3章 先行研究

 

 この章では、ワーキング・ホリデーに関するこれまでの研究を紹介する。

 

1節 自分探しのための期間

 

1項 自分探しとは

 

 ワーキング・ホリデーが「自分探し」として語られることは多い。例えば、次項で紹介する加藤(2009)が指摘をしている。そこで、「自分探し」とはどういったものかについて先に触れたい。浅野(2010)によると、「自分探し」が行われるようになった背景として、現代人が流動化する社会に生きているという点が挙げられている。かつて地縁や血縁からなる伝統的共同体の中で、所属する組織やそこでの役割が人間関係のすべてだった。しかし、近代化が進んでいくうちに、伝統的共同体から切り離され、利害関係からなる都市部の小共同体に支えられるようになった。更に現在は、常に「ここは自分の居場所なのか?」というような疑問を持つようになり、共同体が流動化するようになったことで、個人は共同体に支えを求められなくなった。また、流動的な社会においては、場面に応じたキャラが作られている。もちろんそれは、キャラを演じる者の一部であるが、あくまで誇張された一部でありそれがすべてではない。場面に応じて違う自分を見せていくことにより、一貫した自分が喪失されていく。この流動化した社会においては、自分の居場所も暫定的なものになっていく。しかし、自分自身が何者であるかという問いに明確に答えるためには、しっかりした足場が必要になる。「自分探し」とは、アイデンティティを探し求める営みともいえる。しかし、流動化した現代社会においては明確な自分を見つけようとすることは、困難なのである。

 このように「自分」とは、浅野(2010)が指摘するように見つけることが困難なものである。「本当の自分」など見つからないのに、「本当の自分」がさもあるように盲目的に踊らされているというようなイメージを「自分探し」は内包している。

 「本当の自分」に批判的な目を向けた古典的な例としてボードリヤール(1970)がある。ボードリヤールは、自分自身を他と異なる自分にしてくれる差異、つまり「個性」を求めて消費がなされるが、「個性」は実在せず産業的生産につながるためのものであると論じた。ある宣伝では、「『本当に自然な』仕上がりで少しだけ明るいブロンドに染め上げるヘア・カラーで『今までより本当の自分』になる」という売り文句がつけられた。これは自身の奥底に潜む特異性を明らかにして他者と差異を出すという消費の基本的テーマを表現しているという。この売り文句については、「本当の自分」になるために少しだけ明るい色合いにするだけで充分なのだろうか、また「本当に自然な」ブロンドとはどういった色なのだろうか、というように表現に非論理的矛盾を含んでいる。この矛盾は、他者と差異を出すための消費が内包する矛盾だという。自分で自分自身を個性化するということは、個性が存在しないということである。かけがえのない特質と絶対的価値としての「個性」などもはや存在しないが、「少しだけ明るい色」といったような記号によって復活しようとしている。このような宣伝は、差異の産業的生産につながっていく。「個性」は人と比べるのではなく、いくつかのモデルに収斂される。個人を特徴づける差異はこれらのモデルに基づいて生産されていく。つまり、モデルを取り入れて消費していくことが「個性」に繋がっていくのである。それにより、自己と他者を区別することは、あるモデルと一体になり複合的形態に基づいて特徴づけることであり、現実の差異や特異性を放棄することである。

 つまり、自分という「個性」の為に消費をしていくが、それは産業的生産のために生み出された「個性」でしかない。そのため、「個性」を探し求めることは、他人との違いではなく用意されたモデルを反復するむなしい営為である、という見方がなされていることになる。

 

2項 「本当の自分探し」と「本当にやりたい仕事をしている自分探し」

 

 加藤(2009)は、2002年から2005年、および2008年にカナダの西部に位置するバンクーバーに滞在するワーキング・ホリデー経験者96名にインタビューを行っている。ビザ取得者の半数以上は女性であるが、調査では両ジェンダーの声を反映すべく男女半々の割合でインタビュー調査を行った。年齢層は20代半ばから30代前半であり、ワーキング・ホリデー経験者の典型的な層である。

まず、加藤(2009)は若者がワーキング・ホリデーへ行く動機を三つに分析した。一つ目は「住みたい」であり、海外に住んでみたいということが渡航動機として最もあげられる。海外に住んでみたいと思った人の多くは学生時代の短期留学や、就職後の海外旅行がきっかけとなっている。また、人生の目標を探すという時に、過去の海外経験が大事に思えたということもあるという。二つ目は「話したい」である。日々の仕事に関わる人もいれば、仕事に関係なく英語を上達させることに関心があったと答える人もいた。三つ目は、「働いてみたい」である。この場合、日本での仕事の延長として働く「キャリア志向」というわけではない。むしろ、日本での仕事に嫌気がさし、過去と断絶している人が多い。インタビュイーのほとんどは日本での仕事が務め続けても昇進や昇給があまり見込めないことや、仕事に嫌気がさしたという理由から、海外に活路を見出そうとしていたという。また、ロストジェネレーションと呼ばれる現代の若者がワーキング・ホリデーを利用する要因として、非正規雇用者が増えているために職を一年離れることに対して抵抗が無くなっている事、また日本国内の閉塞感が「逃れたい」「海外に活路があるかもしれない」と思う人を生んでいるということを挙げている。

そのような理由からそれまで日本で重ねてきたキャリアを捨てて海外に渡航する人々について、ワーキング・ホリデー期間は彼らにとって「やりたいこと探し」の猶予期間に過ぎないと加藤は評している。彼女は「やりたいこと探し」をしている人々を2つのパターンに分類した。一つ目は、実現し得ないような「本当にやりたい事」を諦めきれないでいるパターンである。インタビュイーである一人の女性は、音楽の道に進みたいものの周囲の反対から別の学問を学び、音楽で生計を立てていくということを諦めながらもその夢を捨てきれずにいる。その結果、滞在が伸びていつまでもカナダに留まっているという。もう一つは、「本当にやりたい事」自体が何なのかわからないため、カナダで見つけ出そうとしているパターンである。英語取得が滞在延長理由だというものの、そこからどんな仕事に就きたいのかを具体的に言えないのだ。

いずれにせよ、滞在期間中は「やりたい仕事」探しの為の猶予期間となる。そこには日本人の仕事に対する独特な考え方があるという背景を加藤は指摘している。例えば、欧米企業が長期休暇を取って余暇を楽しむ風潮は、人生の中で重要な部分を仕事以外に見出しているともいえる。それに対し日本では、仕事こそが人生の中心と捉え、時にワーカホリック気味に働くことも厭わない。これは、日本人が「仕事=自分」という独特な考えを持っているからであるという。大人になるための通過儀礼のひとつであった結婚が、現代は価値観の多様化による未婚率の上昇等から通過儀礼としての役割を薄めてしまった。そのため、就職が重要な大人への通過儀礼となっているのだ。加えて、仕事を人生の生きがいと考える傾向が欧米に比べて日本人は強い。仕事を人生と結び付けているのだ。つまり、若者は就労によって「大人」になるだけではなく、「自分は何者か」というアイデンティティを得ることになる。「本当の自分探し」と「本当にやりたい仕事探し」が密接な関係を持っているのだ。そのため、「本当の自分」という一貫した人生を見つけるためにそれまでの仕事やキャリアを断絶して海外に来たとしても、今後進むべき「一貫した人生」を見つけることはワーキング・ホリデーでありがちな一時的な仕事をしているうちは困難だという。更に、日本での労働条件への不満から「海外生活」を「本当にやりたい事」と考えて渡航したものの、滞在中前職以上の「やりたいこと」を見つけられず、ビザの延長切り替えを通して目標を見つけることが目標という、延々と自分探しをする事になる、と加藤は論じている。

 

2節 階層移動の欲求と、その手段としての英語力

 

 渡航前の労働状況とワーキング・ホリデーへの参加動機については、川嶋(2010)が詳しく言及している。川嶋は、オーストラリアにてワーキング・ホリデー期間中の滞在者、および東京において帰国したワーキング・ホリデー経験者計28人にインタビューを行った。動機については、多くの利用者が労働者としての社会的地位に対する不満や、決して明るいとは言えない将来展望が関連しているという。具体的には、仕事に対して全員が就労状況への不満や退屈、改善の余地を感じていたという。例えば、専門職として8年間同じ職場で働いてきた女性は、だんだん嫌になり生活に変化が欲しいと思い、ワーキング・ホリデーを決意したという。また、調査の中心となった、二十代後半から三十代前半の、不景気の時期にで就職した若者たちは、就職のミスマッチや不透明な将来への不安を抱えており、打破する手段としてワーキング・ホリデーでの自己成長と将来の自己実現に希望を見出そうとしている。彼らにとってワーキング・ホリデーとは、様々な努力を積む修行のような期間であり、障害を乗り越えることで自身の満足いく自分像に近付いていける可能性をもつ。自らの努力で未来を切り開こうという考えは、ロストジェネレーションと呼ばれる彼らの世代によく見られる考えであるという。

しかし、ワーキング・ホリデーから帰国した後の就職状況は、あまり明るいとは言えない。その原因は、若者が搾取の対象となりやすい上に、社会構造が、元々非エリート層であるワーキング・ホリデー経験者たちに対して仕事を通しての自己実現や上昇の機会をほとんど与えないことに原因があるという。帰国後に仕事の得やすさから日給でのアルバイトを経験するケースや、その他の非正規雇用となるケース、また希望する職についたとしてもイメージとのギャップや収入等の労働状況から、次第に不満や不安を感じるようになっていくケースが多いという。希望する仕事に関しては、ワーキング・ホリデーでの経験やそこで培った英語力を活かし、「英語を使った仕事」に就くことを希望する者も多い。しかし、海外での滞在期間が英語をネイティブ並みに話せるようになるには短いことから上級程度の英語力の習得が難しいこと、また人事担当部署が求めるような「英語を使って何が出来るか」という点をアピールできないことから、希望する職に就くことは厳しいといえる。さらに、運よく正社員となりキャリアを再始動させることができた人も、雇用主は零細・中小企業であり、業界経験なしでも仕事を得られたために就職できたという点が共通していたという。そして、低い初任給と慢性的な残業、職歴の浅さゆえの単調な仕事になりがちとなる。インタビュイーの留学エージェントの仕事を得た男性は、利用者をオーストラリアへ送り出す仕事をしているが、給料の少なさや残業続きといった激務から自分自身がオーストラリアに行きたいと答えていた。このように、ワーキング・ホリデー経験者たちが帰国して直面する困難の多くは、渡航前と同様の厳しい状況と言える。むしろ、渡航前は正規雇用だったにもかかわらず、職の得やすさから非正規雇用になるなど、渡航前に比べて職業的地位ないし職場における他人からの評価が低下しているケースが多くあった。このことは、ワーキング・ホリデーでの職務経験が帰国後のキャリア形成に役立っていないことを示唆していると川嶋は論じている。自身の労働状況を好転させるために渡航しただけに、帰国後の不安定さや将来への不安・悩みが増大していることは逆説的な落とし穴だという。