第六章補論 株式会社 能作
第一節 調査概要
第一項 概要
先人の積み重ねた知性に敬意を払い、伝統的なものづくりを守りながらも新たなる伝統の創造を目指しているメーカーである。HiHillの取り組みに当初から参加し、意欲的に新商品開発を行っている。
近年では素材・技術・デザインをキーワードに新しいものづくりに挑戦しており、デザイナーとのコラボレーションにより、建築、インテリア、アート、ファッションなど、新領域からのユニークなリクエストにも対応している。
第二項 歴史
1916 高岡市京町にて、青銅鋳物により仏具の製造を開始
2001 東京原宿バージョンギャラリーにて能作の鋳器「鈴・林・燐」開催
2003 錫(100%)製の鋳物、主にテーブルウェアの製造を開始
高岡産業文化振興基金に「錫100%の新製品の開発」が認定
2004 オリジナルデザインの風鈴が日本デザインコミッティーのコレクションに選定
錫シリーズが富山プロダクツに選定
2007 東京表参道ヒルズ イデアフレームスにて「能作展」開催
経済産業省 地域資源産業活用事業計画 第1号認定
国土交通省 「日本のおみやげコンテスト」地域賞の受賞
2008 オリジナルデザインのベルがニューヨーク近代美術館(MOMA)の販売品に認定
経済産業省 「元気なモノ作り中小企業300社」に認定
2009 日本橋三越本店に「高岡 能作」として出店
2011 松屋銀座店に「能作」として出店
2012 パレスホテル東京に「能作」として出店
同店舗内に東京オフィスを開設
(株式会社能作HPより)
能作氏はインタビュー調査を実施したKANAYA、HiHill、モメンタムファクトリーOriiすべてで高岡銅器の成功例として登場した人物である。本稿では、株式会社能作の社長である能作克治氏の特集記事やインタビュー記事をもとに分析を行う。
第二節 分析
第一項 分業体制の変化
従来は自社で製造する商品の100%を問屋に卸す、いわゆる「下請け」の立場に置かれていた。下請けを担う企業には、最終商品の形、販売先、消費者のニーズがどのようなものか知らされること、さらには知る必要がなかった。このように産地全体が自立的に商品を生産・販売する芽が生まれないような流通システムが存在していた。問屋以外の販路を持たず、販売する商品もないゼロからのスタートとなるが、「ユーザーの顔が見たい」という思いから商品開発、販路拡大に乗り出した。また、すべてにおいて貪欲に吸収したいと考えから高岡市デザイン・工芸センターが募集していた研究会に参加した。
(「アジア最大級の社長動画サイト賢者.tv」および「中小企業におけるデザイン成功の事例の把握と要因分析にかかる調査研究」より引用・一部改編)
第二項 新しい商品展開
インテリアショップスタッフの金属の器を作ってほしいという要望に対し、酸化しにくく、抗菌作用があり、またお酒をおいしくするなどの様々な利点を持った錫を使って商品開発をすることにした。しかしながら錫100%では軟らかくて曲がってしまうという欠点があった。その欠点をどう補おうかと考えていたが、デザイナーの小泉誠氏(13)から「曲がるなら曲げて使えばいい」という逆転の発想を受け、「曲げられる金属」(写真6−2)を売りにして商品開発を進めた。
(「中部きらり発企業紹介vol.74」より引用・一部改編)
写真6−2 曲げられる食器
(松屋銀座HPより)
全国展開しているセレクトショップで卓上ベルを販売していたが、期待したほど売れなかった。 ある時、セレクトショップの女性スタッフから卓上ベルを風鈴(写真6−3参照)にしてはどうかと提言され、半信半疑でそれにしたがったところ商品が飛ぶように売れるようになった。
(「TONIO news 元気印のTOYAMAのお店訪問 株式会社能作」より引用・一部改編)
写真6−3 風鈴
(株式会社能作 HPより)
第三項 デザイナーとの関わり
販売店を通じて同社に消費者の声が直接届くようになり、デザインに関して自社のみでの対応に限界を感じるようになった。同社は市場の声を反映した、デザイン性の高い商品開発を行うためには、外部のデザイナーの力が必要であるとの認識を持つようになった。そこで建築家であり生活にかかわる全てのデザインを手がける小泉誠さんと商品開発を行う。デザイナー側からの提案が契機になるものが大半でデザイナーは商品開発のみならず 販路や販売方法についてのネットワークも有していることから、都市部に販路を持たない同社にとってこのような点も魅力であった。デザイナーは、これまで下請け関係におかれていた同社が持っていない、「デザイン」と「販路開拓」の2つを持ち合わせており、同社はデザイナーとのコラボレーションによる商品開発こそが、市場における自社製品の差別化、そして都市部での販路開拓(販売額の増加)につながると確信を持つようになった。
(「TONIO news 元気印のTOYAMAのお店訪問 株式会社能作」および「中小企業におけるデザイン成功の事例の把握と要因分析にかかる調査研究」より引用・一部改編)
第四項 問屋との関わり
分業体制でやってきた産地との関係を崩さないために、一つは新規の取引の依頼があっても、高岡の問屋と取引がある所は問屋を通す、もう一つは従来から問屋に卸している製品は県外に持って行かない、独自に開発した商品のみ県外に持って行く、と決めた。
(「中小企業におけるデザイン成功の事例の把握と要因分析にかかる調査研究」より引用・一部改編)
第五項 外部からの参入
能作氏は新聞社勤務を経て、結婚を機に2003年に株式会社能作5代目社長として就任。もともと「ものづくり」に興味はあったが、突然職人の世界に飛び込んだので戸惑いも多く、無我夢中で技術を覚えた。富山県では県外出身者を「旅の人」と呼ぶ。伝統産業高岡銅器、創業100年といった企業が多い中で「旅の人」である能作氏は同業者には絶対に教えない技術技法を沢山の人から教わる事が出来た。
(「アジア最大級の社長動画サイト賢者.tv」および「中小企業におけるデザイン成功の事例の把握と要因分析にかかる調査研究」より引用・一部改編)
第六項 市場との関わり方
技術や商品が評価され、様々なメディアに紹介されていることも励みとなり、従業員は作っているものに自信と誇りを持って仕事をしている。商品を買ってくれる人の顔を見て、使っている人の意見を聞くことで教えられることがたくさんあると考え、職人が自ら直営店に出向いて消費者と直接対面する機会を持つようにしている。
(「中小企業におけるデザイン成功の事例の把握と要因分析にかかる調査研究」より引用・一部改編)