第七章 考察

 

第一節 苦境に対する二つの反応パターン

 

調査を通し、高岡銅器では産地活性化の方法として、第三章の先行研究で指摘されていた職人・メーカーの個人努力による商品開発以外に以下の二つ反応のパターンが見出された。

 

第一項 問屋の発注能力を盛り返す―KANAYAの意味―

KANAYAの取り組みで、衰退しつつあった問屋の機能を見直し、改めて問屋が仕事を創造し、それを職人・メーカーに振り分けるという方法が取られている。しかしながら単に問屋の復権を行い、これまで通りそれぞれ問屋が職人・メーカーを抱えるという形では問屋ごとの仕事量のばらつきがあるなどの課題があり、産地全体が活性化するとは考えにくい。

KANAYAでは問屋の復権を目指しているが、目指している産地内のピラミッドの形が従来とは異なるのが特徴である。これまでのピラミッドでは一番上に複数の問屋が存在し、それぞれその下に職人・メーカーを抱えるという形をとっていた。それに対し、KANAYAで開発される商品に関しては、KANAYAという一つの大きな問屋が産地全体の職人・メーカーを抱えるというより括りの大きなピラミッド構造を取るのである。それはつまり、これまで独立して存在していた問屋がピラミッドの頂点で横のつながりを持つということである。これによって、第三章で扱った先行研究の金沢金箔で指摘されていた「問屋間の価格競争が起こるとそのしわ寄せが直接所属する職人にきてしまう」といった問屋同士の対立による問題が起こらず、むしろ問屋が互いに協力関係になることによって産地全体で問屋の仕事を増やすことに成功しているといえる。

さらに、産地内の職人・メーカーの情報を正確にそして豊富に所有している問屋が先導して商品開発を行うことで、産地内の職人・メーカーの技術を最大限に活かすことができ、これまではお抱えの職人・メーカーのみと仕事をしていたのに対し、産地全体の職人・メーカーに仕事の機会を与えることができるようになった。これによって産地全体の活性化が起きているのではないだろうか。

 

第二項 触媒としてのHiHill

高岡銅器は完全なる分業体制が取られていたため、今までは職人・メーカーは商品開発に直接関わる事はなかった。しかし近年高岡銅器全体のニーズが減少したため、職人・メーカーは問屋からの仕事をただ待っているだけでは生活していけない状態になっている。それに対し高岡銅器では、分業の枠を超えて作り手が市場と繋がりを持ち、活性化に取り組む姿勢が見られている。しかしながら先行研究でみられていたように全てが職人・メーカーの個人努力によるものでは無く、HiHillという触媒が存在しているのが特徴である。HiHill問屋を介さず、職人・メーカーが自らデザイナーや市場と関わりを持ち、商品を提供する機会を与えている。それによって問屋と仕事をしていた時と違い、商品に対する評価がダイレクトに職人・メーカーに届くようになる。これまで言われたままに作り、自分の関わった商品がどう評価されていたか肌で感じる事のなかった職人・メーカーにとっては、市場の声を聞くことは成果を感じやすいため、商品開発意欲に繋がり、仕事のやりがいも大きくなっているのではだろうか。

また高川氏の「職人さんに板渡してですね。ま、絵を描くような感覚で、自分で表情考えてって言って。(中略)他の職人さんの見て『あっこういう風にすればいいのか』っていうことで。(中略)やるたびに、どんどんモチベーションも上がるし、面白いパターンがどんどん出てくるんですよね」という語りから、これまで関わりのなかった職人・メーカー同士が、HiHillという「互いを刺激し合い高めあう場所」での交流を通して、技術力や商品開発の能力を高め合う姿を見ることができる。調査を行った折井氏、能作氏はいずれも高岡市デザイン工芸センターのセミナー・研究会に参加していたが、折井氏の「セミナーで他の職人・メーカーと交流を持ったことが、ものづくりの刺激になった」という語りからもHiHillが「互いを刺激し合い高めあう場所」として機能していたことがわかる。

HiHillの取り組みは、これまで作り手として作る事のみに専念し受け身であった職人・メーカーの意識を変化させ、職人・メーカーが自ら行動を起こす主体性を作り出すことに成功している。単に職人個人の努力に任せるのではなく、上記のような交流の場をHiHillが与えたことで、より意識の変化に繫がったといえる

 

 

第二節 産地の変動

 

従来型の「問屋から職人・メーカーに仕事を振り分ける」とは異なる構造で活動することによって何が起こりつつあるのか指摘したい。

 

第一項 豊かな商品開発と新しい市場の開拓

高岡銅器における特徴的な取り組みであるKANAYAHiHill。両者の共通点は「産地の活性化」という目的もつ点であるが、その方法や目的は大きく異なっている。

KANAYAには職人・メーカーは参加しておらず、問屋の力が衰退してきている事を危惧した高岡銅器協同組合員の有志によって構成されている。テーマ設定から初期のデザインまで全てデザイナーが行い、参加者である問屋はそのデザインを実現出来そうな職人・メーカーを自身の持つ広い情報網から探し出し、実際に商品化する。KANAYAHiHillのように職人の技術をデザイナーが把握するという段階を飛ばし、すでに問屋が持っている情報を活かすことで、世の中にすぐに「商品を売る」ことができ、それによって産地の職人・メーカーに対して新たな仕事を創出している。

一方のHiHillは問屋からの仕事が減り危機感を持った職人・メーカーが、行政が設定した「時代にあった商品開発を行う」というテーマの募集に自ら志願して参加している。デザイナーには商品開発や販路拡大に関するアドバイスをもらうだけであり、商品のデザインをしてもらう訳ではない。実際にHiHillではKANAYAのようにデザイナーがデザインした商品を販売するのではなく、マテリアルプレートという技術見本の板が商品となっている。このようにHiHillは職人・メーカーが持っている「技術を売る」ことで新たな可能性を見つけ市場を拡大しているという点に大きな特徴がある。

つまりKANAYAHiHillは同じ産地内の新たな動きでありながら、「商品を売る」KANAYA、「技術を売る」HiHillという大きな違いが存在するのである。その違いが生まれる原因には参加者が問屋中心であるか、職人・メーカーが中心であるかという違いはもちろん、取り組みを主導しているのが「民間」であるか「行政」であるかという違いがあるだろう。民間主導で行われているKANAYAは、国の補助事業で資金を得ているため、一年ごと確実に成果を挙げていかなければならない。それに対しHiHillは元々行政が支援の一環として行ったものであるため、技術開発のための施設や機材があり、職人が時間をかけて商品開発をしていくことができるのである。

また、両者に共通してみられるのは、従来の伝統工芸の市場、例えば仏具・花瓶などに凝り固まるのではなく、積極的に専門以外の分野へ市場を広げているという点である。

いくら新しい製品を作っても売る市場がなければ意味はなく、現在における生活様式の変化やニーズの変化を考えると従来の市場だけでは利益を拡大できない。「銅器=仏具」のイメージから脱却も重要となっているのである。KANAYAHiHillでは「商品」や「技術」が本来の市場とは異なる市場で様々に開発された事で、このようなイメージの変革が可能になったと言えるだろう。

さらに海外への進出も注目すべき点である。国内で商品を発表するよりも、海外の見本市などに出品し評価されることによって、伝統工芸品の高岡銅器という確かな品質はもちろん「あの世界的に有名な見本市で評価された」という箔がつき、より評価が高くなると考えられる。そのためにも見本市などの機会を逃さないで挑戦していくことが大切であるといえる。行政は見本市の情報を積極的に職人に伝えきっかけを与える役割を担い、デザイナーはHiHillプロジェクトの例のように、その人脈を活かした市場開拓を行うことが重要である。これらの市場開拓は問屋と仕事していただけでは決して得られなかったことである。このようにデザイナーが産地にとってもたらす影響は大きいと考えられる。次の第二項ではデザイナーを中心とした「外部との関わり」を活かすことの重要性を指摘したい。

 

第二項 外部との関わりを活かす

今回の調査から明らかになったのが、デザイナーという外部の存在が大きな影響を与えているということである。産地内の職人・メーカーでは考え付かない技術の活かし方や、商品の開発方法など、斬新なデザインの提供だけはなく「商品開発のノウハウを教える」という大きな役割も果たしている様子がそれぞれの語りから見て取れる

口(2010)において「金沢箔は装飾に使用される『材料』であるので、自分なりのデザインを加えることや、作品を買ってくださるお客さんのニーズに合わせたものを作っていくことができない。よって金沢箔は、他の伝統的工芸品よりも需要の低迷が続いている現在の状況を打破することが難しい。」と指摘していたが、高岡銅器においては着色という、製品づくりの最終工程にいる折井氏であってもその技術を活かした独自の商品を作ることが可能になっている。両者の違いは、「型にはまらない」考え方で自らの持つ技術を最大限に活かせているかどうかではないだろうか。高岡銅器の場合は、行政の企画する取り組みや、デザイナーとの商品共同開発で外部の「型にはまらない」視点を得る機会があり、それが商品作りのきっかけとなっていると言える。

「型にはまらない」という観点から見ると、今回調査対象にした折井氏、能作氏は共に一度産地を離れたり、外部から産地に参入したり、長年高岡にいて職人をしていた人物ではない。このことから他の職人に比べ、古い体制や職人気質といった「型にはまらない」行動が起こせているのではないかと思われる。特に折井氏で言えば圧延板への着色能作氏で言えば錫100%食器のように、従来では不可能であると考えられていたものを不可能と決めつけるのではなく挑戦してみる姿勢が二人には共通して見ることが出来る。これはデザイナーと同じく外部の視点を持つ存在だからであるといえるのではないだろうか。

また「型にはまらない」行動が、分業の壁さえ壊している様子も見受けられる。分業化された高岡銅器の中では、職人というのは分業化された工程の中で一つの部分を専門的に担う人・企業を指し、メーカーというのは鋳造から仕上げまで一貫的に商品を作り上げることのできる人・企業を指すが、今日では株式会社能作のように自社で商品開発を行い市場に進出しているメーカーが、これまでの問屋のような存在になり職人を抱え込んだり、メーカー内では出来ない部分を産地の信頼のおける職人に依頼したりという構造が出来始めている。技術はあるが売る術を知らない職人は、市場にはいかず能作のようなメーカーのなかで技術を活かすという生き残り方も考えられる。これは先行研究が取り上げた伝統産業産地では見られなかった動きといえるのではないだろうか。能作氏がメーカーでありながら問屋のような存在になる事ができた背景にはHiHillでの経験があるといえる。HiHillで市場やデザイナーとの交流を持ち商品販売のための強いパイプを作る事ができたからこそ、他の職人を抱えるまでの企業に成長したのであり、個人努力のみではここまでになることは困難であると考えられる。

また外部との関わりが産地に良い影響を与えるとはいえ、それが一時的なものであってはただの話題作りで終わってしまい、産地の活性化としては意味が無いのである。高岡銅器の産地に関わるデザイナーは決して一時的ではなく、継続してプロジェクトに関わっているという点が特徴である。一度デザインを提供して終了、というのではなくデザインや技術開発に関わった上でその製品の完成から販売、プロモーション活動まで協力している。従来のような話題作りのための商品開発の反省から、デザイナーには「つまみ食い」ではなくその地域まで最後まで向き合う姿勢が必要であると考えられるが、高岡銅器においてはこれが実現されている。