第六章 考察

 

本調査では、女性誌anan1990年と現代の誌面を分析した。そして、表現内容に様々な変化があることが分かった。まず、第四章の量的分析では、1990年に登場していた知識・教養のある文化人の男性有名人が現代では取り上げられなくなり、それに代わって容姿が注目される男性有名人が主に取り上げられるようになったことや、1990年で登場していなかった10代の男性有名人が現代では取り上げられるようになり、10代から20代前半の年下にあたる男性有名人の登場が増えたという変化が見られた。また見出しにおいて、1990年の「男」という呼び方に比べてかわいらしく子供っぽい男性を連想させる「男子」や「ボクたち」という表現が現代で使われるようになったこと、1990年には無かった「イケメン」のような容姿に関わる呼称が現代に見られるようになったという変化を確認することができた。

 そして質的分析において、1990年で女性が男性に感じていた知識が多くて仕事ができる、一緒にいて成長できるという魅力を現代は男性が女性に感じている言説を確認することができた。また、現代の誌面には様々な職業の男性グラビアが掲載されるようになり、女性たちが男性の体の様々な部分まで注目している内容の記事が掲載されるようになった。さらに、男性を「選ぶ」という記事の内容は、1990年では女性が自分を高めるために男性を選ぶという趣旨であったのに対し、現代は恋人候補の男性を選ぶという趣旨の内容に変化していた。そして、現代の見出しには女性の積極性を示す表現が複数みられた。その中でも特に男を「落とす」ということについて大きな特集が組まれるようになり、また女性が理想の男性を「育てる」という新たな発想も取り上げられていることが分かった。         

1990年の誌面に知識や教養のある文化人の男性有名人が登場していたことは、1990年がバブル期であったことが関係していると思う。このバブル期は高収入、高学歴、高身長の3つを持ち合わせた「三高」の男性の人気が高かった時代なのである。そのため知識、教養を持っている文化人の登場が多かったということが考えられる。また、女性たちはそのような男性と接することでマナーなど勉強になることが多いといった言説や、「男選び」の目的が自分磨きのためであるなどの女性が自分自身を高めることに繋げているという内容が複数見られたことから、1990年のananが想定している読者の女性像は、男性を頼りに知識や教養を身に付け、自分自身を成長させている女性像であることが分かった。

しかし現代ではそのような記事や言説が見られない代わりに、現代の男性が知識や教養のある女性たちに魅力を感じている記事の内容が見られたことから、ananが想定している現代の読者の女性像は、経済的にも精神的にも自立を果たして、十分な成長を遂げている女性像であると言うことができる。現代の女性が男性と同じように社会に出て働く力を付けたことによって、1990年の男性の魅力の1つでもあった「知識・教養」を持った男性が現代の女性には必ずしも魅力的に映らなくなったと考えることができる。それによって誌面に登場する男性有名人も「知識・教養」ではなく他の魅力を持った男性に変化したことが考えられる。

現代の新たな男性の魅力は、見出しにおける「イケメン」という容姿に関した言葉の多用や職業の垣根を越えた男性グラビアが掲載されるようになったこと、また体の詳細な部分にまで視点が及んだ言説が見られるなど、男性の容姿が重要視されていることを確認することができたことから、「容姿」であると言うことができそうである。知識を得て男性と同程度の力をつけた女性たちは、男性にあって自分たちにないものである男性特有の顔つき、体つきという容姿に魅力的を感じるようになり、それらを求めるようになったのかもしれない。

また、女性が知識を身に付けたことで、男性に頼る必要性がなくなってきたということ、また、男性を「頼る」という観点で見なくなったということが考えられる。そういったことから、女性たちには容姿を重視して男性を選んでもいいのだと余裕が生まれ、それが誌面に反映されているのではないだろうか。

また、同じ理由から現代の誌面に年下の男性が登場するようになったという変化が起こったと考えられる。年齢に関して、現代の誌面に最も多く登場するのは「10歳以下」、「10代」、「20代前半」の年下に属する男性有名人であった。また、見出しで使われる男性の呼称について、1990年の「男」単独の使用から、現代では「ボクたち」、「僕ら」など「ぼく」を使った呼び方のパターンが増えており、「男子」などかわいらしく子供っぽい年下男性をイメージさせる表現が使われるようになったという変化が見られた。「僕たちが年上女性を好きな理由。」や「ボクたち、大人の女性と恋したい。」という見出しからも、年上の女性に甘えている年下男性の姿を掴むことができる。このように、「ぼくたち」という表現からは年下男性を想像することができるのである。さらに、1990年には見られなかった年下男性の魅力を伝える特集が現代では組まれており、これらのことから、現代の女性にとって年下の男性が魅力的であるとされていると言える。先ほどから述べているように、女性が知識をつけたことで、男性に対して自分を成長させるための要素などを求める必要性が薄れており、また、学びたいことがあれば女性が自ら学ぶ機会を得ることができる時代なので、女性はこれまでのように男性を頼る必要はますますなくなっていると思われる。そのため、現代の女性は恋人を作るという目的で男性を選びはじめ、自分より知識や経験の少ない頼りがいに欠けるかわいらしい年下の男性を恋愛の対象にしても問題がなくなったのである。そして、現代の見出しからは「落とす」をはじめとした恋愛に積極的な女性の表現や特集、男性を自分の理想に「育てる」という新たな発想が見られた。女性が恋愛に積極的になり、男性を育てるという記事があるということは、女性が恋愛において男性をリードできるようになったということであると思う。女性たちは知識が身に付いて自立を果たしたことで、男性に対して自信を持つことができ、男性をリードできるようになったのだと考えられる。また、自分の理想の男性に育てやすく、さらに育てがいがあるのは、同年代や年上男性よりも知識や経験が少ないと思われる年下の男性なのではないだろうか。こういったことが現代で年下男性が取り上げられるようになった理由であると思われる。

年下男性が登場するようになったという誌面の変化は、女性が知識をつけたことで男性を頼る必要がなくなったこと、男性に対する自信がついたこと、それによって積極的に男性をリードできるようになったことによってもたらされたと言うことができる。

そして、年上男性にも同世代の男性にもない、年下男性が持っている魅力とは「かわいらしさ」であると思う。同世代でも年上でもなく年下男性が現代で取り上げられているのは、社会に出て男性と同じように働いて疲れを感じた女性たちは癒しを求めており、その癒しをかわいらしい年下男性から感じ取っているということなのかもしれない。

1990年と現代の誌面には以上のような変化が見られ、女性誌に登場する男性像の変化があることは明らかであった。しかし、「男性が弱くなった」ことが誌面に表現されているようには感じられなかった。男性が弱くなった、と言いきることは難しそうであるが、ではなぜ誌面にこのような変化が見られたのかというと、すべては男性側の変化というよりも女性側の変化が理由であると思われる。

男性が弱くなり女性が変化したというよりは、女性が変わったことで頼りがいに欠ける男性や年下の男性などといった男性像が魅力的だと受け入れられるようになった。つまり、女性が男性に求めるものの変化が起こったのである。それらの女性側の変化が誌面に反映されるため、女性誌の誌面の変化が見られるのだ。

本調査で見られた変化はすべて、女性が知識や教養、マナーを身に付けて仕事ができるようになったこと、そして経済的、精神的な自立を果たせるようになったという女性側の変化に対応して起こったのだと言える。本当に男性が弱くなったのかは分からないが、男性を見る女性の目線の変化によって、誌面に表れる男性像は変化するのである。