6章 結論

 

 川嶋及び加藤による研究ではワーキング・ホリデー経験者たちの帰国後の就労に関して、やりたいことが見つからずに「自分探し」を続ける事や渡航前以下の就労環境に転落していく落とし穴が指摘されていた。もちろん、全てのワーキング・ホリデー経験者たちが本論文のように前向きに目標を見つけ、自分の満足いく仕事に就いているとは限らない。むしろ、階層の高い職にありつくことができたケースは、現在の不況を考えると非常に稀なケースなのかもしれない。しかし、広い意味でワーキング・ホリデーに成功していくケースも少なからずあるのだ。先行研究での指摘のように仕事にスポットライトを当てただけでは、ワーキング・ホリデーについて十分に知り尽くすことはできない。なぜならば、ワーキング・ホリデーという名前の通り、「ワーキング」の要素と「ホリデー」の要素が合わさって、この制度をなしているからである。先行研究で描かれるような、「仕事」すなわちアイデンティティであるという見方、あるいは、社会的に高い階層につき高い賃金を得ることに人々の主要な関心がはらわれているかのような見方ではなく、あくまで就労は人生の一部にすぎないという視野のもとでワーキング・ホリデーを見直した時、よりリアルなワーキング・ホリデー制度及び利用者が見えてくる。

 昨今、キャリアデザインという言葉が流布している。自分自身を正確に認識して職業を含めた将来像を見出し、自分の進むべき道を描くということだという(日本経営協会 2005)。大学では就職支援の一環としてキャリア教育を行い、コミュニケーション能力や情報活用能力の育成、職業観の形成などを、目標に掲げている。新卒者向けの就職セミナーでは、就職後ミスマッチによる早期退職のないよう、自己分析などを通して自分に合った仕事を見極めることの重要性が説かれた。ここで強調されているのは、いつまでも継続していくキャリアである。ワーキング・ホリデー経験者たちは、就職後数年で仕事を辞めて渡航した。川嶋(2010)は、帰国後に渡航前以下の労働階層に組み込まれていることについて、日本社会から一時でも外れた「罰のようだ」と表現している。海外生活という日本におけるキャリアの中断によって、帰国後労働市場に戻り難いというのだ。

 しかし、ワーキング・ホリデー経験者たちは、キャリアの中断についてあまりネガティヴには考えてはいなかった。むしろ、帰国後の再就職の困難さをふまえたうえで、日本では得られないものの見方や経験を得て成長することに希望を持っていた。本論文では、彼・彼女たちが「キャリア」には収まらない観点や意識のもとでワーキング・ホリデーを利用し、希望する人生を掴みとっている可能性を指摘することが出来た。

 働くことと休日、と正反対の要素を「ワーキング・ホリデー」は内包しているにもかかわらず、「ワーキング」要素にのみ焦点があてられてきたことは前述のとおりである。もちろん生活していく上では仕事をしていく必要があることは確かだが、仕事だけでは生活に潤いがない。休養や休暇を利用した仕事以外の経験は、人間関係や視野の広がりにつながり、自信や人としての面白みにつながっていく。そういった自分を磨く機会として考えてもよいのではないだろうか。

ワーキング・ホリデー経験者たちは、日本を離れたことで今まで遭遇しないような経験をしてきた。それは言葉の通じない土地で生活を営み、アルバイトや遊びを通して国籍も違うたくさんの人たちと出会い、何事も流れに乗ってうまくいくこともあれば、何かしらのトラブルに見舞われもする。危険と楽しさが背中合わせの経験である。ワーキング・ホリデー経験者たちからは、日本という住み慣れた地を離れてあえて自ら見知らぬ土地に飛び込み、大変だった経験こそを楽しそうに語る、前向きさやタフさを感じた。これは、海外で長期間生活し、日本では経験できない出会いや困難を乗り越えたという自信に裏付けられているのかもしれない。自分を誇れる冒険物語こそ、ワーキング・ホリデー経験者たちにとって一番の収穫なのかもしれない。