行」にいじめを挙げた人は53%に増加している。

キーワード検索の結果と世論調査の結果を比べてみると、キーワード検索の結果が多い年は「社会的に見て問題だと思う少年非行」のいじめの問題の回答率が高くなり、逆にキーワード検索の結果が少なくなると「社会的に見て問題だと思う少年非行」のいじめの問題の回答率が低くなっていた。この結果から記事の数が「社会的に見て問題だと思う少年非行」に影響を与えていると考えられる。

 

いじめの問題の場合も同じように「聞蔵」で「いじめ」をキーワードに見出し検索を行った。1998年の「いじめ」を見出しに含む記事の検索結果は63件だった。同じように他の年も検索してみると2001年は1998年よりも減少し38件、2005年はさらに減少し10件、2010年は大幅に増加し68件となった。世論調査の結果と比べてみるとキーワード検索の場合と同じように記事の数の増減に合わせて「社会的に見て問題だと思う少年非行」の結果も変化している。

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出典:平成10年『青少年の非行等問題行動に関する世論調査』、平成13年『少年非行問題等に関する世論調査』、平成17年『少年非行等に関する世論調査』、平成22年『少年非行に関する世論調査』より作成

 

世論調査の結果と比べてみると「社会的に見て問題だと思う少年非行」の「いじめの問題」の項目と新聞記事の数はいずれの場合も世論調査の結果と同じような変化を示している。大きく報道された事件が発生した1998年と2010年では高い数値が、大きく報道された事件がなかった2001年と2005年では低い数値がそれぞれ出ている。これらのことからいじめが社会的な問題として捉えられるのは、メディアの影響を受けている事が分かる。

 

5-3 性非行と世論調査の関係

 

 性非行の場合は様々な言葉で検索を行ったが、そのなかで世論調査の結果に影響を与えていそうなのが「強姦」または「婦女暴行」と「強制わいせつ」だった。「聞蔵」でそれぞれの言葉に少年を加えてキーワード検索してみると以下のような結果になった。


 

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記事の件数は少年を含まない場合だと世論調査ごとに増加していたが、キーワードに少年を加えた場合は年ごとの差が大きくなった。そしてこの結果を世論調査の「社会的に見て問題だと思う少年非行」のうち「性非行」の結果とともにグラフにしたのが図5-3-1である。

5-3-1

出典:平成10年『青少年の非行等問題行動に関する世論調査』、平成13年『少年非行問題等に関する世論調査』、平成17年『少年非行等に関する世論調査』、平成22年『少年非行に関する世論調査』より作成

 

世論調査の結果と比べてみると2005年までは記事の数の増減に合わせて世論調査の結果が変化しているように見えるが、2010年では「社会的に見て問題だと思う少年非行」の項目の回答率が一番低いのに対し記事の数は多いという結果になった。しかしこれはあくまでグラフに直した場合で実際の記事の数はかなり少ない。キーワードに少年を加えた場合記事の数がかなり少なくなったのでこのような極端な結果が出たのかもしれないが、どうやら記事の件数だけが世論調査の結果に影響を与えているわけではないようである。そこで記事の内容を見てみると、1998年と2005年には大きく報道された事件があったことが分かった。1998年では「帝京大ラグビー部事件」がそれに当たる。この事件には13件の記事があり、大きく報道されていたことが分かる。また類似した事件が同じ時期に他にもいくつか報道されており、社会的な問題となっていたことが分かる。

2005年には2004年に起きた「国士舘大サッカー部員事件」の記事が7件見つかった。サッカー部の事件の記事には市が出した性犯罪防止を求める決議が出されたことも含まれている。また同じような時期に大学生による強制わいせつの記事が他にもあり、こちらもやはり社会的な問題としてとらえられている。

どれも大学生が起こしたものであり、年齢上少年が含まれるため少年による事件として扱うことも可能だが、記事の中では大学生と表記されており大学生を少年として捉えるかどうかは線引きが難しい。しかしキーワードに「少年」を加えて検索を行うと大学生による事件の記事は見つからなかったため、今回の調査では扱わないことにする。見出しについても調査を行ったがキーワード検索の結果と同じように1998年が一番少なく2010年が一番多いという結果になった。

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出典:平成10年『青少年の非行等問題行動に関する世論調査』、平成13年『少年非行問題等に関する世論調査』、平成17年『少年非行等に関する世論調査』、平成22年『少年非行に関する世論調査』より作成

 

世論調査の結果と比べてみると「社会的に見て問題だと思う少年非行」のうち性非行は世論調査の結果と記事の数を比較してみると2005年までは関係性がみられるが、2010年では記事の数が多くなっているのに対し世論調査の結果は一番低い数字が出ている。しかし実際の記事の数は多い年で40件ほどとかなり少なく、記事の数が同じくらいの1998年と2010年では世論調査に逆の結果が出ているため、記事の数が世論に影響を与えているとは考えにくい。また個別に記事を見ていくと世論調査の結果が高くなった年には大きく報道された事件や似たような事件がいくつも報道されているということが分かった。しかしこれらは大学生によるもので、大学生を少年に含むのかについては意見が分かれるため今回の調査では使用しない。また図5-3-1に援助交際と売春のデータを追加しても2005年に世論調査の結果が増加した理由が説明できない。

 


 

5-4 普通の子と世論調査の関係

 

 ここまで世論調査の個別の項目と新聞記事の数を比較しその関連性を調べてきたが、それだけでは説明ができない世論の変化がある。それは「少年非行は増加しているか」という設問で2005年まで少年非行が増加していると感じている人の割合がほぼ9割のまま変化していないことである。「社会的に見て問題だと思う少年非行」と関連があると仮定するならば、その結果が下がった2001年は増加していると感じている人が減少するはずである。しかし2001年の結果を見てみると少年犯罪が増加していると感じている人の割合は変わっていない。ではなぜ少年犯罪が増加していると感じている人が減らなかったのだろうか。その鍵となりそうなのが先にふれた1998年の事件と2004年の事件である。大きな事件として取り上げた1998年の教師刺殺事件と2004年の佐世保の事件では記事の中である言葉が共通して使われている。それは「普通の子」という言葉である。そして事件の記事で「普通の子」という言葉が使われることが、世論調査のある部分に影響を与えているように感じられる。それは3章の世論調査の結果の中で「少年非行は増加しているか」という設問のうち、「増加している」という回答が2005年まで高い割合を示していたことである。「聞蔵」で「普通の子」をキーワード検索してみると1998年が50件、2001年が4件、2005年が8件、2010年が2件という結果が出た。また「普通の子」という言葉が使われている記事は主に事件を報道している記事で、その内容は不安をあおるものが多い。

 赤羽(2010)によると「普通の子」が非行に走るというのは1970年代後半から80年代の少年犯罪「第三の波」から一般的に言われるようになったという。「第三の波」の少年非行には万引きや自転車盗などの非行が挙げられ、それらは「遊び型」非行と呼ばれて危険性は強調されていなかった。またこの頃の凶悪な少年犯罪は「普通ではない子」によって行われることとされ、その要因として家庭や学校での問題が指摘されていた。しかし「第四の波」(1990年代後半〜)の少年犯罪は「普通の子」が突然重大な事件を起こす「いきなり型」と特徴づけられ「普通の子」と犯罪少年の境界の消滅が問題視されるようになったという。次の記事は1998年に大きく報道された栃木の教師刺殺事件の記事である。

 

ある三年生の男子は、刺した男子生徒について「普通の子」と話した。一年の男子も「目立つような子ではなかった」と話していた。

腰塚教諭を刺した男子生徒の家の近くに住む同級生の父親は「特に目立った所もなく、普通の子だった。なぜそんなことをしたのか全く分からない」と驚いていた。男子生徒の家庭については、「教育熱心な家庭で、父親は小学校の行事にも積極的に参加していた。小学校の時に近くの公民館であった『泊まり会』でも、毎年のように父親が来てよく働いていた」と話す。

  同じく近所に住む同学年の女子生徒の祖母は「何の問題もないいい子なのに」と事件が信じられない様子だった。(「「なぜ」関係者に衝撃 黒磯で女性教師が中1に刺され死   亡 /栃木」『朝日新聞』1998.1.29.朝刊)

 

ここで語られている加害者像は日常的に問題を起こす少年ではなく、普通の少年である。また彼の家庭環境や学校生活に何らかの問題があったようにも見えない。しかしこの事件は全国的に大きく報道され、ナイフ所有に関する議論が始まったきっかけでもある。ではなぜ「普通の子」が問題視されるようになったのだろうか。

その要因として環境の変化が挙げられる。赤羽(2010)によると「第三の波」の時に「普通ではない子」の背景として指摘された問題が「第四の波」では「普通の子」の背景として指摘されるようになった。「第四の波」では家庭や学校の問題に加えどこでも起こりうる児童虐待やいじめが少年犯罪の背景として指摘されるようになったという。そのため不良少年ではなく普通の子であっても、加害者となる可能性がでてきたのである。そうした事件は「いきなり型」と報道されている。次の図は2001年の世論調査から設けられた「凶悪事件を起こす少年の経緯」(この設問は年によってタイトルが変わり2010年だと「非行を起こす少年の経緯」)という設問をグラフにしたものである。

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出典:平成13年『少年非行問題等に関する世論調査』、平成17年『少年非行等に関する世論調査』、平成22年『少年非行に関する世論調査』より作成

 

 このグラフは上の2つ以外の回答を省略しているが、重要なのはどの年も問題ないと思われている少年の方が以前に不良行為のあった少年よりも非行を起こすと考えられていることである。つまり少年犯罪を起こす背景として誰にでも起こりうる児童虐待やいじめが出てきたことで、「普通の子」と「不良少年」の境界があいまいになってしまったのである。また牧野(2006)によると「心」への着目により現れてきた傾向があるという。それは事件における責任の所在と変容である。1970年代以降「家庭」と「学校」を背景にした「普通の子」の突発的な犯罪が報道の中心を占めることで、親や学校関係者は事件を起こした責任と対処法を引き受けなければならなくなった。この時期の対処法は事件の解説と提言を行う専門家のコメントであっても一般論とあまり変わらず、「しつけ」や「教育」といった言葉について深く考え直されることはなかった。しかし1997年以降になると識者のコメントは発達段階という観点や特定の診断名、心理学的用語からの発言が中心的になっている。そして「しつけ」「教育」といった言葉は専門的観点から捉えられ、考え直されることになる。これによりこれまで疑うことがなかった普通のしつけや接し方が、反省される対象になっていると述べている。これまでの心理学用語には加害者の異常性にラベルを貼ることで自分たちとは違う存在とみなす「切断操作」の機能を果たしていたが、1997年以降「発達障害」「人格障害」などの用語が使われることで加害少年を異常者として切断するだけでなく子どもに関わる人々に「あなたの子どもは大丈夫ですか」と問いかけているという。それまでは問題とされなかった普通の行為も反省の対象となることで不安の温床となり問題とされるようになったという。例えばそれまでは問題のなかった「悩みを訴える」という行為も、少年犯罪の背景として語られることがある。心に注目することで責任のありかが社会から個人やその周辺の人へと移り、それまで普通とされてきた行為であっても犯罪の要因や背景となりうるのである。

 「普通の子」が問題視されるようになったのは、かつて「普通ではない子」が犯罪をした時の要因や背景が誰にでもあてはまるようになったことでその境界があいまいになり、その結果としてそれまでは問題にされなかったことまでもが問題にされるようになったからである。その結果として牧野(2006)は少年犯罪報道の量的拡大による不安感の増大を指摘している。「普通の子」の犯罪という傾向は「家庭」と「学校」で事件が起こるとされた1970年代以来の傾向であるが、当時は不安が表に出てくることはなかった。不安感の増大には「普通の子」による事件の前面化と、そうした報道空間の肥大という二段構えの構造があるとしている。報道の中で「普通の子」という表現が使われることで、「普通の子」に対する不安感の増大が世論調査の「少年非行は増加しているか」の設問の結果に反映され、少年非行が増加していると回答した人の割合が高い水準を維持していたのではないだろうか。