第五章 HiHill

 

第一節 調査概要

 

第一項 概要

高岡市デザイン工芸センター(6)の呼びかけで集まった職人・メーカーがデザイナーの指導のもと産地の活性化を目指し、技術を売る仕組み作りを模索するなかで出来上がったプロジェクト。有志の出資により平成15年に有限会社化された。

 

第二項 参加者 

所属メンバー

社長 笠原他喜雄

営業部門 高田博/天野隆之/国沢典生/炭谷政孝

金属製造部門 能作克治/二上利博/慶寺長造/折井宏司/野寺勝弘

漆器製造部門 宮下勉/武蔵川義則/般若武/源謙次/畑勝日佐/上田三郎/織田定男

企画・デザイン 金子隆亮/小松研治/安次富隆/

インターネット広報 永森茂/奈良郁夫     

(高岡市デザイン工芸センタHPより)

 

本稿では高岡市デザイン工芸センターの職員である、高川昭良氏にインタビューを実施。高川氏は行政の立場から高岡銅器の産地活性化に取り組み、HiHill設立に携わった人物である。

 

第二節 分析

 

第一項 鉛レス 

高岡市デザイン工芸センター(以下センターとする) は通産省電源地域産業集積活性化対策補助(7)を受け開館。試験研究機関としての位置づけもされていたため、研究テーマを設定する必要があった。

11年当時、鉛が人体に与える影響や環境汚染に対する関心の高まりや、家電メーカーへの鉛の回収が義務付けられる「特定家庭用品機器再商品化法」の施行により、鉛を使用しない合金や金属加工が家電業界を中心に全国的に求められていた。そこでセンターは、鉛を排除した素材の開発に取り組むため「鉛レス素材開発研究会」を発足。研究会への参加は組合を通して職人・メーカーに呼びかけ14組が参加した。出来上がった鉛レスの素材を用いて平成12から商品開発を行うことになり、アドバイザーとしてデザイナーの安次富隆氏(8)立川祐大氏(9)を招いた。「時代に合った商品開発を行う」というテーマで募集要項を制作し、組合や関係各社に配布し参加者を募った。

「鉛レス素材開発研究会」の参加者に加え、銅器だけでなく漆器の職人・メーカーも参加し、平成12年の冬頃にプロジェクトマークHiHillを作り、本格的に始動する。

第二項 マテリアルプレート 

商品開発にあたり、まずは高岡の職人がつくれるすべての表現が見たいという安次富氏の要望で、表面処理のサンプルをつくることになった。その際、表現はデザイナーに考えてもらうのではなく、参加している職人・メーカー自らが考えて何通りもの表現をつくるように指示した。

できあがったサンプルをみてアドバイザーから、そのサンプル自体をビジネス展開できないかというアイディアがでてきた。職人は従来の製品作りの観点から捉えると表現を施しただけの板では商品にはならないと思ったが、アドバイザーの助言に従った。それがHiHillの主力商品となるマテリアルプレート誕生のきっかけであった。

 

写真5−1 マテリアルプレート

HiHill HPより)

 

マテリアルプレートは漆140種・金属40種・ガラス10種の計190種で構成されている。裏面には、品番・平米・単価・製作可能寸法・技法名が記載されている。

平成14年に新宿のリビングデザインセンターOZONにてマテリアルプレートの発表会を開いたところ、それまであまり縁のなかった建築・自動車・キッチンメーカーなどの新しい分野からの問い合わせが来るようになったという。

また、マテリアルプレートのメリットとして商品を作って世の中に出すときは当然色のバリエーションやパッケージが多く必要になるが、売れなかった場合はそれがすべてリスクになってしまうのに対し、マテリアルプレートであれば無くなったプレートを補充するだけで良い為、そのリスクがかからないという点がある。

 

第三項 仕事の流れ 

HiHillは消費者に花瓶や小物といった商品を作って売るのではなく、デザイナーや設計事務所を取引相手としているのが特徴である。

まず取引相手はマテリアルプレートを見て、その中で使いたい表現の板を選ぶ。具体的な商品のデザインは取引相手が考え、HiHillはそれを形にするだけである。これは商品開発を自ら行い、職人・メーカーに仕事を割り振るという従来の問屋と職人・メーカーの関係とは大きく異なる点であるといえる。

実際の商品開発では、取引相手からの依頼を窓口であるHiHillが引き受け、それを所属する職人・メーカーに仕事を回すという方法をとっている。

HiHillには問屋も参加しているが、その問屋も商品開発など従来の問屋のような働きをするのではなく、営業的役割を担っている。時にはHiHill内の職人・メーカーでは形に出来ないものの依頼を、問屋の知識を活かして産地内でそれを作る技術を持った職人に依頼し、形を作るという役割を担う。あくまで仕事の依頼はHiHillのなかで処理するが、技術の問題や、物理的に捌けない量の仕事が多く入ってきた場合には、参加していない産地の職人にも仕事が回る。

 

第四項 デザイナーとの関わり 

 

当然企業とかメーカーさん、職人さんとかこれに関わって商品開発を始めていくことで、デザイナーも呼ぶ、いわゆるそのブランディングするような人も呼ぶことでやっぱ職人さん達っていうのはいろいろ勉強する訳ですよね(中略) デザイナーがその表情を考えるのではなくて、職人さんにまず考えてもらう。ということでデザイナーは来てもらってるけど、デザイナーにデザインはしてもらわなくて、いわゆる考え方とか仕組みとか、そんなアドバイスを中心にしてもらうと。デザインは自ら考える。そのやり方をずっと続けてきてるんですよ。というのは、デザイナーさんが来て、例えばデザインしてもらって、売れりゃいいけどなかなか売れないですよね。そうするとデザイナーが悪いって、いう話になるじゃないですか。そうではなくてやっぱり自分たちも作る、考える、あるいはプロデュースする力をつけるっていうようなことを中心に進めているんですよね。

 

著名なデザイナーを招き、デザインされたものを作って世に出すという商品開発では一時的な話題作りにしかならず、産地が助かるわけではない。HiHillは産地の人たちがデザイン力をつけることで産地そのものが活性化すると考え「作り手自らがデザイナーになる仕組みづくり」を目的としている。

 

HiHillにはデザイナーの安次富隆氏と立川祐大氏がアドバイザーとして参加している。高岡市デザイン工芸センターのデザインディレクターを担当していた金子隆亮氏(10)の紹介で二人が参加することとなった。

 

職人が『いや、できないよ』といったものを『じゃあ僕にさしてくれ』っていって安次富さん自身が実際自分で手を汚してやったらそれなりになると。すると『おっ、やるじゃないか。じゃあ俺もやってみよう』となる。だから高岡でも上手く職人と商品開発ができたと。やっぱり現場にアイディアはあるんで、現場に足を運んで学んだことがものに現れてくる。

 

安次富氏は、SONYでデザインをしていた人物。現場主義で、ものづくりは現場が重要という考えを持っている。そのため単に机の上でデザインを書くだけではなく、職人と膝を向かい合わせて、会話しながらものづくりを行う。

 

立川さんはそういう地方と中央の市場をつなぐような割と関係の仕事をしてたんだけれども、やっぱりこういう素材を自分の事務所の中に、こう全部置いてですね、でいろんな人たちに来てもらってみてもらって、新しい仕事を作っていくようなビジネスなもんですから、東京のこのハイヒルの、いわゆる東京営業所みたいなかたちであのー活動してくれたんですよね。ですから立川さんのとこ通じて結構高岡にも仕事が来たと。で、ブランドショップの内装手掛けてきたりだとか、まぁ当然他の雑誌を見てこられた方もいますし、立川さん経由で仕事がきたり、そういう新しいビジネスが生まれてきたんですね。

 

立川氏はカッシーナというイタリアの家具ブランドに勤めていた人物。出身が長崎の大川家具が有名な地域であり、産地のことをよく理解している。カッシーナを辞めてからは東京に事務所を構え、都市部で産地のものを紹介する、いわば産地と市場をつなぐような仕事をしている。家具の市場で身に付けたブランディングや流通のノウハウを、高岡銅器でも活かしている。

 

第五項 有限会社HiHill 

平成15有限会社HiHillを設立。これまで行政が中心で行っていたものを、プロジェクトに参加していた職人やデザイナーなど21個人及び企業の出資で有限会社化した。

これまでは行政から組合、企業への資金援助といった一方的な支援を行うことが多かった。しかしながらHiHillの設立によって、職人・メーカーは製品作り、HiHillは窓口的な役割、高岡市デザイン工芸センターはデザイナーの招集等、ソフト面の支援を行うことで成り立つトライアングル構造(図5−1)をとるようになった。この取り組みのもと様々な企業との取引が行われ、平成16にはHiHillがグットデザイン賞の日本商工会議所会頭賞を受賞した。

5−1 トライアングル構造

(HiHill HPより)

 

第六項 職人・メーカーの変化 

 

職人さんに板渡してですね。ま、絵を描くような感覚で、自分で表情考えてって言って。(中略)他の職人さんの見て「あっこういう風にすればいいのか」っていうことで。やっぱり、やるたびに、どんどんモチベーションも上がるし、面白いパターンがどんどん出てくるんですよね。

 

参加者同士が互いのマテリアルプレートを見ることで、自分には無い技術や表現を学び、高め合っている。その結果として一回目よりも二回目、二回目よりも三回目、と回を重ねるごとにマテリアルプレートの質が上がってきたという。

 

プロジェクトのなかからそういうデザイナー達であったり、あるいは自らいろんな考える力を付けて、商品開発をしていく。プロデュースしたりデザインすることで、やっぱ見る目がちゃんとできてくるじゃありませんか。そうすると今までデザイナーさんに「お願いします」って、デザイナーさんがデザインしたものを「はい、わかりました。作ります。」ではなくて。ある程度デザイナーと対等に渡り合って「ここはこうしたらどうでしょうかね」っていうようなそういうことがいえるようなデザインセンスを持った職人さん、問屋さんを作っていく、メーカーさんを作っていくことで、最終的にやっぱり自立できるわけですよ。そうすると産地全体が強くなる。だから商品開発していく意欲も出てくるし、デザインを見る目がきちっとできれば、(中略)売れるようなものをちゃんときちっと考えて、きちっとした形で世の中に出していこう、という風になるじゃないですか。

 

プロジェクトを通してデザイナーと対等に渡り合えるような職人・問屋を作って最終的には自立できるようにし、一つ一つの企業を強くする。これまでのデザイナーに頼りきりであった職人・メーカーの様子から変化がみられる。